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阿部慎之助とは?

阿部 慎之助
読売ジャイアンツ 二軍監督 #80

明治神宮野球場にて

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)
【生年月日】
(1979-03-20) 1979年3月20日(40歳)
【身長
体重】
180 cm
97 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投左打
【ポジション】
捕手一塁手
【プロ入り】
2000年 ドラフト1位(逆指名)
【初出場】
2001年3月30日
【最終出場】
2019年10月23日(日本シリーズ第4戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2020 - )

【国際大会】

【代表チーム】
日本
五輪
2000年2008年
WBC
2009年2013年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
 | 2009 | 野球
 | 2013 | 野球

阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県東葛飾郡浦安町(現在の浦安市)出身の元プロ野球選手(捕手内野手)。右投左打。

読売ジャイアンツ第18代主将(2007年から2014年まで)。

愛称は「慎之助」、「阿部ちゃん」、「慎ちゃん」。

2000年代から2010年代前半まで巨人の正捕手を務め、2度のリーグ3連覇(2007〜2009)(2012〜2014)を含む8度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に大きく貢献した。2020年より巨人の二軍監督を務める。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
      • 1.2.1 入団から中軸へ
      • 1.2.2 主将、4番
      • 1.2.3 一塁へコンバート
      • 1.2.4 捕手に復帰、そして現役引退へ
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備
    • 2.3 主将として
    • 2.4 その他
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
    • 3.3 年度別守備成績
    • 3.4 タイトル
    • 3.5 表彰
    • 3.6 記録
    • 3.7 背番号
    • 3.8 登場曲
    • 3.9 代表歴
  • 4 関連情報
    • 4.1 出演番組
  • 5 関係文献
  • 6 脚注
    • 6.1 注釈
    • 6.2 出典
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

元実業団野球チーム・電電東京に所属した阿部東司の第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる)として誕生。慎之助の名は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンだったことから名付けられた。父は掛布雅之習志野市立習志野高等学校で同期であり、掛布とクリーンナップを組み、掛布が3番・父が4番を打ち、全国高等学校野球選手権大会に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神タイガースファンで掛布に憧れ左打ちになった。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。

浦安市立浦安中学校 から安田学園高等学校へ進学。高校では通算38本塁打を放つ。中央大学商学部 に進学し3年生春まで東都大学野球連盟2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。3年生秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。

中大時代は打撃には定評があり、(捕手以外の)野手への転向を勧められることもあったが固辞した。2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団。契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5千万円)を超える10億円契約を結んでいたことが、複数の関係者証言で明らかになった。

プロ入り後

入団から中軸へ

2001年、ヘッドコーチの原辰徳の推薦を受け、3月30日の阪神との開幕戦で、球団では山倉和博以来23年ぶりとなる新人捕手開幕スタメンとして先発出場(8番・捕手)。その試合で星野伸之からプロ入り初打席初安打初打点を含む4打点を挙げる活躍を見せた。当時の巨人は村田真一に代わる正捕手の育成が急務だったこともあり、監督の長嶋茂雄は村田を阿部の「教育係」にするとともに、127試合に起用して経験を積み重ねさせた。最終的には13本塁打を記録したが、規定打席には6打席不足した。新人捕手の2桁本塁打は田淵幸一以来2人目だった。

2002年、127試合に出場し、巨人としては1987年の山倉和博以来の捕手による規定打席に到達し、ベストナインゴールデングラブ賞を受賞した。後半から高橋由伸の離脱により3番に起用され、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録した。このことから『サヨナラ慎ちゃん』と呼ばれるようになった。8月11日の広島戦でのサヨナラ本塁打は自身初のサヨナラ本塁打であるとともに、巨人の東京ドーム通算1,000号本塁打となるメモリアルアーチであった。打率も.298を記録し、好調だった。

2003年、シーズン途中の右肩の故障もあり、94試合の出場に終わる。規定打席不足であるものの、打率.303を記録した。初めてオールスターゲームに出場した。

2004年、4月9日から4月16日にかけて6試合連続本塁打、4月28日には一試合3本塁打を放った。4月に放った月間16本塁打は王貞治の球団記録を更新し、1981年門田博光(南海)、1994年江藤智(広島)と並ぶ日本タイ記録だった。5月12日には1998年にマーク・マグワイアが記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新した「開幕33試合目での20本塁打」を記録した。その後ペースは失速し、5月後半~7月はそれぞれ2本ずつに留まり、8月には故障もあって、最終的には33本塁打だった。しかし、巨人の捕手として球団史上初の30本塁打を記録し、規定打席に到達し、自身初の打率3割も記録した。11月には日米野球に捕手・代打で8試合中6試合に出場したが、13打席11打数0安打2四球だった。

2005年、一年を通じて5番に定着し、最終的には打率3割を越え、出塁率と得点圏打率はチームトップの成績だった。8月23日の横浜戦では、右肩痛のためプロ入り後初めて一塁手として出場した。また、オフに守備の負担を減らせば4番打者を務めることができると考えた原辰徳監督に一塁手への配置転換を提案されたが、「捕手として勝負したい」と辞退した。

2006年ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出されたが、前年の故障の影響で辞退した。打率は4年ぶりに3割を割り、自己ワーストの10本塁打に終わったが、キャリアハイの盗塁阻止率.443を記録した。10月18日に、元・日産ミスフェアレディの一般女性との結婚を発表した。

主将、4番

2007年、主将に任命された。6月9日の楽天戦で巨人軍第72代4番となり、2本塁打5打点と活躍した。また、6月14日のオリックス戦で、平野佳寿から満塁本塁打を放ったが、これはプロ野球史上初の球団通算200満塁本塁打となった。オールスター第2戦ではMVPを獲得した。9月25日には33本塁打を放ち、自身初の100打点を達成した。これは2003年の城島健司(当時ダイエー)以来、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成となった(セ・リーグでは門前真佐人以来2人目で、57年ぶりの記録)。2008年北京オリンピック野球日本代表予選3試合に出場し、打率.769(13打数10安打)4打点を記録し、最優秀打者賞・MVPを獲得した。

北京オリンピック日本代表での阿部
2009年日本シリーズ優勝パレードでの阿部慎之助(2009年11月22日撮影)

2008年は本塁打1本に付き1万円を慈善団体に寄付するようになった。北京オリンピック代表に選出され、8試合に出場した。優勝が決定した10月10日の試合では2打点を挙げるが、牽制球で2塁へ帰塁した際に右肩を負傷した。その結果、クライマックスシリーズは欠場し、日本シリーズは代打・指名打者として出場し、1本塁打含む打率.400を記録するも、捕手の守備につく事はできなかった。

2009年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された。城島が正捕手として起用されたため出場機会には恵まれなかったが、第2ラウンド1組1位決定戦では捕手として先発出場した。

シーズンではスタメンを外れたり、セス・グライシンガーの先発時は鶴岡一成がマスクを被った一方で、4年ぶりに一塁手で出場する事もあった。9月には5試合で7本塁打を放つ活躍で月間MVPを受賞した。チームトップ、リーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率、リーグ1位の長打率を記録し、連覇に貢献した。9月18日のヤクルト戦では、巨人の捕手で史上初となる通算200本塁打を達成した。日本シリーズでは日本ハムと対戦し、第5戦で武田久からサヨナラ本塁打、第6戦では武田勝から決勝打を記録し、ピンチの場面で3番・稲葉篤紀、4番・高橋信二を三振に仕留める好リードで、日本一を達成し、シリーズMVPを受賞した。

2010年5月21日の楽天戦で永井怜から本塁打を放ち、10年連続2桁本塁打を達成した。巨人では長嶋茂雄・王貞治・原辰徳・松井秀喜高橋由伸に次ぐ6人目だった。6月19日の中日戦では浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、6度目の20本塁打を記録した。そして、2004年以来となる両リーグ最速の20本塁打を記録(同日、クレイグ・ブラゼルも記録)した。このペースは2004年に次ぐものであった。さらに、6月は打率.375、14本塁打、21打点の成績で月間MVPに選出された。9月11日の広島戦で、捕手としては野村克也・田淵幸一に次ぐ史上3人目のシーズン40本塁打を達成した。捕手としては球団初、左打者の捕手としても史上初の記録であった。本塁打率は2年連続でセ・リーグ1位だった。契約更改では、4億円を提示された。

2011年東日本大震災の影響で日程が遅れたことに加え、4月5日の阪神との練習試合で右ふくらはぎを負傷し、開幕に出遅れた。その後は二軍での調整を経て、交流戦初戦の楽天戦で5番・捕手で一軍復帰すると、初安打を放った。その後も正捕手としてだけではなく、終盤はラミレスに代わって4番に定着するなど、攻守にわたってチームを牽引した。9月29日の横浜戦では谷繁元信が打ち立てた、セ・リーグ記録の連続守備機会無失策1708を抜く、新記録の1709を達成した。最終的には114試合に出場して、打率.292、114安打、61打点を記録したが、開幕から1ヶ月欠場した影響で8年ぶりに規定打席には到達できなかった。チーム2位の20本塁打と5年連続の20本塁打を達成した。シーズン中には、第7回「ジョージア魂賞」を受賞し、JA全農Go・Go賞は、8月の「最多盗塁阻止賞」部門、9月の「最多二塁打、三塁打賞」部門、10月の「最優秀賞」と3か月連続で受賞した。また、5年連続となるベストナインにも選出された。契約更改では、怪我で出遅れながらもナインを牽引したことが評価され、現状維持の4億円(推定)で更改した。

2012年1月に第3子が誕生した。主に4番で起用され、史上最多タイとなる年間3度の月間MVPを受賞するなどチームを牽引し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者、打点王、最高出塁率を獲得した。本塁打もウラディミール・バレンティンに4本差の2位であり、一時は三冠王も視界に入れた。打率.3404は1991年に古田敦也が記録した.3398を上回る捕手の最高記録であり、打点は両リーグで唯一100を超える104を記録した。また、三振数も規定打席到達者の中でセ・リーグ最少で、出塁率・長打率も12球団トップだった。リード面でもチーム防御率2.16は、1966年の西鉄ライオンズ(2.13)以来の好成績となった。日本シリーズでは、3戦目に右膝裏を痛めて途中交代し、4戦目と5戦目に出番はなかったが、6戦目は4番・捕手で出場し、7回裏に決勝適時打を打ってチームを日本一に導いた。また、原監督と共に正力松太郎賞を受賞し、さらにセ・リーグMVPにも選出された。11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され、 代表入りした。契約更改では5億7000万円(推定)の1年契約で更改。佐々木主浩、松井秀喜に次ぐNPBで日本人史上3位の超高額年俸となった。12月4日に第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され、候補入りした。

2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人が発表され、代表入りし、2大会連続2度目の選出となった。同大会では、主将、4番、正捕手の三役を兼任した。1次ラウンドでは無安打も、3月12日のオランダ戦では自身初かつWBC史上初の1イニング2本塁打を記録した。しかし、準決勝のプエルトリコ戦では好機に3度凡退し、チームは敗戦を喫した。阿部は全7試合に出場し、チーム最多タイの7打点を記録した。

シーズンでは昨年に続き安定した活躍を続け、攻守に渡ってチームを牽引した。優勝マジックを1として迎えた9月21日の広島戦で、試合開始10分前に肩に強い違和感を持ち欠場した。代役で井野卓が急遽起用された。診断の結果、帯状疱疹に感染していることが明らかとなった。それでも翌日の9月22日の広島戦、1点リードの9回にマスクを被り出場した。チームの顔として優勝の瞬間にグラウンドに立ち、ビールかけにも参加した。昨年ほどの傑出した成績ではなかったものの、3年ぶりに30本塁打を記録するなど、この年も各部門で高い数字を記録した。また、年俸が6億円に上がり、松井秀喜と並ぶ球団最高年俸タイ記録、NPBでは史上2位タイ記録となった。

2014年5月1日のヤクルト戦で西村健太朗の逆玉を捕った際に首を痛め、途中交代した。6月7日の西武戦で岸孝之から本塁打を放ち、球団歴代本塁打数332本で並んでいた松井秀喜を抜いて球団歴代単独4位に浮上した。なお、この本塁打で捕手では史上5人目となる通算1000打点も達成した。7月11日の阪神戦では、プロで初の退場処分。7月25日の中日ドラゴンズ戦では、球団史上6人目となる通算3000塁打を達成した。しかし、怪我や不振に泣かされ、一塁手として出場することもあった。本塁打数も19本に終わり、2006年の10本以来、8年ぶりに20本を下回った。打率.248は規定打席到達者の中で最下位だった。クライマックスシリーズでは全試合4番に座り、第1戦に藤浪晋太郎から本塁打、第3戦ではランディ・メッセンジャーから先制適時打を放ったが、この2安打のみと不振だった。なお、第3戦の適時打はCS4試合の中でチーム唯一の適時打だった(それ以外の得点は本塁打と犠飛)。オフの10月22日、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された。11月6日、捕手部門で2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した。不振により年俸は5億1000万円(推定)へとダウンしたが、球界最高年俸は変わらなかった。

一塁へコンバート

2015年は捕手から一塁手にコンバートされ、開幕から一塁手として出場したが、相川亮二が離脱したこともあり、急遽4月3日の阪神戦で捕手に復帰した。これを記念し4月15日に、「I'm back! Tシャツ」が発売された。4月18日、右太腿裏の肉離れで登録抹消された。7月1日の広島戦で通算350本塁打を達成した。自主トレからハイペースで猛練習した影響で、開幕前に疲労が蓄積した。幾度も離脱し、111試合の出場で打率.242、15本塁打、47打点の成績に終わった。CSのファイナルシリーズでは打率.688を記録。年俸は選手の減額制限である40%近くの36%(1億8400万円)ダウンを受け入れ、3億2600万円でサインした。巨人としては球団史上では金額面で過去2番目、12球団でも4番目となる下げ幅だった。

2016年は当時の監督である高橋由伸の方針で再び捕手登録に戻ったが、オープン戦で肩に違和感を覚えて登録抹消され、開幕二軍で迎えた。5月31日のオリックス戦で一軍復帰し、本塁打を放った。さらに、7月8日のDeNA戦から8月10日のDeNA戦まで23試合連続安打を記録し、自己最長連続安打となった。最終的に91試合の出場で規定打席には到達できなかったが、打率.310、12本塁打、52打点を記録し、4番として随所で活躍を見せた。一塁手または指名打者としての出場となり、プロ入り後、初めて捕手での出場が0のシーズンとなった。年俸は6600万円ダウンの2億6000万円(推定)となった。

2017年は再び内野手登録となった。3月31日の中日との開幕戦で大野雄大から本塁打を放ち、自身初のシーズン初打席での本塁打を記録し、4月1日の中日戦でも田島慎二から逆転サヨナラ3ランを放った。6月18日のロッテ戦で佐々木千隼から本塁打を放ち、通算382本塁打として原辰徳に並んだ。さらに第2打席で2打席連続本塁打を記録して通算383本塁打となり、原を抜いて球団歴代単独3位となった。8月13日の広島戦で今村猛から安打を放ち、NPB史上49人目の通算2,000安打を達成した。巨人の生え抜きでは1980年の柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀以降の巨人のドラフト指名選手では初の快挙であった。巨人の背番号10を付けた選手では、2,000安打達成者が3人(阿部の前の達成者は、張本勲駒田徳広)輩出されることとなった。3年ぶり、内野手登録となってからは初めて規定打席に到達し、打率は.262と振るわなかったものの、17年連続2桁本塁打となる15本塁打・76打点を記録した。

2018年岡本和真の飛躍によりレギュラーを奪われ、怪我以外の理由では初めて開幕スタメンを外れた。その後は主に代打での出場が続いたが出場機会に恵まれず、初安打は4月29日と遅れた。それでも随所での活躍が光り、10月1日のヤクルト戦では10本塁打を放った。これで入団1年目から18年連続での2桁本塁打となり、清原和博、張本勲に次ぎ歴代3位となった。岡本の台頭でスタメン出場は少なかったものの、一年通して大きな怪我もなく、一度も登録抹消されずに終えた。

捕手に復帰、そして現役引退へ

2019年は監督に復帰した原辰徳と協議し、再び捕手に復帰することを決意した。小林誠司宇佐見真吾(現 北海道日本ハムファイターズ)、大城卓三、そして埼玉西武ライオンズからFAで新加入した炭谷銀仁朗との正捕手争いとなった。しかし、キャンプ中に度重なる怪我に悩まされて、捕手は宇佐見を除いて3人体制となり、阿部は代打の切り札として開幕一軍入りした。 6月1日の中日戦で田島慎二から本塁打を放ち、史上19人目となる通算400本塁打を達成した。 巨人での通算400本塁打達成は王貞治、長嶋茂雄に次ぐ3人目であり、巨人の捕手では史上初の達成となった。また、捕手の通算400本塁打達成は野村克也、田淵幸一以来、史上3人目だった。捕手で1666試合出場しており、捕手で通算1000試合出場、あるいは通算2000本安打を達成しての通算400本塁打は野村に次いで2人目だった。本塁打王なしでの通算400本塁打は5人目であった。6月9日のロッテ戦で田中靖洋から本塁打を放ち、通算229人の投手から本塁打を記録というNPB新記録を樹立した。6月13日の西武戦で本塁打を放ち、通算230人の投手から本塁打を記録し、記録を更新。交流戦での通算本塁打数をセ・リーグ初となる60本塁打とした。7回には粟津凱士から二塁打を打ち、史上42人目(球団の生え抜き選手では川上哲治、長嶋、王に次ぎ4人目)の通算350二塁打を達成した。捕手として400本塁打・350二塁打を達成した選手は野村克也以来、史上2人目だった。セ・リーグでは史上初の快挙だった。 上原浩治の引退により、長嶋監督時代に巨人に在籍していた最後の現役選手となった。 原監督とも協議した結果、2019年限りで現役引退することを決断し、9月23日の東京ヤクルトスワローズ戦終了後のミーティングでチームメートに涙ながらに伝達した。巨人軍公式のTwitterとYoutubeチャンネルで公開された。9月25日には引退会見が行われた。

9月27日のDeNAとの本拠地最終戦で、「ありがとう慎之助」と銘された記念試合が行われ、2015年5月31日以来1580日ぶりに4番捕手として出場した(捕手での出場は2015年6月6日以来)。初回は引退会見で自らもう一度球を受けたいと名前を挙げ、来日初先発となったスコット・マシソンを好リードし、2回は救援登板した中央大学の後輩でもある澤村とマウンドで握手を交わしてから一塁手の守備に就き、4回裏に中川虎大から通算406本塁打を放ち、8回まで出場を続けた。9月28日のヤクルト戦がシーズン最終戦及び公式戦最後の試合となり、代打で出場も申告敬遠され、中央大学の後輩でもある鍬原拓也を代走に送られた。これについては「俺らしい。史上初じゃない? 球史に残る偉大な記録じゃないかな」とコメントした。

日本シリーズでは全4試合(1~3戦目は5番打者でスタメン)に出場し、初戦の第1打席では令和日本シリーズ初得点となるソロ本塁打を放つなど活躍したがチームはソフトバンクに4連敗を喫し現役を終えた。

日本シリーズ終了後、2020年から二軍監督を務めることが発表された。11月1日、任意引退公示された。

選手としての特徴

捕手の守備に就く阿部

打撃

強打、強肩の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年において両リーグ最高打率となる.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向に捻るツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。

左打者ながら左投手も苦にせず、2006年から2010年まで左投手に対して打率.283を記録し、統一球導入後の通算でも打率.327を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという。また、父からの「力に頼ることなく基礎の技術を大事に素直に打ちなさい」という教えを忠実に守っており、練習でのフリーバッティングにおいても強引に引っ張るのではなく、逆方向へ打ち返す練習を現在も行なっている。下半身の強靭さが必要なツイスト打法 を使いこなす一方で、左打者で一塁到達4秒台後半の鈍足である。

守備

スローイング面では2010年には両リーグトップの進塁阻止率を記録。アマチュア時代から強肩に定評があり、スローイングの制球も安定している。試合後のアイシングやオフの鍼治療などで肩のケアには気を配っているが、肩の消耗のため「大学時代が一番スローイングは良かったかな?」と思うこともあるという。

リード面では「直感型とデータ型に分類するのではなく、両方が必要だと思っている。リードに関しては正解がないから、臨機応変に対応できることが一番」と話している。キャプテンシーが高く評価されており、チームメイトからは「ミットを構えた時の安心感があるし、声をかけてくれるタイミングも抜群」との信頼を得ている。2015年以降は故障の影響から負担の少ない一塁手としての出場が多くなっている。

主将として

2007年から2014年まで8年間にわたってチームの主将を務めたことで、緊張感のないプレーや不甲斐ない姿を晒す選手に対しては厳しい言葉を発することがあった。また、毎年1月に行われる自主トレには、坂本勇人や小林誠司を始め多くの若手選手を自費で帯同させていた。

2011年、シーズン終盤の10月6日の横浜戦に先発した東野峻が7回2安打2失点の投球を見せたが、5四球出したことで「この成績で満足するなら野球やめたほうがいいんじゃないか」と苦言を呈した。

2012年の日本シリーズ第2戦では先発の澤村拓一が初回にピンチを招いたが、この際牽制球のサインを見逃したことで一度タイムを取ってマウンドに行って澤村の頭を叩いた。これで澤村は奮起し、8回無失点の好投で日本シリーズ初登板初先発初勝利を飾った(詳細は2012年の日本シリーズ)。7年後の阿部の引退試合においては、2回に登板した澤村に対しサインが合わずマウンドへ駆け寄る阿部が澤村を叩こうとしたところで握手、というこのシーンを再現した一幕が見られた。

その他

総合評価指標WARにおいて、2012年、2013年にはそれぞれ9.7、8.4といずれも両リーグNo.1の数値を記録 する。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2001 | 巨人 | 127 | 428 | 386 | 40 | 87 | 18 | 0 | 13 | 144 | 44 | 3 | 0 | 2 | 2 | 31 | 7 | 7 | 79 | 9 | .225 | .293 | .373 | .666
2002 | 127 | 511 | 446 | 62 | 133 | 26 | 0 | 18 | 213 | 73 | 4 | 1 | 4 | 3 | 46 | 12 | 12 | 81 | 10 | .298 | .377 | .478 | .854
2003 | 94 | 371 | 314 | 46 | 95 | 15 | 1 | 15 | 157 | 51 | 1 | 1 | 3 | 4 | 40 | 6 | 9 | 52 | 7 | .303 | .392 | .500 | .892
2004 | 108 | 436 | 379 | 61 | 114 | 22 | 1 | 33 | 237 | 78 | 0 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | 13 | 87 | 6 | .301 | .391 | .625 | 1.016
2005 | 130 | 534 | 476 | 56 | 143 | 16 | 0 | 26 | 237 | 86 | 0 | 2 | 0 | 6 | 51 | 4 | 1 | 78 | 15 | .300 | .365 | .498 | .863
2006 | 129 | 497 | 452 | 39 | 133 | 26 | 2 | 10 | 193 | 56 | 0 | 2 | 4 | 2 | 35 | 4 | 4 | 76 | 8 | .294 | .349 | .427 | .776
2007 | 140 | 580 | 499 | 72 | 137 | 20 | 0 | 33 | 256 | 101 | 1 | 2 | 3 | 10 | 57 | 7 | 11 | 76 | 17 | .275 | .355 | .513 | .868
2008 | 125 | 484 | 428 | 60 | 116 | 27 | 0 | 24 | 215 | 67 | 1 | 1 | 4 | 0 | 44 | 5 | 8 | 66 | 17 | .271 | .350 | .502 | .852
2009 | 123 | 462 | 409 | 63 | 120 | 20 | 2 | 32 | 240 | 76 | 1 | 1 | 2 | 7 | 34 | 0 | 10 | 87 | 9 | .293 | .357 | .587 | .943
2010 | 140 | 569 | 498 | 85 | 140 | 27 | 2 | 44 | 303 | 92 | 0 | 0 | 1 | 1 | 58 | 3 | 11 | 91 | 8 | .281 | .368 | .608 | .976
2011 | 114 | 437 | 390 | 45 | 114 | 21 | 0 | 20 | 195 | 61 | 1 | 1 | 2 | 1 | 35 | 2 | 9 | 66 | 12 | .292 | .363 | .500 | .863
2012 | 138 | 556 | 467 | 72 | 159 | 22 | 1 | 27 | 264 | 104 | 0 | 0 | 2 | 8 | 69 | 6 | 9 | 47 | 11 | .340 | .429 | .565 | .994
2013 | 135 | 529 | 422 | 81 | 125 | 17 | 0 | 32 | 238 | 91 | 0 | 0 | 0 | 6 | 86 | 9 | 15 | 59 | 8 |&n
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出典:wikipedia
2019/12/16 17:01

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