郡 和子(こおり かずこ、1957年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、政治家。第18代仙台市長。旧姓は高橋(たかはし)。
東北放送株式会社報道制作局部長、衆議院議員(4期)、衆議院厚生労働委員会理事、衆議院消費者問題に関する特別委員会理事、内閣府大臣政務官、復興大臣政務官、民主党筆頭副幹事長などを歴任した。
宮城県仙台市出身。仙台市立長町小学校卒業後、仙台市立長町中学校に入学。秋保町立秋保中学校(現在の仙台市立秋保中学校)を卒業。宮城県第二女子高等学校(現・宮城県仙台二華高等学校)から東北学院大学経済学部にすすむ。大学卒業後の1979年、東北放送にアナウンサーとして入社。2005年、解説委員や報道制作局の部長を務める。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬。自由民主党の土井亨に敗れるが比例東北ブロックで復活し初当選した。2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井を破り2選。2011年9月7日、野田内閣で内閣府大臣政務官(公務員制度改革、拉致問題担当、税と社会保障一体改革担当など)、東日本大震災復興対策本部宮城県現地対策本部長に就任。2012年2月10日、復興庁の設置に伴い復興大臣政務官(宮城復興局担当)を兼務。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井に敗れるが比例復活で3選。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井に敗れるが比例復活で4選。2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた。
2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加した。2016年民進党代表選挙では、民主党政権時代に事業仕分けで名をはせた手腕を評価し、蓮舫を支持した。
衆議院議員の任期途中の2017年6月9日、同年7月23日投開票の仙台市長選挙に市民団体の出馬要請を受けて仙台市長選挙に立候補することを表明し、同年7月9日、民進党を離党して無所属で立候補、公職選挙法の規定により衆院議員を自動失職した。 民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補として、菅原裕典ら3人を破り当選。
選択的夫婦別姓制度の導入については、個人と個人の選択権の尊重、男女の対等な関係を確立する観点から、賛成し、導入推進を図っている。95%以上の夫婦が、(妻の姓を選択することも可能なのに)夫の姓を選んでいる現状では、女性が「自分の姓を変えたくない」と思っていても、事実上はその選択肢を選ぶことは非常に困難であり、個人の選択が社会的に制限されているのは問題、また、個人の選択権の問題ばかりではなく、例えば仕事をしている女性にとっては、姓を変えることで不利益が発生することもある。さらに少子化傾向によって一人っ子同士のカップルが増えるとともに、「自分が結婚すると、家族の姓がなくなってしまう」と、結婚をためらうケースも増えている。世論についても、選択的夫婦別姓制度に賛成する人が反対する人を上回るようになった。すぐにも、選択的夫婦別姓制度を実現するために民法を変えるべき、と述べている。
2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、2012年2月11日に宮城復興局の局長に就任。自身のブログで、各省庁から送られてきた専門家を「専門家なるがゆえに視野が狭くなるという陥りやすい穴もそれぞれの足元に持っています」としながらも「経験のある復興庁・復興局・支所の職員を大いに使って頂きたい。」と国民に訴えた。
また、宮城県の「東日本大震災復興交付金」が岩手県などが申請額を満額で配分されている中で申請額の57%しか配分されなかったことに対する村井嘉浩知事からの抗議に対して、「重く受け止めたい。」と述べた。その後、第2次配分では満額回答となり、村井知事も「これからはいがみ合うことなく、前に向かって力を合わせてがんばっていこうと思います。郡さんとはメールをする間柄で親しい仲なので心配ない」と述べた。
従軍慰安婦問題に関しては、2006年3月15日に自身も水曜デモに参加し、マイクを持って「1日も早い謝罪と補償を」と主張している。