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近藤真彦とは?

近藤 真彦

SUPER GTにて(2008年)

【基本情報】

【別名】
マッチ
【生誕】
(1964-07-19) 1964年7月19日(55歳)
【出身地】
日本神奈川県大和市
【職業】
歌手俳優タレントレーシングドライバー、レーシングチーム監督、会社役員
【活動期間】
1977年 -
【レーベル】
RVC(現・Ariola Japan)
(1980年 - 1984年)
ソニー・ミュージックレコーズ
(1985年 - )
【事務所】
ジャニーズ事務所

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、日本実業家会社役員歌手俳優タレント、元レーシングドライバーSony Records所属。血液型O型。身長173cm。ニックネームマッチ(MATCHY)(名付け親は事務所の先輩・松原秀樹)。既婚者。神奈川県大和市出身。

役員を除いたジャニーズ事務所所属のタレントでは最年長である。

また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニー代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。

略歴

タレント活動

1977年中学一年の時にジャニーズ事務所に入所。

1979年10月、TBSテレビドラマ3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。

その後、1980年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年1983年ブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した。

また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった)。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られた。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、ディナーショーも開催。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。

2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。2006年9月1日放送のテレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』では『ドンウォリー!』以来のドラマ主演を務め、2007年8月31日に第2弾として『多摩湖畔殺人事件』、2008年9月5日に第3弾として『十三の墓標』が放送された。

2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した。

2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』第4シリーズ第10話以来16年ぶりに「星野清」役として出演。

レース活動

ドライバー

1984年富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(35400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。

1994年にはフランスル・マン24時間レースに初参戦、この年、全日本GT選手権(JGTC)GT1クラスに参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾る(1992年の全日本F3選手権チャンピオンのアンソニー・レイドとのコンビ)。1995年にも同じくGT1クラスで優勝したほか、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の表彰台や入賞を獲得した。

その後も、全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権などの全日本格式の最高峰カテゴリーでの表彰台や入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、ル・マン24時間レースに於いては1995年に雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1フェラーリ・F40等600馬力を発揮するマシンが跋扈する同じGT1クラスの中で、450馬力と非力な日産GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。

2002年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。

全日本GT選手権
年 チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1994年 TEAM TAISAN ポルシェ・962C GT1 FSW | SEN | FSW
1 | SUG | MIN
3 |  |  |  9位 32
1995年 フェラーリ・F40 GT1 SUZ
11 | FSW |  |  |  |  |  |  15位 16
ポルシェ・911  |  | SEN
3 | FSW
9 | SUG
1 | MIN
9 |  | 
1996年 NISMO 日産・スカイラインGT-R GT500 SUZ
6 | FSW
Ret | SEN
17 | FSW
5 | SUG
3 | MIN
10 |  |  11位 27
1997年 GT500 SUZ
5 | FSW
Ret | SEN
14 | FSW
9 | MIN
Ret | SUG
Ret |  |  19位 10
1998年 Xanavi Racing with NISMO Jr. 日産・シルビア GT300 SUZ
4 | FSW
C | SEN
2 | FSW
Ret | TRM
14 | MIN
Ret | SUG
4 |  6位 35
1999年 cdma One TOYOTA TEAM CERUMO with Key’s トヨタ・スープラ GT500 SUZ
8 | FSW
6 | SUG
8 | MIN
Ret | FSW
Ret | TAI
11 | TRM
15 |  16位 12
2000年 GT500 TRM
11 | FSW
Ret | SUG
16 | FSW
19 | TAI
13 | MIN
Ret | SUZ
10 |  23位 1
2001年 TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO GT500 TAI
12 | FSW
14 | SUG
13 | FSW
14 | TRM
9 | SUZ
Ret | MIN
13 |  24位 2
2002年 TOYOTA TEAM CERUMO GT500 TAI
15 | FSW | SUG
9 | SEP
7 | FSW
16 | TRM
12 | MIN
11 | SUZ
13 21位 6
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
年 チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1995年 NAVI CONNECTION RACING TEAM SUZ | FSW | MIN | SUZ
10 | SUG
10 | FSW
Ret | TOK
9 | FSW
13 | SUZ
12 |  NC 0
1996年 SUZ
Ret | MIN
9 | FSW
16 | TOK
14 | SUZ
Ret | SUG
Ret | FUJ
14 | MIN | SUZ
Ret | FSW
6 17位 1
1997年 TEAM TMS SUZ
15 | MIN
Ret | FSW
12 | SUZ
14 | SUG
8 | FSW
14 | MIN
Ret | TRM
13 | FSW
11 | SUZ
Ret NC 0
1998年 SUZ
9 | MIN
8 | FSW
11 | TRM
10 | SUZ
7 | SUG
8 | FSW
C | MIN
7 | FSW
7 | SUZ
Ret NC 0
1999年 MIRAI SUZ
Ret | TRM
13 | MIN
Ret | FSW | SUZ | SUG | FSW | MIN | TRM | SUZ NC 0
2000年 Olympic KONDO Racing Team SUZ
7 | TRM
14 | MIN
Ret | FSW
13 | SUZ
13 | SUG
7 | TRM
Ret | FSW
Ret | MIN
11 | SUZ
10 NC 0

オーナー兼監督

2014年のSUPER GTに参戦している車両(日産・GT-R)
詳細は「KONDO Racing」を参照

1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始。 2006年からSUPER GTへの参戦も開始した。

2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシアセパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての初優勝を飾った。2008年もセパンサーキットで優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士スピードウェイ)でも8年目にして初優勝を達成した。

2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。SUPER GT第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦鈴鹿サーキットで優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦。

また2012年からKONDOレーシングは育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスにも参戦を開始。2016年にチャンピオンになった。

2015年SUPER GT第4戦富士では自身にとって5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年はさらにタイヤ無交換の奇襲を2度成功し双方で勝利を挙げた他、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門でチャンピオンに輝くなど、いちアイドルを超えて他チームの監督やファンも認める一人前の監督に成長した。

なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、近藤の顔写真が掲載されている。

レース界での交友関係

30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都お台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。

F1中継

フジテレビF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでピットレポーターとして初登場。その後、2003年から2011年までの地上波でF1中継のレギュラー解説者を務めた(2012年からは日本GPのBS中継のみ出演)。

トライアスロン・トレイルランニング大会

人物

作品

シングル

  1. スニーカーぶる〜す(1980年12月12日)※
  2. ヨコハマ・チーク(1981年3月12日)
    • 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
    • 1981年度年間20位
  3. ブルージーンズメモリー(1981年6月12日)※
    • 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
    • 1981年度年間11位
  4. ギンギラギンにさりげなく(1981年9月30日)※
  5. 情熱☆熱風☽せれなーで(1982年1月7日)※
    • 作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
    • 1982年度年間9位
  6. ふられてBANZAI(1982年3月31日)※
    • 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
    • 1982年度年間10位
  7. ハイティーン・ブギ(1982年6月30日)※
    • 作詞:松本隆・作曲:山下達郎
    • 1982年度年間7位
  8. ホレたぜ!乾杯(1982年9月30日)※
  9. ミッドナイト・ステーション(1983年1月20日)※
    • 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
    • 1983年度年間23位
  10. 真夏の一秒(1983年4月27日)※
    • 作詞:伊達歩・作曲:後藤次利
    • 1983年度年間29位
  11. ためいきロ・カ・ビ・リー(1983年7月15日)※
    • 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
    • 1983年度年間34位
    • 第34回NHK紅白歌合戦出場曲
    • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/04/02 15:29

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