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都心回帰とは?

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都心回帰(としんかいき)とは、地価の下落などによって都心部の居住人口などが回復する現象で、日本においては東京大阪など主要都市圏で見られる。

目次

  • 1 概要
  • 2 居住人口の都心回帰
    • 2.1 ベッドタウンの変化
    • 2.2 問題点・懸念点
  • 3 大学の都心回帰
    • 3.1 郊外移転の経緯
    • 3.2 都心回帰の動き
    • 3.3 懸念点
      • 3.3.1 教育環境の劣化
      • 3.3.2 キャンパス都心移転の限定的な効果
      • 3.3.3 交通への影響
      • 3.3.4 大学移転後の自治体への深刻なダメージ
  • 4 人口の増加(比率)が顕著な自治体
  • 5 人口が増加から減少に転じた自治体
    • 5.1 東京圏
    • 5.2 京阪神
    • 5.3 中京圏
  • 6 参考文献・脚注
  • 7 関連項目
    • 7.1 対語

概要

1980年代ごろから、欧米などの先進諸国の一部の大都市圏においてその中心部の人口の回復・再成長が指摘されるようになったことに端を発する。これを特にモデル化したものとしては、都市化郊外化の後に反都市化を経て再都市化へ向かうとしたL・H・クラーセン都市循環仮説が挙げられる。日本では、1990年代中後半頃から盛んに使われ始めた。

居住人口の都心回帰

日本の大都市鉄道が朝夕混雑する背景には、郊外からの通勤者流入が多いことが挙げられる。
都心も参照

高度成長期以降、地方から大都市圏への急激な人口流入によって地価が急騰したこと、都心周辺の交通事情や衛生環境が急速に悪化して都市公害と指摘されるほどになったことなどから、都心より離れた郊外に「庭付き・一戸建て」を手に入れることが人々の憧れとなった。このため、都心部の人口は一貫して減少し、一方で郊外の人口は爆発的に増えることになり、郊外化ドーナツ化現象とも呼ばれてきた。しかしバブル崩壊以降の地価下落、企業・行政の遊休地放出、不良債権処理に伴う土地の処分、「高層住居誘導地区」(1997年より)の導入、超高層マンションの定着などによって都心での不動産取得が容易になったこと、都心の利点が見直されてきたことによって都心部で人口が増加に転じてきた。

こうして、都市部の地価高騰にともなう都心の人口減少や夜間人口の減少、人口のドーナツ化、郊外化が進む間、その対策として人の呼び戻しや定住化を進める都心居住という観念が現在示されている。都心居住の目的として都心に古くから形成される伝統的コミュニティの維持と社会的安定性の確保、自治体の存在基盤としての住民確保、議員定数による政治的発言力の維持、保育所小中学校などをはじめとする既存の都市施設の有効活用、職住近接による通勤ラッシュなどの交通網への負担の軽減、などがある。

2002年頃から単なるスポットの開発ではなく、面的な展開を見せ始め、かつての「ドーナツ化」に対し「アンパン化現象」と呼ぶ論者も居る。三大都市圏を中心に、全国の政令指定都市においても同様の現象が見られる。また、豪雪地帯にある都市では、マンションの管理人が除雪融雪をするため雪かきの必要がない、降雪時の通勤渋滞に巻き込まれない、住宅性能が高いため少ない光熱費で暖かいなど、冬季の生活の質向上が都心回帰の動機の1つでもある。

ベッドタウンの変化

高度経済成長期以降は、劣悪な住環境の都心から、環境もよく住宅の延べ床面積もより広い郊外マイホームへの住み替え需要があり、バブル景気期は都心の家賃上昇による住み替え需要があって、東京都心近郊のベッドタウン(東京多摩地域・神奈川東部・埼玉南部・埼玉東部・千葉西部・茨城南部)の人口は高い増加率を見せた。

2003年3月に東京都が実施した通勤時間に関する意識調査によると、回答者の80%以上が「受忍限度は一時間以内」と回答している。言い換えると、都心のオフィスワーカーにとっては、ドアツードアで1時間以内にたどり着けない立地の住宅には住みたくないということである。これは今ある通勤圏が面的に縮小すること意味しており、通勤60分圏の外側部に大幅な社会人口減をもたらす可能性を示唆している。一方で、ロードサイド店舗の増加による物販の郊外化によって、そのような店舗を職場とする労働者も増加している。そのため、通勤60分圏内の郊外にある神奈川県川崎市、埼玉県さいたま市川口市などの東京都心近郊のベッドタウンでは、高い人口増加率を見せている。

少子高齢化の進展に伴う核家族世帯の構成人数の減少、核家族から子が別世帯として自立して老年夫婦世帯へと転換するなど、世帯人数の減少と世帯数の増加によって1世帯が必要とする延べ床面積が減少する中、郊外一戸建てからダウンサイジングしてマンションに住み替える需要もある。しかし、郊外住宅地では高さ制限があるため、高層化による廉価マンションを供給しづらい。そのため、ベッドタウン世帯のダウンサイジングによる住み替え需要は、都心回帰現象の一部に吸収される他、高層化が可能なベッドタウンの駅前や大通り沿いにも吸収されており、ベッドタウンの人口分布は、地域全体にほぼ均一だったものから、一部に集中する傾向を見せている。

問題点・懸念点

都心回帰や都心の急激な再開発が進む一方、東京の夏の日中最高気温が上昇し、夜間になっても気温も下がらないなど、ヒートアイランド現象が顕在化している。都心や東京湾岸に高層マンションを建てたことなどが原因で、海風が遮られたことが原因の一つとして考えられている。東京ウォール現象という識者もいる。

都心に人口が集中することで、東京近郊に居住している若年層の労働力を活用できず、特に女性が働きづらい環境を加速させていると言われている (待機児童問題など)。

また、災害時の「自然災害リスク指数」を引き上げる要因にもなっている。

大学の都心回帰

1990年代の後半より、首都圏および京阪神都市圏にある大学の都心回帰が始まった。1970年代後半から1990年代にかけて、郊外に広大なキャンパスを取得し移転した大学が、特に2010年代に入って都心に回帰する動きが加速している。また、都心にサテライトキャンパスを置く大学も増えている。

郊外移転の経緯

もともと第二次世界大戦前から大手民間鉄道各社が沿線開発の一環として大学などの高等教育機関を招致する動きを見せていた。一番積極的であった東京急行電鉄は、旧制東京高等工業学校(現在の東京工業大学関東大震災翌年の1924年大岡山へ移転)や旧制慶應義塾大学予科(1934年日吉に移転。)、旧制東京第一師範学校(現在の東京学芸大学1936年碑文谷へ移転、現在は小金井へ再移転。)、旧制府立高等学校(高等科の後身が東京都立大学、現在の首都大学東京1932年八雲へ移転、現在は東京都八王子市へ再移転)などを沿線へ誘致している。

この施策によって地価の上昇などの成果が得られたため、第二次世界大戦後間もない頃から他の大手民鉄も追従することとなる。特に東京ではその動きが顕著であり、明治大学(1951年に生田キャンパス開設)や立教大学(1958年に新座キャンパス開設)、東洋大学(1961年に川越キャンパス開設)のように鉄道会社が自社沿線の郊外地域に土地を提供してそこへ大学が新キャンパスを設置する動きは存在していた。

これが顕著になるきっかけは文部省が1960年代後半から、都市部への大学の極度の集中を防ぎ、地域間格差を是正するため、東京23区内および大阪市周辺に本部を置く大学が昼間学部の学部・学科増設や定員の増加を申請してもこれを認可せずに抑制していく方針をとったことである。この方針は1975年に成立した私立学校振興助成法が設立するとさらに強くなり、首都圏既成市街地工場等規制法および近畿圏既成市街地工場等規制法の制定もあって、校地を拡張させて定員を増加させるなどといった方策は事実上不可能になった。この頃郊外ではニュータウン開発などが進み、都心部の人口増加には歯止めが掛けられたが、昼間人口は依然として増え続けていたため、大学の郊外移転を進めたいとする考え方があった。

学部増設・定員増加を希望していた大学側もこの動きに乗り、1970年代前半から徐々に一部の学部や教養課程を郊外へ移転する大学が増えた。その中で1978年には中央大学が都心に本部を置いていた大学としては初めて大学本部も含めた郊外移転(理工学部は都心部に残留)を実施した。この動きに他の大学も追従、相次いで郊外へ全面移転する大学が現れた。国立大学でも国家プロジェクト的な郊外移転といえる筑波大学をはじめとして、蛸足大学状態解消を名目に、全国的に郊外の広い用地を確保した上での移転が目立った。

この動きは第二次ベビーブーム世代の急増期まで続き、この時期には、従前に郊外型キャンパスを設けなかった早稲田大学埼玉県所沢市に新キャンパスを設け、慶應義塾大学が神奈川県藤沢市に新キャンパスを設けた。なお、最も新しい郊外移転として青山学院大学が2003年に世田谷キャンパスを売却し、理工学部を相模原市に移転させたケース(ただしこれは交通の不便な厚木キャンパスからより便利な相模原への移転と同時に行われた統合である)が挙げられる。

この結果、1990年代の一時期大阪市に存在する4年制大学が一桁になるという状況まで発生した。

都心回帰の動き

都心回帰の動きを進める大阪市立大学

当初、郊外型キャンパスは欧米の大学町のイメージもあいまって「空気が綺麗」「キャンパスが広い」「自然が多い」と受験生に評判がよく、文化講座などによってその地域へ大学の知を還元することができるとマスメディアでも大変に評判が高かった。また、鉄道会社にとっても都心への通勤ラッシュとは逆の郊外への朝の大量通学輸送が期待できるメリットがあった。
しかしバブル経済が崩壊し都心の地価が下がったことに加え、少子化で受験競争が緩和された受験生の選別意識が高まり郊外キャンパスが敬遠されるようになった。また、キャンパスが大阪府吹田市豊中市などの郊外へ分散した大阪大学や、広島県東広島市などに大学が分散した広島大学といった政令指定都市の都心部に若者が減り、都市活力の低下が指摘されるようになるなど、郊外移転が推奨されていた時期とは全く逆の動きが現れたのである。
さらに文部省も1990年代になると大学設置基準の大綱化に伴い、大学・学部設置等の認可に対する抑制方針の見直しが行われ、都心部での学部増設や定員増加を認めるようになる。この方針を反映して建設されたのが明治大学のリバティタワー(1998年竣工)や法政大学のボアソナード・タワー(2000年竣工)などである。

2002年に首都圏既成市街地工場等規制法および近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止されると用地取得に制限がなくなり、高層校舎の建設だけではなく、周辺の土地を取得することでキャンパスそのものを拡大させて定員増加・学部増設を図るようになる。東洋大学は隣接する住宅展示場跡地を取得し、2005年度から従来は朝霞キャンパス白山キャンパスに分断されていた文系5学部を都心の白山キャンパスへ統一した。これは日本国内で都心から郊外へキャンパスを移転した大学としては初めての全面都心回帰であった。東洋大学が入学志願者数を急増させると、郊外移転した大学が都心回帰をさらに検討するようになった。その他、共立女子大学昭和音楽大学なども本部のあるキャンパスへ全面的に回帰している。

また、城西大学東京都千代田区に、帝京平成大学東京都豊島区にキャンパスを新設するなど、都心進出の動きを見せている。

近畿圏においても、神戸学院大学神戸市中央区ポートアイランドの再開発事業の一環として都心部に大規模な新キャンパスを開設する動きがある。大学の街として知られる京都でも、同志社大学京都市上京区の系列の中学を移転させ大学用地を拡張した他、京都市営地下鉄東西線沿線の再開発により立命館大学の他、佛教大学京都学園大学が都心部にキャンパスを構えるようになった。また、大阪市立大学関西大学龍谷大学など、大阪市中心部の梅田中之島にサテライトキャンパスを設置するケースが増えている。また立命館大学大阪府茨木市への進出を果たした。近畿圏では、今後も京都市立芸術大学京都市下京区への移転などが予定されている。

明治大学や法政大学に代表されるタワー型のキャンパスは、主に東京都心に立地したが、2010年代に入り三大都市圏の各地で計画されるようになった。大阪工業大学のOIT梅田タワーの他、愛知大学が都心にタワー型キャンパスを設置した他、神奈川大学がみなとみらい21に進出することを発表している。

懸念点

大学の都心回帰に関しては、以下の様な懸念点も指摘されている。

教育環境の劣化

もともと大学が郊外に移転した背景は、「都心への過度な人口集中の緩和」という国策に加え、学生に「良質な学習環境」を提供するという大学側の意図もあった。欧米の名門大学に都心型の大学は少なく、また日本でも国際基督教大学豊田工業大学のような教育内容で評価されている大学は必ずしも都心型ではない。「繁華街の近くにあること」などに魅力を感じて大学を選択する学生の質は本質的に高いとは言えず、特に留学生にとってはメリットと認識されづらい。本質的な大学の価値を高めるには、根本的な教育内容・環境を高める以外にない。莫大な費用を教育内容や環境よりも、立地に投じる危うさを指摘されている。

また都心型の大学の多くは、ビルキャンパスを教室棟として使用する大学も多く、中には地上15階を越えるタワーキャンパスまでも見られる。当然これらのケースでは、学生が徒歩で教室を移動するのは不可能であり、「通学が便利になっても、学習環境が不便になる」という皮肉な結果も見られる。

キャンパス都心移転の限定的な効果

都心移転した直後は、多くの大学は志願者を増やすが、その効果が短命なケースも多い。南山大学 理工学部東京理科大学 基礎工学部実践女子大学などは2013年~2015年の間に、キャンパスを都心へと移転させ、当初は、志願者を増やしたものの、17年までには、移転前の水準に戻っている。結局、「都心に移転したことで何が可能になったか」が明確ない限り、大学の価値向上には繋がらないことを示唆している。

交通への影響

鉄道事業者にとって、大学が郊外にあれば都心へ向かう通勤客と逆向きの人の流れを生む利点があった。しかし、大学の都心回帰により通勤客と同じ方向の通学客が増え、朝夕の混雑拡大が懸念されている。

大学移転後の自治体への深刻なダメージ

大学が移転することで生じる、学生相手のビジネスや雇用の消失、巨大な空き地を残すことでのまちづくりへの弊害、など大学移転後の自治体へのダメージは深刻である。

社会学者の新雅史は、以下の様に述べている。

郊外の衰退が起きているからといって、大学がそれに同調して都心に移転すると、郊外は一層衰退してしまいます。こうした点について、大学は説明責任を果たす義務があるでしょう — Business Journal

本来、社会貢献が大きな使命の一つであるはずの大学が、この様な事態を引き起こしていることには、批判・疑問の声も上がっている。 一例としては、東京理科大学経営学部の移転に際し、久喜市は「長年養ってきた市と大学の信頼関係を損なう行為」として撤回を強く求めた。また東洋大学朝霞市から撤退する際には、「地方が欲しがっている大学が、あっさり去っていったのは残念。特に今後の地域運営における重要戦略である福祉政策のブレーンであったはずのライフデザイン学部がなくなった影響は大きい」との声もあった。

その一方で、郊外やベッドタウンに留まる選択をした大学がどのように自治体と協力していくかにも注目が集まっている。「地域社会に貢献する大学」×「大学の魅力向上に協力する自治体」という地元との結びつきの中で、学生が様々なことを学べるという新しいモデルも形成されつつある。

人口の増加(比率)が顕著な自治体

1年間の人口増加数が多い自治体。

人口が増加から減少に転じた自治体

郊外からの通勤の可否は鉄道の利便性が決定付ける。(多摩ニュータウンを走る京王相模原線)
郊外に通勤前提の居住機能を建設すると、定年後の定住生活において様々な問題が生じる場合がある。(多摩ニュータウンの住宅地)

これらの地域は東京23区大阪市など大都市の中心部(都心)から距離があるものの、比較的鉄道の便が良く大都市中心部まで列車で通える地域にあり、郊外のベッドタウンとしてバブル期や1990年代まではほぼ順調に人口増加を続けていたが、その後人口動態が社会減に転じたところが多く一部の地域においては既に自然減や総数減少にまで移行している。

東京圏

京阪神

出典:wikipedia
2020/02/12 07:38

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