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長谷部誠とは?

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長谷部 誠

日本代表での長谷部(2018年)

【名前】

【カタカナ】
ハセベ マコト
【ラテン文字】
HASEBE Makoto
【基本情報】

【国籍】
日本
【生年月日】
(1984-01-18) 1984年1月18日(34歳)
【出身地】
静岡県藤枝市
【身長】
180cm
【体重】
73kg
【選手情報】

【在籍チーム】
アイントラハト・フランクフルト
【ポジション】
MF / DF
【背番号】
20
【利き足】
右足
【ユース】

1999-2001
藤枝東高等学校
【クラブ】


クラブ | 出場 | (得点)
2002-2007
浦和レッズ |  149  | (12)
2008-2013
ヴォルフスブルク |  135  | (5)
2013-2014
ニュルンベルク |  14  | (0)
2014-
フランクフルト |  111  | (2)
【代表歴】

2006-2018
日本 | 114  | (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年6月1日現在。
2. 2018年7月2日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

長谷部 誠(はせべ まこと、1984年昭和59年〉1月18日 - )は、日本プロサッカー選手静岡県藤枝市出身。著名な親族としては佐藤ありさ(タレント等)がいる。

ポジションは、ミッドフィールダーディフェンダーブンデスリーガアイントラハト・フランクフルト所属。元日本代表

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 浦和レッズ
    • 1.3 ヴォルフスブルク
    • 1.4 ニュルンベルク
    • 1.5 フランクフルト
    • 1.6 日本代表
  • 2 プレースタイル
  • 3 エピソード
  • 4 所属クラブ
  • 5 個人成績
  • 6 タイトル
    • 6.1 クラブ
    • 6.2 代表
    • 6.3 個人
  • 7 代表歴
    • 7.1 出場大会
    • 7.2 試合数
    • 7.3 ゴール
  • 8 出演
    • 8.1 CM
    • 8.2 イメージキャラクター
  • 9 書籍
  • 10 脚注
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク

来歴

生い立ち

静岡県藤枝市出身。祖父が「誠」と命名。3歳のときにサッカーアニメ「キャプテン翼」の大空翼に憧れてサッカーを始め、藤枝市立青島東小学校のスポーツ少年団、藤枝市立青島中学校サッカー部を経て、静岡県の名門藤枝東高校に入学。同期には岡田佑樹金澤大将などがいる。2年の終わり頃からレギュラーとしてプレーした。U-18日本代表候補への選出、2001年の全国総体準優勝などの実績はあるものの高校サッカー選手権出場は果たせなかった。当時のコーチや対戦相手の監督からは能力は高いもののフィジカルが弱すぎると評価されていた。自身は静岡県内のプロクラブへの加入を希望していたがオファーが届かず、県選抜でのプレーを見た浦和レッドダイヤモンズのスカウトから誘いを受け、この他には名古屋グランパスエイトからも興味を示されていた。

浦和レッズ

高校卒業と同時に浦和に加入。1年目はほとんど出場機会がなかったが、2年目の2003年はトップ下やボランチの選手として年間通して出場機会を得た。そして、3年目の2004年はシーズン当初こそ山瀬功治に代わってトップ下で出場していたが、シーズン中盤以降は鈴木啓太とダブルボランチを組み、浦和の2ndステージ優勝などに貢献した。この年はナビスコカップ・ニューヒーロー賞Jリーグ・ベストイレブンに選出された。

2005年から2007年の間も鈴木啓太と中盤の底でコンビを組み、レギュラーとしてJ1優勝やAFCチャンピオンズリーグ優勝をはじめとした浦和のタイトル獲得に貢献した。2005年末に初めて日本代表に選ばれたが、2006年のワールドカップの代表メンバーからは漏れてしまう。その後、イビチャ・オシムが監督を務めると日本代表に復帰したが、2007年はシーズン序盤に負傷したこともあって代表戦の出場機会はなく、同年12月に代表監督に再任した岡田武史に選ばれるまでは日本代表から遠ざかっていた。

ヴォルフスブルク

ヴォルフスブルクでの長谷部(2008年)

2008年1月1日ドイツ・ブンデスリーガVfLヴォルフスブルクに移籍。代理人は香川真司内田篤人らと同じトーマス・クロート。2月、冬季中断明け初戦のビーレフェルト戦に後半開始から出場し、海外リーグでのデビューを移籍後早々に果たした。同年4月27日のアウェーでのレバークーゼン戦でブンデスリーガ初得点を記録。

移籍2シーズン目となる2008-09シーズンは前シーズンまでのボランチに加え、右サイドハーフ、右サイドバックでもプレー。2009年3月28日に行われた南アフリカワールドカップ・アジア最終予選バーレーン戦の試合中の故障により、優勝争いも佳境に迫ったリーグ終盤戦に一時離脱するアクシデントがあったものの、クラブのドイツ国内主要大会初優勝に貢献した。このシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とともに、奥寺康彦以来31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人となった。

9月16日UEFAチャンピオンズリーグの開幕戦であるCSKAモスクワ戦に途中出場し、日本人選手として5人目のUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たした。また、リーグ戦では9月18日の第6節シャルケ04戦でエディン・ジェコの決勝点をアシスト、9月26日の第7節ハノーファー96戦で今季初得点を決めるなどの活躍を見せ、2009-10シーズンはリーグ戦1得点6アシストを記録する。9月30日、CLグループリーグ第2節、アウェーでのマンチェスター・ユナイテッド戦ではスタメン出場し、後半11分に絶妙なクロスでジェコの先制点をアシストした。

2011年8月19日ボルシアMG戦で2シーズンぶりとなるリーグ戦での得点を決めた。9月17日、第6節ホッフェンハイム戦では右サイドバックとして出場するも、1点ビハインドでの後半35分にGKマルヴィン・ヒッツがレッドカードで退場。チームは既に交代枠を使い切っていたため、長谷部が急遽GKを務めることになった。馴れないポジションでありながら、正確なロングフィードを出したり、クロスボールにも飛び出してキャッチするなど奮闘するも、後半40分に失点し、チームは1-3で敗戦した。なお、日本人が欧州5大リーグでGKを務めるのはこれが初めてであった。2011-12シーズンは23試合に出場するも本職とは違うサイドバックでの起用がほとんどであった。

2012-13シーズンに入ると開幕から8試合連続ベンチ外という苦しい状況が続いたが、成績不振により監督のフェリックス・マガトが解任された直後の第9節デュッセルドルフ戦でリーグ戦初出場を果たすと、アシストを決めるなどチームの開幕戦以来の勝利に貢献した。その後は前シーズンと同じくサイドバックでの起用が多かったがスタメンの座は守った。

ニュルンベルク

2013-14シーズン開幕後、本職であるボランチでの出場を希望し自ら移籍を志願。2013年9月2日、1.FCニュルンベルクへの移籍が発表された。契約期間は3年間。ニュルンベルクはそれまで勝利がなく、長谷部にかかる期待は大きかったが以降もチーム状況は上向かず、結局ブンデスリーガ史上初の前半戦未勝利に終わった。1月の合宿で右ひざの半月板を損傷し離脱すると、2月にはチーム練習に合流するも再び同箇所を痛め帰国。2月28日に再手術を行ったことがクラブより発表された。5月11日の最終節で復帰を果たしたが、チームは不振から脱せず2部降格となった。

フランクフルト

2014年6月2日アイントラハト・フランクフルトと2年契約を締結。2014-15シーズンは、開幕からシーズン通してボランチを務め、出場停止の1試合を除くチーム最多、自身としてもブンデスリーガ移籍後では最多となるリーグ戦33試合に出場し、チームを支え続けた。

2015-16シーズン、開幕前にトーマス・シャーフが辞任しアルミン・フェーが新監督に就任すると右サイドバックとしてプレーする機会が増加しチームも低迷。2016年1月30日のブンデスリーガ・第19節アウクスブルク戦に出場し、奥寺康彦に続く日本人2人目となるブンデスリーガ通算200試合出場を達成。2016年3月にフェーが解任されニコ・コバチが監督の座につくと再びボランチに固定され、4月30日の第32節・ダルムシュタット戦では1091日ぶりに得点をきめるなど自身も復調を見せた。チームは16位でリーグ戦を終え、古巣ニュルンベルクとの入れ替え戦に勝利し、残留を決めた。入れ替え戦2試合にフル出場したが、古巣ニュルンベルクが相手だったため、「2年前このチームが降格したときに関わっていた一選手として、心の底から本当に喜ぶという感覚が沸いてこない」と複雑な気持ちを明かしている。

2016-17シーズン、2016年10月28日のブンデスリーガ第9節ボルシアMG戦では3バックの中央で先発して3試合連続の無失点に抑えて以降、リベロとしての起用が増加。12月20日、フランクフルトとの契約を2018年まで延長したことを発表した。2017年1月27日、第18節のシャルケ戦では今季初アシストを記録。2月5日、第19節のダルムシュタット戦で今季初得点を決めた。3月5日、第25節のフライブルク戦では奥寺康彦が保持していたブンデスリーガにおいて日本人最多出場記録を更新した。3月11日に行われた第24節のFCバイエルン・ミュンヘン戦でクリアの際にポストに激突し、左すねを6針縫合するケガを負い、さらにその後に右ひざの負傷も発覚し、手術を行った。この怪我の影響で以降の試合全てを欠場した。

2017-18シーズン、前シーズンの怪我や手術の影響もあり約5ヶ月間公式戦の出場は無かったが、2017年8月12日に行われたDFBポカール1回戦・エルンテブリュック戦で復帰を果たした。2018年1月27日、第20節のボルシアMG戦でフランクフルトにおいて出場した試合数が100試合に到達した。4月21日におこなわれた第31節のヘルタ・ベルリン戦において、57分に相手にPKを献上し先制を許した後、80分にダヴィー・ゼルケの顔面への肘打ちで一発退場となり、24日にドイツサッカー連盟から「相手選手に対する悪質な反スポーツ行為」として4試合の出場停止処分(うち最後の1試合は執行猶予処分)を科された。この処分により、長谷部は3試合を残してリーグ戦全日程を終えることとなった。5月19日、カップ戦決勝のFCバイエルン・ミュンヘン戦では先発し、3-1で勝利に貢献して優勝カップを手にした。 ドイツ移籍後では、ヴォルフスブルク時代のリーグ優勝以来のタイトル獲得となった。

日本代表

日本代表でプレーする長谷部
(2009年9月9日、ガーナ戦)

2006年1月の代表合宿、2月のアメリカ遠征の際にサッカー日本代表に初選出された。2月11日、親善試合のアメリカ戦では後半途中から出場し、持ち味であるドリブル突破や試合終了間際に見せたスルーパスなど、デビュー戦ながら存在感を示した。2月22日アジアカップ予選インド戦に先発し、後半13分に代表初得点を決めたかと思われたが、審判団の協議の結果、長谷部のシュートが巻誠一郎に当たって入っており巻の得点となった。2006年のドイツワールドカップのメンバーには選ばれなかった。イビチャ・オシムが日本代表監督に就任すると、再び代表に選出されたが、2007年以降は代表から漏れることが多くなった。

2008年5月15日岡田武史の監督就任後初めて日本代表に選出。キリンチャレンジカップ第1戦(対コートジボワール)に出場し、前半、右サイドを駆け上がっての絶妙なセンタリングで、同じく代表に復帰した玉田圭司のゴールをアシスト。1-0の勝利に大きく貢献した。以後の代表戦において、遠藤保仁とのダブルボランチを形成しレギュラーに定着する。

2009年6月6日、ワールドカップ出場権獲得に王手をかけた南アフリカワールドカップ・アジア最終予選アウェーでのウズベキスタン戦にスタメン出場。この試合に1対0で勝利し、4大会連続4度目のW杯出場を決めた。

11月18日アジアカップ最終予選香港戦で代表初得点を挙げた。

2010年5月10日、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出。岡田から長らくキャプテンを務めていた中澤佑二に代わるキャプテンに指名され、W杯ではグループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦に先発出場し、日本代表のベスト16入りに貢献した。

10月8日、国際親善試合のアルゼンチン戦では、岡崎慎司の決勝点の起点となる強烈なミドルシュートを放つなど活躍し、日本代表の歴史的勝利に貢献した。

南アフリカW杯後に日本代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニからも引き続きキャプテンを任され、2011年1月にカタールで開催されたアジアカップでは、全6試合にほぼフル出場し、日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献。グループリーグのシリア戦では先制点を挙げた。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップ前には、同年2月に手術した右膝の炎症が再発し直前の親善試合を全て欠場。本大会では全試合スタメンで出場したが、チームはグループリーグ敗退となった。

2016年9月1日に行われた2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選UAE戦で、日本代表史上6人目となる通算100試合出場を達成。

2017年3月に負った怪我や手術の影響で代表の試合にしばらく出場出来なかったが、W杯出場の懸かった8月31日のアジア3次予選・オーストラリア戦で代表復帰。キャプテンとしてフル出場を果たし、2大会連続キャプテンとしてW杯出場に貢献した。

2018年6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出され、W杯3大会連続出場を果たす。ダブルボランチの一角としてグループリーグ3試合に出場し、キャプテンとしてGL突破に貢献。しかし、チームは決勝トーナメント1回戦で敗れてベスト16止まりに終わり、自身のインスタグラムにてこの大会限りでの代表引退を表明した。3大会でW杯11試合出場は、川島永嗣長友佑都と並び日本人最多出場となった。

プレースタイル

センターハーフを本職としつつサイドでの起用にも対応する高い戦術理解力と抜群の安定感を兼ね備える。

浦和時代は繊細なボールタッチを持ち味とする司令塔として活躍したが、ヴォルフスブルク移籍後は中盤の攻撃的な位置や守備的な位置に加え、右サイドバックやセンターバックに入ることもできるユーティリティプレイヤーに進化。持ち前のテクニックに加え、欧州仕様のフィジカルと対人プレーの強さを体得し、守備でも危険察知能力、カバーリングが成長した。

フランクフルト時代に長谷部を指導したニコ・コバチは「3バックの中心としても、ボランチとしても常に我々の助けとなってくれる存在だ。誠はどこで起用されても、決して不平不満を口にすることなく、常に力を出しつくす、なんでもできる、疲れ知らずの選手なんだ。ぜひ強調しておきたいのだが、彼はまさに『ソルジャー』というタイプの選手だよ」と評価している。

エピソード

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

【国内大会個人成績】

【年度】
【クラブ】
【背番号】
【リーグ】
【リーグ戦】
リーグ杯
オープン杯
【期間通算】

【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】

日本 【リーグ戦】
リーグ杯
天皇杯 期間通算
2002 | 浦和 | 32 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0
2003 | 17 | 28 | 2 | 9 | 1 | 1 | 1 | 38 | 4
2004 | 27 | 5 | 8 | 2 | 4 | 2 | 39 | 9
2005 | 31 | 2 | 9 | 2 | 5 | 2 | 45 | 6
2006 | 32 | 2 | 6 | 0 | 4 | 1 | 42 | 3
2007 | 31 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 34 | 1
ドイツ 【リーグ戦】
【リーグ杯】
DFBポカール 期間通算
2007-08 | ヴォルフスブルク | 13 | ブンデス1部 | 16 | 1 | - | 1 | 0 | 17 | 1
2008-09 | 25 | 0 | - | 2 | 0 | 27 | 0
2009-10 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1
2010-11 | 23 | 0 | - | 1 | 0 | 24 | 0
2011-12 | 23 | 1 | - | 1 | 0 | 24 | 1
2012-13 | 23 | 2 | - | 4 | 0 | 27 | 2
2013-14 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0
ニュルンベルク | 15 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0
2014-15 | フランクフルト | 20 | 33 | 0 | - | 2 | 0 | 35 | 0
2015-16 | 32 | 1 | - | 2 | 0 | 34 | 1
2016-17 | 22 | 1 | - | 3 | 0 | 25 | 1
2017-18 | 24 | 0 | - | 5 | 0 | 29 | 0
【通算】
【日本】
J1 149 | 12 | 35 | 5 | 15 | 6 | 199 | 23
【ドイツ】
ブンデス1部 260 | 7 | - | 22 | 0 | 282 | 7
総通算 409 | 19 | 35 | 5 | 37 | 6 | 481 | 30

その他の公式戦

【国際大会個人成績】

【年度】
【クラブ】
【背番号】
【出場】
【得点】
【出場】
得点
AFC
ACL
クラブW杯

2007 | 浦和 | 17 | 11 | 2 | 3 | 0
UEFA
UEFA EL
UEFA CL

2008-09 | ヴォルフスブルク | 13 | 6 | 1 | -
2009-10 | 2 | 0 | 6 | 0
【通算】
AFC 11 | 2 | 3 | 0
【通算】
UEFA 8 | 1 | 6 | 0

その他の国際公式戦


タイトル

クラブ

浦和レッズ
ヴォルフスブルク
フランクフルト

代表

日本代表

個人

2010Happy Mail