鉄(てつ、旧字体:鐵、英: iron、羅: ferrum)は、原子番号26の元素である。元素記号はFe。金属元素のひとつで、遷移元素である。太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5パーセントを占め、大部分は外核・内核にある。
元素記号のFeは、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。日本語では、鈍い黒さから「くろがね(黒鉄、黒い金属)」、広く使用されている金属であることから「まかね(「まがね」とも真鉄、真金)」ともいう。旧字体は「鐵」で、また異体字として「銕、鉃」がある。
「鉄」の旧字体(繁体字)は「鐵」であり、「金・王・哉」に分解できることから本多光太郎は「鐵は金の王なる哉」と評した。なお、「鉄」は「鐵」の略字という説が有力であるが、使用頻度が高いために失われやすい点から、「鐵」の誤字「鉄」が略字になったという説がある。また、「鉄」以外にも「銕」という略字もある。しかし、「鉄」の表記は「金を失う」となるため、製鉄業者・鉄道事業者などでは忌み嫌う傾向も見られ、あえて旧字体の「鐵」を使用する会社(新日鐵住金、大井川鐵道、和歌山電鐵など)や、「金が矢のように入る」とするため本来は鏃の意味を持つ「鉃」の字を「鉄」の代替としてロゴで使用する会社(四国旅客鉄道を除くJR各社)も存在する。
ほとんどの元素は恒星の核融合によって作られるが、それは鉄までである。原子番号が鉄より大きい元素は、新星爆発などでしか生じない。地球に金やプラチナが存在するのは、超新星爆発の残骸が太陽系の材料であった証左である。
地球も地殻以外は鉄が主成分となっており、火山(特に溶岩や火山弾)やそれに伴う熱水鉱床に鉄が豊富に含まれるのは、地殻以外の成分のほとんどが鉄でできているからである。地磁気も、地球の核で溶融した鉄が地球の自転と異なる速度で回転することによって生じるとされている。
地球の地殻には多くの鉄が含有されている(濃度が約5パーセントと高い)にもかかわらず、それと接している海水中の鉄は非常に濃度が低い。これは地球の海水中では水酸化鉄(III)として鉄が除かれてしまうためである。なお、地球の海水中の鉄の濃度は一定ではなく、観測船や海水採取器などからの鉄の溶出による汚染を避けてジョン・マーチン (海洋学者)が調査した結果、海面近くの表層の海水には少なく、逆に深層の海水には多く含まれる、いわゆる栄養塩型の分布をしていることが判明している。
純粋な鉄は白い金属光沢を放つが、イオン化傾向が高いため、湿った空気中では容易に錆を生じ、時間の経過とともに見かけ上黒ずんだり褐色へと変色したりする。一方、きわめて純度の高い(99.9999パーセント)鉄は、比較的高いイオン化傾向を有するにもかかわらず、塩酸や王水などの酸に侵されにくくなるうえ、液体ヘリウム温度(-268.95℃)でも失われないほどの高い可塑性を有するようになる。この超高純度鉄は東北大学金属材料研究所の研究グループらが、電解鉄を超高真空中で溶解電子銃を用いた浮遊帯溶融精製で処理することにより1996年に製造に成功し、2011年に日本とドイツの標準物質データベースに登録された。
固体の純鉄は、フェライト(BCC構造)、オーステナイト(FCC構造)、デルタフェライト(BCC構造)の3つの多形がある。911℃以下ではフェライト、911 - 1,392℃はオーステナイト、1,392 - 1,536℃はデルタフェライト、1,536℃以上は液体の純鉄となる。常温常圧ではフェライトが安定である。強磁性体であるフェライトがキュリー点を超えたところからオーステナイト領域までの770 - 911℃の純鉄の相は、以前はβ鉄と呼ばれていた。
栄養学の立場からみると、鉄は人(生体)にとって必須の元素である。食事制限などで鉄分を欠く時期が続くと、血液中の赤血球数やヘモグロビン量が低下し、貧血などを引き起こす。腸で吸収される鉄は2価のイオンのみであり、3価の鉄イオンは2価に還元されてから吸収される。鉄分を多く含む食品はホウレンソウやレバーなどである。動物性の食物起源の鉄の方が吸収効率が高い。ただし、過剰に摂取すると鉄過剰症になることもある。
自然の鉄の同位体比率は、5.845パーセントの安定なFe、91.754パーセントの安定なFe、2.119パーセントの安定なFe、0.282パーセントの安定なFe からなる。Feは不安定で比較的短寿命(半減期150万年)なため、自然の鉄中には存在しない。理論的に予測されるFeの二重β崩壊の検出は未確定である。FeとFeの原子核は非常に安定(核子1つあたりの質量欠損が大きい)であり、すべての原子核の中でそれぞれ2番目と3番目に安定である(もっとも安定な核種はNi)。
しばしばすべての原子核の中でFeがもっとも安定とされることがあるが、これは誤りである。このような誤解が広まった理由として、Feの天然存在比がNiやFeよりもはるかに高いことに加え、核子1つあたりの質量を比較した場合にはFeが全原子核中で最小となることが挙げられる。中性子の方が陽子よりもわずかに重いため、核子1つあたりの質量が最小となる核種と質量欠損が最大になる核種は一致しない。また、下記のように恒星の核融合の最終生成物がFeであることを「鉄がもっとも安定であるため」と便宜的に説明されることがあることも誤解を招いていると考えられる。
Feよりも不安定なFeのほうが存在比が高い理由は、星の元素合成の過程で質量数が4の倍数の核種がおもに作られるためである。炭素より重い元素はHeの融合(アルファ反応)によって作られるため、生成する核種の質量数は4の倍数に偏る。太陽質量の4 - 8倍の質量を持った恒星ではアルファ反応はNiまで進行するが、次のZnの原子核はNiよりも不安定なため、これ以上は反応が進行しない。Niは2度のβ崩壊を経てFeを生成するため、恒星の核融合の最終生成物はFeになる(詳しくはIa型超新星参照のこと)。鉄より重い核種も超新星爆発などであわせて生成するが、その生成プロセスは明確になっていない。
鉄棒などの鉄製品を手に持つと、手に特有の臭いがつく。これは俗に「金属臭」「鉄の臭い」と呼ばれるが、原因は鉄そのものではない(鉄は常温では揮発しない)。研究により、人体の汗に含まれる皮脂分解物と鉄イオンが反応して生じる炭素数7 - 10の直鎖アルデヒド類や1-オクテン-3-オンなどの有機化合物、そしてメチルホスフィン・ジメチルホスフィンなどのホスフィン類がこの臭いの原因であることが確認されている。
道具を作る用材として、石器時代、青銅器時代に続く鉄器時代を形成し、地球人類の文明の基礎を築いた。現在においてももっとも重要、かつ身近な金属元素のひとつで、産業革命以降、ますますその重要性は増している。さまざまな器具・工具や構造物に使われる。炭素などの合金元素の添加により、より硬い鋼となり構造物を構成する構造用鋼などや、工具鋼などの優れたトライボロジー材料にもなる。
安価で比較的加工しやすく、入手しやすい金属であるため、人類にとってもっとも利用価値のある金属元素である。特に産業革命以後は産業の中核をなす材料であり、「産業の米」などとも呼ばれ、「鉄は国家なり」と呼ばれるほど、鉄鋼の生産量は国力の指標ともなった。このため、鉄鋼産業には政府の桿入れも大きく、第二次世界大戦後の世界的な経済発展にも大きく影響している。現在においても工業生産されている金属の大半は鉄鋼であり、鉄を含まない金属は非鉄金属と呼ばれる。
鉄は、炭素をはじめとする合金元素を添加することで鋼となり、炭素量や焼入れなどを行うことで硬度を調節できる、きわめて使い勝手のいい素材となる。鋼は古くから刃物の素材として使われ、ほとんどの機械は鉄鋼をおもな素材とする。さらに鉄鋼は、鉄道レールの素材となるほか、鉄筋や鉄骨、鋼矢板などとして建築物や土木構築物の構造用部材に使われ大量に消費されている。
鉄に炭素とさまざまな微量金属を加えることで、多様な優れた特性を持つ合金鋼が生み出される。鉄とクロム・ニッケルの合金であるステンレス鋼は腐食しにくく強度が高く、なおかつ見た目に美しく比較的安価な合金として知られる。このため、ステンレス鋼に加工された鉄は、液体や気体を通すパイプ、液体や粉体を貯蔵するタンクや缶、流し台、建築資材などにも用いられるほか、鍋や包丁などの生活用具、家電製品、鉄道車両、自動車部品、産業ロボットなど、あらゆる分野に利用されている。
工具鋼は固体材料の中でもっとも強度増幅能力が高く、超硬材料と比べても高い曲げ強度を有するため、不変形特性が重要でかつ加工形状の自由度が要求される金型に多用される。金属材料でもっとも熱膨張係数が低いインバー、最強の保磁力を持つ磁性材料(ネオジム磁石)も鉄含有合金である。ほかにも、鉄化合物はインクや絵具などの顔料として、赤色顔料のベンガラや青色顔料のプルシアンブルーなどとして使われる。
鉄は強い磁性を持つため、不燃物からの回収が容易であり、再利用率も高い。屑鉄として回収された鉄は、電気炉で再び鉄として再生される。
西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では、軍神マルスと関連づけられ、その星である火星を象徴する。これは、古くから鉄が武器の材料として利用されたことや、鉄錆がくすんだ血のような色であることに由来すると思われる。また、妖精は冷たい鉄を嫌うという伝説があり、ファンタジー小説において魔法的なものとの相性が悪いとされる。また前述のような理由から「鉄」は「強固なもの」の代名詞となり「鉄の○○」などといえば「強固で倒しがたいもの」という比喩となる(例:鉄則、鉄の掟、鉄人、鉄の女、鉄十字、鉄のカーテン、鉄板ネタ)。
一方の日本では、鉄は邪悪なものを取り除く力を持つと考えられていた時代もあった。たとえば『遠野物語』では、怪力の河童を鉄の針で退治する、山中で身の危険を感じた猟師が魔除け用に持っていた鉄の弾を撃つというエピソードがある。
鉄はその用途から、機械や人工物を象徴する元素として用いられることも多い。対する人間・生物の象徴としては、有機化合物の主要元素である炭素(元素記号C)が用いられる。
大規模な鉄鉱床は、光合成により酸素単体が大量に発生したことにより、海水中に溶存しイオン化していた鉄が、酸化鉄として沈殿したことにより産み出されたといわれている。
鉄の製錬はしばしば製鉄と呼ばれる。簡単に言えば、鉄鉱石に含まれるさまざまな酸化鉄から酸素を除去して鉄を残す、一種の還元反応である。アルミニウムやチタンと比べて、化学的に比較的小さなエネルギー量でこの反応が進むことが、現在までの鉄の普及において決定的な役割を果たしている。この工程には比較的高い温度(千数百度)の状態を長時間保持することが必要なため、古代文化における製鉄技術の有無は、その文化の技術水準の指標のひとつとすることができる。
製鉄は2つ、もしくは加工まで加えた3つの工程からなる。鉄鉱石とコークスから炭素分の多い銑鉄を得る製銑、銑鉄などから炭素を取り除き炭素分の少ない鋼を作る製鋼、さらに圧延である。製銑には古くは木炭が使われていたが、中国では、前漢時代に燃料として石炭の利用が進み、さらに石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明、コークスを使った製鉄が始められた。文献記録としては4世紀の北魏でコークスを使った製鉄の記録がもっとも早い。以来、華北では時代とともにコークス炉が広まり、北宋初期には大半がコークス炉となった。それから1000年以上経ち、森林が減ったことから1620年ごろにイギリスのダッド・ダドリー(Dud Dudley)も当時安価に手に入った石炭を使うことを考えて研究を進めた。石炭には硫黄分が多く、そのままでは鉄に硫黄が混ざり使い物にならなかったため、ダッドは石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、1621年にコークスを使った製鉄方法の特許を取った。しかし1709年からエイブラハム・ダービー1世が大々的にコークスで製鉄することを始めるまでは、コークスを使った製鉄の使用は少数にとどまっていた。
日本では古来からたたら吹き(鑪吹き、踏鞴吹き、鈩吹き)と呼ばれる製鉄技法が伝えられている。現在では島根県安来市の山中奥出雲町などの限られた場所で、日本刀の素材製造を目的として半ば観光資源として存続しているが、それと並存し和鋼の進化の延長上にもある先端的特殊鋼に特化した日立金属安来工場がある。
韮山反射炉などの試行はあったが、鉄鉱石を原料とする日本の近代製鉄は1858年1月15日(旧暦1857年(安政4年)12月1日)に始まったと言われ(橋野高炉跡)、幕末以降欧米から多数の製鉄技術者が招かれ日本の近代製鉄は急速に発展した。現在の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す高炉法とスクラップから鉄を再生する電炉法で大半の鉄鋼製品が製造されている。高炉から転炉や連続鋳造工程を経て最終製品まで、一連の製鉄設備が揃った工場群のことを銑鋼一貫製鉄所(もしくは単に製鉄所)と呼び、臨海部に大規模な製鉄所が多数立地していることが、日本の鉄鋼業の特色となっている。日本では電炉法による製造比率が粗鋼換算で30パーセント強を占める。鉄が社会を循環する体制が整備されており、鉄のリサイクル性の高さと日本における鉄蓄積量の大きさを示している。鉄スクラップは天然資源に乏しい日本にとって貴重な資源であり、これをどう利用するかが、注目されるべき課題とされている。
なお第二次世界大戦後には高炉内壁の磨耗を調べるため、使用する耐火煉瓦に放射性物質コバルト60を混入し、産出する鉄製品の放射線量を測定する手法が用いられているが、これらの鉄は微量な放射線を測定する現場など放射線の影響を排除したい環境に不向きであるため、戦前に生産された放射能を持たない鉄が求められるケースがある。大戦時に建造された軍艦がおもな供給源であり、日本では陸奥から回収した「陸奥鉄」が有名である。