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鈴鹿8時間耐久ロードレースとは?
【イベントの種類】
自動車レース
【通称・略称】
鈴鹿8耐
【正式名称】
FIM世界耐久選手権 "
コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
【旧イベント名】
インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
【開催時期】
毎年7月最終週の木曜日から日曜日までの4日間
【初回開催】
1978年
【会場】
鈴鹿サーキット
【主催】
財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会
株式会社
モビリティランド鈴鹿サーキット
【後援】
文部科学省観光庁三重県鈴鹿市鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会
一般社団法人鈴鹿市観光協会
鈴鹿商工会議所
【協賛】
日本コカ・コーラ株式会社
【鈴鹿サーキットへの交通アクセス】
【最寄駅】
鈴鹿サーキット稲生駅
【直通バス】
三重交通
【駐車場】
あり
公式サイト鈴鹿8時間耐久ロードレース(すずかはちじかんたいきゅうロードレース)は、FIM世界耐久選手権の1戦として毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される日本最大のオートバイレース。通称鈴鹿8耐(すずかはちたい)、8耐(はちたい)。
概要
夏の鈴鹿を彩る名物レースの一つで、オートバイによる8時間の耐久レースである。2017年現在は午前11時30分にスタートし、日暮れから日没をまたいで終盤はナイトレースとなり、午後7時30分を過ぎた直後にトップのチームがゴールラインを通過した時点で終了となる。
1978年から開催され、1980年からは世界耐久選手権レースのひとつとして組み込まれ、特に1980年代から1990年代初頭は日本のバイク人口のピークと相まって大いに盛り上がった。当時の鈴鹿市の人口は約14万人だが、1990年の決勝レースはそれをはるかに上回る16万人の観客動員を記録、さらに大会期間中の延べ入場者数は36万8,500人を記録した。時代と共に二輪車販売が大幅に減少してもなお、ロードレース界における夏の風物詩として国内有数の集客を誇るモータースポーツイベントである。
1984年より日本コカ・コーラが冠スポンサーとなっている。例年の冠タイトルは「コカ・コーラ」だが、一時期「コカ・コーラ ゼロ」、または姉妹品「スプライト」の冠だった年もある。
かつては世界を目指す若手ライダーの登竜門的な存在であった。ケビン・マギー、ケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハンらは、鈴鹿8耐の活躍でWGPの切符をつかんだ。ワイン・ガードナーは、無名時代の1981年に初出場ながらポールポジションを獲得したことが名を知られるきっかけとなった(WGPデビューは1983年)。そうして成長を遂げた彼らの海外における活躍と相前後し、WGPを退いて間もないケニー・ロバーツと全日本の第一人者平忠彦によるコンビ結成(1985年)も大きな話題となり、以後日本の4大オートバイメーカーが威信を懸けてWGPやスーパーバイク世界選手権からトップライダーを送り込んだため、1980年代中盤 - 1990年代の8耐はさながら「レーシングライダー世界一決定戦」とも言うべき活況を呈していた。
近年は、MotoGP(旧・WGP)との日程重複やレース自体の過酷さによる消耗を嫌って海外ライダーの参戦が減少傾向にあるものの、レギュレーションの変更などによる運営上の試行錯誤や全日本選手権等を戦う日本人のエース級ライダーによって、以前に勝るとも劣らない熾烈な戦いが繰り広げられている。
決勝前日にはMFJの国内ライセンスあるいはフレッシュマンライセンス所有者のみが参加できる「鈴鹿4時間耐久ロードレース」も開催される。またオートバイによる来客が多いことにちなみ、二輪車をメインとした市内パレードも催される。かつては暴走族が数千台規模で集まり、警察が出動したこともあった。
前夜祭にはコース上で「ナイトピットウォーク」や「バイクパレード」などさまざまなイベントが行われ、家族連れで大変にぎわっている。2000年にはTRFがヘリコプターを使った演出とライブで前夜祭を盛り上げ、キャンギャルオンステージが行われるなど、盛大に行われた時代もあった。近年は『来場者とレースをもっと近くに』とのコンセプトから、大きなステージは作らず、ナイトピットウォークに時間を割くようになった。2010年からは、SKE48が「鈴鹿サーキットモータースポーツ応援団」として参加し、コース上でライブをするなど、新たな盛り上がりを演出している。非公式ながら『8耐マン』と呼ぶ2人組のキャラクターも出没し、来場者との思い出作りに花を添えている。
1980年に世界選手権シリーズに昇格するまでの(1977年以前は6時間耐久)時代はレギュレーションが緩やかであったため、ホンダ・CBX1000、カワサキ・Z1000、スズキ・GS1000、からヤマハ・RD350までの市販車改造車と、ホンダ・RSやヤマハ・TZなどの純レーサーが、クラス分けもなく混走していた。その中で、500cc単気筒エンジンを搭載した40馬力ほどのプライベーター製車両(後のヤマハ・SRの原型となった「ロードボンバー」)が8位入賞(1978年)するなどの出来事もあった。TT-F1時代は前輪に片持ハブセンターステアのユニット、後輪に片持スイングアームユニットを持ち、かつメインフレームがないelfのような意欲的なマシンや、あえて軽量コンパクトさで勝負に挑んだホンダCBR600、トラストでチューンされたターボチャージャーを搭載するスズキGSX-R400、ヤマハのフレームを使用したBMW K75など、プライベーターでは個性豊かなマシンが出場していた。
近年は、学生を無料(要事前申込み)で招待する『ヤング割0円キャンペーン』や、大人1人分の料金で子供5人が無料入場できる『子どもと一緒にキャンペーン』、さらに2017年には国際レーシングコース横の交通教育センターでレース中にアーティストのライブを行う『8フェス』など、新規ファンの開拓にも力を入れている。
従来の鈴鹿8耐は選手権の序盤に行われてきたが、選手権のプロモーターであるユーロスポーツ・イベントの代表フランソワ・リベイロが、2017年の選手権は2016年9月に開催予定のボルドール24時間で開幕させ、年をまたいで2017年7月の鈴鹿8耐を最終戦にすることを発表した。
2019年2月、モビリティランドとフランス西部自動車クラブ(ACO)は鈴鹿サーキットとル・マンの友好協定を締結。これにより鈴鹿8耐でのヨーロッパトップチームに「ル・マンアワード」を、ル・マン24時間耐久ロードレースでのアジアトップチームに「鈴鹿アワード」を贈呈するなど取組を行っていくと発表した。
歴史
大会名
- 1978年 - 1979年:インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
- 1980年 - 1983年:世界選手権シリーズ 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
- 1984年 - 1987年:世界選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
- 1988年:世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 1989年 - 1990年:FIM耐久カップシリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 1991年 - 1996年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 1997年:FIM世界耐久選手権シリーズ "スプライト クール"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 1998年 - 1999年:FIM世界耐久選手権シリーズ "スプライト"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2000年 - 2005年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2006年:FIM世界耐久選手権シリーズ/FIMカップ エンデュランス・オブ・ネーションズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2007年:QMMF FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2008年 - 2012年:QTEL FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2013年 - 2016年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
- 2017年 -:FIM世界耐久選手権 最終戦 “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース
優勝者&優勝チーム・マシン
年
|
ライダー
|
チーム(マシン)
|
ゼッケン
|
周回数
|
タイム
|
1978
|
ウェス・クーリー
マイク・ボールドウィン | ヨシムラジャパン
(スズキ・GS1000) | 2 | 194 | 8:02'51"53
1979
|
トニー・ハットン
マイク・コール | チームホンダ・オーストラリア
(ホンダ・CB900F) | 6 | 197 | 8:00'23"78
1980
|
ウェス・クーリー
グレーム・クロスビー | ヨシムラ R&D
(スズキ・GS1000R) | 12 | 200 | 8:01'03"54
1981
|
マイク・ボールドウィン
デビッド・アルダナ | ホンダ・フランス
(ホンダ・RS1000) | 1 | 199 | 8:00'47"12
1982
|
飯島茂雄
萩原紳治 | ブルーヘルメット MSC
(ホンダ・CB900F) | 27 | 120 | 6:02'55"83
1983
|
エルブ・モアノー
リカルド・ユービン | HB スズキ・フランス
(スズキ・GS1000R) | 6 | 190 | 8:02'29"32
1984
|
マイク・ボールドウィン
フレッド・マーケル | アメリカ・ホンダ
(ホンダ・RS750R) | 1 | 191 | 8:01'30"35
1985
|
ワイン・ガードナー
徳野正樹 | チームHRC
(ホンダ・RVF750) | 3 | 195 | 8:01'40"102
1986
|
ワイン・ガードナー
ドミニク・サロン | チームHRC
(ホンダ・RVF750) | 4 | 197 | 8:01'30"738
1987
|
マーチン・ウィマー
ケビン・マギー | 資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750) | 21 | 200 | 8:01'30"045
1988
|
ケビン・マギー
ウェイン・レイニー | チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750) | 3 | 202 | 8:02'21"384
1989
|
ドミニク・サロン
アレックス・ビエラ | Beams ホンダ with イクザワ
(ホンダ・RVF750) | 2 | 202 | 7:58'34"328
1990
|
平忠彦
エディ・ローソン | 資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750) | 21 | 205 | 7:57'35"859
1991
|
ワイン・ガードナー
マイケル・ドゥーハン | OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750) | 11 | 192 | 7:59'25"924
1992
|
ワイン・ガードナー
ダリル・ビーティー | OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750) | 11 | 208 | 8:00'07"117
1993
|
スコット・ラッセル
アーロン・スライト | 伊藤ハムレーシング・カワサキ
(カワサキ・ZXR-7) | 1 | 207 | 8:01'13"713
1994
|
ダグ・ポーレン
アーロン・スライト | チームHRC
(ホンダ・RVF/RC45) | 11 | 183 | 6:52'49"056
1995
|
アーロン・スライト
岡田忠之 | チームHRC
(ホンダ・RVF/RC45) | 11 | 212 | 8:00'00"468
1996
|
コーリン・エドワーズ
芳賀紀行 | ヤマハ・レーシングチーム
(ヤマハ・YZF750) | 45 | 214 | 8:02'06"411
1997
|
伊藤真一
宇川徹 | ホリプロ・ホンダ with HART
(ホンダ・RVF/RC45) | 33 | 186 | 8:02'03"722
1998
|
伊藤真一
宇川徹 | ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45) | 33 | 212 | 8:01'54"740
1999
|
岡田忠之
アレックス・バロス | ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45) | 4 | 213 | 8:01'59"918
2000
|
宇川徹
加藤大治郎 | チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW) | 4 | 215 | 8:00'31"775
2001
|
バレンティーノ・ロッシ
コーリン・エドワーズ | チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW) | 11 | 217 | 8:01'30"173
2002
|
加藤大治郎
コーリン・エドワーズ | チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW) | 11 | 219 | 8:02'04"992
2003
|
生見友希雄
鎌田学 | チーム・桜井ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW) | 71 | 212 | 8:00'38"909
2004
|
宇川徹
井筒仁康 | セブンスター・ホンダ
(ホンダ・CBR1000RRW) | 7 | 210 | 8:01'35"115
2005
|
清成龍一
宇川徹 | セブンスター・ホンダ (ホンダ・CBR1000RRW)
| 7 | 204 | 8:01'22"351
2006
|
辻村猛
伊藤真一 | F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team
(ホンダ・CBR1000RR) | 778 | 214 | 8:02'07"624
2007
|
加賀山就臣
秋吉耕佑 | ヨシムラ・スズキ with JOMO
(スズキ・GSX-R1000) | 34 | 216 | 8:01'35"077
2008
|
清成龍一
カルロス・チェカ | Dream Honda Racing Team 11
(ホンダ・CBR1000RRW) | 11 | 214 | 8:00'20"726
2009
|
酒井大作
徳留和樹
青木宣篤 | ヨシムラ・スズキ with JOMO
(スズキ・GSX-R1000) | 12 | 183 | 8:01'59"916
2010
|
清成龍一
中上貴晶
高橋巧 | MuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RRK) | 634 | 215 | 8:01'13.428
2011
|
秋吉耕佑
伊藤真一
清成龍一 | F.C.C. TSR Honda (ホンダ・CBR1000RRW)
| 11 | 217 | 8:00'50.922
2012
|
秋吉耕佑
ジョナサン・レイ
岡田忠之 | F.C.C. TSR Honda (ホンダ・CBR1000RRW)
| 11 | 215 | 8:01'35.450
2013
|
高橋巧
レオン・ハスラム
マイケル・ファン・デル・マーク | MuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RRW) | 634 | 214 | 8:00'01.280
2014
|
高橋巧
レオン・ハスラム
マイケル・ファン・デル・マーク | MuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RRW) | 634 | 172 | 6:56'13.056
2015
|
中須賀克行
ポル・エスパルガロ
ブラッドリー・スミス | YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1) | 21 | 204 | 8:00'29.708
2016
|
中須賀克行
ポル・エスパルガロ
アレックス・ロウズ | YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1) | 21 | 218 | 8:00'40.124
2017
|
中須賀克行
アレックス・ロウズ
マイケル・ファン・デル・マーク | YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1) | 21 | 216 | 8:00'32.959
2018
|
中須賀克行
アレックス・ロウズ
マイケル・ファン・デル・マーク | YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1) | 21 | 199 | 8:00'01.728
2019
|
ジョナサン・レイ
レオン・ハスラム
トプラク・ラズガットリオグル | Kawasaki Racing Team Suzuka 8H
(カワサキ・ニンジャZX-10R) | 10 | 216 | 7:55'36.613
2020
|
新型コロナウイルス感染症の影響で中止
優勝回数の記録
- 5回 - 宇川徹(97, 98, 00, 04, 05)
- 4回 - ワイン・ガードナー(85, 86, 91, 92)、伊藤真一(97, 98, 06, 11)、清成龍一(05, 08, 10, 11)、マイケル・ファン・デル・マーク(13, 14, 17,18)、中須賀克行(15 - 18)
- 3回 - マイク・ボールドウィン(78, 81, 84)、アーロン・スライト(93 - 95)、コーリン・エドワーズ(96, 01, 02)、秋吉耕佑(07, 11, 12)、岡田忠之(95, 99, 12)、高橋巧(10, 13, 14)、アレックス・ロウズ(16, 17,18)、レオン・ハスラム(13,14,19)
- 2回 - ウェス・クーリー(78, 80)、ドミニク・サロン(86, 89)、ケビン・マギー(87, 88)、加藤大治郎(00, 02)、鎌田学(01, 03)、ポル・エスパルガロ(15, 16)、ジョナサン・レイ(12,19)
- 1回 - トニー・ハントン(79)、マイク・コール(79)、グレーム・クロスビー(80)、デビッド・アルダナ(81)、飯嶋茂男(82)、萩原紳治(82)、エルブ・モアノー(83)、リカルド・ユービン(83)、フレッド・マーケル(84)、徳野政樹(85)、マーチン・ウィマー(87)、ウェイン・レイニー(88)、アレックス・ビエラ(89)、平忠彦(90)、エディ・ローソン(90)、マイケル・ドゥーハン(91)、ダリル・ビーティー(92)、スコット・ラッセル(93)、ダグ・ポーレン(94)、芳賀紀行(96)、アレックス・バロス(99)、バレンティーノ・ロッシ(01)、生見友希雄(03)、井筒仁康(04)、辻村猛(06)、加賀山就臣(07)、カルロス・チェカ(08)、酒井大作(09)、徳留和樹(09)、青木宣篤(09)、中上貴晶(10)、ブラッドリー・スミス(15)、トプラク・ラズガットリオグル(19)
ポールポジションの記録
- 7回 - 伊藤真一(98, 99, 03 - 06, 08)
- 5回 - ワイン・ガードナー(81, 84, 86, 87, 89)
- 4回 - 中須賀克行(12, 13, 17, 19)
- 3回 - グレーム・クロスビー(79, 80, 83)、マイケル・ドゥーハン(90, 91, 93
- 2回 - ポル・エスパルガロ(15, 16)
- 1回 - デビット・エムデ(78)、ピエール・E・サミン(82)、ケニー・ロバーツ(85)、ウェイン・レイニー(88)、武石伸也(92)、スコット・ラッセル(94)、アンソニー・ゴバード(95)、アーロン・スライト(96)、加藤大治郎(97)、芳賀紀行(00)、梁明(01)、アレックス・バロス(02)、カルロス・チェカ(07)、秋吉耕佑(09)、酒井大作(10)、加賀山就臣(11)、津田拓也(14)、ジョナサン・レイ(18)
レギュレーションの変遷
- 1980年 - 1983年 TT-F1(4ストローク1,000cc以下)
- 1984年 - 1993年 TT-F1(4ストローク750cc以下、2ストローク 500cc以下)
- 1994年 - 2003年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)
- 2004年 - 2006年 スーパーバイク(2006年はワークスのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
- 2007年 スーパーバイク・JSB1000(8耐のみ参戦の国内チームのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
- 2008年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1,000cc以下 2気筒1,200cc以下)およびスーパーストック
主な出来事
- 1982年 台風の接近でレースを6時間に短縮して開催。6時間後に振られたのは、チェッカーフラッグではなく赤旗であった。
- 1989年 126周目周回遅れのマシンを抜き損なったマイケル・ドゥーハンが周回遅れと接触し転倒。ドゥーハンは左手薬指と小指を切断するケガをしてリタイアとなる。
- 1989年 8時間経過後、全車に対してチェッカーフラッグが振られる前に観客がコースへ乱入し、赤旗が提示されてしまった。このためレース結果は1ラップ前でのコントロールライン通過順位となり、3位と4位の順位が入れ替わってしまい、最終ラップにヤマハのピーター・ゴダード/加藤信悟組を抜いたはずのカワサキの塚本昭一/前田忠士組が涙を呑む。また、優勝のサロン/ビエラ組も203周回しながらも記録は202周回となった。その後、「全てのライダーにチェッカーを」を合言葉にマナーアップキャンペーンが始まった。
- 1993年 トップを快走していたエディ・ローソンがオイルにのってコースアウト転倒、かわりにトップに立ったドゥーハン/ビーティ組のドゥーハンも独走中にオイルにのって転倒。いずれもオイル旗の処理がなかった。
- 1994年 スタートから30分後に周回遅れの1台のマシンがオイルを吹き転倒して炎上。そこへトップグループが差しかかり、オイルに乗って数台が転倒し炎上する炎の中に突っ込んだ。このため赤旗中断となり、史上初の2ヒートレースとなる。優勝候補の一角、辻本聡/加藤大治郎組は不運にもマシンが炎上し、さらにスペアマシンがなかったためリタイヤを余儀なくされた。また、岡田忠之/宇川徹組は転倒した宇川が負傷したため第3ライダーの匹田禎智で再スタートした。中断によりレース進行が遅れたため、観客の帰りの交通手段の確保を優先し、19時30分に赤旗が振られレース終了となった。
- 1995年 この年のレーススタートから当時のレース実況アナウンサーのみし奈昌俊が観客に呼びかけて10秒前からの全員でのカウントダウンが始まった。それ以前からもアナウンサーがカウントダウンをしたり観客が自発的に手拍子を取ることはあったが、サーキット観客が一体となって行われたのはこの年が最初であった。このカウントダウンはライダーのフライング防止にも一定の効果があった。また同時に8時間の経過の10秒前からのカウントダウンもこの年から行われ、カウント0とともにアーロン・スライトが前人未到となる鈴鹿8耐3連覇のチェッカーフラッグを受け、10秒前カウントダウンは鈴鹿8耐の定番として定着していった。
- 2000年 決勝レース中の12時46分に山川守が130Rで転倒。病院収容後に死亡。享年47。鈴鹿8耐史上初の死亡事故となった。
- 2003年 決勝レースのスタート直後、オーヴァーレーシングのマシンがオイルを吹きながら最後尾を走行し、2周目の1コーナーでこのオイルにトップ集団の数台が乗ってクラッシュしペースカーが入る。その際、渡辺篤や岡田忠之やニッキー・ヘイデンが回収車に乗ってピットに戻ってきたために失格となる。オフィシャルとしては当然の裁定であったが、失格したにもかかわらずそれを無視して岡田が数周にわたり抗議の走行をした。ちなみに岡田が優勝した1995年のレースでは、1コーナーでクラッシュした加賀山と田村がオフィシャル判断にて回収車でピットロードまで運ばれているが、この際には「東コースショートカット」の扱いで1周減算で済んでいる。
- 2007年 俳優の岩城滉一が大会の名誉顧問に就任している。ポールポジションの岡田忠之が8耐史上初のフライングペナルティをとられた。
- 2011年 東日本大震災を原因とする電力供給不足を考慮し、この年のみスタート時間を例年より1時間繰り上げて10時30分とした。これに伴ってゴール時間も18時30分となり、夜間走行時間はなくなった。
- 2014年 決勝スタート直前に西コースで降雨があり史上初のスタートディレイとなった。これによりスタート時間が12時35分となるが、ゴール時間は従来通り19時30分となった為6時間55分のレースとなった。またレース中4度のセーフティーカーランが発生した。
- 2016年 この年からレギュレーション変更により車両のライトは常時点灯となる。ただし以前からの恒例であるオフィシャルからのライトオンサインは継続して実施されている。レースはセーフティーカーランが1度も発生せず、優勝したYAMAHA FACTORY RACING TEAMと2位のTeam GREENは現行のコースレイアウトとしては最多の218周回を記録した。また、ホンダ勢はトップチームが低迷し、1988年以来27年ぶりに表彰台を逃す事態となった。
- 2018年 土曜日のTOP10トライアル(公式予選上位10チームより1台ずつのタイムアタック)が台風12号の影響により40分間・10台同時の計時予選に変更となった。レースはYAMAHA FACTORY RACING TEAMと同チームの中須賀克行が4連覇を達成し、共に連勝記録を更新した。但し、中須賀はこの年のみ予選で転倒した影響で決勝レースに出走していない。
- 2019年も台風6号の影響でTOP10トライアルは中止となった。レースは終了2分前にトップを走行していたKawasaki Racing Teamが最終ラップで転倒。直後に赤旗中断となり終了した。EWC規定によりKawasaki Racing Teamは未完走、2位を走行していたYAMAHA FACTORY RACING TEAMが優勝と発表され、この順位で表彰式を実施した。しかし後に規定の運用を巡る抗議が認められ、赤旗が提示された1周前の順位が適用されることになり、一転してKawasaki Racing Teamが優勝という結果となった
- 2020年の第43回は当初、2020年東京オリンピックの開催期日を考慮し例年の7月最終週開催から変更し、2020年7月19日が決勝日となる予定だったが、
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