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近藤健介とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
千葉県千葉市緑区
【生年月日】
(1993-08-09) 1993年8月9日(26歳)
【身長
体重】
173 cm
86 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投左打
【ポジション】
外野手捕手三塁手
【プロ入り】
2011年 ドラフト4位
【初出場】
2012年7月4日
【年俸】
1億円(2019年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本代表
プレミア12
2019年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
男子 野球
日本
WBSCプレミア12
 | 2019 | 
アジア プロ野球チャンピオンシップ
 | 2017 | 

近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、千葉県千葉市緑区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。

経歴

プロ入り前

千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球をスタート。千葉市立泉谷小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、第1回NPB12球団ジュニアトーナメント高山俊船越涼太らと共に準優勝を経験した。

中学野球界の強豪である修徳学園中学校に進学すると、軟式野球部に入部。2年時には、「1番・遊撃手」として第29回全国中学校軟式野球大会(全国大会)へ出場(初戦敗退)するとともに、捕手としてマスクを被った。3年生のKボール全国大会(第3回KB全国中学生秋季野球大会)では、千葉マリーンズで4番打者・主将・捕手の3役を兼ねながら、チームを準決勝進出に導いた。

2009年に自身の意思で横浜高校へ入学すると、硬式野球部へ入部。同期生に乙坂智などがいた。同校でコーチを務める小倉清一郎(入部1年目は部長)は後に、「私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入る」と評価している。ただし、入部当初は遊撃手としてレギュラーを確保。主将だった筒香嘉智の下で、夏の選手権神奈川大会に出場すると、1年生ながら打率.438を記録した。チームが準々決勝で横浜隼人高校に僅差で敗れると、秋からは肩の強さを買われ捕手へ転向。

2年生だった2010年には、夏の選手権神奈川大会決勝で東海大相模高校に敗退。2年秋から3年春の第83回選抜大会まで主将を務めた。選抜大会で初戦敗退を喫してからは、当時監督だった渡辺元智の判断で主将の座を乙坂に譲りながらも、事実上の副主将として乙坂を支えた。

3年生だった2011年には、夏の選手権神奈川県大会の直前に、右足首の靭帯を痛めた。その影響で打撃不振に陥りながらも、桐光学園高校との決勝戦では、試合を決める一打を放ってチームを全国大会への出場に導いた。さらに、全国大会の終了後には、第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出。相手走者の盗塁を阻止するなどの強肩でチームの優勝に貢献したほか、自身も捕手としてオールスターチーム(ベストナイン)に選ばれた。ちなみに、高校時代には、対外試合で通算35本の本塁打を放っている。

2011年のNPBドラフト会議で、捕手として北海道日本ハムファイターズから4巡目で指名。契約金3,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は54

日本ハム時代

2012年は春季名護キャンプのスタートを二軍で迎えたものの、2月16日には、横浜DeNAベイスターズとの練習試合で、8回から捕手として対外試合にデビュー。2010年イースタン・リーグ盗塁王だった梶谷隆幸の盗塁を阻止したことで、首脳陣に注目された。キャンプ終盤の2月24日から一軍に昇格。3月6日に一軍の本拠地・札幌ドームで催された千葉ロッテマリーンズとのオープン戦では、8回裏から出場すると、本拠地での初安打を放った。レギュラーシーズンは二軍からのスタートであったが、イースタン・リーグ公式戦48試合に出場。7月4日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)の6回表に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、その裏から試合終了まで捕手の守備に就いた。また、7月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)では、「8番・捕手」としてスタメン出場を果たした。日本ハムの高卒新人選手が捕手としてパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦に出場した事例は、前身の東映フライヤーズ時代の安藤順三(1954年)・山本八郎(1956年)に次いで3人目。スタメンでの出場は、山本以来56年振りであった。なお、一軍公式戦には、通算で20試合に出場。打率は.192で、本塁打を放てなかったが、2打点を記録した。さらに、チームのリーグ優勝・クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ読売ジャイアンツとの日本シリーズには、代打で3試合に出場している。高卒新人捕手の日本シリーズ出場は、1956年田辺義三(西鉄ライオンズ)以来56年振りであった。

2013年は春季キャンプからオープン戦の終盤まで一軍に帯同したが、公式戦の開幕を二軍で迎えた。3月28日には、埼玉西武ライオンズとのイースタン・リーグ公式戦(ファイターズスタジアム)3回裏の打席で頭部に死球を受けたものの、わずか2日で実戦に復帰。捕手ながら二軍のクリーンアップに定着すると、4月に安打数・出塁率でリーグのトップに立ったことから、3・4月の「リーグ月間MVP」を受賞した。5月8日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、5月16日に抹消。しかし、抹消後もイースタン・リーグの公式戦で長らくトップの打率を維持したことから、フレッシュオールスターゲームでは同リーグの選抜メンバーに名を連ねた。8月2日の再登録後は、レギュラー外野手・中田翔の死球による戦線離脱を背景に、捕手登録ながら右翼手としても随時スタメンに起用。一軍公式戦全体では、32試合(捕手としては15試合)の出場で、打率.152、2打点という成績を残した。

2014年はプロ3年目で初めての開幕一軍登録を果たすと、大野奨太市川友也と交互に、捕手として公式戦へスタメン出場。5月2日の対オリックス戦(札幌ドーム)からは、レギュラー三塁手小谷野栄一の故障による戦線離脱を背景に、「横浜高校時代以来」という三塁手として連日スタメンに起用されている。「7番・三塁手」として出場した5月16日の対ロッテ戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で、一軍公式戦での初本塁打を2点本塁打を記録した。「2番・三塁手」としてスタメンに起用された同月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、3回表の第2打席で、「人生で初めて」という満塁本塁打をバックスクリーンへ放った。さらに、この本塁打を放った時点での年齢が20歳9ヶ月であったことから、「パ・リーグの公式戦で満塁本塁打を放った最年少選手」のチーム記録(張本勲が東映フライヤーズ時代の1961年に21歳1ヶ月で達成)を更新している。その後も三塁手としてスタメン出場を続けたが、6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(札幌ドーム)で走塁中に左太腿裏に筋挫傷を発症したため、6月17日に出場選手登録を抹消。後に一軍へ復帰してからは、三塁手でのスタメン出場を中心に、本来のポジションである捕手としても出場。9月15日の対オリックス戦(札幌ドーム)では、同期入団である上沢直之とのバッテリーで先発すると、上沢を一軍公式戦初完封勝利に導いた。さらに、レギュラー遊撃手大引啓次が足腰を痛めていた時期には、大引に代わって遊撃の守備に就くこともあった。結局、一軍公式戦には通算で80試合に出場。捕手としてマスクを被ったのは16試合で、70試合で三塁、2試合で遊撃の守備に就いた。打撃面では、打率.258ながら、4本塁打、28打点、チーム最多の20二塁打を記録するなど長打力を発揮。オフの11月に開催された第1回21U野球ワールドカップの日本代表に選出された。同大会では「4番・一塁手」で起用された。

2015年は大野と市川が揃って一軍公式戦の開幕に間に合わなかったことなどから、3月28日の楽天戦(札幌ドーム)で、「7番・捕手」として開幕戦のスタメンを初めて経験した。一軍公式戦では、内野の守備に就く機会がない一方で、開幕から正捕手としてレギュラーに定着。3割を越える打率を維持したことから、5月下旬からは5番打者を任されるようになった。その一方で、盗塁阻止率が1割台にとどまるなど、送球面で課題を露呈。前半戦で指名打者を務めていたジェレミー・ハーミッダ大谷翔平が打撃不振に陥ったこともあって、後半戦からは持ち前の打力を活かすべく、主に指名打者へ起用された。結局、公式戦には129試合(捕手としては58試合)へ出場するとともに、パ・リーグの最終規定打席に初めて到達。リーグ3位の打率.326、自己最多の8本塁打・60打点を記録するなど、打撃面で大きく飛躍した。

2016年は背番号を8へ変更したが、春季キャンプから膝の故障に悩まされた影響で、コンディションが整わないまま公式戦の開幕を迎えた。一軍公式戦には、指名打者を中心に、通算で80試合に出場。54試合で外野の守備に就いたが、2年連続のパ・リーグ最終規定打席到達を逃した。また、打率は.265、安打数は前年の半数以下の68本にまで減少。投手兼任の大谷が指名打者として起用された試合でシーズンを通じて好調だったことも背景に、一軍監督・栗山英樹の方針で、5月下旬から6月中旬までは捕手への本格復帰に向けて二軍での調整も経験している。もっとも、一軍公式戦では、捕手としての出場が1試合にとどまった。

2017年は一軍公式戦の開幕から右翼手や指名打者としてクリーンアップの一角を担い、4割を超える打率をキープ。シーズン47試合目の出場であった6月1日の対横浜DeNAベイスターズ戦(札幌ドーム)終了時点で.415もの打率を残したことによって、「パ・リーグの開幕戦から4割以上の打率を維持した連続試合」という球団のシーズン記録(張本が日拓ホームフライヤーズ時代の1973年に達成した46試合)を更新すると、以降のリーグ戦でも打率4割を維持したままセ・パ交流戦に突入。このような活躍を背景に、オールスターゲームには、選手間投票のパ・リーグ外野手部門3位で初めての選出を果たした。しかし6月3日の対阪神タイガース戦(甲子園球場)へ出場した後に右太腿の張りを訴えると、6月6日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)7回裏の代打起用(通算打率.407)を最後に出場選手登録を抹消。抹消の時点でリーグ開幕戦からの打率4割連続試合記録を50試合にまで更新していたが、抹消後の検査で腰部の椎間板ヘルニアと診断されたため、6月28日には脊椎の内視鏡手術(腰椎椎間板ヘルニア摘出術PED法)を受けた。実戦への復帰までにおよそ3ヶ月を要することや、レギュラーシーズンの通算打席数(213)が戦線離脱中にパ・リーグの規定打席を下回ったことを背景に、シーズン終盤の一軍復帰を希望。手術の後には、オールスターゲームへの出場を辞退(チームメイトの西川遥輝外野手が補充選手として出場)する一方で、患部のリハビリを急ぐ意向を示した。その結果、一軍がレギュラーシーズンの公式戦8試合を残していた9月28日から、一軍公式戦への出場を再開。ただし、パ・リーグ最終規定打席(443)と戦線離脱前の通算打席数(前述)との差が230打席に及ぶ状況で一軍へ復帰したため、「最終規定打席を満たしたうえで最終打率4割でレギュラーシーズンを終了する」というNPB公式戦史上初の快挙達成には至らなかった。それでも、復帰後も4割台の打率を維持した末に、通算231打席(53試合の出場)で、打率.413(NPB一軍公式戦1シーズンの通算打席数が100打席以上の選手としての歴代最高打率)や 出塁率.567といった高水準の成績を残した。

オフの11月に東京ドームで開催された第1回アジア プロ野球チャンピオンシップ(APBC)日本代表に選出された。同大会では「3番・指名打者」として全3試合にスタメンで起用された。通算12打数7安打という好成績で日本の優勝に貢献するとともに、指名打者として大会のベストナインに選ばれた。このような活躍を背景に、大会終了後の12月5日には、推定年俸5,600万円(前年から1,300万円増)という条件で契約を更改した。

2018年は一軍公式戦の開幕から主に「3番・左翼手」として起用されると、開幕戦から4月20日の対ソフトバンク戦(札幌ドーム)まで17試合連続で4割以上の打率を記録するなど、前年に続いて序盤戦でパ・リーグの打率トップを独走。4月24日の対オリックス戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で単打、3回裏の第2打席で二塁打、4回裏の第3打席で三塁打を記録しながら、以降の打席で凡退したためサイクルヒットの達成に至らなかった。4月28日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)までは23試合連続でスタメンに起用されたが、この試合の2回裏の左翼守備中に本塁へ返球したところ、右ふくらはぎに軽度の筋挫傷を発症したため途中で交代。交代の時点でリーグトップの打率.392を記録していたが、筋挫傷の影響で5月1日から2週間にわたって戦線を離れたため、戦線復帰後は柳田悠岐(ソフトバンク)・秋山翔吾(西武)との間で打率トップの座を競った。その一方で、オールスターゲームには、前年に続いてパ・リーグの指名打者部門ファン投票で1位を獲得。2年越しの初出場に漕ぎ着けた。レギュラーシーズンでは、2015年以来3年振りに一軍公式戦129試合へ出場するとともに、3年振りにリーグの最終規定打席へ到達。最終打率はリーグ3位の.3225で、首位打者の座を柳田に奪われたばかりか、2位の秋山(.3233)をわずか8毛だけ下回った。その一方で、自己最多の9本塁打・3三塁打を記録したほか、パ・リーグの指名打者部門で初めてベストナインに選出。チームのリーグ3位で迎えたソフトバンクとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージでも、10月13日の第1戦(福岡ヤフオク!ドーム)第1打席で、ポストシーズンにおける自身初本塁打をアリエル・ミランダから放った。チームが同ステージで敗退してからは、正三塁手ブランドン・レアードとの残留交渉の難航や王柏融外野手への獲得交渉(後に入団)などでチーム状況が変わりつつあることを背景に、秋季キャンプで三塁の守備練習を再開。キャンプ終了後の契約交渉では、年俸が前年の5,600万円(推定)からほぼ倍増する条件で契約を更改したことによって、1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。

2019年は登録ポジションを捕手から外野手へ変更したが、レアードがロッテへ移籍したことから、春季キャンプでは自身と同じ外野手の大田泰示淺間大基との間で正三塁手の座を争った。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦で自己最多の138試合に出場。86試合で外野、30試合で三塁を守りながら、リーグ6位の打率.302、2本塁打、59打点を記録するとともに、出塁率.422で自身初のタイトル(リーグ最高出塁率)を手中に収めた。また、オールスターゲームにも、パ・リーグ指名打者部門のファン投票1位で2年連続出場。オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12第2回WBSCプレミア12日本代表に選出された。同大会では外野手として日本の大会初優勝に貢献した。大会終了後の12月3日に、球団との間で3年契約を締結。

人物・選手としての特徴

抜群の選球眼はプロの中でもトップクラス。例として、2015年シーズンは四球の数が三振と同じ59であった(このシーズンでは他に四球の数が三振の数以上であったのは規定打数に達した野手の中では中村晃のみだった)。

2015年以降の一軍公式戦では、前述した打撃の能力を生かすべく、三塁手、外野手指名打者と、捕手以外のポジションでのスタメン起用が増えている。2017年には、春季キャンプで二塁の守備練習にも取り組んだが、持病の腰痛を悪化させたため戦線を離脱(シーズン中に受けたヘルニアの手術で完治)。一軍公式戦では、.413という高打率を残す一方で、捕手としてマスクを被る機会がなかった。しかし、第1回APBCの前に参加した秋季キャンプでは、正捕手の大野奨太海外FA権の行使を表明(後に中日ドラゴンズへ移籍)したことを背景に捕手としての守備練習を再開した。

2016年以降は外野を守ることが多くなり、正左翼手として出場した2018年では12球団左翼手の中は3位のUZR10.2を記録し、左翼の守備と送球で高い評価を得ている。

高校時代には物怖じしない性格で、場を明るくする雰囲気を持ち合わせており、チームリーダーになりうる存在と評価されている。

高校時代の遠投は120メートルほどであり、肩が強く、二塁送球が2秒を切る。比較的小柄ながらパンチ力と高い確実性と広角に打球を飛ばせる技術を兼ね備えた打撃が持ち味で、フットワークも良く、捕手としてはリード面に対する首脳陣からの評価が高い。近藤自身は「打てて勝てるキャッチャー」を目標に掲げているが、日本ハム入団後の2014年頃から送球にイップスの傾向が見られる影響で、盗塁阻止率が急速に低下していた。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2012 | 日本ハム | 20 | 30 | 26 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | .192 | .241 | .192 | .434
2013 | 32 | 80 | 66 | 7 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 2 | 2 | 0 | 2 | 1 | 11 | 0 | 0 | 14 | 4 | .152 | .269 | .152 | .421
2014 | 89 | 291 | 264 | 24 | 68 | 20 | 1 | 4 | 102 | 28 | 3 | 4 | 10 | 2 | 15 | 0 | 0 | 45 | 4 | .258 | .295 | .386 | .682
2015 | 129 | 504 | 435 | 68 | 142 | 33 | 2 | 8 | 203 | 60 | 6 | 2 | 3 | 5 | 59 | 2 | 2 | 59 | 9 | .326 | .405 | .467 | .872
2016 | 80 | 291 | 257 | 36 | 68 | 9 | 0 | 2 | 83 | 27 | 5 | 2 | 3 | 2 | 29 | 0 | 0 | 45 | 7 | .265 | .337 | .323 | .660
2017 | 57 | 231 | 167 | 32 | 69 | 15 | 0 | 3 | 93 | 29 | 3 | 0 | 0 | 2 | 60 | 0 | 2 | 27 | 3 | .413 | .567 | .557 | 1.124
2018 | 129 | 555 | 462 | 59 | 149 | 29 | 3 | 9 | 211 | 69 | 5 | 0 | 0 | 5 | 87 | 8 | 1 | 90 | 16 | .323 | .427 | .457 | .884
2019 | 138 | 600 | 490 | 74 | 148 | 32 | 5 | 2 | 196 | 59 | 1 | 4 | 0 | 5 | 103 | 3 | 2 | 81 | 11 | .302 | .422 | .400 | .822
NPB:8年 674 | 2582 | 2167 | 302 | 659 | 138 | 11 | 28 | 903 | 276 | 25 | 12 | 19 | 23 | 366 | 13 | 7 | 366 | 55 | .304 | .403 | .417 | .819

WBSCプレミア12での打撃成績

【年

度】



【試

合】
【打

席】
【打

数】
【得

点】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【塁

打】
【打

点】
【盗

塁】
【盗

死】
【犠

打】
【犠

飛】
【四

球】
【敬

遠】
【死

球】
【三

振】
【併

打】
【打

率】
【出

率】



2019 | 日本 | 8 | 31 | 21 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 1 | 9 | 0 | .190 | .452 | .238

年度別守備成績

【年
度】
捕手
三塁
遊撃
外野
【試

合】


















【企

数】
【許

塁】






【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



2012 | 15 | 39 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | 0 | 7 | 6 | 1 | .143 | - | - | -
2013 | 15 | 40 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | 0 | 3 | 2 | 1 | .333 | - | - | 12 | 16 | 1 | 0 | 0 | 1.000
2014 | 16 | 62 | 6 | 4 | 1 | .944 | 3 | 15 | 12 | 3 | .200 | 70 | 42 | 115 | 8 | 4 | .952 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | -
2015 | 58 | 328 | 25 | 6 | 4 | .983 | 1 | 62 | 50 | 12 | .194 | - | - | -
2016 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 2 | 2 | 0 | .000 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | - | 54 | 66 | 2 | 1 | 0 | .986
2017 | - | - | - | 18 | 36 | 2 | 0 | 0 | 1.000
2018 | - | - | - | 95 | 163 | 2 | 5 | 0 | .971
2019 | - | 30 | 22 | 35 | 6 | 0 | .905 | - | 86 | 139 | 1 | 1 | 0 | .993
通算 105 | 471 | 37 | 10 | 7 | .981 | 4 | 89 | 72 | 17 | .191 | 101 | 64 | 150 | 15 | 4 | .934 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 265 | 420 | 8 | 7 | 0 | .984

タイトル

表彰

記録

初記録
その他記録

背番号

登場曲

代表歴

脚注

  1. ^ 日本ハム - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2018年12月22日閲覧。
  2. ^ 日ハム 近藤健介「1.8秒」の強肩」 ゲンダイネット(2012年2月29日)、2012年3月2日閲覧。
  3. ^ 後に同校は神奈川大会で優勝。第91回全国大会の神奈川県代表校になった。
  4. ^ 日本ハム、4位近藤と仮契約=プロ野球・ドラフト」 時事ドットコム(2011年11月13日)、2012年2月10日閲覧。
  5. ^ 高校の先輩である荒波翔石川雄洋、筒香が所属している。
  6. ^ 二盗阻止に中前打!高卒新人捕手に首脳陣びっくり」 スポニチ(2012年2月16日)、2012年2月17日閲覧。
  7. ^ ハム近藤 56年ぶり1軍マスク
  8. ^ 日本ハム・近藤が右側頭部の死球で縫う
  9. ^ 2013年3、4月度「ミズノ月間MVP」受賞選手
  10. ^ 高卒2年目・近藤、F球宴「MVP狙う」田中vs.斎藤佑でマスクかぶった成長株
  11. ^ ハム必死の勝利 捕手近藤を右翼強行起用
  12. ^ 日本ハム近藤プロ初「5番三塁」でスタメン
  13. ^ ハム今季最多14得点 火付け役は近藤弾
  14. ^ 近藤が張本超え ハム最年少満弾
  15. ^ 日本ハム近藤左太もも裏筋挫傷で登録抹消
  16. ^ 日本ハム近藤健介 捕手復帰という課題の持つ意味
  17. ^ 日本ハム近藤47戦4割、あっぱれ張本超えの球団新
  18. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/03/29 15:33

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