このキーワード
友達に教える
URLをコピー

関東地方とは?

関東地方のデータ
【1都6県の合計】


日本
面積
32,423.90km
推計人口
43,399,777
(2018年10月1日)
人口密度
1,338.5人/km
(2018年10月1日)
【位置】


関東地方(かんとうちほう)は、日本の地域区分のひとつであり、本州の東部に位置している。その範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県の16を指して関東地方と呼ぶ。

首都・東京を擁する関東地方は日本の政治・経済の中心となっており、日本の総人口の3分の1が集中している。

現代の関東地方が「関東」と呼称されるに至った経緯については「関東」を参照

首都圏整備法が定義する「首都圏」には、関東地方に山梨県を加えた1都7県が含まれる。また、「関東地方知事会」には、首都圏1都7県に加えて、中部圏知事会議にも加わっている静岡県長野県の両県知事がオブザーバー参加している。関東地方は人口・面積が多数・広大なので、利根川を境界線に北を北関東(茨城県・栃木県・群馬県)地方、南を南関東地方(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)に分割することもある。

目次

  • 1 地理
    • 1.1 位置
    • 1.2 自然地理
    • 1.3 気候
  • 2 歴史
    • 2.1 先史時代
    • 2.2 古代
    • 2.3 中世
    • 2.4 近世
    • 2.5 近代
    • 2.6 現代
  • 3 地域
    • 3.1 関東地方内の区分
    • 3.2 地域別の特徴
      • 3.2.1 南北に分けた場合
      • 3.2.2 東西に分けた場合
    • 3.3 隣接する県を編入する例
    • 3.4 その他の例
  • 4 経済
    • 4.1 経済の全体的傾向
    • 4.2 第一次産業
      • 4.2.1 農業
      • 4.2.2 畜産業
      • 4.2.3 漁業(水産業)
    • 4.3 第二次産業
      • 4.3.1 鉱業
      • 4.3.2 工業
      • 4.3.3 建設業
    • 4.4 第三次産業
      • 4.4.1 商業
      • 4.4.2 金融
      • 4.4.3 サービス
  • 5 交通
    • 5.1 幹線交通網
    • 5.2 鉄道
      • 5.2.1 東京都
      • 5.2.2 その他
        • 5.2.2.1 JR東日本
        • 5.2.2.2 JR東海
        • 5.2.2.3 私鉄・第三セクター
      • 5.2.3 県庁所在地の近郊路線
    • 5.3 道路
    • 5.4 バス
    • 5.5 航空
    • 5.6 海運
    • 5.7 東京から主な都市への道のり
  • 6 娯楽
    • 6.1 スポーツ
    • 6.2 芸能
  • 7 テレビジョン放送
  • 8 言語・方言
  • 9 人口・面積
    • 9.1 年齢構成
    • 9.2 主要都市
  • 10 脚注
  • 11 参考文献
  • 12 関連項目

地理

関東地方
関東地方の主要地形

位置

日本最大の平野「関東平野」が中央に広がり、北西側は山岳地帯、東南側は太平洋に面する。関東の東部には房総半島(千葉県)、南部には三浦半島(神奈川県)が太平洋に突き出しており、房総半島と三浦半島の間に東京湾、三浦半島と真鶴半島の間に相模湾を形成する。また、地理的な一体性は薄いが旧伊豆国である東京都島嶼部も東京都の管轄下にあるため、行政的には関東地方である。なお関東地方には山梨県を含むケースもあるが、ここでは取り上げない。

【位置】
【市区町村(本州島内)】
市区町村(離島を含む)
最東端 | 銚子市(千葉県) | 小笠原村(南鳥島、東京都)
最西端 | 嬬恋村(群馬県) | 小笠原村(沖ノ鳥島、東京都)
最南端 | 南房総市(千葉県) | 小笠原村(沖ノ鳥島、東京都)
最北端 | 那須塩原市(栃木県) | 那須塩原市(栃木県)

沖ノ鳥島(無人島)は日本の最南端であるため、関東地方は日本の最東・最南端とも言える。

自然地理

関東平野の表層地質第四紀沖積層洪積層であり、平野部やその周辺の標高約500〜900mの低山の植生は常緑広葉樹林帯。箱根で約900m、丹沢高尾で約800m、奥多摩奥武蔵奥秩父で約700m、西上州赤城山足尾山地筑波山で約600m、北毛那須の山地で約500mが、照葉樹林の分布限界である。

また、常緑広葉樹林の上にはブナシラカバミズナラなどの落葉広葉樹林が広がる。しかし、千葉県は標高が低いため成立しない。茨城県には筑波山山頂周辺と、北部の山の一部にしか広がっていない。

また、落葉広葉樹林の上にはシラビソダケカンバなどの針葉樹林が落葉広葉樹林の下限から約1100m高い標高から広がるが、千葉県はもちろん、茨城県や神奈川県にも標高が低いため成立しない。東京都には雲取山周辺の僅かな面積にしか広がっていない。

北端には帝釈山脈高原山那須連山八溝山三国山脈、西端には関東山地(奥秩父山塊もこの一部)などの山地がそびえて、各隣接地方へ繋がる。日本最大の平野である関東平野が広がり、塩那丘陵をはさんでその直ぐ北には那須岳山麓に広がる日本最大級の扇状地那須野が原、東側には上総台地を挟んで千葉県の海岸沿いには九十九里平野が広がる。千葉県南部は房総丘陵で、茨城県の霞ヶ浦周辺は常総台地常陸台地になっている。群馬県や埼玉県秩父地方などは盆地になっている。荒川江戸川などの各河川は東京湾へ注ぎ、鬼怒川利根川(「坂東太郎」とも呼ばれた)は犬吠埼で太平洋へ注ぐ。

東京湾は、房総半島と三浦半島に囲まれ、千葉県の西側、東京都の一部と神奈川県の東側に面して、浦賀水道から太平洋に接する。沿岸部は工業地帯になっている。神奈川県の南側は相模湾・相模灘に、茨城県の沿岸は鹿島灘に面する。また、相模湾には、二回の関東地震の震源地となった相模トラフが通っているために、各地で地震対策にも力が入れられている。

最高地点は、栃木県日光市と群馬県片品村との境にある日光白根山(奥白根山)山頂。日本の都道府県の最高地点としては、八番目に高い。また、関東以北(関東・東北・北海道)の最高地点でもある。都道府県の最高地点は埼玉県が三宝山 (2483m)、東京都が雲取山(2017m)、神奈川県が蛭ヶ岳 (1673m)、茨城県が八溝山 (1022m)、千葉県が愛宕山(408m)である。千葉県の愛宕山は、各都道府県の最高峰の中では最も低い。

「首都圏」といわれる地方でありながら、自然環境に恵まれているといえる。自然公園面積の割合は、東京都が全国第二位、埼玉県が第四位、神奈川県が第十位である。

関東地方の自然
山地 | 

山 | 

島 | 

川 | 

 | 

湖沼 | 

海浜 | 

国立公園 | 

国定公園 | 


気候

気候」も参照

歴史

ヤマトの最東方に位置するフロンティアの地から、武士の王国、そして日本の中心地へと、関東地方は変遷した。

先史時代

関東地方に人が住みはじめたのは旧石器時代であった。群馬県の岩宿遺跡からは、関東ローム層から旧石器時代の物とされるナイフ形石器が発見されているが、関東ローム層の酸性土壌のために、人骨などは見つかっていない。

縄文時代の関東地方は温暖な環境に恵まれ、縄文人は関東各地に大型集落を営んだ。当時の環境では西日本より東日本の方が漁労採集には適しており、縄文時代の南関東は日本列島で最も人口密度の高い地域であったと推測されている。縄文海進の時期には、現在の茨城県中南部の低地、千葉県北部のうち下総台地以外の地域、東京23区の東部、埼玉県の東南部は海であった。内陸に入り込んだ遠浅の海はよい漁場となり、現在海岸から離れている地域にも加曽利貝塚を筆頭に巨大貝塚が形成された。

弥生時代になると埼玉県全土が陸地化し、東京23区東部でも一部が陸地化した。関東でも水田稲作が行われるようになり、多摩川流域や相模平野を中心に農耕が行われていたと思われる。海面の後退と土砂の堆積により、まだ東京湾に流れ込んでいた利根川の下流域に広大な沖積平野が生まれるが、当時の幼稚な灌漑技術では耕地化できなかった。関東ローム層に覆われた台地は水源に恵まれないため、まだ深い森であった。

古代

古代、4世紀頃には既にヤマト王権が関東地方を勢力下に置いていたとされるが、その根拠の一つが、関東にも存在する前方後円墳で、これはヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。関東南部の旧入間川(荒川) - 旧荒川(元荒川) - 旧利根川(古利根川) - 旧渡良瀬川(江戸川) - 毛野川(鬼怒川)に至る地域は、古代は低湿地帯であり、香取海の水は現在の千葉県北西部・茨城県南西部にまで広がっており、現在では関東平野の中央部にあたるこれらの地域と外洋は香取海を通じてつながっていた。したがって、概して当時の関東はこの低湿地帯の北部にあたる毛野川流域地域(毛野国)とその南部地域(无射志国)に分かれていたと考えられる。毛野国は、筑紫国吉備国に比肩する大国であったといわれる。ただし毛野国は記紀に上毛野国造(上毛野氏)と下毛野国造(下毛野氏)に分かれた形で登場している。上毛野氏は現在の群馬県中部から南部、下毛野氏は那須地方を除く栃木県中南部に勢力を持ったとみられている。この毛野氏一族は天武天皇から朝臣姓を賜るなどヤマト王権と関係が深く、毛野一族は蝦夷対策や朝鮮半島政策での将軍に任命されており、律令制以前に軍事を司った豪族だったとみられる。また奈良時代下毛野朝臣古麻呂が登場し、大宝律令の作成に関与している。古麻呂が創建したと伝える下毛野氏氏寺・下野薬師寺は、奈良東大寺大宰府観世音寺と並ぶ三戒壇に指定されている。一方、上総国下総国安房国の房総半島は(ふさ)と呼ばれ、『古語拾遺』によると、四国から渡来した忌部氏が開拓したという。これらの諸国を一括する語が「吾妻」である。記紀神話では、日本武尊の説話が起源とされているが(「あづまはや」という嘆きの詞)、元々は当地の神話であった物を取り込んだ可能性がある。その傍証として、天武10年(681年)に詔を受けて史書編纂に従事した群臣のうち、王族を除くトップは上毛野君三千であった。なお、上総国・下総国・常陸国には、阿波忌部氏に続き神八井耳命の血を引く肥後国造の一族である多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、鹿島神宮を建立し氏神されたという鹿島の元本宮伝承などが存在する。また、香取神宮もこの際に出雲系の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが起源だとする伝承がある。

宋書倭国伝』の武(雄略王に比定する説が有力)の上表文に「祖先が東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を征すること六十六国」と記されていることから、5世紀頃の関東地方には国と認識されるものが複数存在したことが記されている。『梁書』などの「扶桑國」「女國」、『旧唐書』に登場する「毛人國」、唐代の漢詩に見える「扶桑東更東」といった地域を関東に比定する説がある。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文中の「大王」も、畿内ではなく関東にいた首長を指すとする立場(古田武彦井上秀雄鶴岡静夫ら)もある。太田天神山古墳のような巨大古墳や、金鈴塚古墳のような豪華な副葬品を持つ古墳が築造された。このように、関東地方は、古墳時代には、畿内に比肩しうる王権を確立していたとも考えられている。

律令制五畿七道の交通網について、関東には畿内から陸奥国に伸びる東山道と、同じく畿内から伸びて三浦半島から海路房総半島に出て香取鹿島に向かう東海道が整備されたと言われる。「関東」は、京の防備のために設けられた東海道の伊勢国鈴鹿関(鈴鹿峠)、東山道の美濃国不破関(関ケ原)、北陸道越前国愛発関(愛発山、あらちやま)の三関から東の全域を指した。その中でもとりわけ、「東海道の足柄関(箱根峠)から東の国」と「東山道の碓氷関(碓氷峠)から東の国」が、関東地方に当たる。陸奥国(東北地方太平洋側)との境には、白河関勿来関が設置された。関東地方には、西から順に相模国武蔵国、下総国、上総国、安房国、常陸国、上野国、下野国の8つの令制国が設置され、分割統治された。古くは坂東(ばんどう)といわれた。坂東は信濃国と上野国の界にあたる碓日嶺と、駿河国と相模国の界にあたる足柄坂の東の意味である。

大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは新羅が権勢を揮い、663年には百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗も668年に同様に滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡新羅郡新座郡)。

律令時代の関東は配流の地でもあり、斑鳩や奈良に本拠地を置く畿内政権からは、「都からは遠く、自力で帰るのが難しい地方」と見られており、特に安房国と常陸国は、「遠流」の地ともいわれ、北九州へ向かう防人も関東から多く徴用され、それを象徴する語に「鹿島立ち」があるとされる。

平安時代には、親王任国には、常陸国、上総国、上野国が親王任国に設定された。11世紀頃に成立した『更級日記』などに、松戸幕張、利根川、武蔵野等の情景が描かれている。

平安時代中期には都から渡ってきた下級貴族が武士化し、開発領主として関東各地で開拓を進める流れが生まれる。10世紀には親王任国が半制度化し、下総国、常陸国、上野国には桓武系平氏を中心に平家武士が増加、その一人である平将門は自ら天皇と称し、関東の独立を目指して蜂起すると、下野国押領使藤原北家魚名流藤原秀郷は朝廷の意向をもってこれを討伐した。概ね北関東以北は藤原北家や清和源氏(河内源氏)を出自とする領主、南関東は平氏を出自とする領主が支配した。

この頃、関東は「あづま」(畿内から見て東なので「東」の字が充てられる)と呼ばれ、関東の武将たちは、その勇猛さから「あづまえびす」(東夷)と侮蔑的に呼ばれた。将門の独立志向が、その後の関東の武士政権への道を開いたことを、網野善彦は指摘している。

中世

平安末期の関東地方は、中小の武士団が割拠した。北関東は藤原北家流諸氏(那須諸氏宇都宮氏小田氏小山氏結城氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏新田氏佐竹氏)、南関東は桓武平氏流諸氏(鎌倉党三浦党秩父党千葉党など)や武蔵七党(小野姓横山党など)が領有した。彼らは相馬御厨など土地の支配権をめぐって相互に争った。源頼朝鎌倉幕府を樹立する際に中核となったのは、このような関東武士団であった。

関東の武士は承久の乱の後、地頭として西日本各地に移住する。三浦千葉渋谷二階堂葛西など、関東地方の地名に由来する苗字が九州のような遠方にも多数分布するのはこのためである。

南北朝時代には、室町幕府(源氏政権)の出仕機関である鎌倉府が同じく鎌倉に置かれ、鎌倉公方(源氏)を関東管領(主に藤原勧修寺家流)が補佐、さらに関東八屋形(藤原北家流6氏・源氏流1氏・平氏流1氏の計8氏)が各領土内での実権を有した。事実上、東国武家政権の伝統を引き、東日本を広く管轄した。

室町時代には、鎌倉公方は室町幕府(源氏)と対立し、これに、関東管領の上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった。その結果、大きな戦いだけでも、

と相次ぎ、小規模なものも含めれば、関東地方は連年続くことになった戦争によって荒廃した。一連の戦いによって関東管領・鎌倉公方(古河公方)をはじめ、関東の各氏は勢力が衰え、戦国時代にはこれに乗じた小田原北条氏(後北条氏=伊勢平氏を称す)が台頭し、関東各地を次々と支配下に置いた。対抗勢力としての上杉氏は河越夜戦に敗れた。

16世紀後期には小田原北条氏の勢力圏は関東地方の西半分をはじめ広範な地域におよび、それに対して東部地域では里見氏、佐竹氏、宇都宮氏がこれに抗し領土を守った。最終的に朝廷の意向を受けた豊臣秀吉が鎮圧に乗り出し、小田原征伐によって小田原北条氏は滅亡、同氏に従っていた千葉氏・小山氏などの旧家も運命をともにした。小田原北条氏の旧領には徳川氏が入り、後にそれがそのまま江戸幕府の勢力基盤として継承されたこと、小田原征伐で中央政権に服属して安堵を受けた里見氏、佐竹氏、宇都宮氏などもその後の中央政権の動向に巻き込まれてその後20年余りのうちに関東の領有権を没収されていったことから、この変動が生じた天正18年(1590年)を関東地方における中世と近世の画期として捉えられている。ただし、従来の支配体系が全否定された訳ではなく、小田原北条氏の拠点になった城の動向を見ても徳川氏の本拠となった江戸城小田原城川越城などのように近世以後も継承されたもの、箕輪城(→高崎城)、唐沢山城(→佐野城)、本佐倉城(→佐倉城)のように領国支配の安定に伴う新城築城まで用いられ続けたもの、八王子城鉢形城栗橋城のように廃城になったものなど様々であり、単純に天正18年を中世と近世の「断絶」とみなす考え方は、継承したものと断絶したものが混在していた地域の実情を見誤る危険性をはらんでいる。

近世

江戸時代には、関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指した。関八州を得た徳川家康駿府(現:静岡市駿河区葵区の一部、市制施行時の静岡市)から江戸(現:東京都区部の一部、のちに東京市となる東京府区部にほぼ相当)に本拠地を移した。

この時期には測量技術の発達を背景に、中世までには考えられなかったような大規模な干拓や灌漑が実施できるようになり、大規模な土木事業が次々と実施された。家康は江戸湾に注ぐ利根川・渡良瀬川水系を毛野川水系に纏め、現在の利根川水系の原型を形造る利根川東遷事業を進めた。この事業によって江戸付近の雨期の河川氾濫を治め、旧利根川・旧渡良瀬川の下流 - 河口地帯を干拓して江戸の町の基盤を作った。こうして家康は江戸幕府を樹立し、江戸は水路を周囲に巡らす世界屈指の大都市となった。

その後は椿海の干拓、三富新田開拓などの新田開発が進み、荒川や利根川下流の低湿地や武蔵野の大半が耕地化され、関東地方の農業生産力は激増した。幕府は畿内からの先進技術や人材の導入に努め、当初は大坂からの移入に頼っていた物産(酒、木綿、醤油など)の多くも、江戸時代中期頃には関東の地場生産品で賄えるようになり(江戸地廻り経済圏の確立)、江戸には天明文化や化政文化の華が開いた。

江戸時代の関東地方は、まさに徳川氏のお膝元であった。徳川御三家の一つ・水戸徳川家が治める水戸藩、徳川氏の側近が治める川越藩など、関東各地には徳川氏の血縁者や譜代大名旗本が治める(地方王国)が樹立され、日光神領などの天領を含め、徳川家の支配地となった。また、日光(日光東照宮)や鹿嶋(鹿島神宮)や成田(成田山新勝寺)といった門前町も盛えた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/12/11 19:42

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「関東地方」の意味を投稿しよう
「関東地方」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

関東地方スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「関東地方」のスレッドを作成する
関東地方の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail