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阪急電鉄とは?

阪急阪神東宝グループ > 阪急阪神ホールディングス > 阪急電鉄
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出典検索: "阪急電鉄"ニュース 書籍 スカラー CiNii J-STAGE NDL dlib.jp ジャパンサーチ TWL
(2015年12月)

阪急電鉄株式会社
Hankyu Corporation

本社

種類
株式会社
【略称】
阪急、阪急電車
【本社所在地】
日本
530-8389
大阪府大阪市北区芝田一丁目16番1号
【本店所在地】
563-0056
大阪府池田市栄町1番1号(※1)
【設立】
1989年(平成元年)12月7日(※2)
(株式会社アクトシステムズ)
業種
陸運業
法人番号
7120901021811
【事業内容】
都市交通事業(旅客鉄道事業)
不動産事業
創遊事業(エンタテインメント・コミュニケーション事業)
流通事業 他
【代表者】
角和夫(代表取締役会長)
杉山健博(代表取締役社長)
【資本金】
1億円
【発行済株式総数】
800株
【売上高】
1873億71百万円
(2020年3月期)
【営業利益】
477億85百万円
(2020年3月期)
【純利益】
278億54百万円
(2020年3月期)
【純資産】
2209億46百万円
(2020年3月31日現在)
【総資産】
1兆518億24百万円
(2020年3月31日現在)
【従業員数】
3103人(2019年3月31日現在)
【決算期】
3月31日
【主要株主】
阪急阪神ホールディングス 100%
(2018年3月31日現在)
【関係する人物】
岩下清周
小林一三
佐藤博夫
太田垣士郎
清水雅
小林米三
小林公平
小林公一
【外部リンク】
https://www.hankyu.co.jp/
特記事項:※1:登記上の本店所在地。池田駅にある。
※2:2005年4月1日、同日に純粋持株会社に移行した(旧)阪急電鉄株式会社(現商号は阪急阪神ホールディングス株式会社)より吸収分割にて事業を承継、阪急電鉄分割準備株式会社より現商号に変更(分割準備会社であったのは不動産事業における宅地建物取引業免許の事前取得を要したことによる)。創立は1907年10月19日

阪急電鉄株式会社(はんきゅうでんてつ、: Hankyu Corporation)は、大阪梅田神戸宝塚京都を結ぶ鉄道を経営する会社。阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。略称は阪急。他の関西の大手私鉄同様に阪急電車とも呼ばれる。日本の大手私鉄の一つである。

本社は大阪府大阪市北区、登記上の本店所在地は大阪府池田市栄町1番1号(池田駅の所在地)である。平均利用者数約177万人/日、営業キロは143.6 km(第二種鉄道事業区間含む)に及ぶ。また、女性のみの団員で構成される劇団「宝塚歌劇団」を運営していることでも知られる(「その他の事業」の節も参照)。

スルッとKANSAIレールウェイカードでカードに印字される符号については、花隈駅のみKK、それ以外の駅はHKである。

三水会及びみどり会の会員企業であり三和グループに属している。なお阪急阪神東宝グループのメンバーでみどり会の加盟企業は他に東宝阪急阪神百貨店阪急阪神ホテルズ阪急阪神不動産があるが、三水会の加盟企業は阪急電鉄のみである。

歴史

阪急電鉄が運営している鉄道事業は、1907年(明治40年)に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線箕面線にあたる梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 宝塚間、石橋駅(現在の石橋阪大前駅) - 箕面間を開業したのが始まり。創業者の小林一三は経営安定のため沿線開発に力を入れ、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在の宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開した。

続いて阪神間の輸送に参入。1918年(大正7年)、社名を阪神急行電鉄に改称。後に正式社名にも採用され現在まで続く略称の「阪急」はこれに由来する。阪神間に参入したことで、以後既に阪神間で都市間連絡電車を営業していた阪神電気鉄道とは競合関係となる一方で駅間隔などで棲み分けがなされ、協調関係ともなった。1920年(大正9年)に神戸本線十三 - 神戸(後の上筒井)間を開業し、1936年(昭和11年)には神戸市内の三宮へ高架線で乗り入れた。

なお、「電鉄」という語は、「電気鉄道」という語を商号に使用することに、鉄道省があくまで軌道法準拠の「電気軌道」であることを根拠として難色を示したことから、対策として小林一三が考え出した語で、以後軌道法監督下の各社が高速電気鉄道への脱皮を図る際に有効活用されることとなった。

1929年(昭和4年)に梅田駅に世界初となるターミナルデパートである阪急百貨店を開業した。電鉄系百貨店の先駆けとなる存在である。

このように阪急は鉄道事業に留まらず、百貨店事業・沿線の住宅開発(不動産)・宝塚歌劇団といった多角経営を行った。これらの事業は本業の鉄道事業とともにシナジー効果を高め、阪急の多角経営は日本の私鉄(特に大手私鉄)やJRの経営モデルとして多大な影響を与えた。

1943年(昭和18年)、陸上交通事業調整法により京阪電気鉄道と合併、京阪神急行電鉄となる(この経緯については「阪神急行電鉄#京阪電気鉄道の統合と分離」も参照)。なお、このとき公式の略称は「阪急」のまま変わらず、「京阪」の略称も引き続き使用され、大阪市電の電停名でも「阪急阪神前」(梅田)・「京阪前」(天満橋)・「京阪神急行前」(天六)などと、混合して用いられていた。

戦後の1949年(昭和24年)、旧京阪電鉄は京阪神急行電鉄からの分離、独立に舵を切り始めた。その際に行われた役員会において、1944年(昭和19年)から行われていた新京阪線電車の梅田駅乗り入れを踏まえ、日本国有鉄道も加わった協議の結果、京阪神地域の将来を見据えて、「実質的な新京阪線の神戸・宝塚への延伸」という考え方から、新京阪の路線は阪急側へ割譲されることとなった。1949年12月、旧京阪電鉄の京阪本線交野線宇治線京津線石山坂本線の5路線が分離されて京阪電気鉄道(現在の京阪ホールディングス)として再発足した。京阪神急行電鉄に残った新京阪線は京都本線となった。

1959年(昭和34年)、梅田 - 十三間が3複線化され、京都本線のターミナルが天神橋駅(現・天神橋筋六丁目駅)から梅田駅になる。十三線は京都本線へ編入された。

1967年(昭和42年)に千里山線が北千里駅まで延長され千里線と改称された。1973年(昭和48年)、阪急電鉄に社名を変更した。

1992年(平成4年)、後にスルッとKANSAIへ発展するラガールカードによるストアードフェアシステムラガールスルー」を開始する。

しかし、バブル崩壊で小林公平が主導した茶屋町地区などの再開発事業(ちゃやまちアプローズ)の失敗による巨額の損失を蒙った。追い討ちをかけるように、1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災では、神戸本線・伊丹線・今津(北)線などが甚大な被害を受けたが、同年6月12日にほぼ全線が復旧、1998年(平成10年)には伊丹駅も再建された。

震災以降も、生産年齢人口の減少や娯楽の多様化、少子高齢化などの影響により輸送人員は減少。不動産・ホテル事業の再編や、宝塚新温泉以来90年以上の歴史を持つ遊園地「宝塚ファミリーランド」の閉園、ポートアイランドにあった「神戸ポートピアランド」からの事業撤退(その後暫くは神戸市の手で運営を継続ののち、2006年(平成18年)閉園)など、グループ事業の再編が進められる。その集大成として、2005年(平成17年)4月1日に、旧・阪急電鉄から鉄道、不動産、レジャー、流通の4事業を分割承継する新・阪急電鉄(阪急電鉄分割準備(株)〈1989年設立〉から商号変更)と、ホテル経営を統括する阪急ホテルマネジメント、旅行業の阪急交通社の直営事業会社2社の合わせて3社に再編し、旧・阪急電鉄は持株会社として阪急ホールディングスに移行した(2006年10月1日には阪神電気鉄道と経営統合し、阪急ホールディングスは阪急阪神ホールディングスとなった。詳しくは「阪急・阪神経営統合」を参照)。

2007年(平成19年)10月19日に創業100年、2010年(平成22年)3月10日に開業100年を迎えた。

年表

箕面有馬電気軌道

阪神急行電鉄

阪急百貨店うめだ本店
(建替え工事開始前)
旧阪急梅田駅コンコース
※現存せず

京阪神急行電鉄

阪急電鉄

阪急阪神ホールディングス誕生記念ヘッドマークを掲出した6000系電車。雲雀丘花屋敷駅ホームにて
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