与党 (312)
野党 (145)
無所属・欠員 (7)
衆議院(しゅうぎいん、英語: House of Representatives)は、日本の立法府たる国会の議院の一つで、参議院とともにこれを構成する(日本国憲法第42条)。
1890年(明治23年)の大日本帝国憲法の施行に伴い帝国議会の一院として成立した議院であり、1947年(昭和22年)の日本国憲法の施行に伴って国会の一院として成立した。いずれも下院にあたる。
日本国憲法下で参議院とともに国会を構成している一院である(日本国憲法第42条)。参議院と同じく全国民を代表する選挙された議員で組織される(日本国憲法第43条第1項)。
議員定数は法律で定められる。具体的には、日本国憲法第43条第2項の規定に基づき公職選挙法第4条第1項に明記されている。
1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されて、初めて召集された第1回国会は、新憲法施行の直前の1947年(昭和22年)4月25日に執行された第22回衆議院議員総選挙で選出された議員により構成された。この総選挙は、第92回帝国議会で新憲法に考慮して改正した衆議院議員選挙法(同年3月31日公布)に基づいて行われた。選出方法は中選挙区制で、定数は466人。
1950年(昭和25年)に衆議院議員選挙法を廃止して、新たに「公職選挙法」を制定した。このときは、選出方法・定数とも変わらず、中選挙区制・定数466人と定められた。1953年(昭和28年)には現在の鹿児島県奄美市および大島郡に属する奄美群島の復帰により「奄美群島区」が設けられたことで1増の467人、1964年(昭和39年)に19増の486人、1971年(昭和46年)には沖縄復帰により「沖縄全県区」が設けられたことで5増の491人となり、1975年(昭和50年)に20増の511人と増員された後は、この定数が1986年(昭和61年)まで続いた。定数是正の直接の理由は、産業構造の変化に伴い、東京一極集中に代表される都市部への人口集中が起こったことから「一票の格差」が問題とされるようになったことである。ただ、増員のみが続発した背景には、減員が現職議員の失職に繋がるものであることや、政権を担う与党にとって不利な定数変更とならないことに配慮した、などの点が指摘されている。
1983年(昭和58年)、一票の格差が3倍以上に達する場合には憲法14条に違反するとも解される最高裁判所の判決が出された。これを受けて、1986年(昭和61年)に初めての減員を含む8増7減(8選挙区で1人ずつ増員し、7選挙区で1人ずつ減員。差し引き1増)の512人となる。さらに、1992年(平成4年)には9増10減(9選挙区で1人ずつ増員し、10選挙区で1人ずつ減員。差し引き1減)の511人となった。
1993年(平成5年)、いわゆる政治改革の一つとして選挙制度改革が論じられた。その結果、従来の中選挙区制は廃止され、小選挙区比例代表並立制が導入された。同時に定数も改定され、511人から500人(小選挙区300人、比例代表200人)に減員された。2000年(平成12年)に比例代表の定数について20削減され、定数は480人(小選挙区300人、比例代表180人)となった。なお、議員1人当たりの人口は26.7万人であり、これはOECD加盟国34ヶ国中33位と、人口に対して定数が非常に少ない部類に入る。2014年(平成26年)に小選挙区の格差是正により5減され、475人(小選挙区295人、比例代表180人)となった。
2017年9月28日の解散により行われた第48回衆議院議員総選挙は、同年6月施行の選挙区改正により小選挙区では0増6減(青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島の6県で各1減)、比例代表区では0増4減(東北、北関東、近畿、九州の4ブロックで各1減)が実施され、定数465人(小選挙区289人、比例代表176人)となった。これにより衆議院の定数は、日本国憲法施行後最少となる。
下図の数字は各都道府県の小選挙区数を示す。都道府県選挙区の定数ではない。
衆議院議員の選挙は、小選挙区比例代表並立制によって行われる。小選挙区比例代表並立制とは、選挙人が小選挙区と比例代表のそれぞれに1票ずつ投票する制度。被選挙人(立候補者)は、小選挙区と比例代表の双方に立候補することができる(重複立候補制度)。
なお、1993年(平成5年)の第40回衆院選挙までは、中選挙区制(大選挙区制の一種)で行われていた。
選挙資格及び被選挙資格は法律で定められる(日本国憲法第44条本文)。
衆議院議員の任期は4年だが、衆議院が解散された場合には任期満了前に失職する(日本国憲法第45条)。
議員は、院内では会派(院内会派)を作って行動することが多い。院内会派とは、2人以上の院所属議員で結成する団体のことである。政党とほぼ重なるものの、2つ以上の政党で一つの会派を作ったり、無所属議員が院内会派に所属することもある。その院の各委員会の委員数や、発言・質問の時間配分などは、政党ではなく会派の所属議員数によって左右される。衆参両院とも、慣例により議長と副議長は会派を離脱する。
両議院は、各々その議長その他の役員を選任する(日本国憲法第58条)。国会法上の役員は議長、副議長、仮議長、常任委員長、事務総長とされている(国会法第16条)。また、衆議院では、これに特別委員長、憲法審査会会長、政治倫理審査会会長を加えた八職を「役員等」としている。
議長は、議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する(国会法第19条)。副議長は、議長に事故があるとき又は議長が欠けたときは、議長の職務を行う(国会法第21条)。議長及び副議長とも各々一人で(国会法第17条)、任期は各々議員としての任期までとなる(国会法第18条)。議長は内閣総理大臣の親任式に列席する(衆議院先例集69号)。第21回国会の鳩山一郎内閣総理大臣の親任式の際は、議長が欠けていたので原彪副議長が列席した例がある(衆議院先例集69号)。
議長及び副議長がともに又はいずれかが欠けた場合は、直ちに選挙をしなければならない(国会法第23条)。総選挙後に召集される国会では、召集当日に議長及び副議長がともにないので、まずその選挙をおこなう(国会法第6条、衆議院規則第3条及び同第9条)。召集当日に選挙が出来なかった例が、第1回、第29回、第37回、第45回及び第127回国会にある(衆議院先例集38号)。
衆参の議長は三権の長で唯一親任式の対象ではないが、議長、副議長は、就任の際、皇居・宮殿に参内して天皇に面会のうえ挨拶(官報では「拝謁(はいえつ)」と表記)をし、辞任の際には、挨拶の記帳をする(衆議院先例集51号)こととなっている。
第50回帝国議会において議長は不偏不党厳正公平であるべきとの決議が全会一致で可決され、以後おおむね議長及び副議長は就任に際し党籍を離脱している(衆議院先例集65号)。
議長および副議長に共に事故があるときは仮議長に議長の職務を行わせることになっており、選挙または議長の委任で選出することになっている(国会法第22条)。
常任委員長は国会法上の役員である(国会法16条)。常任委員長は、本会議で委員の中から選挙(国会法第25条)もしくは議長において指名(衆議院規則第15条第1項)で選任されるが、後者の場合がほとんどである。この場合、事前に各会派間で協議された常任委員長各会派割当てと会派申出の候補者に基づいておこなわれる。委員の選任は、総選挙後初めて召集される会期の始めに行われる(国会法第42条および衆議院委員会先例集9号)か、国会法または衆議院規則の改正により必要となったとき(衆議院委員会先例集10号)のみであり、その他の場合は異動とみなし、委員の辞任と補欠選任で対処することになっている。また、多くの会派は、毎年秋に召集される臨時会の冒頭で各委員の構成を見直すことを例としていることから、実際に委員の構成が大きく変わるのは総選挙後の国会と毎年秋に召集される臨時会であり、常任委員長が選任されるのはその際である。現職は第182回国会冒頭に議長によって指名された。
各議院において特に必要があると認めるときは、その院の議決をもって(すなわち本会議において)、常任委員長を解任することができる(国会法30条の2)。委員会でも、不信任動議を可決することは可能であるが、この動議は法的拘束力をもたない。
衆議院の本会議で解任決議が可決された実例はない。衆議院の委員会での不信任動議可決例は過去に2例あり、1948年(昭和23年)12月の予算委員長に対するものと、2007年(平成19年)6月の懲罰委員長に対するものとがある。
委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する(国会法第48条)。
事務総長は、議長の監督の下に、議院の事務を統理し、公文に署名する(国会法第28条)。本会議において国会議員外より選挙(国会法第27条)されるが、その手続を省略し議長において指名(衆議院規則第16条第1項)することができることとなっている。手続を省略する場合がほとんどである。