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阿賀野川とは?

【水系】
一級水系 阿賀野川
【種別】
一級河川
【延長】
210 km
【平均の流量】
451 m³/s
(馬下観測所 1951年 - 2002年)
【流域面積】
7,710 km²
【水源】
荒海山(福島県)
【水源の標高】
1,581 m
【河口・合流先】
日本海(新潟県)
【流域】
日本
新潟県福島県群馬県
新潟市街北部(画像奥)から日本海へ注ぐ阿賀野川河口。 手前は信濃川河口と関屋分水

阿賀野川(あがのがわ)は福島県群馬県に源流を持ち、新潟県を流れ日本海に注ぐ日本有数のである。また国が指定した一級水系阿賀野川水系の本流であり一級河川でもある。阿賀野川水系としての本流指定部分は一級河川阿賀野川と一級河川阿賀川(あががわ)であり、その全長は 210 km で日本第10位、流域面積 7,710 km では日本第8位。また、下流部の河川水流量は日本最大級の一級水系である。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 一級河川阿賀川
    • 1.2 阿賀野川
    • 1.3 阿賀野川名称使用例
  • 2 地理
  • 3 新潟水俣病(第二水俣病)
  • 4 阿賀野川水系
    • 4.1 荒海川
    • 4.2 阿賀川
    • 4.3 一級河川「小阿賀野川」関連
    • 4.4 水系川系図
    • 4.5 阿賀野川水系開発史
      • 4.5.1 近世・近代の治水
      • 4.5.2 安積疏水
      • 4.5.3 阿賀野川水系電源開発史
      • 4.5.4 猪苗代発電所
      • 4.5.5 日発による開発計画
      • 4.5.6 只見特定地域総合開発計画 - 奥只見と田子倉 -
      • 4.5.7 揚水発電と再開発
      • 4.5.8 阿賀野川水系の総合開発
      • 4.5.9 開発と地域の反対
    • 4.6 主な支流
    • 4.7 河川施設
      • 4.7.1 国管理事務所
      • 4.7.2 河川施設一覧
      • 4.7.3 阿賀野川水系のダム
  • 5 主な橋梁
  • 6 脚注
  • 7 出典
  • 8 書籍
  • 9 関連項目
  • 10 外部リンク

概要

阿賀野川本流は、福島県の荒海川を源流とし、会津地方で阿賀川(又は大川)、新潟県に入ると阿賀野川と、幾度も名を変える大きな川である。

一級河川阿賀川

阿賀川本流の一級河川指定区間は、左岸が福島県南会津郡南会津町滝ノ原字獅子小屋1706番地先、右岸が福島県南会津郡南会津町滝ノ原字朝日岐1699番地先から、新潟県境までである。国の直轄区間は 43.15 km 、県直轄区間は 79.85 km 、合計 123 km で、流域面積は 3260 km である。

阿賀野川

阿賀川が新潟県に入ると狭い峡谷部分で阿賀野川と名を変える。分類は一級河川で水系名の元になった河川である。国から阿賀川と共に阿賀野川水系の本流(本川)指定を受けている。東蒲原郡阿賀町津川で常浪川と、阿賀野市分田付近で早出川と合流、さらに新潟市秋葉区満願寺付近で一部は小阿賀野川に分流し信濃川へ繋がる。阿賀野川自身は新潟市松浜町付近で日本海に注ぐ。阿賀野川は信濃川とともに、広大な新潟平野を作った河川である。河口は信濃川の河口に近く、時代によっては新潟の地で合流して河口を共有していたこともあった。現在でもその名残を通船川に残している。

阿賀野川水系と一級河川阿賀野川

一級河川指定区間は福島県境から河口までの 87 km。

阿賀野川名称使用例

地理

福島県と新潟県を連絡する磐越西線磐越自動車道国道49号はほぼ阿賀野川に沿って走っている。途中、銚子の口麒麟山を始めとする渓谷美が只見川合流点から阿賀町三川まで続いており、「阿賀野川ライン」 (Rhein) と呼ばれる。これに沿って国道459号と磐越西線が走行しており、新緑紅葉の時期は優美な風景を楽しむ事が出来る。

猪苗代湖には長瀬川を始め多くの河川が流入するが、長瀬川上流部は1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う山体崩壊、及び火山泥流によって川が堰き止められた。これにより桧原湖小野川湖秋元湖の「裏磐梯三湖」や五色沼・曽原湖など大小様々な湖沼が誕生した。現在は磐梯朝日国立公園の主要な観光地として、多くの観光客が訪れる。長瀬川は猪苗代湖に注ぐ際に三角州を形成している。

新潟水俣病(第二水俣病)

詳細は「第二水俣病」を参照
阿賀野川中流域。阿賀町鹿瀬(写真中央部)に昭和電工鹿瀬工場があり、ここから排出されたメチル水銀新潟水俣病をひき起こした。

阿賀野川は古来より清冽な水で流域に恵みを与えていた。だが、高度経済成長の際、工業廃水によって水質が汚染された。四大公害病の一つである新潟水俣病(第二水俣病)である。

事の起こりは1964年(昭和39年)、阿賀野川流域に原因不明の中枢神経疾患患者が多発したことから始まる。1965年(昭和40年)に発生が正式に確認されたが、症状が熊本県水俣市を中心に発生した水俣病に酷似していた。このため政府は科学技術庁に命じ1964年 - 1967年(昭和42年)までの3年間、特別研究を行って原因の究明を行った。その結果1968年(昭和43年)政府はこの水俣病様疾患の原因を「昭和電工鹿瀬工場より排出されたメチル水銀による有機水銀中毒」であるとの見解を発表した。即ち、水俣病と同じ疾患が阿賀野川流域でも発生したということである。

昭和電工鹿瀬工場は化学製品を生産する際の中間産物としてアセトアルデヒドを精製していた。このアセトアルデヒドを精製する際に触媒として無機水銀を使用するが、精製過程において猛毒であるメチル水銀が産生される。工場はこのメチル水銀を含む工場廃水を処理せずに阿賀野川に垂れ流していた。その結果食物連鎖の過程を経て魚介類に高濃度のメチル水銀が蓄えられ、それを食した流域住民が慢性水銀中毒を発症した。水俣病と全く同じ発症過程であった。

1965年の症例報告後昭和電工は直ちに工場からの排水を停止した。だが時は既に遅く新規患者は続々発生し1970年(昭和45年)の段階で報告患者数は49人に上っていた。患者およびその家族、遺族は昭和電工を相手取り損害賠償訴訟を起こし、1971年(昭和46年)9月の第一次新潟水俣病訴訟判決で原告勝訴の判決が下された。2002年(平成14年)時点において公害健康被害補償法に基づく新潟水俣病認定患者は690人に及ぶ。責任の所在は認められたが、患者の苦しみは今もなお続いている。

阿賀野川の水銀汚染により、鹿瀬より下流部における魚介類の摂取は全面禁止となった。1970年の『公害白書』では阿賀野川の水質は常態に戻っていると報告されているが、科学的な証明が不確実であったため摂取規制は継続され阿賀野川の漁業関係者は失業などの深刻な二次被害を受けた。こうした窮状を打開するため1976年(昭和51年)、阿賀野川下流部の汚泥を浚渫によって除去する工事を開始し、同時期より「阿賀野川水銀汚染総合調査」が開始された。2年間の調査の結果1978年(昭和53年)に調査結果がまとめられ、阿賀野川の土壌および魚介類における水銀濃度が国の定める暫定基準値以下であったという結論が出された。この結果を元に阿賀野川の魚介類摂取規制は解除された。

その後も継続的な調査が続けられているが、阿賀野川における水銀濃度は環境省の定める基準値(0.0005 mg/L 以下)を下回っており、水銀による汚染は収束されている。

阿賀野川水系

阿賀野川(阿賀川)源流域の荒海山とその周辺空撮

阿賀野川水系は、一級河川阿賀野川と一級河川阿賀川を本川とする国指定の一級水系である。阿賀川上流部は又の名を大川と呼ばれ荒海山麓の普通河川荒海川や多数の沢が流れ込んでいる。信濃川水系と共に越後平野を形作った日本有数の水系である。

荒海川

阿賀野川水系最上流部の川で分類は普通河川である。国からは阿賀野川水系の本流(本川)指定は受けていないが、水面が連続する川としては阿賀野川水系本流の最上流部にあたる。福島県と栃木県の県境付近、荒海山(太郎岳、1,581 m)北面から流れ出る多数ある沢と共に阿賀川へ流れ込んでいる。

阿賀川

荒海川に続くのが阿賀川(又は大川)で分類は一級河川である。国から阿賀野川と共に阿賀野川水系の本流(本川)指定を受けている。会津西街道(下野街道)に沿って北上し、裏磐梯湖沼群猪苗代湖を源流とする日橋川喜多方市塩川町会知付近で合流し、西へ向きを変える。さらに福島・群馬県との境にある尾瀬沼及び越後山脈にある尾瀬ヶ原川上川を源流とする只見川と喜多方市山都町三津合付近で合流し新潟県境まで流れる。

一級河川「小阿賀野川」関連

信濃川水系に所属する全長 11 km の短い川で一級河川でもある。信濃川と阿賀野川を繋いでおり、昔は船便が多く往来した。阿賀野川との水位を管理し、交通を妨げないための満願寺閘門小阿賀樋門のみが一級河川阿賀野川を管理する阿賀野川河川事務所の管轄下となっている。

水系川系図

阿賀野川一級水系河川図」も参照
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            日本海
            信濃一級水系
            阿賀野川水系   阿賀野川一級水系
              河口         河口    河口
 ━━━━━━━━━━━━━┓┏━━━━━━━━━┓┏━━━━┓┏━━━━━
              ┃┃      ┏━━┫┃    ┃┃
              ┣┻━━┓  通船川 ┣┻━━┓ ┣┛
           ┏━━┛ 小阿賀野川    ┃   ┗━┫
          信濃川     ┗━━━━━━┫   新井郷川
         ━━┛             ┣━━┓
                 ┏━━━━━━━┫ 安野川
                早出川      ┣━━━┓
                    ┏━━━━┫ ツベタ川
                   成沢川   ┣━━━━┓
                    ┏━━━━┫  下の沢川
                   大沢    ┣━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ 上の沢川
                 ┏━━━━━━━┫   石戸川        
                長谷川  ┏━━━┫
                   五十母川  ┣━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ 中ノ沢川
                     ┏━━━┫   新谷川
                    谷沢川 楊川ダム
                    ┏━━━━┫
                   常浪川   ┣━━━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━━━━┓ 水沢川
                         ┣━━━━┓ 大谷川
                         ┣━━┓ 実川
                  ┏━━━━━━┫ 馬取川
                鬼光頭川  阿賀川・大川
 〓〓〓 福島県・新潟県県境 〓〓〓       ┣━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ 奥川
                         ┣━━┓ 笹川
           ┏━━━━━━━━━━━━━┫ 井谷川
          大沼 ┏━━━━━━━━━━━┫
            安座川 ┏━━━━━━━━┫              
               長谷川 ┏━━━━━┫
                   松川 ┏━━┫
                     只見川 ┣━━━━━┓
                  尾瀬━━┛  ┣━┓ 一ノ戸川
                    ┏━━━━┫ 原川
                   鶴沼川   ┣━━━━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━━━━┓ 阿賀川旧川道
                         ┣━━━━━┓ 濁川
                         ┣━━┓ 田付川
                    ┏━━━━┫ 日橋川━━猪苗代湖━長瀬川━秋元湖
                    宮川   ┣━━━━━┓
                         ┣━┓ 湯川放水路
                   ┏━━━━━┫ 沢川
                  戸沢川 ┏━━┫  
                     西ノ川 ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ 丸ノ沢
                       大川ダム 闇川
                         ┣━━━━┓
                  ┏━━━━━━┫   鶴沼川
                  小野川 ┏━━┫ 
                     大沢川 ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ 男女川
                    ┏━━━━┫ 観音川
                   戸石川   ┣━━━━━━┓
                         ┣━━┓ 加藤谷川
                    ┏━━━━┫ 水無川
                   檜沢川   ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ 小柱川
                    ┏━━━━┫ 金地川
                   富貴沢   ┣━━━━┓
                    ┏━━━━┫   穴沢川
                    長沢   ┣━━━━┓
                        荒海川  山王川
                    ┏━━━━┫
                   鎌越沢   ┣━━━━┓
                   ┏━━━━━┫   恋路沢
                 分木ノ沢 ┏━━┫ 
                      龍沢 ┣━━━━┓
                        荒海川  朝日ヶ沢

阿賀野川水系開発史

日本有数の豪雪地帯を抱える阿賀野川水系は全国屈指の水量を誇る。流域の住民は豊富な水を利して新潟平野会津盆地を肥沃な土地へ変貌させ、多大な恩恵を享受してきた。しかしその反面、かつては度重なる洪水の発生によって甚大な被害を受けており、流域周辺では古くから治水事業が進められてきた。

近世・近代の治水

新津市街近郊を蛇行する阿賀野川下流域、早出川小阿賀野川信濃川などの他、阿賀野川の旧河道跡と見られる地形も見て取れる。解説付き画像はこちら

新潟平野は阿賀野川や信濃川が上流より土砂を運搬することで形成された堆積平野である。まず河口周辺を中心とする砂浜が洪水時に発生する多量の土砂で形成され、その後徐々に平野全体が形成されていった。しかし、平野が形成される過程で、元々の流路に残ったくぼ地や、土砂流入が少なかった地域で湖沼群が残ってしまった。このため阿賀野川周辺には紫雲寺潟・福島潟・鳥見前潟などの湖沼が生成された上に、周囲は低地のままで湿地帯となっていった。これに加え阿賀野川は現在の阿賀野市早出川合流点から同市および新潟市秋葉区江南区北区東区にかけて複雑な乱流と蛇行を繰り返し、河道は洪水によって頻繁に変化したため新田開発もままならない状態であった。

1598年(慶長3年)上杉景勝の会津移封によって新発田城(現・新発田市)には溝口秀勝が入封し、以後溝口氏が6万1千石を以って代々領有した。代々の藩主は新田開発を積極的に実施していったが、これを円滑に進めるための治水事業も推進した。領内は当時阿賀野川・新井郷川加治川が潟を介して乱流をしており、阿賀野川は信濃川に河口付近で合流していた。このため阿賀野川流域は方々に内水が溜まっており「悪水」としてその排除が新田開発には必要不可欠であった。

新発田藩第6代藩主・溝口直治は財政の逼迫(ひっぱく)している藩財政を回復させるべく新田開発を推奨したが、その阻害要因となる阿賀野川流域の流路修正と内水排除を計画した。まず1721年(享保6年)に紫雲寺潟の内水を排除するため落堀川を開削して紫雲寺潟の干拓を図り、1730年(享保15年)には信濃川に合流していた阿賀野川の河道を日本海へ直接流出させるべく松ヶ崎(新潟市東区下山・北区松浜付近)地点において捷水路を開削した(松ヶ崎掘割)。この捷水路は翌1731年(享保16年)春の融雪洪水での決壊により拡張され、これにより阿賀野川は日本海へ直接注ぎ、旧流路は「通船川」となったが、この「松ヶ崎開削」によって大野新田・相馬新田・俵橋新田・大中島新田の開発が成功し、一定の成果を収めた。

1732年(享保17年)に入ると藩主は第7代・溝口直温に代わったが引き続き阿賀野川の流路修正を実施し、同年より松ヶ崎の直上流部・津島屋(新潟市東区津島屋付近)の阿賀野川蛇行部を直線化する「津島屋出州掘割開削」に着手、11年後の1743年(寛保2年)に完成して阿賀野川最下流部は直線化した。1734年(享保19年)には阿賀野川と信濃川を連絡する小阿賀野川を改修して新田整備を実施。さらに第8代藩主・溝口直養1773年(安永2年)に阿賀野川の旧流路である通船川を改修し、流路の整備を実施した。こうして新発田藩は阿賀野川の治水を通じて新田開発を行い、財政建て直しを図ろうとした。だが、一部では成果があったものの根本的な解決には至らず、逆に第9代藩主・溝口直侯の代、1789年(寛政元年)に精魂込めて開墾した蒲原郡2万石を陸奥信夫郡田村郡楢葉郡の三郡に分散して高直しをさせられたため、財政はさらに逼迫して行った。

只見川合流部付近。阿賀川蛇行狭窄部の開削により直線的に流路が変更され、治水安全度が向上した。

一方上流部の会津盆地においても阿賀野川の流路は絶えず変動していた。1419年には宮川(鶴沼川。若郷湖上流で合流する鶴沼川とは異なる)が阿賀野川本流であったが、1536年には現在の流路になっていたと推定されている。1611年(慶長16年)、会津盆地を慶長会津地震が襲い、阿賀野川中流の狭窄部が地震による山崩れで河水が堰き止められ、「山崎湖」と呼ばれる堰止湖が形成された。会津藩主であった蒲生秀行は直ちに山崎湖の排水事業を実施したが容易に排水できず、以後蒲生忠郷加藤嘉明加藤明成といった代々の会津藩主が排水事業を継承し、加藤明成が会津騒動改易となったあとに入封した保科正之(三代将軍・徳川家光の実弟)の代になって漸く排水に成功した。

近代(1924年(大正13年)から1935年(昭和10年)、及び戦争等による中断期間を経て2005年(平成17年)から2006年(平成18年))においても只見川合流部近辺の阿賀川下流蛇行狭窄部(右画像)の開削により治水安全度が向上した。

安積疏水

詳細は「安積疏水」を参照
安積疏水の水源である猪苗代湖

明治時代に入り、東北地方戊辰戦争の混乱を経て明治政府の管轄下に入った。政府は民心の安定と富国強兵、さらに「四民平等」の身分制度改定による士族の不満を逸らすために北海道をはじめ全国で盛んに開拓事業を行おうとしていた。

阿武隈川左岸部に広がる安積原野(福島県郡山市)は広大な土地であったが、極めて水の便が悪く荒野として放置されていた。だがこの原野を開発する事は東北南部の開発に有益であり、当時福島県典事であった中条昌恒は安積台地の開発を図るため1873年(明治5年)に大槻原開拓を開始し、その拠点として1874年(明治6年)に「開成館」を設立した。

一方明治天皇の行幸を機に安積原野は大規模な農業経営が可能な土地として中央も注目、本格的な農地開墾事業に内務省が乗り出すこととなった。内務卿大久保利通は安積原野の用水供給を図るべく阿賀野川の上流に位置する猪苗代湖からの分水が技術的に可能かどうかを調査することとなり、オランダより招聘されたファン・ドールンに用水の実施計画調査を1878年(明治11年)に命じた。ファン・ドールンの調査により用水路建設が可能である事が判明した政府は、翌1879年(明治12年)に疏水開削起工式を挙行した。日本で初となる国直轄の農業水利事業、安積疏水事業の始まりである。

計画では猪苗代湖の水量を調節し安定した水量を確保することが必要となった。このため猪苗代湖より流出する唯一の河川・日橋川の吐き口で、古くより交通・軍事の要衝であった戸の口十六橋付近(会津若松市戸の口)に十六橋水門を建設して猪苗代湖をダム化し、耶麻郡猪苗代町上戸に取水口を設置して阿武隈川に繋がる支流、五百川へ分水界を跨いだ流路変更を行った。そして総延長 52.0 km 、分水路延長 78.0 km の水路を安積原野に張り巡らせて灌漑を行った。この安積疏水建設に伴い、工事に携わる旧士族の定住募集を行ったところ、会津藩・二本松藩米沢藩棚倉藩といった奥羽越列藩同盟参加藩出身の士族のみならず久留米藩土佐藩松山藩岡山藩鳥取藩といった西日本の諸藩出身士族も参加・定住。その数は当時の郡山市人口約5,000人の3分の1を占める約2,000人であったといわれる。

総工費40万7千円(現在の貨幣価値に直すと約400億円)、従事人員延べ約85万人、施工期間3年の時を経て安積疏水は1882年(明治15年)に通水、完成した。この安積疏水によって今まで不毛の荒野であった安積原野約 3,000 ha が肥沃な農地に生まれ変わり、郡山発展の礎を築いた。1886年(明治19年)に管理が福島県へ移管された後も安積疏水はさらに利用され、1889年(明治32年)に日本初となる長距離高圧送電設備を備えた水力発電所・沼上発電所(認可出力:300 kW)を稼動させた他、1912年(明治45年)には郡山市の上水道水源にも利用されるようになった。1947年(昭和22年)には農林省(現・農林水産省)による「国営新安積開拓建設事業」の一環として取水口が改良され上戸頭首工が建設され、疏水の取水能力が強化された。現在は約 9,000 ha の農地を潤している。

このように福島県の発展に大きく寄与した安積疏水は、栃木県那須疏水(那珂川)、京都府琵琶湖疏水(京都疏水。淀川)と共に「日本三大疏水」としてその業績を称えられている。

阿賀野川水系電源開発史

阿賀野川は上流部を豪雪地帯で占め、年間流水量は全国でも屈指の水量を誇る。その上急流でもあることから古くから水力発電には絶好の開発地点であった。阿賀野川の水力発電開発は、そのまま日本の水力発電史に当てはまる。

猪苗代発電所

阿賀野川上流域磐梯高原空撮画像。秋元湖小野川湖猪苗代湖等を望む。(2007年8月26日)

阿賀野川の河水を利用した水力発電は安積疏水を利用し1899年(明治32年)に運転を開始した沼上発電所(郡山市熱海町。認可出力:300 kW)である。現在でも供用されているこの水力発電所(現在は 1,400 kW を発電)は長距離高圧送電を日本で初めて開始した水力発電所でもあった。当時は利用地域にごく近い地点に水力発電所を設け、送電が行われていた(蹴上発電所など)。だが発電所を管理する郡山紡績絹糸会社は 22 km 先の郡山工場へ電力を供給するため、11,000 V の高圧送電線を用いての送電に成功した。

この長距離高圧送電の成功は当時全国的に盛んとなった電力開発事業に大きな影響を与えたが、猪苗代湖の水力を利用した電源開発を計画していた猪苗代水力電気株式会社は1914年(大正3年)、猪苗代第一発電所を建設した。この発電所は当時としては日本最大級の出力・37,500 kW の認可出力を有し、西日本最大の水力発電所である女子畑発電所(玖珠川大分県)と並び日本を代表する発電所として『東の猪苗代、西の女子畑』と称えられた。また、この猪苗代第一発電所は長距離高圧送電技術をさらに応用し、猪苗代から東京までの長距離送電に成功した。この成功は福澤桃介浅野総一郎ら水力発電事業者を刺激し、大規模な発送電技術の向上に繋がった。猪苗代湖を利用した水力発電はその後も開発され、猪苗代第二(1918年・大正7年)、猪苗代第三・猪苗代第四(1926年・大正15年)の各発電所が日橋川に建設されたほか、磐梯山の爆発により生成された小野川湖秋元湖も水力発電に利用され、1940年(昭和15年)には当時最大級の出力規模を誇る秋元発電所 (107,500 kW) が秋元湖をダム化して完成した。

日発による開発計画

鹿瀬ダム(阿賀野川)。阿賀野川におけるダム式発電所のさきがけでもある。

この頃には阿賀野川上流にもダム式発電所の建設ブームが始まり、東信電気株式会社は阿賀野川本流に1927年(昭和2年)鹿瀬ダムを建設したのを皮切りに1928年(昭和3年)には豊実ダム、1938年(昭和13年)には新郷ダムを完成させた。折から逓信省によって1936年(昭和11年)第三次発電水力調査が行われ、絶好の適地である阿賀野川・只見川の水力発電が俄然注目された。1939年(昭和14年)に電力管理法によって設立された日本発送電(日発)は、この法律に基づき只見川などを中心に、阿賀野川を河口にする複数の支流を含め、上流域全体で20ヶ所の発電用ダム建設を計画。手始めに阿賀野川に1943年(昭和18年)山郷ダムを完成させたが、その後は戦争の激化で事業は中断を余儀無くされた。

戦後、水力発電開発が再開され1947年(昭和22年)日発東北支店は「只見川筋水力開発計画概要」を立案。戦前の計画に沿った開発が行われた。この事業の核となったのは只見川上流の巨大ダム式発電所計画である。只見川は全国屈指の水量と急流を誇り水力発電最適の地として注目され、仮に計画通り開発が行われると当時東北で計画されていた新規包蔵水力の 75% 、196万 kW を賄うことが可能であった。だがこの豊富な資源は隣接する自治体・企業も注目しており、新潟県は只見川の河水を信濃川にまで分水する「只見川分流案」を、旧東京電燈を主体とする日発関東支社は尾瀬に高さ 85 m 、有効貯水容量 3億3,000万 m尾瀬原ダムを建設し、利根川にまで分水する「尾瀬分水案」を引っ提げ、三者鼎立した状況となった。

只見特定地域総合開発計画 - 奥只見と田子倉 -

詳細は「只見特定地域総合開発計画」を参照
奥只見ダム(只見川)。日本最大級のダムである。
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出典:wikipedia
2018/12/16 10:27

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