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辻元清美とは?

辻元 清美
つじもと きよみ
2011年 総理大臣補佐官時の写真

【生年月日】
(1960-04-28) 1960年4月28日(59歳)
【出生地】
日本 奈良県吉野郡大淀町
【出身校】
早稲田大学教育学部
【前職】
国際交流NGOピースボートスタッフ
【現職】
衆議院議員
【所属政党】
(社会民主党→)
(無所属→)
(社会民主党→)
(無所属→)
(民主党→)
(民進党→)
立憲民主党(赤松G)
【称号】
教育学士(早稲田大学1987年)
【公式サイト】
つじともWEB:辻元清美オフィシャルサイト
衆議院議員

【選挙区】
(比例近畿ブロック→)
(大阪10区→)
(比例近畿ブロック→)
(大阪10区→)
(比例近畿ブロック→)
大阪10区
【当選回数】
7回
【在任期間】
1996年 - 2002年3月28日
2005年 - 現職
内閣総理大臣補佐官
(災害ボランティア活動担当)

【内閣】
菅第2次改造内閣
【在任期間】
2011年3月13日 - 2011年9月5日

辻元 清美(つじもと きよみ、1960年4月28日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(7期)、立憲民主党国会対策委員長、立憲民主党大阪府総支部連合会代表、児童擁護議員連盟会長。立憲フォーラム幹事長。NPO議員連盟幹事長。

立憲民主党政調会長(初代)、民進党幹事長代行、民進党役員室長、民進党ネクスト内閣府特命大臣(新しい公共・社会的包摂・消費者及び食品安全・男女共同参画・子どもの貧困・自殺対策・NPO)、民主党新しい公共・社会的包摂総合調査会長、民主党幹事長代理、社会民主党政策審議会会長(第5代)・国会対策委員長(第8代)、国土交通副大臣(鳩山由紀夫内閣)、内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当)などを歴任。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 政界入り
    • 1.3 逮捕・議員辞職から政界復帰まで
    • 1.4 鳩山政権
    • 1.5 社民党離党から民主党入党まで
    • 1.6 野田政権
    • 1.7 民主党下野後
    • 1.8 民進党
    • 1.9 立憲民主党
  • 2 政策・活動
  • 3 人物・評価
  • 4 発言
  • 5 報道
    • 5.1 産経新聞の捏造報道による被害
    • 5.2 その他の産経新聞による報道
      • 5.2.1 森友学園関連
        • 5.2.1.1 籠池の妻のメール内言及
          • 5.2.1.1.1 首相官邸の関与
        • 5.2.1.2 産経新聞「3つの疑惑」報道
          • 5.2.1.2.1 豊中市の反応
          • 5.2.1.2.2 辻元と民進党の反応
          • 5.2.1.2.3 発端となった産経新聞の報道そのものに対する疑問と検証
  • 6 「デマ被害」
  • 7 議員連盟
  • 8 著作
    • 8.1 単著
    • 8.2 共著
  • 9 脚注
  • 10 外部リンク

来歴

生い立ち

奈良県吉野郡大淀町に生まれ、大阪府高槻市で育つ。名古屋大学教育学部附属高校卒業。卒業後デパートで2年間販売員として働いた。

1987年早稲田大学教育学部卒業。早大在学中の1983年、その前年に起きた歴史教科書問題に触発され、アジア諸国と日本の交流の活性化を目的としたNGOピースボート」を設立した。

1992年5月に国連地球サミットNGO代表に就任。その後も市民運動に関わり1993年にはエイボン女性大賞教育賞を受賞。

政界入り

1996年、同年に日本社会党から改称した社会民主党党首の土井たか子の誘いを受け、第41回衆議院議員総選挙比例近畿ブロック単独で出馬し、初当選。1998年1月に党幹事長代理に、9月に党広報委員長就任。

議員活動では特定非営利活動促進法(NPO法)、被災者生活再建支援法情報公開法児童買春・ポルノ禁止法などに取り組んだ。COP3「地球温暖化防止」プロジェクトチーム、男女共同参画社会基本法環境アセスメント法審議に関わる。

当時、社民党は自社さ連立政権の一翼をになう与党であったが、社民党・新党さきがけ2党は総選挙直前に大量の離党者を出し(その多くが旧民主党結党に参加)、第41回衆議院議員総選挙で惨敗を喫した。第41回衆議院議員総選挙を経て発足した第2次橋本内閣では社民・さきがけは閣僚を出さず、閣外協力に転じ、後に正式に連立政権を離脱する。なお、辻元は一般に「自社さ」と呼ばれた連立の枠組みを「社自さ」と呼んでいた。

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では大阪10区から社民党公認で出馬し、公明党石垣一夫、民主党の肥田美代子らを破り、再選。同年7月、社会民主党政策審議会長に就任。

逮捕・議員辞職から政界復帰まで

詳細は「辻元清美秘書給与流用事件」を参照

2002年3月に衆議院議員を辞職する。2003年7月18日、辻元本人・初代政策秘書・土井たか子党首の元秘書で指南役の五島昌子ら4人が秘書給与詐欺容疑で警視庁逮捕された。逮捕後は口裏合わせをして証拠隠滅を図った事実及び詐欺容疑を全面的に認めた。

2004年2月、東京地裁は、秘書給与1840万円を騙し取った詐欺の罪で、懲役2年・執行猶予5年の有罪判決を下した(2009年、猶予期間満了)。

有罪判決に伴う刑の執行猶予中であった2004年6月に社民党を離党する。同年7月の第20回参議院議員通常選挙大阪府選挙区から無所属で立候補したが、次点で落選(同選挙の全国最高得票数落選者)。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では社民党公認で出馬し、大阪10区では自由民主党松浪健太に敗北したが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。衆議院議員として政界復帰。2006年2月に社民党女性青年委員長に就任。

鳩山政権

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では前回敗れた松浪を大阪10区で破り、4選。選挙後の同年9月、党国会対策委員長に就任した。早野透によれば、三党連立政権の発足時には水面下での交渉を担当したとされ、辺野古基地建設を「見直し」対象とする連立政権合意を成立させたという。

同年9月に発足した民社国連立政権鳩山由紀夫内閣において、国土交通副大臣に就任する。当初、国対委員長の職にあった辻元は党務に携わるため就任の要請を固辞したが、福島瑞穂党首が既に閣議で辻元の国交副大臣就任を含む政務三役の人事案に同意し署名していたため、最終的には就任を受け入れた。国対委員長の職務は重野安正幹事長が代行し、2010年1月に後任の国対委員長に照屋寛徳が就任するまで国対委員長と国交副大臣の兼務が続くこととなった。国対委員長退任後、新たに設けられた社民党特命常任幹事に就任し、党執行部には残留している。

なお国会議員時代の刑事事件で有罪判決を受けた者が刑の効力が失われた後に行政府の役職に就くのは、1997年第2次橋本改造内閣総務庁長官に就任した佐藤孝行以来12年ぶり。ただし、佐藤孝行は、当時閣外協力をしていた社民党からの辞任要求によって、わずか12日間で辞任に追い込まれている。

2009年10月30日、JAL再生タスクフォースの解散後に設置された日本航空再建対策本部(本部長・前原誠司)の事務局長に就任した。大鹿靖明によれば、辻元は「JAL破綻はこれまで日本が経験したことのない国際大型倒産である」という認識から政府内やメガバンクとの調整にまわり、メガバンクとの会談では「いま、ここにいる人が大喧嘩したら日本の経済に大打撃を与えます。みなさんが鍵を握っているのです。100%納得するのはありえないでしょうから、歩み寄ってほしいのです」と説得した。しかし、11月6日に日航再建対策本部が日本政策投資銀行など日航の主力取引銀行幹部に1000億円規模の「つなぎ融資」を要請した際、銀行側は辻元からの要請を留保するだけではなく、反対に日航への融資に対する保証を政府が確保することを要請し、辻元は「政府保証などで、われわれも頑張るので、協力をお願いしたい」と述べて譲歩する姿勢を示した。最終的に日航は2010年1月19日に会社更生法の適用を申請した。

2009年12月1日、観光立国推進本部の事務局長に就任。中国人観光ビザ取得要件の緩和に取り組み、発給条件の年収25万元(約320万円)以上を過度な所得制限と述べ、年収6万(約80万)に引き下げた。2010年度の中国人観光客数の前年比41%増加を実現したことから、辻元は予算のいらない経済刺激策と自賛している。

2010年2月4日、国土交通省が関連する公共事業の予算配分に関する情報を民主党の地方組織に漏洩させた馬淵澄夫国土交通副大臣の更迭を求めた自民党に対し、「(自民党は)過剰反応している」と退けた。

社民党離党から民主党入党まで

2010年5月28日、沖縄県普天間基地移設問題で、日米の政府間合意に閣議決定で反対し署名を拒否した福島瑞穂内閣府特命担当相鳩山由紀夫首相閣僚罷免され、連立政権を離脱するか否かが問題となった。当時フランスのパリに外遊中だった辻元は、連立離脱に慎重とされていたが、「政治的に一つの曲がり角ですけど、日本に帰って社民党の仲間と話し合って、今後の対応を決めていきたい」と述べて自身の進退につき明言を避けた。前原誠司国交相は5月29日に辻元に副大臣続投を要請したが、社民党が5月30日に連立離脱を決定したことを受け、辻本は同日中に辞任の意向を伝達し、5月31日に辞表を提出して受理された。辞表提出後のインタビューでは、「国交省は利権の巣窟というイメージがあったが、そうではなかった。不安いっぱいだったが、多くの職員が変えていこうという思いに賛同してくれた。辞めるのは寂しいしつらい」と涙ながらに語った。

連立離脱について辻元は「鳩山政権離脱という選択が良かったのかどうかは、迷う。離脱することによって、自民党政権が復活したり、改憲への道が開けたりする恐れがある。肝心の普天間基地の問題かって、どうしようもないカッコ悪さに耐えながら、政権に残っていた方が余地が大きかったんと違うかなあ。『地獄への道は善意で舗装されている』という言葉があるように、正しい選択が正しい結果を導くとは限らんやろ」と述べ、「当時、日米合意があっても沖縄の合意がなければ辺野古移設は実現しないという閣議決定はできないか、と折衝していました。私はその歯止めができないかと考えていたんです」と主張している。

同年7月26日夜、重野安正幹事長と会談し、その席で離党の意向を伝えた。7月27日の午前中には福島党首から離党を思い留まるよう慰留されるも、福島の説得を受け入れず、離党届提出後の記者会見で次期衆議院議員総選挙に無所属で出馬する考えを表明した。離党理由については「現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたい」としている。福島との面談が重野との会談の翌日となった理由については、福島が辻元との対話をたびたびキャンセルしたことを挙げている。

同年8月19日、社民党は辻元の離党届を受理した。地元の党大阪府連合の要請により、除名などの処分は見送られた。

同年9月28日、衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に入会し、国土交通委員会与党筆頭理事に就任した。9月29日には中国建国記念レセプションに出席した。

2011年3月13日、東日本大震災を受け、災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官に就任。

野田政権

同年9月5日、野田内閣の発足を受け、首相補佐官を退任。9月7日には民主党入りの意向が報じられ、社民党の福島党首は記者会見で「応援した人を裏切っていくことは、一人の政治家として良いことではない。理念より権力に近寄る方を選択すると思ってしまう。すごく残念だ」と批判した。9月10日には民主党大阪府連に入党届を提出して了承され、9月27日に党本部の常任幹事会の了承を経て正式に入党した(同時に衆院大阪府第10区支部長に就任)。

同年10月20日、民主党政調副会長に就任。10月24日には前原誠司政調会長により「提言型政策仕分け」の「仕分け人」に選ばれる。

2012年4月19日、「秋の大型連休」導入を検討するプロジェクトチームの座長として初会合を開いた。4月24日の政調役員会で、消費増税法案の閣議決定に抗議し辞表を提出した松崎哲久国土交通部門会議座長の後任に起用されることが決まった。

同年12月の第46回衆議院議員総選挙で大阪10区より出馬、松浪に敗れたものの比例近畿ブロックで復活し5選。同選挙で大阪の選挙区から出馬して当選した民主党の候補者が他にいなかったため当時は民主党大阪府連に属する唯一の衆議院議員であった。

民主党下野後

2013年7月20日

2013年9月、民主党幹事長代理に就任。

2014年4月4日、衆議院本会議でトルコアラブ首長国連邦への原発輸出を可能にする原子力協定の承認案の採決が行われた際、賛成とする党議に反して欠席したが、辻元は欠席につき国対委員長の許可を得ていたため、不問に付された。

同年9月、民主党ネクスト内閣府特命大臣(新しい公共・社会的包摂・消費者および食品安全・男女共同参画・子供の貧困・自殺対策・NPO)・民主党新しい公共・社会的包摂総合調査会長に就任。安倍政権の目玉政策である、いわゆる「女性活躍」法案について、政策担当として修正案策定に携わった。

同年12月の第47回衆議院議員総選挙で大阪10区より出馬し、自治労などの政策協力候補者として支援を受けて当選。

2015年1月の民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた。岡田が代表に選出された後、政調会長代理に就任した。

同年12月、民主党役員室長に就任。

民進党

2016年3月、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加し、民進党執行部発足後も役員室長に留任した。同年7月の第24回参議院議員通常選挙大阪府選挙区において民進党所属の現職尾立源幸が落選したことにより辻元は民進党大阪府連に所属する唯一の選挙区選出の国会議員となった。

2017年9月の民進党代表選挙では菅直人有田芳生らとともに枝野幸男の推薦人となった。前原誠司代表に選出された後、民進党結党後としては初めて設置された幹事長代行に任命された。

立憲民主党

同年9月28日の民進党両院議員総会で希望の党への事実上の合流方針が了承された後、辻元は報道陣に「私は執行部なので発言はしていません」と険しい表情で一言だけ答えたが、希望の党はすでに日本維新の会との候補者すみ分けの検討に入っており、辻元が希望の党の公認を得るのは厳しい状況と報じられた。希望の党の小池百合子代表が9月29日の記者会見で公認申請者についてリベラル派を排除すると明言したことを受け、辻元は9月30日に「私は、リベラルの力を信じている。ですから私は、(希望の党には)行きません!」と述べて希望の党に公認申請せず無所属で出馬する意向を表明した。

10月1日には「無所属で戦わざるを得ない人たちが全て当選できるような受け皿ができれば」と述べてリベラル系の新党参加の可能性に言及したが、枝野民進党代表代行が10月2日に新党「立憲民主党」の設立を表明したことを受け、10月3日に立憲民主党への参加を表明し、10月4日には民進党に離党届を提出した。10月6日、立憲民主党政務調査会長に就任した。

同月の第48回衆議院議員総選挙では大阪10区より出馬し、自民党の大隈和英、日本維新の会の松浪を破り、7選。選挙後の10月24日、立憲民主党両院議員総会で国会対策委員長に就任することが決まった(10月26日まで政調会長を兼務)。

2018年11月17日、立憲民主党大阪府連代表に就任。

2019年2月、外国籍の人物から1万円の政治献金を受けていた疑惑が報じられた。辻元は疑惑が事実と認めたうえで、「寄付金は外国籍の方からはできません」と明記された用紙であったものの、「さかのぼって確認していなかった。再発防止の対応策を考える」旨や「返金し、速やかに適正な訂正処理を行った」旨を報道各社に説明し、国対委員長辞任については否定した。

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