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鈴木誠也とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
東京都荒川区
【生年月日】
(1994-08-18) 1994年8月18日(25歳)
【身長
体重】
181 cm
96 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
外野手
【プロ入り】
2012年 ドラフト2位
【初出場】
2013年9月14日
【年俸】
2億8,000万円(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本代表
WBC
2017年
プレミア12
2019年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
男子 野球
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
 | 2017 | 野球
WBSCプレミア12
 | 2019 | 野球

鈴木 誠也(すずき せいや、1994年8月18日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。

妻は元新体操選手でスポーツキャスターの畠山愛理

経歴

プロ入り前

小学2年生の時に荒川リトルで野球を始める。中学校時代には荒川シニアに所属していた。

二松学舍大学附属高校へ進学してからは、投手として、1年時の秋からエースの座を確保。2年時には、4月下旬に右太ももの肉離れを発症した。夏の選手権東東京大会では、本調子から程遠い状態でありながら、チームの準決勝進出に貢献。関東一高との準決勝では、5回に満塁本塁打を浴びるなど不調で、チームも0-7で8回コールド負けを喫した。3年夏の東東京大会では、準決勝で谷岡竜平擁する成立学園高校と対戦したが、2回途中3失点で降板。8回に再び登板したものの、4点を追加された末に、チームも6-8で敗れた。なお、この大会では成立学園が優勝している。

高校在学中には、前述したように、春夏ともに甲子園へ出場できなかった。しかし、投手として、ストレートで最速148km/hを記録。打者としても対外試合で通算43本塁打を放ったほか、一塁手として対外試合に出場することもあった。

野手としてのプレー経験がある広島東洋カープ尾形佳紀スカウトが打力と走力を高く評価したことを受けて、2012年度プロ野球ドラフト会議では、広島から内野手として2巡目指名を受け、契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団すると、投手から内野手へ転向。背番号については、自身にとって「小さい頃からの憧れ」であり、また同姓のイチローと同じ「51」に決まった。

広島時代

2013年は春季キャンプの序盤でインフルエンザを発症したフレッド・ルイスに代わって、2月2日に一軍キャンプへ合流。1日限定の参加だったにもかかわらず、オリックス・ブルーウェーブ時代のイチローを指導していた一軍打撃コーチの新井宏昌や、一軍監督の野村謙二郎から高い評価を受けた。公式戦の開幕後は、野手転向1年目ながら二軍のレギュラーに定着すると、ウエスタン・リーグの公式戦で打率.281を記録した。9月14日にプロ入り後初めての出場選手登録を果たすと、巨人とのカード初戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)7回裏に代打で一軍デビュー。広島の高卒新人野手で一軍昇格を果たしたのは、1999年東出輝裕以来であった。9月16日の同カード第3戦4回裏の適時打で、一軍初安打・初打点を記録した。一軍公式戦への出場は11試合にとどまったが、かつて自身と同じく背番号51を着用していた前田智徳引退試合(10月3日)には、「1番・右翼手」としてスタメンに起用された。

2014年は7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)で、ウエスタン・リーグ選抜の「2番・遊撃手」としてスタメン出場を果たした。一軍公式戦では、9月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に「1番・右翼手」としてスタメンに起用されると、1回表の第1打席に先頭打者として一軍初本塁打。その後の打席でも3安打を放ったことで、初めて猛打賞を達成した。一軍公式戦全体では、36試合の出場ながら、.344という高打率をマーク。

オフの11月に開催された第1回21U野球ワールドカップ日本代表に選出された。同大会では日本のクリーンナップとして打率.423で大会の首位打者を獲得するとともに、外野手として大会のベストナインに選ばれた。

2015年は公式戦の開幕前にポジション登録を内野手から外野手へ変更と、ヤクルトとの開幕戦(3月27日・マツダスタジアム)で「1番・右翼手」としてスタメン出場。一軍公式戦通算では、97試合の出場で、打率.275、本塁打5、打点25、出塁率.335、OPS.746という成績を残した。一軍では内野の守備へ一切就かず、レギュラーポジションの確保や規定打席の到達までには至らなかったが、得点圏打率.358を記録。9月中旬の公式戦では、3試合連続で適時打を放った。

2016年は春季キャンプ終盤の練習試合中に右足ハムストリングの筋挫傷を発症した影響で、一軍復帰は公式戦開幕直後の4月5日にまで持ち越された。4月26日の対ヤクルト戦(神宮)で「6番・右翼手」としてスタメンに起用されると、2回表に一軍でのシーズン1号本塁打を記録。5番打者のブラッド・エルドレッド、7番打者・堂林翔太も鈴木の前後に本塁打を放ったことから、一軍公式戦におけるチーム11年振りの3者連続本塁打を達成した。

2016年6月17日 オリックス戦にてサヨナラホームランを放った後、ダイヤモンドを一周する鈴木誠也

セ・パ交流戦期間中にマツダスタジアムで催されたオリックス・バファローズとの3連戦では、第1戦(6月17日)と第2戦(6月18日)でサヨナラ本塁打、第3戦(6月19日)で決勝本塁打を放った。NPBの一軍公式戦における同一打者の2試合連続サヨナラ本塁打は史上10人目で、21歳での達成は史上最年少であった。広島では長嶋清幸(1984年)以来2人目の快挙で、広島の選手による一軍公式戦での3試合連続決勝本塁打は、1996年江藤智以来の事例であった。また、交流戦期間中には、セントラル・リーグ(セ・リーグ)の規定打席到達選手で最高の打率(.344)をマーク。レギュラー右翼手としてチームのセ・リーグ最高順位(3位)到達にも貢献したことから、大谷翔平(北海道日本ハムファイターズ)と並んで優秀選手(日本生命賞)に選ばれた。 セ・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、途中から出場した7月15日の第1戦(福岡ヤフオク!ドーム)で内野へのポテンヒットながら初打席初安打を記録、「8番・右翼手」としてスタメンに起用された7月16日の第2戦(横浜スタジアム)では、2安打1打点という活躍で敢闘選手賞を受賞した。 レギュラーシーズンでは、主に6番打者として5月以降3割以上の打率を維持。一軍公式戦20試合に出場した8月には、打率.359、7本塁打という好成績を残すとともに、終盤から5番打者に定着した。9月10日の対巨人戦(東京ドーム)では、4回表の第2打席から2打席連続本塁打を放って、広島の逆転勝利と25年振りのセ・リーグ優勝決定に貢献した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦129試合に出場するとともに、プロ入り後初めてリーグの最終規定打席に到達。打率(.335)でセ・リーグ2位、本塁打(29本)でチームトップの成績を残したほか、95打点、16盗塁、長打率.612を記録した。横浜DeNAベイスターズとのクライマックスシリーズ ファイナルステージでも、マツダスタジアムでの全4試合に「5番・右翼手」としてスタメンに起用されたが、通算打率.083(12打数1安打)、1打点、1盗塁殺と振るわなかった。

チームのクライマックスシリーズ突破を経て臨んだ日本ハムとの日本シリーズでは、第2戦(10月23日・マツダ)の2回裏に、1死1・3塁という局面から三塁走者として本盗を成功させた。打者・石原慶幸による空振り三振の間に一塁走者・安部友裕重盗を仕掛けたことによるもので、日本シリーズにおける本盗の成功は、1969年土井正三(巨人)以来47年振り5度目(いずれも一塁走者との重盗)。

日本シリーズの終了後には、ゴールデングラブ賞ベストナイン(いずれもセ・リーグ外野手部門)を初めて受賞。また、10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。11月13日の最終戦(対オランダ戦)延長10回表には、タイブレークからの勝ち越し満塁本塁打でチームを勝利に導いた。

2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出された。チームが敗退した準決勝までの5試合に出場したが、打率は.214(14打数3安打)で、本塁打も打点も記録できなかった。

シーズンでは、開幕直後から打撃が好調なことを背景に4月11日の対巨人戦(東京ドーム)でプロ初のスタメン4番に座り、同25日の対巨人戦(東京ドーム)からは後述の離脱まで全試合4番打者を務めた。セ・パ交流戦期間中の6月14日の対オリックス戦(マツダ)では、延長12回に2年連続のサヨナラ本塁打を放った。さらにオールスターゲームのファン投票では、同部門の得票数1位で2年連続の出場に至った。しかし、8月22日の対DeNA戦(横浜)での右翼守備中に、右中間のフェンス際の飛球にジャンピングキャッチを試みた際に右足首を負傷。横浜市内の病院で検査を受けた結果、右脛骨内果の剥離骨折と診断されたことから、翌日に出場選手登録を抹消された。同29日に骨接合術と靱帯修復術を受け、全治3ヶ月と診断された。シーズン中の復帰は叶わなかったものの故障の時点で規定打席には到達しており、打率.300、26本塁打、90打点、OPSはリーグトップの.936を記録し、2年連続のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。

2018年中日ドラゴンズとの開幕戦(3月30日・マツダスタジアム)で自身初の開幕4番として219日ぶりに公式戦に復帰した。4月4日に下半身の張りで登録を抹消されたが、4月18日に1軍に復帰。セ・リーグ外野手部門のファン投票で選出され、3年連続の出場となったオールスターゲームでは7月13日の第1戦で菊池雄星から初本塁打を放った。8月には月間打率.414、12本塁打を記録、9月20日には自身初の30本塁打の大台に到達するなど4番打者としてチームを引っ張り、球団史上初のリーグ3連覇に大きく貢献した。巨人とのクライマックスシリーズファイナルステージでは第1戦でシリーズ初本塁打を放った。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズではチームは1勝4敗1分で敗れたものの、第3戦(10月30日・福岡ヤフオク!ドーム)で安部友裕とともに自身のシリーズ初本塁打を含む2本塁打を記録。1試合で同一チームの2選手が2本塁打を放つのは日本シリーズ史上初の快挙だった。第4戦(10月31日・福岡ヤフオク!ドーム)でも本塁打を放ちシリーズ球団タイ記録の3本塁打、打率.455の活躍で敢闘賞を受賞した。オフには3年連続のベストナインを受賞。11月19日には球団広報から、2019年シーズンより背番号が前田智徳が現役を引退した2014年以降空き番号となっていた1に変更されることが発表された。

背番号1を着用する鈴木

2019年オールスターゲームにファン投票でセントラル・リーグ最多投票となる485,526票を獲得し4年連続で選出され、7月13日に行われたホームランダービーで優勝するとその後の試合(第2戦)でも二木康太から2年連続となる本塁打を放った。シーズンでは前年に引き続き4番に座っていたが、3番打者のサビエル・バティスタドーピング違反で離脱してからは3番を任された。自己最多の140試合に出場し、本塁打こそ前年を下回ったものの自身初のタイトルとなる首位打者最高出塁率を獲得。10月1日に第2回WBSCプレミア12日本代表に選出され、同大会では全試合4番で先発出場し、日本代表の4番としては史上初となる3試合連続本塁打を放つなど打率.444、3本塁打、13打点、9得点は大会1位という大活躍で世界一に大きく貢献し、大会MVPと大会ベストナインを獲得した。オフには4年連続のベストナインと2年ぶりのゴールデングラブ賞を受賞し、12月18日には広島の野手ではいずれも歴代最高額となる1億2000万円増の2億8000万円で契約を更改した。

選手としての特徴

50メートル走で最速5秒8を記録したほどの俊足や、投手として最速148km/hの強肩が武器。遠投115メートル。打撃では、右手でバットを押し込む力が強いため、右打席から逆方向に長打を放つことができる。

広島への入団当初は、球団の育成方針の下で、内野手として経験を積んでいた。2015年からは、「それまで本格的に教わったことがなかった」という外野の守備に取り組んでいる。また、2016年の序盤に打撃フォームを根底から見直したところ、「トスバッティングの延長」でトップの位置を深く決めることだけを重視。打撃開眼につなげた。

2018年シーズンは見逃し三振が目立ち、12球団で1位となる42を記録。

人物

漫画『巨人の星』で「(鈴木の出身地である)荒川区町屋の長屋に(主人公の)星一徹・飛雄馬父子が暮らしている」との設定が為されたことから、「町屋」を取り上げた『出没アド街ック天国』(テレビ東京)2006年3月18日放送分では、当時小学5年生だった鈴木と実父を「平成の星親子」として紹介。実父が自宅内に造った練習場で、鈴木がトスバッティングに取り組んでいる映像も流された。鈴木が広島へ入団した後も、同番組で町屋を特集する場合(2014年10月18日放送分:「京成 町屋」、2016年11月12日放送分:「ディープな下町」)には、前述した小学生時代の映像を改めて放送。さらに、広島でのプレー映像や番組独自のインタビュー映像などを交えながら鈴木の近況を紹介している。

父方の祖父は、1966年全日本ボウリング協会で初のパーフェクトゲームを達成した。

小学生時代から前述したような野球漬けの環境で育ったことを背景に、広島の首脳陣からは、練習量の多さや練習への意識の高さを高く評価されている。鈴木自身も、「集中力が増す」という理由から、深夜に若手合宿所・大野寮の室内練習場で照明を付けずに素振りへ勤しむことがあるという。

勝利後のヒーローインタビューの時に、たまにではあるが、インタビュー終了後にインタビューを受けた選手に祝い水をかけたりしている。しかし、2015年の8月23日にヒーローインタビューを終えた黒田に祝い水をかけようしたが、黒田に怒られて、鈴木自ら水をかぶった。また、2017年では、でたらめなインタビューをして、エルドレッドに突っ込みを喰らったうえに、クリス・ジョンソンに水をかけられた。

2017年シーズンには、「せいや」繋がりで、『聖闘士星矢』とのコラボレーショングッズを広島球団から発売した。

2019年8月17日、元新体操選手でスポーツキャスターの畠山愛理と結婚。同年12月7日、ハワイで挙式し、結婚を公表した。

エピソード

2016年にオリックスとの交流戦で2試合連続サヨナラ本塁打を放った直後には、監督の緒方孝市が「神がかっていますね。今時の言葉で言うなら『神(かみ)ってる』よな」とのコメントを残した。このコメントが報じられたことをきっかけに、インターネット上で既に広まっていたとされる「神ってる」という言葉が、「好調な鈴木やチームを象徴する表現」とのニュアンスでメディアやファンに多用。広島球団も、鈴木が絶叫する表情を前面、「神ってる」という文字を背面にプリントで入れたTシャツを、2試合連続サヨナラ本塁打記念公式グッズとして発売した。 同年のシーズン終了後には、2016年新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた(受賞者は緖方と鈴木)。野球関連の言葉から唯一「ノミネート語」(全30語)に選ばれたことによるもので、野球関連の言葉としては、前年(2015年)の「トリプルスリー」に続く受賞であった。なお、東京都内で発表・授賞式が開かれた12月1日には、緖方を初めとする広島の一軍関係者がセ・リーグ優勝記念旅行先のハワイに向けて出発。鈴木は、旅行への出発を1日遅らせたうえで、スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞の表彰式と新語・流行語大賞の発表・授賞式に単独で出席した。新語・流行語大賞の発表後には、「僕自身が言ったわけではないが、(大賞の受賞を)嬉しく思う。この言葉で僕のことを知ってくれた人も多いので、ありがたい」と感謝しながらも、「『神ってる』と言われるのは『まぐれ』と言われているようで、少し嫌だった。来季(2017年)には、『神ってる』ではなく『実力だ』と思われるように頑張りたい」という表現で決意を新たにしていた。もう1人の受賞者である緖方は、鈴木が2017年6月14日のオリックス戦で2年連続のサヨナラ本塁打を放った直後に、延長12回までマツダスタジアムで声援を送ったファンに向けて「今年は(レギュラーに定着した鈴木というより)ファンが神っていた」というメッセージを出している。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2013 | 広島 | 11 | 14 | 12 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | .083 | .214 | .083 | .298
2014 | 36 | 68 | 64 | 6 | 22 | 7 | 0 | 1 | 32 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 2 | .344 | .382 | .500 | .882
2015 | 97 | 238 | 211 | 21 | 58 | 6 | 3 | 5 | 85 | 25 | 6 | 7 | 7 | 2 | 16 | 0 | 2 | 38 | 3 | .275 | .329 | .403 | .742
2016 | 129 | 528 | 466 | 76 | 156 | 26 | 8 | 29 | 285 | 95 | 16 | 11 | 3 | 3 | 53 | 1 | 3 | 79 | 10 | .335 | .404 | .612 | 1.015
2017 | 115 | 512 | 437 | 85 | 131 | 28 | 1 | 26 | 239 | 90 | 16 | 6 | 0 | 7 | 62 | 0 | 6 | 80 | 12 | .300 | .389 | .547 | .936
2018 | 124 | 520 | 422 | 86 | 135 | 32 | 2 | 30 | 261 | 94 | 4 | 4 | 0 | 5 | 88 | 2 | 5 | 116 | 4 | .320 | .438 | .618 | 1.057
2019 | 140 | 612 | 499 | 112 | 167 | 31 | 0 | 28 | 282 | 87 | 25 | 16 | 0 | 3 | 103 | 12 | 7 | 81 | 3 | .335 | .453 | .565 | 1.018
NPB:7年 652 | 2492 | 2111 | 386 | 670 | 130 | 14 | 119 | 1185 | 399 | 67 | 44 | 10 | 20 | 327 | 15 | 24 | 408 | 35 | .317 | .411 | .561 | .972

年度別打撃成績所属リーグ内順位

【年

度】



【リ
|
グ】
【打

率】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【打

点】
【盗

塁】



2013 | 19 | セ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - | -
2014 | 20 |  | - | - | - | - | - | - | -
2015 | 21 | - | - | - | - | - | - | - | -
2016 | 22 | 2位 | 8位 | 8位 | 3位 | 5位 | 6位 | 7位 | 4位
2017 | 23 | 10位 | - | 10位 | - | 6位 | 4位 | 7位 | 5位
2018 | 24 | 6位 | - | 5位 | - | 7位 | 6位 | - | 2位
2019 | 25 | 1位 | 4位 | 5位 | - | 9位 | 9位 | 4位 | 1位

WBCでの打撃成績

【年

度】



【試

合】
【打

席】
【打

数】
【得

点】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【塁

打】
【打

点】
【盗

塁】
【盗

死】
【犠

打】
【犠

飛】
【四

球】
【敬

遠】
【死

球】
【三

振】
【併

打】
【打

率】
【出

率】



2017 | 日本 | 5 | 18 | 14 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .214 | .313 | .214

WBSCプレミア12での打撃成績

【年

度】



【試

合】
【打

席】
【打

数】
【得

点】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【塁

打】
【打

点】
【盗

塁】
【盗

死】
【犠

打】
【犠

飛】
【四

球】
【敬

遠】
【死

球】
【三

振】
【併

打】
【打

率】
【出

率】



2019 | 日本 | 8 | 34 | 27 | 9 | 12 | 3 | 2 | 3 | 28 | 13 | 2 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | 1 | 3 | 1 | .444 | .529 | 1.037

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
三塁
外野


















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



2013 | 広島 | - | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2014 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 | 21 | 11 | 1 | 0 | 0 | 1.000
2015 | - | 77 | 91 | 2 | 1 | 0 | .989
2016 | - | 127 | 211 | 3 | 2 | 1 | .991
2017 | - | 115 | 209 | 10 | 6 | 2 | .973
2018 | - | 116 | 180 | 8 | 4 | 3 | .979
2019 | - | 139 | 242 | 6 | 3 | 1 | .988
通算 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 | 599 | 948 | 30 | 16 | 7 | .983

タイトル

表彰

日本代表

記録

初記録
節目の記録
その他記録

※2012年のアーロム・バルディリス(オリックス)以来史上10人目、球団史上1984年9月15日、16日の巨人戦(広島市民球場)で長嶋清幸が放って以来32年ぶり、21歳10ヶ月での達成は最年少

背番号

2010Happy Mail