このキーワード
友達に教える
URLをコピー

阪神甲子園球場とは?

移動先: 案内検索
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium
甲子園球場

阪神甲子園球場(2009年8月13日)
第91回夏の高校野球徳島北×日大三戦の試合風景
兵庫県の地図を表示
日本の地図を表示

【施設データ】

【所在地】
日本 兵庫県西宮市甲子園町
1番82号
【座標】
北緯34度43分16.34秒 東経135度21分41.84秒 / 北緯34.7212056度 東経135.3616222度 / 34.7212056; 135.3616222座標: 北緯34度43分16.34秒 東経135度21分41.84秒 / 北緯34.7212056度 東経135.3616222度 / 34.7212056; 135.3616222
【開場】
1924年(大正13年)8月1日
【所有者】
阪神電気鉄道
【管理・運用者】
阪神電気鉄道
【グラウンド】
外野 - 天然芝
内野 - 土
【ダグアウト】
ホーム - 一塁側
ビジター - 三塁側
【照明】
屋根上投光器照明 - 2基、照明塔 - 4基
照度 - バッテリー間:2500ルクス
内野:2500ルクス
外野:2000ルクス
【建設費】
250万円(着工当時)
【設計者】
大林組
【建設者】
大林組
【旧称】
甲子園大運動場(開場 - 1929年?)
甲子園球場(1929年? - 1964年2月13日)
【使用チーム ・ 開催試合】

全国高等学校野球選手権大会(1924 年・第10回大会 - 現在)
選抜高等学校野球大会(1925年・第2回大会 - 現在)
阪神タイガース(1936年 - 現在)
毎日甲子園ボウル(1947年・第1回大会 - 現在)
日本フットボール優勝大会(1925年・第8回大会 - 1928年・第10回大会)
南海ホークス(1948年 - 1949年)
社会人野球日本選手権大会(1974年・第1回大会 - 1979年・第6回大会)
【収容能力】

47,508人(内野:28,465席、外野:19,043席)

【グラウンドデータ】

【球場規模】
グラウンド面積 - 約13,000 m
両翼 - 95 m (約311ft)
中堅 - 118 m (約387 ft)
左右中間 - 118 m (約387 ft)
【フェンス】
2.6 m

阪神甲子園球場(はんしんこうしえんきゅうじょう)とは兵庫県西宮市甲子園町に在る野球場。通称「甲子園球場」または「甲子園」。阪神電気鉄道が所有している。

目次

  • 1 概要
  • 2 沿革
    • 2.1 建設の経緯
    • 2.2 周辺の開発と戦火
    • 2.3 戦後
    • 2.4 大改修
    • 2.5 年表
  • 3 21世紀の大改修
    • 3.1 基本構想の発表
    • 3.2 工期短縮公表
    • 3.3 第1期改修
    • 3.4 第2期改修
    • 3.5 第3期改修
  • 4 球場データ
  • 5 球場設備
    • 5.1 スタンド
      • 5.1.1 座席区分
      • 5.1.2 銀傘
    • 5.2 フィールド
      • 5.2.1 土
      • 5.2.2 芝
      • 5.2.3 マウンド
      • 5.2.4 ベンチ
      • 5.2.5 フェンス
    • 5.3 ブルペン
    • 5.4 室内練習場
    • 5.5 ナイター設備
    • 5.6 蔦・外壁
    • 5.7 スコアボード・バックスクリーン
      • 5.7.1 歴史
      • 5.7.2 表記
    • 5.8 甲子園ライナービジョン
    • 5.9 広告
    • 5.10 歴史館
    • 5.11 野球塔
      • 5.11.1 初代
      • 5.11.2 2代
      • 5.11.3 3代
    • 5.12 ミズノスクエア
  • 6 ギャラリー
  • 7 浜風
  • 8 プロ野球に関するエピソード
  • 9 プロ野球・高校野球以外での使用
    • 9.1 社会人野球
    • 9.2 WBSC U-18ワールドカップ
    • 9.3 フットボール
    • 9.4 連合体育大会
    • 9.5 その他のイベント
    • 9.6 ロケーション撮影
      • 9.6.1 映画
      • 9.6.2 テレビ番組
      • 9.6.3 CD・DVD
    • 9.7 公開放送
  • 10 交通機関
    • 10.1 列車・バス
    • 10.2 自家用車
  • 11 脚注
  • 12 関連文献
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

概要

兵庫県西宮市に全国中等学校優勝野球大会の開催を主目的として建設された、日本で最初に誕生した大規模多目的野球場であり、収容人数は日本の野球場の中で最大である。プロ野球セ・リーグ阪神タイガース本拠地球場であるほか、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)および選抜高等学校野球大会(春の甲子園)という2大高校野球全国大会が戦前から優先的に開催されており、大学野球における明治神宮野球場(神宮球場)と並び、日本国内では「野球の聖地」と見做されている。この球場の名称である「甲子園」は高校野球全国大会の代名詞となっている。そのことに端を発して、今や野球に留まらず高校生の各種全国大会の代名詞や、全国各地域が競うイベントの名称として「○○甲子園」などと使われることがある。大学野球の試合にも使用され、毎年春・秋に開かれる関西六大学野球連盟と、関西学生野球連盟リーグ戦の一部試合が当球場にて実施されている。野球以外では、アメリカンフットボールの全日本大学選手権の決勝戦である甲子園ボウルが開催されている。

2007年秋より、老朽化対策、耐震補強、快適性の向上、環境への配慮を目的に3年計画でオフシーズンのみの改修工事を進め、2009年春に球場本体の改修工事が完了、2010年春には外構整備工事を完了させ、大幅にリニューアルした。また、2008年からは野球場としては日本では珍しいオフィシャルスポンサー制度を採用しており、2015年3月現在はアサヒビール東芝ミズノ(以上3社は当初より)・三菱電機(2009年より)・セブン-イレブン(2015年より)の5社がスポンサーとなっており、いずれの企業も施設命名権ないし球場設備に関わっている(2008年から2012年までみずほ銀行、2010年から2014年まで本田技研工業も参加)。

紙テープ、紙吹雪、ウェーブによる応援は常時禁止されている。また周囲が住宅地であるため、環境に配慮して午後10時以降はトランペット太鼓を使った鳴り物応援は禁止となる。ただし、タイガース勝利時の「六甲おろし」は午後10時以降でも合唱される。

この球場の広さから、関西では敷地などの面積を示す際に慣用単位として「甲子園球場△個分」という表現が使用されることがある。

なお、『阪神甲子園球場』は1995年に阪神電気鉄道により商標登録されており、2012年には『甲子園』(野球用途に限る)も同様に商標登録されている。

沿革

1935年当時の甲子園球場。外野スタンド改築前の姿

建設の経緯

大正年間に始まった全国中等学校優勝野球大会は、豊中球場に始まり第3回大会から兵庫県武庫郡鳴尾村(1951年に西宮市と合併)にある鳴尾球場で開催されていたが、人気の高まりにつれ同球場の仮設スタンドでは大勢の観客を収容しきれなくなっていた。後に試合中に観客がグラウンドになだれ込んで試合が中断するという事態にまで発展し、特に1923年第9回大会では鳴尾球場に近い地元甲陽中が決勝戦で和歌山中との近畿対決を制したことから、中等学校野球人気がピークに達した。

この事態を重く見た主催の大阪朝日新聞は、本格的な野球場建設を提案。また鳴尾球場の所有者である阪神電鉄も、鳴尾球場と同じ鳴尾村に流れていた申川(さるかわ・武庫川の支流)と枝川を廃川とした後にできた埋め立て地の開発の一環で新球場の計画を進めていて利害関係が一致した。当時国内にあった野球場では参考になるものがなく、ニューヨークにあったニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言われている。完成するまでの名称は枝川運動場だったが大正13(1924)年が十干十二支の最初の組み合わせである甲子年(きのえねとし)という縁起が良い年という事もあり後に甲子園大運動場(こうしえんだいうんどうじょう、看板表記は阪神電車甲子園大運動場)と命名。起工式は1924年3月11日に行われ、同年8月1日に竣工式が行われた。

当初は陸上競技場球技場としても利用されることを念頭に設計されたため、グラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びるという形状で、中堅119ないし120m・両翼110mに対し左右中間が128mもあるという、現在の目から見ても過大といえるサイズとなった。さらに1934年にはホームベースがさらに9mほど下げられたため、同年の日米野球に出場したベーブ・ルースをして"too large(デカすぎだ)"と驚かせている。開設当時はまだ外野も土のままであった。また、スタンドは「5万人収容」と公称され、グラウンドの内野にあたる部分のみが鉄筋コンクリート製(50段、高さ14.3m)であり、現在のアルプススタンド、外野スタンドは土盛りの上に20段の木造スタンドがあった。内野席全体(現在のアルプススタンドを除く)には鉄傘が設置された。こけら落としは阪神間学童運動会で、同年夏から全国中等学校優勝野球大会の会場となった。また、大阪毎日新聞が主催していた日本フットボール優勝大会(サッカーラグビーの全国大会、詳細は後述)や選抜中等学校野球大会も翌年から開催されている。建設当時の甲子園球場は、時代の先端を行く施設でもあり、水洗トイレ、カレーライス、コーヒーが評判となった。

周辺の開発と戦火

球場完成後も周辺の開発が阪神電鉄によって進められ、遊園地、動物園、水族館(この3つは甲子園娯楽場として)、総合競技場(甲子園南運動場)、テニスコート(甲子園庭球場、甲子園国際庭球場)、競技用プール(甲子園水上競技場)などが設けられ、阪神電鉄のものではないがそれより前から存在していた鳴尾競馬場とゴルフ場(現在の鳴尾GCコースの前身)を含め一帯は阪神間モダニズムを代表する一大レジャーゾーンとなった。総合競技場は大運動場が野球場としての形状見直しによって、陸上競技場球技場としての機能を分離したものである。甲子園大運動場から甲子園球場に名称が変更された時期は定かではないが、この時期である可能性が高い。球場は改良が進められて外野に芝が張られ、現在のアルプススタンド・外野スタンドにあたるスタンドが増築され、公称収容人数は7万人となった。スタンド増築の際にフェアグラウンドの形状が変更され、現在に近い形となってほぼ野球専用となった。それでも当時の日本の野球場としては広大であり、小柄で非力な日本人選手の体型とボールの品質の低さもあって、本塁打が極端に出にくいことで知られていた。また、1935年には所有者の阪神電鉄によって大阪野球倶楽部(球団名大阪タイガース・現阪神タイガース)が設立され、甲子園を本拠地とした。ただしフランチャイズ制度が導入される以前はホームゲームを本拠地で行う習慣はなく、阪急西宮球場後楽園球場とともに各球団が使用していた。

しかし太平洋戦争が激化すると野球どころではなくなり、大日本学徒体育振興大会(幻の甲子園)を最後に中等学校野球が、1945年1月の正月大会(非公式大会)を最後にプロ野球が戦中の使用を終えた。球場や周りの施設は軍が接収し、グラウンドのうち内野は芋畑、外野は軍のトラック駐車場、スタンドはバックネットから三塁内野席あたりまでは日本造機工場、一塁側あたりは普通海兵養成所、三塁側アルプスあたりは対潜音響研究所、一塁側アルプスあたりは川西航空機倉庫と陸軍輸送隊、レフトスタンドは興亜ベアリング工場、ライトスタンドは阪神青年学校になった。また鉄傘も金属類回収令のために供出を余儀なくされている。周りの施設も川西航空機の工場や鳴尾飛行場などに転用された。1945年8月には空襲を受けている。また機銃掃射による攻撃も幾度か受けており、弾痕が残った鉄扉が2007年に撤去されるまで長らく関係者入り口にあった(普段は開け放しになっていた。米軍接収時の試し撃ち跡ともいわれている。現在は甲子園歴史館に展示)。

戦後

終戦後は鳴尾飛行場とともに米軍に接収され、1946年はプロ、中等学校の各種野球の公式戦の開催ができず、代わりに阪急西宮球場で行われ、選抜大会は中止となった。 翌年(1947年)にはスタンドの一部とグラウンドの接収が解除されたため、春と夏の中等学校野球、プロ野球が再開され、甲子園ボウルも始められた。なお球場全ての接収解除は1954年まで待たなければならなかった。ホームランを増やすため、プロ野球再開のシーズン途中にラッキーゾーンが日本で初めて設けられた(当初はプロ使用時のみ)。周りの施設の土地は住宅などに転用されたため、阪神電鉄関連のレジャー施設はプール(現在はテニスコートとクラブハウスになっている)と場所を移した遊園地(甲子園阪神パーク)のみに縮小された。

1948年にはプロ野球においてフランチャイズ制が暫定導入され、大阪タイガースが甲子園を専用球場とし、自前の大規模球場を持たない南海ホークスとともに主催試合のほとんどを甲子園で行うようになった。南海電鉄は中百舌鳥球場を所有していたが、中百舌鳥の立地条件が悪いため、戦後からこの年までは公式戦を当球場及び阪急西宮球場で開催していた。ただし南海ホークスの使用は暫定的なもので、1950年から名目上のフランチャイズであった大阪市内に新設された大阪球場に移転した。

2リーグ分裂後、初めて行われたパ主催試合(2011年4月16日 パ・リーグ公式戦 楽天対オリックス)

1950年のセ・パ2リーグ制になってからは阪急西宮球場が阪急ブレーブスの本拠地となったため、パ・リーグの試合は専ら西宮球場で行われ、当球場は阪神タイガースを中心にセ・リーグの公式戦のみが行われる状態が続いた(逆に当球場が高校野球などで使用できない時でも、タイガースが西宮球場で公式戦を行うことは1990年までなかった)。2リーグ分裂後に当球場で行われたパ・リーグの主催試合は、2011年の東北楽天ゴールデンイーグルスオリックス・バファローズ戦が初である(詳細は後述)。

大改修

その後はナイター施設の新設や座席、スコアボードの改修がなされていった。特に1976年からは数年かけて座席の更新が行われている。またグラウンドの大きさの見直しもあり、1991年にはラッキーゾーンを撤去した。このように当時の基準に合わせる改良が幾度も行われたが、最新の球場に比べて施設の老朽化や陳腐化は避けられず、また建物の耐用年数を考慮すると、いつかは建て替え、もしくは全面的な改修をしなければならないことは明白だった。そのため1990年代初頭には阪神電鉄首脳がドーム球場化を念頭において、アメリカの主要ドーム球場を視察して回った。当初は赤字だった阪神パークを閉鎖して、その跡地と周辺地を加えた用地(阪神パークの用地だけでは不足で、周りの用地買収が必要だったため)にドーム球場を建設する計画で進められていったようであり、実際に1993年には「(同年秋に開始する)西梅田再開発事業の終了の10年後を目処にドーム球場の建設を始めることを検討している」という報道がされている。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際、スタンドの一部に亀裂や崩落が発生。基礎部分の検査が行われたが問題なく、この年の選抜大会を前に亀裂や崩落箇所のみの補修が行なわれた。住民感情に配慮して第67回選抜高等学校野球大会の中止も検討されたが、予定通り開催された。

この地震の被害やバブル崩壊により、阪神電鉄は事業計画を見直すこととなり、阪神パークのある場所(2004年ららぽーとを誘致)でのドーム建設計画は正式発表されることなく白紙撤回された。その後改めて球場本体の構造強度の検査結果を踏まえ、工期はシーズンオフ3期に分割し、基礎部分を残して大規模改修をすることとなった。2004年7月には「西大阪線延伸事業が一段落する2008年のシーズンオフを目途に着工し、2010年以降の完成を目指す」という構想の概要が報道されたが、正式発表は2005年11月となり、着工は2007年秋からとなった。2010年春には全体の工事が完了した(詳細は後述)。

年表

  • 1924年 - 3月11日、起工。7月31日、完成。12月、蔦が植栽される。
  • 1925年 - 初代スコアボードを正式開設。
  • 1929年 - 内野スタンド内部改装、貴賓室新設。東西スタンドを木造から、鉄筋コンクリート50段、高さ14.3mに改築。「アルプススタンド」の通称が付く。
  • 1931年 - アルプススタンドにも鉄傘がかけられる。
  • 1932年 - 10月1日、一塁側アルプススタンド下に室内運動場、三塁側アルプススタンド下に温水プール完成。
  • 1934年 - 外野中央に2代目スコアボード完成(通称・軍艦形)。
  • 1935年 - 大阪タイガース(現阪神タイガース)が誕生。
  • 1936年 - 外野東西スタンドを木造から、鉄筋コンクリートに改築。「ヒマラヤスタンド」の愛称がつく。フェアグラウンドがほぼ現在の形となり、バックスクリーンも設けられた。現在のプロ野球初の公式戦を開催。
  • 1937年 - 三塁側アルプススタンド下の温水プールが甲子園プール完成に伴い閉鎖。
  • 1943年 - 金属類回収令により鉄傘が供出される。
  • 1945年 - アメリカ軍に接収される。
  • 1947年 - 球場の接収が一部解除される。5月26日、ラッキーゾーンの設置工事が完了。
  • 1948年 - 大阪タイガースが甲子園を専用球場とする。また南海ホークスも甲子園を主に使用した。
  • 1950年 - 南海ホークスが大阪球場に移転する。11月、初の日本シリーズ(当時は日本ワールドシリーズ)開催(第3戦のみ)。
  • 1951年 - 内野ネット裏を中心として大屋根(銀傘)が復活。オールスターゲームの記念すべき第1戦開催。
  • 1954年 - 球場全体の接収が解除。
  • 1956年 - ナイター照明設備完成。その年の夏の甲子園でも早速、ナイターとなる試合も発生した。
  • 1958年 - スコアボードが完全手書き式に変更。さらにスコア表示と下段を一部改造。
  • 1963年 - 内野側に広告設置。
  • 1964年 - 2月14日、球場名を甲子園球場から現在の阪神甲子園球場に変更。室内練習場完成。
  • 1974年 - 看板広告を変更。
  • 1976年 - 座席更新開始(以後数年にわたる)。グラウンド改装。公称を中堅120m、両翼91mに変更。
  • 1978年 - 三塁側アルプススタンド下の温水プール跡に室内練習場を新設。
  • 1979年 - センターバックスクリーンに2面広告装置「トライビジョン」完成(1996年まで)。
  • 1982年 - 銀傘をアルミ合金に葺き替え。天然芝張替え。オーバーシードによる二毛作に成功し、通年緑化。
  • 1984年 - 開場60周年(開場以来の「甲子」の年にあたる)を記念し、スコアボードを3代目のものに更新。
  • 1985年 - タイガース創立50年を記念し、甲子園駅から球場へ続く通路に虎の銅像が建立される。
ジェット風船を使用した応援スタイルが定着
阪神電鉄本線、甲子園駅の臨時改札口を出て約20m先に設置されているモニュメント
  • 1991年 - この年からTUBEの夏のライブが恒例化(2015年のライブをもって一旦終了)
  • 1992年 - ラッキーゾーン撤去。公称を両翼96mに変更。
  • 1993年 - スコアボード右半分をカラービジョンのフリーボードに変更。
  • 1994年 - 開場70周年を記念し、開場当時の姿を模したモニュメントがはめ込まれた記念碑が阪神甲子園バス停付近に建立される(2006年10月にお色直しの上、虎の像のそばに移設。跡地にはグッズショップが建てられた)。
  • 1995年 - 1月17日、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生。スタンドの一部が損壊。
  • 1996年 - アニメーション「炎の5回裏」登場。
  • 1997年 - 「トライビジョン」を4面広告装置「ペンタビジョン」に変更。
  • 2002年 - 内野席の一部座席間隔を拡大し、収容人員が約53,000人に減少。
  • 2004年 - 新室内練習場が完成。女子トイレ増設とフェンスラバーなどの改良工事実施。21世紀の大改修の具体案がまとまる。
  • 2005年 - スコアボード右側のフリーボードをLEDに改良。また、バックネット付近のフェンス広告を、電動で回転するものに変更。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。
  • 2007年 - 2月、新室内練習場の隣に新クラブハウスが完成。3月4日、阪神甲子園バス停付近に新しく「タイガースショップ アルプス」が完成。
  • 2008年 - 3月、第1期リニューアル工事完了。内野スタンドが改修される。
  • 2009年 - 3月、第2期リニューアル工事完了。アルプスと外野スタンド、照明塔、銀傘が改修される。公称を中堅118m、両翼95mに変更。
  • 2010年 - 3月、第3期リニューアル工事完了、これにてリニューアル終了。甲子園歴史館が完成。三塁側外に売店基地棟が完成。球場外周が整備される。
  • 2011年 - 3月、スコアボード左側をフリーボードLEDビジョンに、審判名表示部分とプレー記録をLEDに、ボールカウンターをSBOからBSOに変更完了。4月15 - 17日、1950年の2リーグ分立以降初となるパシフィック・リーグ球団の主催公式戦(楽天対オリックス戦)を開催(後述)。
  • 2016年 - 9月、水樹奈々ソロ歌手として初めて当球場でライブを開催する。
  • 2018年 - 3月、1・3塁側ともベンチをメジャーリーグ仕様に改造。外野フェンス下にあった赤土の部分を人工芝化(インフィールドで初の人工芝敷設)。

21世紀の大改修

正面チケット売り場付近・改修工事前の撮影。球場外壁を覆う蔦
正面チケット売り場付近・改修工事前、蔦の伐採後の撮影。取り除かれた蔦の代わりに緑のパネルで覆われている。
正面チケット売り場付近・改修工事後の撮影。(2010年3月22日撮影)
新装後、ガラス張りとなった球場正面(2009年10月18日撮影)
ライトスタンド入場口周辺の光景。甲子園素戔嗚神社前から撮影。

基本構想の発表

2005年11月に基本構想として正式発表された。改修に関する主な構想は下記の通り(詳細は外部リンクを参照)。

  • 2007年10月着工、2010年3月竣工。シーズンオフを中心に3期にわけて工事を行い、プロ野球・高校野球はともに開催予定とする。
  • 天然芝と黒土、オープンエアー(グラウンドに屋根をかけない)の形態維持。
  • 甲子園のシンボルとされている蔦を改修工事前に一旦伐採(2006年度と2007年度のシーズンオフ2年間に分けて行う)し、工事終了後に再植栽。
  • バリアフリー対策により、収容人員を4万7,000人に縮小。

工事時期は以下の通り。

  • 2007年シーズンオフは内野スタンド内部の改装と銀傘の撤去(2008年シーズンは銀傘なし)を実施。
  • 2008年シーズンオフはアルプス・外野スタンドの内部及び観客席の改装と新銀傘の設置を実施。
  • 2009年シーズンオフは内野スタンドの観客席更新と外周整備を実施。

ドーム化見送りに関しては高校野球界から「青空の下でプレーできなくなり、高校野球に相応しくない」との反対論が続出していた。また収容人数を減らすことにより今以上に阪神戦のチケットの競争率が高くなり、球場へ見に行けなくなるファンが今よりも増えてしまう可能性があるため、改修するのなら増席をするべきだという意見もあった。

なお、この改修により2007年 - 2009年のシーズンは阪神がホームとなるポストシーズン(クライマックスシリーズ日本シリーズ)のゲームを甲子園球場で行わないことが2005年11月の実行委員会で了承された。なお2008年まで阪神の監督を務めた岡田彰布はこの球団の対応に対し苦言を呈している。実際の代替開催先は以下の通り。

  • 2007年は阪神がホームとなるポストシーズンゲームは開催されず。
  • 2008年は工事開始日までに開催できなかったレギュラーシーズン1試合をスカイマークスタジアムで、クライマックスシリーズ第1ステージを京セラドーム大阪で開催。
  • 2009年は後述の工期短縮により10月にレギュラーシーズン2試合を行った。

試合ではないが、毎年オフシーズンに行っていたイベントも場所を変えて開催された。

工期短縮公表

2006年7月に上記基本構想の工期を短縮することが発表された。変更後の工事予定は以下の通り。

  • 2007年シーズンオフは内野スタンドの内部及び観客席の改装を実施(旧銀傘を維持)。
  • 2008年シーズンオフはアルプス・外野スタンドの内部及び観客席の改装と銀傘の撤去・付け替えを実施。
  • 2009年シーズンオフは外周整備を実施。

これにより、2008年シーズンも旧銀傘が維持され、球場本体は2009年3月までに完成することになった。

また改修に先立つ形で、2007年2月に球場西隣のテニスコート(旧甲子園水上競技場跡)があった場所にクラブハウスを建築し、球場内にあったロッカーやトレーニングルームなどの選手関連施設や球団事務所を移している。また外壁の工事はシーズン中も行われた。

第1期改修

2007年オフから予定通り工事を開始し、2008年3月11日に大林組より引渡しを受け工事完了となった。内野スタンド部の構造は改修前とは大幅に変わり、外見上は新築同様となった。工事以前の構造を確認できるのは主だった柱ぐらいである。これまで観客用の回廊だった1階が関係者専用エリアとされ、2階の回廊と3階の回廊が観客エリアとなった。また分煙化も図られ、喫煙室も新設された。

後に無観客で行われた練習試合において、グラウンドとダグアウトとの段差が90cmもあることや、後列のベンチに座ると天井が低すぎるなどの危険性を選手側から指摘されたため、ベンチを前にずらすなど手直しを行った。これ以外では特に問題はなく、3月22日に第80回選抜高等学校野球大会で内野エリアのリニューアルオープンを迎えた。

第2期改修

2008年5月には第2期改修の変更概要が発表され、同年10月より工事が開始、翌年3月12日に大林組より引渡し完了。アルプススタンドには2階回廊、外野スタンドには1階回廊が追加され、観客用施設面積が増やされたほか、銀傘とサブスコアボード、照明が替えられた。また外野の観客動線の変更により、スコアボード下にあった外野中央門が廃止された。銀傘の下には法人会員制の「ロイヤルスイート」と、リボン状LEDボード「甲子園ライナービジョン」が設置された。この改修で野球開催に関する球場本体の改修は全て終了した。また乳幼児を伴う観客への利便性向上のため、託児所(有料)、授乳室が新設された。

第3期改修

2009年10月から翌年3月まで行われた第3期の改修では、銀傘上部の太陽電池パネルの設置、グッズや軽食を販売する売店基地棟の設置、広場など各種イベント開催スペースの拡充、球場外野の外周道路の床面に煉瓦ブロックの敷設など、試合開催には支障をきたさない工事が行われた。

この工事に付随し、「甲子園歴史館」が外野席下にオープン。また、外周道路の煉瓦ブロックは「KOSHIEN NAMING BRICK MEMBERS」としてファンなどから購入者を募り、ブロック1個ごとに購入者の名前や短文を刻印して敷設された。

球場データ

阪神甲子園球場 上空からの撮影(1985年、ラッキーゾーンが確認できる)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  • 所在地:兵庫県西宮市甲子園町1-82
  • 敷地面積:54,203.54m
  • 総面積:約38,500m(2007年までの公称値39,600m)
    • グラウンド面積:約13,000m(2009年より、2007年まで実測値13,500m、公称14,700m)
    • スタンド面積:約22,600m(2009年より、2007年まで実測値20,800m、公称24,900m)
    • その他(スコアボード棟など):約2,900m
  • 収容人数:47,808席(内野:28,765席、外野:19,043席)(2009年 - 2011年) → 47,757席(内野:28,714席、外野:19,043席)(2012年 - 2013年) → 47,541席(内野:27,498席、外野:19,043席)(2014年 - 2015年) → 47,508人(内野:28,465席、外野:19,043席)※車椅子席は総数31席。
  • 中堅:118m
  • 左右中間:118m
  • 両翼:95m
  • 内野:土(日本の黒土と中国福建省の白砂を調合)、人工芝(ファウルゾーンの一部)
  • 外野:天然芝(ティフトン、ペレニアル・ライグラス)
  • 照明:銀傘庇部2基、照明塔4基
    • 照明数:ロングアーク(1,500W)504台、ナトリウムランプ(600W)208台、ショートアーク(2,000W)44台、合計756台
    • 照明塔高さ:44m
  • 電光掲示板:3基
    • スコアボード:縦13m×横31.6m(全体の大きさ)
    • サブスコアボード:縦2.5m×横28.3m
    • リボンビジョン(甲子園ライナービジョン):縦1.2m×横249.6m(映像表示部大きさ)
  • 工事発注者:阪神電気鉄道
  • 設計・施工:大林組(※リニューアル工事も担当)

球場設備

外野席側からバックネット方面を望む。銀傘下に「甲子園ライナービジョン」が設置されている
リニューアル前の銀傘(2007年)
右側から、一塁側アルプススタンド席、外野席、スコアボード(リニューアル前)
<
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/04/24 00:13

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「阪神甲子園球場」の意味を投稿しよう
「阪神甲子園球場」のコンテンツはまだ投稿されていません。

阪神甲子園球場スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「阪神甲子園球場」のスレッドを作成する
阪神甲子園球場の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail