谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )は、中日ドラゴンズに所属する三重県鈴鹿市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
バイタルネットを経て、2009年から2017年7月までは北海道日本ハムファイターズに在籍。愛称は「チョロ元」で、日本ハム時代には、元・一軍監督の梨田昌孝から「バイタル」、チームメイトから「タニモン」とも呼ばれていた。
三重県立稲生高等学校の1年時までは内野手だったが、肩の強さを買われて投手に転向。中部大学への進学後は、愛知大学野球のリーグ戦で、通算12勝20敗という成績を残した。3年時の2005年秋季リーグでは敢闘賞、4年時の2006年には春・秋季ともベストナインに選出。しかし、投手としては身長が低い(160cm台後半)ことが災いして、社会人野球の有力チームからは勧誘されなかった。
大学からの卒業を機に、薬品卸会社のバイタルネットへ入社。他の一般社員と同じように勤務しながら、硬式野球部でプレーを続けた。入社1年目の2007年秋からエースの座を確保すると、チームは6年振りに社会人野球日本選手権へ出場。谷元は1回戦で、前年覇者の富士重工業を相手に、8回まで無得点に抑えた(チームは初戦敗退)。2008年の都市対抗野球大会には、TDK千曲川の補強選手として出場した。
2008年のNPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから7巡目で指名。会議前の入団テストへ合格したことに伴う指名で、契約金1,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は48。
2009年、オープン戦5試合の登板(通算5イニング)を無失点で凌いだことから、開幕一軍入りを果たした。4月18日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)6回裏からの救援登板で、2回を無失点に抑えてプロ初勝利をマーク。NPB全12球団の新人投手で、一軍公式戦での勝利一番乗りを果たした。
2010年、主にイースタン・リーグ公式戦で登板。一軍公式戦では4試合の登板にとどまった。
2011年、2年振りに公式戦の開幕を一軍で迎えると、救援陣の一角として一軍に定着した。一軍の中継ぎ陣が軒並み好調であったため、ビハインドでの起用が中心だったが、一軍公式戦47試合の登板で防御率2.47と好成績を残した。
2012年、開幕当初の一軍公式戦には中継ぎで起用されていたが、チーム事情でシーズン途中から先発に転向。7月16日の対埼玉西武ライオンズ戦で一軍公式戦初先発を果たすと、ローテーションの谷間の試合で先発を任された。転向後は好投しても勝ち星が付かない試合が相次いだが、9月19日の対オリックス・バファローズ戦(いずれも札幌ドーム)では、5回2失点という内容で先発初勝利を記録した。
2014年、一軍公式戦の開幕から、ロングリリーフとしての起用が続いた。6月には疲労を理由にいったん登録を抹消されたものの、最短の抹消期間(10日間)で復帰すると、シーズン閉幕まで場面を問わず安定した投球を続けた。一軍公式戦全体では、52試合の登板で、防御率1.59という好成績を残した。
2015年、一軍公式戦の開幕から、右の中継ぎ要員として活躍。8月には、2日から28日まで、登板9試合連続で無失点を達成した。防御率こそ前年より悪化したものの、中継ぎ陣の柱として、自己最多の61試合登板や20ホールドを記録した。
2016年、一軍公式戦58試合の登板で、自己最多の31ホールドポイント(3救援勝利28ホールド)を記録 するとともに、チームのパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝へ大きく貢献した。クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズ(マツダスタジアム)では、シリーズ制覇に王手を掛けた10月29日の第6戦で9回裏に登板。広島の攻撃を無失点で凌いだことから、胴上げ投手となった。シリーズ終了後には、推定年俸1億円(2,800万円増)で契約を更改するとともに、背番号を22に変更した。
2017年、一軍公式戦の開幕から、中継ぎ投手として登板を重ねた。6月には、21日付で国内FA権の資格要件を満たすと、23日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で球団史上4人目の一軍公式戦通算100ホールドを達成している。さらに、パ・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームに初出場。全2試合に登板すると、両試合とも1イニングを無失点で抑えたばかりか、第2戦でセーブを記録した。
2017年7月31日に、中日ドラゴンズに金銭トレードで移籍することが発表された。当日がNPBレギュラーシーズン中のトレード成立期限日によるもので、背番号は60。オールスターゲームに出場した選手が、そのシーズン中に他球団へ移籍する事例はNPB史上初めてであった。移籍後は、セントラル・リーグ(セ・リーグ)公式戦18試合に登板。0勝1敗、防御率6.00ながら6ホールドを記録した。シーズン終了後の11月8日には、日本ハム時代に取得した国内FA権を行使せずに、チームへ残留することを表明し。後に臨んだ契約交渉では、球団から減俸を提示されながらも、翌2018年からの2年契約を締結。11月27日には、背番号を14に変更することが球団から発表された。
2018年には、中継ぎ要員として、公式戦の開幕を一軍で迎えた。しかし、開幕から調子が上がらず、4月4日には移籍後初めて出場選手登録を抹消された。後に一軍へ復帰すると、一軍公式戦で通算3ホールドポイント(2救援勝利1ホールド)をマーク。しかし、登板試合数はプロ入り後最少の8試合で、防御率が14.90に達するほど不振を極めた。
身長は公称167cmで、NPBの現役投手で最も低い部類に入る。それほど小柄な体格にもかかわらず、日本ハム時代の先輩投手だった武田久(身長170cm)と同様に、140km/h台中盤(最速150km/h)のストレートが武器。ボールの回転数が多く、2017年のオールスターゲームで試験的に導入されたトラックマンの投手データでは、最高約2,600rpm(毎分回転数)を記録した。変化球はカーブを投げる割合がもっとも高い(2013年)。
日本ハム時代には、先発、セットアッパー、クローザー、ロングリリーフなど、チーム事情や試合の局面に応じて幅広く起用されていた。
日本ハム時代の2014年5月30日に、一般の女性と結婚したことを発表した。
日本ハムから中日へ移籍する直前の2017年6月から、札幌ドームの日本ハム主催試合を対象に、北海道内の介護福祉士を招待する「アナたにもんシート」を設置した。北海道介護福祉士会に登録されている介護福祉士から、毎試合1組2名を抽選して招待すると趣旨で、試合前には谷元との記念撮影やリストバンドのプレゼントを実施する。谷元の実家の母親が祖父の介護をしており、デイサービスで介護福祉士のサポートを受けていることから介護従事者を身近に感じおり、社会貢献の一環としてこのシートへの導入へと至った。導入した最初の試合(6月6日の対広島1回戦)では22組44名を招待し、札幌ドーム以外では7月18日に行われた函館市千代台公園野球場での試合(対東北楽天ゴールデンイーグルス11回戦)でも15名を招待した。なお、中日への移籍後も、2017年内の日本ハム主催試合では「アナたにもんシート」を継続。移籍後も、招待された介護福祉士から、谷元に感謝する旨のメッセージが寄せられている。
2017年には、日本ハムで国内FA権を取得しながら、レギュラーシーズンのトレード期限最終日に中日へ移籍。そのため、シーズン終了後にFA権の行使を宣言すれば、日本ハムへ復帰する可能性もあった。しかし、谷元はFA権を行使せず、中日へ残留する道を選んだ。谷元によれば、「FA権を取得した状態でシーズン途中にトレードで中日へ入団したにもかかわらず、球団の幹部から『(チームに)ぜひ必要』という言葉をいただいたことが、心に強く響いた」という。奇しくも、契約更改の直後には、日本ハム時代にバッテリーを組んでいた大野奨太捕手が海外FA権の行使を表明。後に中日へ入団したため、再びチームメイトになった。