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豊川市とは?

 | 
豊川市旗 | 豊川市章
(1933年9月制定)

【国】
日本
【地方】
中部地方東海地方
【都道府県】
愛知県
市町村コード
23207-6
法人番号
1000020232076
【面積】
161.14km

【総人口】
183,909[編集]
(推計人口、2020年4月1日)
人口密度
1,141人/km
【隣接自治体】
豊橋市岡崎市新城市蒲郡市
【市の木】
クロマツ
【市の花】
サツキ
【市の歌】
豊川市歌
【豊川市役所】

【市長】
竹本幸夫
【所在地】
442-0068
愛知県豊川市諏訪一丁目1番地
北緯34度49分36.4秒東経137度22分33.3秒座標: 北緯34度49分36.4秒 東経137度22分33.3秒
市庁舎位置


【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村



ウィキプロジェクト
豊川中心市街地

豊川市(とよかわし)は、愛知県東三河に位置するである。計量特定市。人口は愛知県において安城市に次いで8位である。

概要

東三河において豊橋市に次ぐ人口を持ち、名古屋中京圏豊橋都市圏に属している。

豊川稲荷(豊川市豊川町1番地)の門前町から発展し、曹洞宗専門僧堂を有する。市名の豊川(とよわ)の由来は、律令制宝飯郡豊川郷。愛知県内に「豊」の付いた自治体名が多いが、最古はこの豊川市で、8世紀木簡から確認できる。

2006年(平成18年)2月1日に宝飯郡一宮町を、2008年(平成20年)1月15日に同郡音羽町御津町を、2010年(平成22年)2月1日に同郡小坂井町を編入合併した。この結果、県内7位の人口となった(現在は、安城市に抜かれて、県内8位)。。また、面積で瀬戸市、一宮市、東栄町を抜き、県内9位に浮上。可住地面積で、安城市、新城市、稲沢市、春日井市を抜いた。合併の際、新市名候補として「穂の国市」や「(三河の国府が置かれていたことから)三府市」などの候補があり、編入する周辺の町民からも変更を求める声が強かったが、豊川稲荷の立場を尊重する市役所上層部や市会議員の画策で、アンケートでは候補に入っていなかった「豊川市」の踏襲に落ち着いた。

東名高速道路国道1号国道23号国道151号国道362号などが通っており、東三河の道路交通の要衝となっている。豊川稲荷や御油の松並木は全国的に有名で、歴史的建造物なども数多くある。また、冬の晴れた日には、市内各地から富士山を眺めることができる。

地理

豊川市中心部周辺の空中写真。画像中央付近の緑地が豊川稲荷である。
1988年撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

愛知県の東部に位置する。市の東部には豊川(とよがわ)、西部には音羽川、中心部には佐奈川などが流れ、市南西部にある三河湾に注ぐ。市の北部は主に山地で、ゴルフ場が多数存在する。

市の平野部は、鎌倉時代の『東関紀行』に、既に本野が原の名称で呼ばれており、1934年(昭和9年)の豊川海軍工廠開設までは小集落で、入会の山林が広がっていた。

穂ノ原地区は工業地区となっており、陸上自衛隊豊川駐屯地もある。

市では中心市街地の区域を、公共機関や商業施設などが所在する「諏訪地区」、豊川稲荷の門前町として発展した「豊川地区」、両地区をつなぐ「中央通地区」の3地区122.4ヘクタールとし、「中心市街地商業等活性化基本計画」を策定して中心市街地の開発促進に取り組んでいる。ただ、元々が個々に中心地を形成していた4町村による合併で誕生した市であるために、戦後もそれら旧町村が形成していた市街地の間を埋める形で市街地が形成されていったことに加え、市名を冠している豊川駅が市の中心駅として機能しておらず、その機能は各地区に所在するいくつかの駅に分散されているのが特徴であるために、市街地が広範に連続して広がっているものの、市としての中心市街地の形成が思うに任せず、都市の規模の割に大規模な商業施設などの進出も遅れ、長らく購買人口が近隣都市に流出している状況にあった。平成に入り、中規模の商業施設が「諏訪地区」やその周辺にオープンするも、同時にロードサイド店舗が豊橋市との市境に近い正岡地区や豊川IC近隣へ集中するなど、分散化傾向に変化は見られないままである。

国道1号が市の西部を、国道23号が市の南西部、国道151号が市の東部から南部を通る。また、姫街道(本坂通)と呼ばれる通りが市内を東西に貫いている。鉄道路線は4路線あり、前述の幹線道路とほぼ並行している。

春になると佐奈川や音羽川、桜トンネル(市役所の近くにある桜並木)の桜が咲き、街を彩る。夏には市内各地で祭りが開かれ、大変賑わう。比較的温暖な気候であるため、冬でもはほとんど降らない。

地形

山地

主な山
赤塚山

河川

主な川
豊川
音羽川

海岸

湾岸

湖沼

主な池

気候

太平洋側気候に属し、比較的温暖な気候である。ただし、冬場(12月 - 3月頃)の最低気温に関しては、摂氏0度を下回るのが一般的である。

豊川市の月別降水量(mm)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年合計
2013年 45.5 | 64.0 | 83.5 | 218.0 | 107.0 | 137.0 | 83.0 | 107.0 | 216.0 | 313.5 | 72.5 | 41.5 | 1488.5
2014年 39.0 | 125.5 | 157.5 | 115.0 | 148.0 | 47.0 | 110.0 | 186.5 | 173.0 | 308.0 | 7.5 | 49.5 | 1466.5
2015年 104.5 | 54.5 | 136.0 | 147.0 | 91.5 | 120.0 | 296.5 | 280.0 | 351.0 | 63.0 | 94.0 | 95.5 | 1803.5
豊川市の月別平均気温(℃)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年平均
2012年 4.7 | 4.9 | 9.1 | 14.2 | 19.0 | 22.1 | 26.6 | 28.1 | 25.4 | 19.2 | 12.1 | 6.3 | 16.0
2013年 4.7 | 5.3 | 11.1 | 14.2 | 19.1 | 23.0 | 27.7 | 29.0 | 25.1 | 20.5 | 12.1 | 7.0 | 16.6
2014年 5.3 | 5.9 | 9.8 | 14.4 | 19.2 | 23.4 | 26.9 | 27.0 | 23.4 | 19.0 | 13.9 | 6.2 | 16.2
2015年 5.8 | 6.2 | 9.9 | 15.4 | 20.8 | 22.1 | 26.1 | 27.8 | 23.3 | 18.6 | 15.0 | 10.0 | 16.8

市内の町・字

豊川市の地名を参照。

土地利用

市内の土地の利用状況(2016年現在)をみると、農用地が3,300haで、森林が5,860ha、水面・河川・水路が699ha、道路が1,365ha、宅地が2,886ha、その他が2,004haとなっている。より詳しくは、以下の通り。

豊川市の土地利用面積(単位:ha)
行政区域 農用地 森林 水面・河川・水路 道路 宅地 その他
【田】
【畑】
【国有林】
【民有林】
【水面】
【河川】
【水路】
【国道】
【県道】
【市道】
【農道】
【林道】
【住宅地】
【工業
用地】
その他
の宅地
16,114 | 1,420 | 1,880 | 96 | 5,764 | 32 | 455 | 213 | 205 | 222 | 885 | 7 | 45 | 1,767 | 414 | 705 | 2,004

人口


豊川市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 豊川市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊川市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性


豊川市(に相当する地域)の人口の推移

総務省統計局 国勢調査より
人口推移
年 人口
1920年 |  24,020
1925年 |  23,740
1930年 |  26,796
1935年 |  27,076
1940年 |  30,452
1947年 |  55,036
1950年 |  55,178
1955年 |  61,359
1960年 |  65,313
1965年 |  75,171
1970年 |  85,860
1975年 |  98,223
1980年 |  103,097
1985年 |  107,430
1990年 |  111,730
1995年 |  114,380
2000年 |  117,327
2005年 |  120,974

 | 
年齢構成
男 年齢 女
3,641  | 0 - 4歳 |  3,621
3,678  | 5 - 9 |  3,591
3,576  | 10 - 14 |  3,429
3,661  | 15 - 19 |  3,517
3,915  | 20 - 24 |  3,712
5,025  | 25 - 29 |  4,532
6,351  | 30 - 34 |  5,652
5,289  | 35 - 39 |  4,616
4,616  | 40 - 44 |  4,282
4,090  | 45 - 49 |  4,009
4,452  | 50 - 54 |  4,370
5,484  | 55 - 59 |  5,583
4,591  | 60 - 64 |  4,429
3,472  | 65 - 69 |  3,797
2,844  | 70 - 74 |  3,051
2,103  | 75 - 79 |  2,538
1,832  | 80歳以上 |  4,026


隣接する自治体

愛知県

歴史

律令制宝飯郡豊川郷にあたる。市域には古くから人が住んでおり、天間遺跡等の旧石器時代の遺跡も見つかっている。多数の甕棺墓が発掘された麻生田大橋遺跡は、縄文時代から弥生時代にかけての複合遺跡である。

5世紀後半に音羽川西古瀬川の間の白鳥台地に築かれた三河最大級の前方後円墳船山第1号墳は、行者塚古墳(兵庫県加古川市)等畿内周辺の古墳及び昼飯大塚古墳(岐阜県大垣市)、宝塚古墳第1号墳(三重県松阪市)、高塚山古墳(三重県桑名市)に副葬されているものと共通の食物供献儀礼用笊形土器及び土製品が発掘された東限となっており、伊勢湾三河湾などの水上交通で覇権を得た畿内豪族との繋がりが伺える。小坂井町には大和(奈良県)の豪族葛城氏穂国造を祭神とするとされる菟足神社が鎮座する。6世紀後半から7世紀後半にかけては炭焼平古墳群が作られた。

律令時代には船山古墳付近に三河国国府三河国分寺三河国分尼寺が置かれていた。大宝2年(702年)の持統天皇三河行幸の際には、伊勢から航路で御津に上陸し、宮路山を訪ねたとされる。赤坂の杉森八幡社は、その際持統天皇により勧請されたと伝わる。財賀寺は奈良時代、神亀元年(724年)の創建と伝えるが、現存する仏像や考古遺物からは平安後期以降、山寺として発展したと見られる。

平安時代、藤原氏による摂関政治が行われていた頃、三河守としてこの地域に赴任した大江定基は、懇意の女性と死別したことをきっかけに比叡山延暦寺寂心のもとで出家して寂照と名乗り、入して帰国することなく没した。このことは『今昔物語集』『源平盛衰記』『三国伝記』などに説話として収録されて広く知られたようであり、豊川市内を中心に三河の寺社には、財賀寺、長福寺、西明寺関川神社三明寺花井寺など定基と所縁のあることを伝える所が多い。

鎌倉時代になって、鎌倉街道が整備されると、豊川宿として機能した。鎌倉時代の史書では、『海道記』に「豊河の宿」、『東関紀行』に「豊川といふ宿」と記載される。

室町時代永享10年(1438年)の永享の乱で敗れた一色時家が、同族の三河守護一色義貫を頼り三河国に逃げ落ち、翌11年(1439年)、牛久保町付近に長山一色城を築城し根拠地とした。しかし翌年、時家を匿ったとして、将軍足利義教により義貫が討たれ、代わりに討伐に功のあった細川持常が三河守護となると、三河は他地域に先駆けて内戦状態に入った。この頃、豊川稲荷が創建された。

長禄2年(1458年)、長沢にあった、駿河守護今川氏の分家関口氏の岩略寺城を、岩津城(愛知県岡崎市岩津町)の松平氏宗家第三代松平信光が攻め落とし、子を長沢松平氏として分立して置いた。文明9年(1477年)松平氏宗家第四代松平親忠により、御津大恩寺が建立された。同年、長山一色城一色時家が、被官の大沢城(御津町)城主波多野全慶に謀反を起こされ討たれるが、のちに同じく被官の牧野古白が灰塚野合戦で波多野全慶を討ち取り、長山一色城主となり、その後牛窪城と改名した。

三河牧野氏は、駿河守護今川氏に臣従し、今川氏親家臣の北条早雲率いる軍勢との今橋合戦で牧野古白が自害したのちも、三河牧野氏が牛窪城主を務めた。なお、古白を攻めたのは松平長親であるとの説もある。享禄2年(1529年)牧野保成が、牛窪城付近に新城・牛久保城を築城する。しかし、同年に岡崎城の松平氏第七代松平清康東三河に侵攻すると、牛久保城の牧野成勝は清康に従属した。松平氏が駿河の戦国大名今川義元の傘下になると、牛久保城の三河牧野氏も今川氏に従属した。今川義元は天文年間、豊川稲荷に寄進を行い発展させた。なお、永禄3(1560年)に今川氏真が財賀寺に寺領と権限を安堵した文書では、八幡宮・三河国分寺・一宮(砥鹿神社)・総社などの供僧が財賀寺の所属とされている。

徳川家康が岡崎城に入り、松平氏が今川氏から自立すると、砥鹿神社里宮付近に一宮砦が築かれ家康家臣の本多信俊が置かれた。永禄6年(1564年)に一宮砦を襲撃した今川氏真の軍を家康らが撤退させたとされる「神君一宮砦後詰め」の逸話が知られる。また、家康は牛久保城を攻めるなどし、先に家康方に移っていた三河稲垣氏牛久保六騎の仲立ちを経て、城主の牧野成定を従属させた。この他、元亀四年(1573年)に野田城(愛知県新城市)を落とした武田信玄により、足山田城が築かれたが、これも家康により滅ぼされた。安土桃山時代になり家康の関東移封がなされると、牛久保城は豊臣家臣の吉田城(愛知県豊橋市)城主池田輝政の支城となった。

江戸時代には、三河吉田藩西大平藩新城藩の領地の他、寺社領、旗本領が置かれ、三河の天領を管理する代官所赤坂陣屋も設置された。また、東海道宿場である赤坂宿御油宿は、近隣の大規模な岡崎宿等に対抗して飯盛女と称する売女旅籠に多数雇用され、歓楽街として栄えた。今も残る市指定建造物の旅籠大橋屋や、国の天然記念物になっている御油の松並木で往時が偲ばれる。豊川稲荷などに向かう脇街道である姫街道(

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出典:wikipedia
2020/06/03 19:40

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