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青山学院大学とは?

【大学設置】
1949年
【創立】
1874年
【学校種別】
私立
【設置者】
学校法人青山学院
【本部所在地】
東京都渋谷区渋谷4-4-25
【キャンパス】
青山(東京都渋谷区)
相模原(神奈川県相模原市中央区)
【学部】
文学部
法学部
教育人間科学部
経済学部
経営学部
国際政治経済学部
総合文化政策学部
理工学部
社会情報学部
地球社会共生学部
【研究科】
文学研究科
教育人間科学研究科
経済学研究科
法学研究科
経営学研究科
国際政治経済学研究科
総合文化政策学研究科
理工学研究科
社会情報学研究科
国際マネジメント研究科
法務研究科
会計プロフェッション研究科
【ウェブサイト】
青山学院大学公式サイト

青山学院大学(あおやまがくいんだいがく、英語: Aoyama Gakuin University)は、東京都渋谷区渋谷4-4-25に本部を置く日本私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は英略 AGAGU青学(あおがく)、青学大(あおがくだい)、青山(あおやま)、アホ学

地理院地図 Googleマップ 青山学院大学

目次

  • 1 概観
    • 1.1 大学全体
    • 1.2 校名の由来
    • 1.3 教育および研究
  • 2 建学の精神
  • 3 沿革
    • 3.1 略歴
    • 3.2 大学昇格の遅れ
    • 3.3 年表
  • 4 基礎データ
    • 4.1 所在地
  • 5 象徴
    • 5.1 校歌
    • 5.2 イーゴ(大学のマスコット)
    • 5.3 校章
    • 5.4 スクールカラー
  • 6 学部・学科
    • 6.1 文学部 (青山キャンパス)
    • 6.2 教育人間科学部 (青山キャンパス)
    • 6.3 経済学部 (青山キャンパス)
    • 6.4 法学部 (青山キャンパス)
    • 6.5 経営学部 (青山キャンパス)
    • 6.6 国際政治経済学部 (青山キャンパス)
    • 6.7 総合文化政策学部 (青山キャンパス)
    • 6.8 理工学部 (相模原キャンパス)
    • 6.9 社会情報学部 (相模原キャンパス)
    • 6.10 地球社会共生学部 (相模原キャンパス)
  • 7 大学院
    • 7.1 (専門職大学院)
    • 7.2 附属機関
  • 8 教育および研究
    • 8.1 研究
      • 8.1.1 21世紀COEプログラム
      • 8.1.2 私立大学学術研究高度化推進事業
    • 8.2 教育
    • 8.3 ランキング
  • 9 学生生活
    • 9.1 自治活動
    • 9.2 年間行事 (2017年度)
    • 9.3 部活動/サークル活動
      • 9.3.1 学友会直属組織
      • 9.3.2 学友会附置委員会
      • 9.3.3 文化連合会加盟組織
      • 9.3.4 体育連合会加盟組織
      • 9.3.5 サークル
    • 9.4 アドバイザー・グループ
    • 9.5 学園祭
    • 9.6 クリスマスツリー点火祭
  • 10 関係者組織と出身者
    • 10.1 大学関係者組織
    • 10.2 大学出身者
  • 11 キャンパス
    • 11.1 現在のキャンパス
    • 11.2 過去に存在したキャンパス
  • 12 施設
    • 12.1 学生食堂
    • 12.2 青山学院購買会・ショップ
    • 12.3 総合研究所ビル
    • 12.4 ガウチャー・メモリアル・ホール
    • 12.5 青山学院アスタジオ
    • 12.6 青山学院記念館
    • 12.7 青山学院講堂
    • 12.8 青学会館
    • 12.9 本多記念国際会議場
    • 12.10 新図書館
  • 13 登録有形文化財
    • 13.1 間島記念館
    • 13.2 ベリーホール
  • 14 対外関係
  • 15 他大学との協定
    • 15.1 スポーツ
    • 15.2 地域交流
  • 16 系列学校
  • 17 脚注
  • 18 Wiki関係他プロジェクトリンク
  • 19 関連項目
  • 20 公式サイト

概観

青山キャンパス内にある、メソジスト指導者ジョン・ウェスレー
青山キャンパス校門

大学全体

学校法人青山学院は、明治時代初期に米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師たちが設立した3つの学校を母体とするキリスト教主義学校(ミッションスクール)である。学院院長・理事長および大学長・短期大学長を除く設置学校の長はキリスト者であることが義務付けられている(かつては大学長も)。そのため現在でもキリスト教を教育の基本におき、「キリスト教概論」の講義は、建学理念のバックボーンを理解するために必修科目として位置づけられている。

校名の由来

住所は渋谷区だが、青山学院の前身の東京英学校が築地から1883年に移転し東京英和学校となった当時は、藤原北家花山院流で江戸時代には譜代大名明治維新後は華族青山氏の邸宅があったことから周辺が「青山」と呼ばれる土地で、住所も東京府赤坂区青山南町七丁目だったからである(なお初等部の一部は元小松宮家の土地)。青山南町七丁目は1889年市制町村制施行に伴い南豊島郡渋谷村(1909年町制施行、1932年東京市に編入され渋谷区となる)に編入、1928年に町名は緑岡町と変更され、1966年住居表示実施に伴い現在の地名となった。本学の地である 「青山」が冠され、ミッションスクールとして、「College」すなわち「学院」として「青山学院」と名付けられた。

教育および研究

青山学院大学は、アメリカ宣教師が建てた学校が前身であるがゆえに欧米型カレッジのリベラルアーツ教育の流れをくんでいる。それゆえ、戦前からの伝統として、知識偏重にならないために、幅広い教養教育(リベラル・アーツ)を重視した方針をとっており、独自に「青山スタンダード」という全学部必修の教養科目の制度をとっている。学生への教養教育カリキュラムを実施する以外に地域社会への貢献と一般人の素養を深めることを目的として各キャンパスで年に4 - 5種の公開講座を実施している。これらの公開講座は週に一度、5週間にわたって行われ、事前の申し込みをしておけば無料で参加できるようになっている。内容・講師の手配は講座を受け持つ教員(持ち回り制)に一任されており人文科学社会科学自然科学のそれぞれの分野において毎年異なったものが開かれている。

キリスト教主義学校である青山学院大学は源流となる学校が出来た当初から聖書の授業を全学部学科において必修としており、専門学校の認可を受けた後も神学部を備えていた。その精神は大学設立後も受け継がれ、設立当初には文学部基督教学科があった。その後1961年に文学部神学科へと改組されたが、学園紛争の混乱の中、理事会の決定により1971年に廃止された。同学科は形式上は大学から分離し、同時期に同じく分離された明治学院大学神学部東北学院大学神学部を合わせ東京神学大学となっている。

英語教育に熱心であり、英語の教育制度が整っており、「英語の青山」と称される。

建学の精神

スクール・モットー

「地の塩、世の光(The Salt of the Earth,The Light of the World)」(聖書マタイによる福音書(5章13 - 16節))

青山学院大学の理念

青山学院大学は、「青山学院教育方針」に立脚した、神と人とに仕え社会に貢献する

「地の塩、世の光」としての教育研究共同体である。
本学は、地球規模の視野にもとづく正しい認識をもって自ら問題を発見し解決する知恵と力を持つ人材を育成する。
それは、人類への奉仕をめざす自由で幅広い学問研究を通してなされる。
本学のすべての教員、職員、学生は、相互の人格を尊重し、建学以来の伝統を重んじつつ、

おのおのの立場において、時代の要請に応えうる大学の創出に努める。

沿革

略歴

初代院長ロバート・S・マクレイ
第二代院長本多庸一
ガウチャーホール(明治20年建設)、現存せず

学校法人青山学院は、明治7年(1874年)にD.E.スクーンメーカーによって麻布本村町に設立された「女子小学校」と明治11年(1878年)にジュリアス・ソーパーによって築地に設立された男子校の「耕教学舎」、明治12年(1879年)にロバート・S・マクレイによって横浜山手に設立された男子校「美會神学校」を母体としており、2014年に創立140周年を迎える。それぞれの学校は全て米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師によって設立されており、現在でも青山学院はキリスト教プロテスタントメソジスト派ミッションスクールである。

現在の青山の地に校舎を構えたのは、東京英学校(耕教学舎の後身)と、美曾神学校が合同することとなった明治15年(1882年)の翌年のことである。合同に際して「東京英和学校」と改称し、予備学部、高等普通学部、神学部が設置され、敷地内に欧風建築が立ち並んだ。また青山キャンパスの購入にあたって莫大な私財を投じたジョン・F・ガウチャーが、日本に“Anglo Japanese University of Tokio and Awoyama”(東京青山英和大学)というメソジスト派の大学を設立するという将来発展のヴィジョンを示していた。その後、本多庸一が校長を務めていた1894年に、現在の青山学院へと改称する。 1899年に私立学校令が公布されたが、この令では宗教教育を禁止していたため、青山学院は建学の精神を優先し、文科省の公認にはこだわらなかった。1904年には、青山学院高等科・神学部、及び青山女学院英文専門科(女子小学校の後身)は旧制専門学校の認可を受ける。その後、1927年に青山女学院(女子小学校の後身)との統合が文部省(現:文部科学省)に認められ、統合に至った。そして戦後になり、1949年学制改革に際して、青山学院大学として開校するに至った。

当初は文学部(英米文学科/基督教学科)、商学部工学部の3学部が設置されていたのみであったが、その後工学部の譲渡、商学部の改組、法学部理工学部国際政治経済学部・教育人間科学部・総合文化政策学部・社会情報学部の設置を行い、現在は9学部を擁する総合大学である。
1965年の理工学部設置の際には理工学部専用の廻沢キャンパス(後の世田谷キャンパス)を、1982年には1,2年次の学生対象の厚木キャンパスを開設したものの、厚木キャンパスは厚木市北西の丘陵部にあったため、交通アクセス面で不都合で、世田谷キャンパスの老朽化も相まって、以前の世田谷、厚木両キャンパスを閉鎖・統合する格好で、2003年神奈川県相模原市に相模原キャンパスを開設した。2008年には、2012年4月より文系学部を青山キャンパスに全面移行させることを発表していたが、移転する学生の受け入れ先として建設していた校舎が東日本大震災の影響で竣工の遅延が確実になり、2013年からへの移行と発表された。

大学昇格の遅れ

青山学院の創立は1874年であるが、大学昇格されたのは戦後に入ってからである。1899年に私立学校令が公布され、青山学院も大学昇格を企図したが、この令では宗教教育を禁止し実質的にキリスト教の私立学校を弾圧するものであったため、青山学院は建学の精神を優先し、文部省の公認にはこだわらずに昇格を見送った。

しかし、1910年6月に開催されたエディンバラ宣教会議(本多庸一院長出席)をきっかけとして超教派のキリスト教主義連合大学構想が本格的に議論されるようになる。青山学院は明治学院とともに連合大学構想の旗振り役であり、1915年には大学創立準備の常任委員会も設置され、1917年までに「東亜大学」を設置することを決議している。しかしこの間、同志社立教学院関西学院などは独自路線を選んだため、1918年の大学令公布を機に、青山学院も独自の大学設置計画を進めることを1920年12月13日の理事会で決議した。しかし、翌年の高木壬太郎院長の急逝、さらに関東大震災の発生という不運が重なり、それまでの拡張計画は消し飛んでしまった。

その後は被災校舎の再建と教育内容の充実を優先し、「大学昇格については暫く静観」を余儀なくされたが、1939年に院長に就任した笹森順造は再び昇格を企図し、宗教科・英学科・経済科を中心とする大学組織案を1942年4月1日の「青山学院報」に公表した。しかし、戦時下にあって文科系大学の設置は実現の見込みなしとして同年秋の理事会で大学設置案はまたしても先送りとなった。

青山学院が明治期から抱き続けた大学昇格の宿願は結局、戦前期を通じて果たせぬままとなった。

年表

【年表】
沿革
1874年 | 麻布女子小学校設立(1875年に救世学校に改称。1877年に築地に移転し海岸女学校へ改称。)。
1878年 | 築地に耕教学舎設立。
1879年 | 横浜美會神学校設立。
1881年 | 耕教学舎が東京英学校と改称。
1882年 | 美會神学校が東京英学校に合同。
1883年 | 東京英学校が現在の青山の土地へ移り、「東京英和学校」と改称する。
1888年 | 海岸女学校の上級生を青山に移し、東京英和女学校と改称(後の1894年には海岸女学校を閉鎖し、東京英和女学校へ統合)。
1894年 | 東京英和学校を青山学院に改称。
青山キャンパスに神学部・普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を設置。
1895年 | 東京英和女学校を青山女学院に改称。神学部・普通学部(高等科・予備科・普通科)手芸部、幼稚園(1899年閉園)を設置。
1904年 | 青山学院高等科・神学部、および青山女学院英文専門科が専門学校の認可を受ける。
1923年 | 関東大震災により大講堂、高等学部(勝田館)、中学部、神学部の各校舎大破。
1927年 | 青山女学院を青山学院に統合。高等科を高等学部に改組。
1935年 | 高等学部を文学部と高等商学部に改組し、文学部に英文科、英語師範科、高等商学部に商科を設置。
1943年 | 神学部を閉鎖。
1944年 | 専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院に譲渡。
青山学院工業専門学校を開校。
1946年 | 青山学院工業専門学校から青山学院専門学校と改称。
英文科・経済科・機械科・土木建築科を設置。
女子専門部を青山学院女子専門学校に改称。
米海軍横須賀基地第4代司令官であるデッカー大佐が、
従軍牧師のリッカーを介しキリスト教学校を通じた平和と民主主義の教育を提案。
神奈川県横須賀市古坂嵓城が分校の設立を決定。
1947年 | 海軍工機学校の設備を利用し、青山学院横須賀分校専門部機械科・土木建築科を設立。
1948年 | 第二高等部が設立される。
1949年 | 青山学院大学開学、文学部英米文学科・基督教学科、商学部、工学部を設置。
渋谷キャンパス復興で維持困難のため、横須賀分校を閉鎖。
1950年 | 工学部を関東学院大学に譲渡。
横須賀分校跡地を地元教会関係者に譲渡。
第二部英米文学科、文学部教育学科、第二部教育学科、第二部基督教学科、第二部商学科を設置。
1951年 | 「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更。
1952年 | 大学院文学研究科を設置。
1953年 | 商学部を経済学部(商学科・経済学科・第二部)に改組。
大学院経済学研究科、基督教学専攻科を設置。
1956年 | 基督教学専攻科を廃止。
1959年 | 法学部(法律学科)を設置。
1961年 | 基督教学科を神学科に改組。第二部基督教学科を廃止。
大学院法学研究科を設置。
1962年 | 文学部フランス学科を設置。
1963年 | 法学部法律学科を私法学科・公法学科に改組。
1965年 | 理工学部(物理学科・化学科・電気電子工学科・機械工学科・経営工学科)を設置。
廻沢キャンパス開設。
1966年 | 商学科を移行し、経営学部(商学科・経営学科・第二部商学科・第二部経営学科)を設置。
文学部日本文学科を設置。
1968年 | 文学部史学科を設置。
1969年 | 大学院理工学研究科修士課程を設置。
1970年 | 大学院経営学研究科を設置。
1971年 | 大学院理工学研究科博士課程を設置。
廻沢キャンパスが世田谷キャンパスに呼称変更。
1973年 | 経営学部商学科・第二部商学科を廃止。
1977年 | 文学部神学科を廃止。
1982年 | 国際政治経済学部(国際政治学科・国際経済学科)を設置。
厚木キャンパスを開設。
1986年 | 大学院国際政治経済学研究科を設置。
1987年 | 国際政治経済学部国際経営学科を設置。
2000年 | 理工学部機械工学科・経営工学科を機械創造工学科・経営システム工学科・情報テクノロジー学科に改組。
2001年 | 文学部教育学科心理学専修コースを文学部心理学科へ、法学部私法学科・公法学科を法学部法学科へ改組。
専門大学院国際マネジメント研究科を設置。
2003年 | 国際政治経済学部国際経営学科を廃止。
国際マネジメント研究科が専門職大学院に移行。
厚木キャンパス及び世田谷キャンパスを閉鎖し、相模原キャンパスを開設。
2004年 | 理工学部物理学科・化学科を物理・数理学科、化学・生命化学科へ再編。
理工学研究科を5専攻から1専攻8コースへ再編。
法務研究科(法科大学院)を設置。
2005年 | 会計プロフェッション研究科(会計専門職大学院)、法学研究科ビジネス法務専攻を設置。
2006年 | 国際政治経済学部国際コミュニケーションコースを同国際コミュニケーション学科に改組。
2008年 | 第二部経済学科、第二部経営学科を廃止。
総合文化政策学部総合文化政策学科、社会情報学部社会情報学科、
経済学部現代経済デザイン学科およびそれぞれに対応した大学院研究科を設置。
2009年 | 第二部教育学科を廃止。
文学部教育学科と文学部心理学科を教育人間科学部教育学科、教育人間科学部心理学科に改称。
経営学部マーケティング学科を設置。
横須賀学院と教育提携協定を締結
2011年 | 第二部英文学科の募集停止。
2012年 | 文学部比較芸術学科を設置。
2013年 | 文系学部を青山キャンパスに集約(都心回帰)。
2015年 | 相模原キャンパスに地球社会共生学部を設置。
2016年 | 横浜英和女学院中学高等学校系属校とし、2018年4月に男女共学化予定。仮称は「青山学院横浜英和中学高等学校」。

基礎データ

所在地

港区南青山の交差点からみた青山通り。左手に青山学院総研ビル。
「学生時代」歌碑、舞台となった青山キャンパスのチャペル前

象徴

校歌

イーゴ(大学のマスコット)

1999年に大学創立50周年記念として、オリジナルマスコットのイーゴ(EAGO)が制定された。二足歩行のの姿で、手に聖書を持っている。座右の銘は「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書第40章31節)であり、同マスコットは、この箇所の「」がモチーフになっている。

校章

校章の形で、中に青山の“A”、学院の“G”が書かれており、その下に大学の“UNIV”がblackmoor LETというフォントで書かれている。「中央および左右の先端は尖って高峰のごとく、側面の弧は豊かな頬を思わせるふくらみを持ち、全体が均整のとれた4つの弧で囲まれているようなもの」が正しい形と定められている。「信仰の盾」と呼ばれており、盾は聖書の中の「信仰を盾として」(新約聖書エフェソの信徒への手紙6章16節)を意味し、信仰の象徴を示している。

スクールカラー

青山学院大学のスクールカラーは、濃緑(ダークグリーン)、青緑(ターコイズブルー)である。

学部・学科

文学部 (青山キャンパス)

1949年、設置。文学・語学・歴史・芸術という人文学的教養を高めるとともに、それぞれの分野のものの見方を通して、"人間の営みと文化の本質"や21世紀のグローバル社会の在り方を考える。

教育人間科学部 (青山キャンパス)

2009年、設置。一人ひとりの"人間"を考究の対象とし、現代の人間が直面する、様々な問題の解決に取り組む行動力と自己教育力のある人材を育成する。

経済学部 (青山キャンパス)

1953年、商学部を改組し設置。ダイナミックに変化する世界経済のなかで、経済問題の核心を的確にとらえ、それらを解決する能力をもつ人材育成を展開する。

法学部 (青山キャンパス)

1959年、設置。経済活動などのグローバル化が進展する今、問題の解決や対処に役立つ法律の知識が注目される。こうした社会的要請に応える法学を専門的、多面的に学ぶ。

経営学部 (青山キャンパス)

1966年、設置。世界市場のなかで、明日を先取りしたビジネスを進めるには、確かなマネジメント戦略が必要不可欠である。最先端の情報技術などを駆使し、自立型のリーダーを育成する。

国際政治経済学部 (青山キャンパス)

1982年、設置。学科の枠を超えた学際的なカリキュラムによって、国際社会の理解と問題の解決に不可欠の多角的な視点を養い、国際政治や国際経済に積極的に関わることができる人間を育てる。

総合文化政策学部 (青山キャンパス)

2008年、設置。最先端の文化・芸術・情報の発信基地である"渋谷・青山エリア"に立地する本学の特色を最大限にいかして、文化創造の21世紀を担うクリエイティブな人材を育成する。

理工学部 (相模原キャンパス)

1965年、設置。理学2学科・工学4学科において、科学の最先端を切りひらく研究から各種の実用化を目指す開発まで、興味あるテーマの学びを深めることで、社会への深い使命感をもつ科学者・技術者を育成する。

社会情報学部 (相模原キャンパス)

2008年、設置。実社会で真に役立つ数理的素養・論理的思考・情報の高度な活用能力・豊かなコミュニケーション能力の修得を徹底し、21世紀における課題の発見と解決を可能とする人材を育成する。

地球社会共生学部 (相模原キャンパス)

2015年、設置。世界の人々と共通の目線で協働できる知恵と力、共生マインドをもち、かつ高い倫理観と社会奉仕の精神を備えたグローバル人材を育成する。

青山学院大学正門

大学院

高層化が進む青山キャンパス
2010Happy Mail