このキーワード
友達に教える
URLをコピー

越谷市とは?

 | 
越谷市旗 | 越谷市章
1955年1月10日制定。

【国】
日本
【地方】
関東地方
【都道府県】
埼玉県
団体コード
11222-4
法人番号
6000020112224
【面積】
60.24km

【総人口】
343,770[編集]
(推計人口、2018年10月1日)
人口密度
5,707人/km
【隣接自治体】
さいたま市春日部市川口市草加市吉川市北葛飾郡松伏町
【市の木】
ケヤキ
【市の花】
キク
【市の鳥】
シラコバト
越谷市役所

【市長】
高橋努
【所在地】
343-8501
埼玉県越谷市越ヶ谷四丁目2番1号
北緯35度53分28.1秒東経139度47分27.3秒

【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村



【特記事項】
市外局番:048-9(市内全域・草加MA)
ウィキプロジェクト

越谷市(こしがやし)は埼玉県の南東部にある人口約34万人の。人口はさいたま市川口市川越市所沢市についで県内第5位。2018年7月1日現在341,787人。中核市業務核都市保健所政令市に指定されている。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 隣接している自治体・行政区
  • 2 地形
    • 2.1 湖沼
    • 2.2 河川
  • 3 歴史
    • 3.1 略史
    • 3.2 市町村名の由来
    • 3.3 「国民健康保険発祥」の地
    • 3.4 政令指定都市構想
    • 3.5 年表
      • 3.5.1 越谷町成立前
      • 3.5.2 越谷町への合併、市制施行後
  • 4 人口
  • 5 行政
    • 5.1 歴代市長
    • 5.2 市の主な施設
    • 5.3 国の出先機関
    • 5.4 県の出先機関
    • 5.5 その他機関
    • 5.6 広域行政
    • 5.7 ナンバープレート
  • 6 司法
    • 6.1 裁判所
  • 7 立法
    • 7.1 市議会
    • 7.2 埼玉県議会
    • 7.3 衆議院
  • 8 経済
    • 8.1 金融機関
    • 8.2 越谷市に本社を置く主な企業
  • 9 特産物
  • 10 姉妹都市
  • 11 地域
    • 11.1 町名・大字
    • 11.2 健康
      • 11.2.1 地域保健
      • 11.2.2 主な病院
    • 11.3 教育
      • 11.3.1 小学校
      • 11.3.2 中学校
      • 11.3.3 高等学校
      • 11.3.4 専門学校
      • 11.3.5 短期大学
      • 11.3.6 大学
      • 11.3.7 特別支援学校
    • 11.4 地域情報
    • 11.5 消防
    • 11.6 警察
  • 12 交通
    • 12.1 鉄道路線
    • 12.2 バス
    • 12.3 タクシー
    • 12.4 かつて通っていた鉄道
    • 12.5 道路
  • 13 観光
  • 14 越谷(市)にちなんだ作品
    • 14.1 越谷(市)を舞台・背景とした作品
    • 14.2 越谷(市)の地名・名称を使っている作品
  • 15 出身有名人
    • 15.1 政財界
    • 15.2 学者
    • 15.3 スポーツ
    • 15.4 芸能
    • 15.5 報道
    • 15.6 その他
  • 16 ゆかりのある人物
  • 17 脚注
  • 18 参考文献
  • 19 外部リンク

概要

越谷駅周辺の景観

江戸時代日光街道の宿場町の一つである越ヶ谷宿として栄えた街であり、埼玉県の東南部に位置する。利根川東遷事業までは元荒川の右岸側が武蔵国埼玉郡、左岸側が下総国葛飾郡であり、国境を跨ぐ形で宿場町が整備されていた。右岸側の越ヶ谷町と左岸側の大沢町に跨る形で宿場町があったものの、両町の伝馬機構は一体化されており、交通上は両町を合わせて越ヶ谷宿とされていた。

大宮台地下総台地にはさまれた中川流域の沖積平野にあり、市域の大半は平地である。元荒川中川綾瀬川古利根川新方川(千間堀)、逆川など、多くの河川が市内に流れていることから、「水郷こしがや」と呼ばれる。江戸から北に約25kmにあり、東北や上信越方面との中継地点でもあった越谷は交通の要衝として舟運が発達し、江戸時代末期までは多数の河岸場が整備されていた。

1899年に東武鉄道伊勢崎線が開業し、日光街道の西側に並行する形で市域を南北に縦断している。1954年に2町8村が合併して越谷町となり、1958年に市制施行されて越谷市となった。1962年に伊勢崎線が日比谷線直通運転を開始した後は、東京のベッドタウンとして急激に都市化が進んだ。中心市街地から離れた春日部市との市境周辺もニュータウンが開発され、1967年にせんげん台駅が開業した。1973年に武蔵野線が開業したことにより、浦和方面へのアクセスが飛躍的に向上した。両路線の乗換駅は新越谷駅南越谷駅であり、駅名が異なるが徒歩連絡が可能である。

都市化によって水田の遊水機能が低下したことにより、バブル時代には治水対策が急務とされた。そのため、1996年から越谷レイクタウンが市の南東部に整備され、2008年に越谷レイクタウン駅が開業した。越谷レイクタウンの地区内には、広大かつ平坦な土地を活かして、日本最大級のショッピングセンターであるイオンレイクタウンが開業した。イオンレイクタウンは年間約5,000万人を集客しており、この数字は東京ディズニーリゾートの年間入園者数を約2,000万人程度上回る。

中心市街地は越谷駅東口周辺とされているが、イオンレイクタウンの開業以降は商業面での影響が大きく、イトーヨーカドー越ヶ谷店が2009年に閉店した。2012年に駅前再開発事業が行われて越谷ツインシティが開業した後は、商店街の空洞化にある程度の歯止めがかかり、越谷駅の乗降人員も増加傾向にある。越谷駅東口周辺は市役所や埼玉県の地域機関が集積しており、銀行の支店が数多く出店している。

「越ヶ谷のシラコバト」は1956年に国の天然記念物に指定されているが、これは戦中の食糧難による乱獲により、一時的に生息地が埼玉鴨場周辺のみになったことによる。シラコバトは1965年に県の鳥に、1988年に市の鳥に定められた。2000年頃までは個体数が増加して生息地も拡大してきたが、都市化の影響で餌場となる養鶏場が減少し、鳥インフルエンザの影響で養鶏場の野鳥対策が行われた影響などにより個体数が減少し、絶滅危惧種に指定されている。

隣接している自治体・行政区

地形

本市の地形はほぼ全域に渡って低平地で、平均海抜は5メートルほどであり、市街地と郊外部の水田から構成される。水はけが悪く、古くから大雨により度々水害を受けてきた地域である。

湖沼

高度成長期以前は水田が多かった本市であるが、高度経済成長以降に都市化が進行し、水田面積が減少したことにより遊水・保水能力が低下したため、1980年代には多雨時の浸水被害が頻発していた。

このため抜本的な治水対策が求められるようになり、1991年(平成3年)に大吉調節池が、2014年(平成26年)に大相模調節池が整備された。いずれも調整池であり、通常時は地域住民のレクリエーションや憩いの場として活用されている。

北越谷駅方面
大袋・せんげん台方面
元荒川の桜(2006年4月)
大相模調整池

河川

本市を流れる一級河川はすべて利根川水系である。東端に中川大落古利根川、南端に綾瀬川古綾瀬川が流れており、中央に新方川と元荒川の一級河川を始めとする多数の河川が流れている。大落古利根川、新方川、元荒川は当市で中川と合流する。



歴史

略史

縄文時代中期・縄文海進の頃はとなっていたが、弥生時代には市域の陸地化が始まった。見田方遺跡の存在からもわかるように、越谷の市域では、遅くとも古墳時代後期(6世紀頃)には人が定住を始めていた。

歌川広重の「武蔵越かや在」。『富士三十六景』より。

越谷市の市域のうち元荒川より南側の地域は古来より武蔵国埼玉郡に属し、平安時代1040年1045年(長久・寛徳年間)野与党の一族越ヶ谷太郎や小相模次郎が定住、野与党の氏神久伊豆神社(うじがみひさいずじんじゃ)が建てられたと伝えられる。元荒川以北の地域は戦国期までは下総国葛飾郡下河辺荘のうち新方庄に属する地域で、一帯は南北朝期までは藤原秀郷の子孫である下野国小山氏の一門、下河辺氏によって開発された八条院領の寄進系荘園であった。

江戸時代初期の1683年(貞享3年)、また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に太日川より西の地域を武蔵国に編入したのに伴い、元荒川より北の地域が武蔵国に編入された。

江戸時代には、日光街道宿場越ヶ谷宿として栄えた。1625年(寛永2年)に三宮・大道・大竹・恩間が岩槻藩領になり、1662年(寛文2年)以降、見田方・南百・千疋・四条・麦塚・柿ノ木が東方忍藩領になる。あとの地域はいわゆる「天領」であり、関東郡代の支配地域であった。

市町村名の由来

「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。

「越谷」の地名は、1954年、合併により越谷町が成立した際に、合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。したがって、旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」であり、それ以外の「こしがや」が付く地名は、越谷町成立以降に出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「」が入らない。同様の理由で「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。

「国民健康保険発祥」の地

国民健康保険発祥の地の碑

越ヶ谷町1935年(昭和10年)に発足させた、一般住民を対象とした日本初の健康保険制度「越ヶ谷順正会」は、1938年(昭和13年)の国民健康保険法(旧法)施行よりも3年早く発足している。このため、越谷市は「越ヶ谷順正会」を「国民健康保険の発祥」と称しており、国民健康保険法施行10周年を記念して、1948年(昭和23年)には「越ヶ谷順正会」を顕彰する「相扶共済の碑」が、現在の市役所敷地内に立てられている。

町の財政建て直しと滞納税を一掃するために、有志が無尽講を設立した。そして病気貧困の大きな原因となっていることから、その無尽講の利益で設立された。当時、勤労者を対象とした健康保険制度はあったが、農漁業、自営業者を対象とした健康保険制度はまだ無かった。

政令指定都市構想

2001年埼玉県東南部都市連絡調整会議が発足し、越谷市・草加市八潮市三郷市吉川市松伏町の5市1町での市町村合併政令指定都市への移行が検討されている。2010年には政令指定都市実現に向けた報告書がまとめられた。

年表

越谷町成立前

越ヶ谷宿及び周辺主要海道
越ヶ谷町」、「大沢町」、および「越ヶ谷宿」も参照

越谷町への合併、市制施行後

人口


越谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 越谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 越谷市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

越谷市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 | 139,368人 | 

1975年 | 195,917人 | 

1980年 | 223,241人 | 

1985年 | 253,479人 | 

1990年 | 285,259人 | 

1995年 | 298,253人 | 

2000年 | 308,307人 | 

2005年 | 315,792人 | 

2010年 | 326,423人 | 

2015年 | 337,562人 | 


総務省統計局 国勢調査より

行政

中央市民会館(左)と市役所(右)(2006年10月)

歴代市長

市の主な施設

国の出先機関

県の出先機関

その他機関

広域行政

一部事務組合
地方公営企業
協議会

ナンバープレート

ご当地ナンバーである越谷ナンバー( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/11/11 17:21

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「越谷市」の意味を投稿しよう
「越谷市」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

越谷市スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「越谷市」のスレッドを作成する
越谷市の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail