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青森ねぶたとは?

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青森ねぶた祭
Aomori Nebuta Festival
【イベントの種類】
祭り
【開催時期】
8月2日から7日
【主催】
青森ねぶた祭実行委員会
【来場者数】
269.0万人(2015年、入込客数)
【最寄駅】
JR青森駅
公式サイト
青森ねぶた(屋内に展示されている2009年の東北電力のねぶた)
(動画)青森ねぶたと祭りのお囃子

青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)は、青森県青森市8月2日から7日に開催される夏祭りであり、毎年、延べ200万人以上の観光客が訪れる。1980年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

目次

  • 1 起源・歴史
    • 1.1 題材
  • 2 開催状況
    • 2.1 青森市以外のねぶた・ねぷた
      • 2.1.1 青森ねぶたの遠征
        • 2.1.1.1 恒例となっているもの
        • 2.1.1.2 現時点で単発開催のもの
      • 2.1.2 各地のねぶた
  • 3 運行コース
  • 4 ねぶた祭りへの参加
  • 5 ねぶた師
    • 5.1 ねぶた師・製作団体一覧(敬称略、制作歴順 2017年度)
      • 5.1.1 千葉流
      • 5.1.2 北川流
      • 5.1.3 荒川流
      • 5.1.4 その他
    • 5.2 ねぶた名人
    • 5.3 かつて制作した主なねぶた師
      • 5.3.1 明治〜大正時代
      • 5.3.2 昭和時代
      • 5.3.3 昭和〜平成時代
    • 5.4 ねぶた師の系列
      • 5.4.1 千葉作太郎系
      • 5.4.2 北川金三郎系
      • 5.4.3 佐藤伝蔵系
      • 5.4.4 我生会一門(鹿内一生系)
  • 6 ねぶた大賞
  • 7 賞
    • 7.1 賞一覧(2018年現在)
    • 7.2 かつて設けられていた賞
  • 8 運行団体一覧(2018年 運行許可順)
    • 8.1 かつて運行していた団体
  • 9 「カラス族」問題
  • 10 ねぶたが出た映画
  • 11 その他
  • 12 放送について
  • 13 最古の写真
  • 14 脚注
  • 15 参考文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク

起源・歴史

浅虫ねぶた

以前、起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂陸奥国蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠太鼓ではやし立てたことを由来とするものである。このため、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として1962年に「田村麿賞」が制定された(現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている。後述)。しかし坂上田村麻呂が現在の青森県の地で征討活動をしたとは考えられず、ねぶたの起源とされたものも坂上田村麻呂伝説の1つと見られる。現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流で、現在の形式のねぶた祭りの発祥は浅虫ねぶたとされている。一方で、田村麻呂の側近である文室綿麻呂は史実の上で青森県まで達した可能性が高く、また青森ねぶたのみ、他の地域のねぶた・ねぷたと大きく異なる、日本の伝統音楽には他に類を見ないほどの勇壮な囃子であることから、蝦夷征伐説の可能性もなお否定できない。青森市内には妙見の大星神社(征伐軍の戦勝祈願)・幸畑地区の熊野神社(蝦夷の砦「甲田丸」跡)・沢山地区の稲荷社(蝦夷「屯慶」没所)等、蝦夷征伐を伝える痕跡が残っている。

藩政時代や明治時代には大型の灯籠を担いで町中を練り歩く行為に対ししばしば禁止令が出された。戦時中も禁止されたが、戦況が悪化した1944年には戦意高揚の為に解禁されており、「桃太郎の鬼退治」をもじった「桃太郎のルーズヴェルト退治」(製作者は北川金三郎)といったものが製作された。戦後は逆に進駐軍の影響により西洋への敵対的な表現ができなくなり、また刀を持ったねぶたも事実上制作不能だった。進駐軍撤退後には企業がねぶた運行の主体となり、観光の側面が強くなるようになった。人形型ねぶたは元々は竹を曲げて骨組みを作り、指等の細かい部分はその上に貼った和紙に筆で描いていた。昭和30年代に北川啓三というねぶた師が針金を用いて指を1本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こる。針金が登場した当時、一部では反発があったと言われているが、その表現性の高さから程なくして主流となった。北川によってロウソクだった内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功しより芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される。北川は既に他界しているが、現在の主流となっているねぶたの礎は北川が築いたと言える。その後、佐藤伝蔵鹿内一生によって更にねぶたの造形性が高められ現代のねぶたの形が整った。千葉作龍竹浪比呂央が郷土(青森)の題材をねぶたに取り入れた。

ねぶた作りは、

  1. 題材の決定
  2. 設計図となる下絵を描く
  3. 各パーツの製作(送りなどの製作)
  4. パーツ類を配置する為の骨組み
  5. 明かりを内側から灯す為の電気配線
  6. 針金の表面を覆う紙貼り
  7. 紙の上に黒いフチや線を描く書割り
  8. 着色時の色の混濁を防ぐロウ書き
  9. 白地に彩色する色付け
  10. 持ち上げて台車に設置する台上げ

というこれらの10の工程を経て完成する。

現在では最大サイズとして幅約9m、高さ約5m、奥行き約7mと言う規定がある。なお、明治から大正にかけてのねぶたは現在のものより背が高く、立った姿勢であった(写真が現存しており確認可能)。電気の普及により張り巡らされた電線を避ける目的で姿勢を低くして現在の形へと姿を変えていく中で前述した大きさの規定ができた。

題材

日本や中国の伝説や歴史上の人物、歌舞伎、神仏などを題材にすることが多いが近年では地元の伝説や偉人、テレビ番組(特にNHK大河ドラマ)などを題材にすることもある。三内丸山遺跡が発掘された翌年の1995年には、縄文を題材にしたものが登場した。青森市初代名誉市民である棟方志功の生誕100周年となった2003年には彼の版画を題材にしたものが登場した。

昭和30年代ごろまでは歌舞伎・中国の伝説(三国志水滸伝)・合戦物が大部分を占めており、中でも北川は同じ題材をほぼ毎年何度も制作していた。昭和40年代になると、それら以外にも様々なジャンルが増え、昭和50年代末頃には郷土(青森)のジャンルが確立された。現在では、これまでと同じ題材でも、構図に多くの工夫を凝らし、その結果毎年より高い水準となっている。また新たな題材に挑むねぶた師も存在しており、彼らによって新たな表現方法も開発されている。青森以外の地で開催される(以下、遠征と表記)場合には開催地に合わせた題材を選ぶことになる。

開催状況

毎年8月2〜7日まで開催される。このうち8月2〜6日が夜間運行である。7日は昼間運行であるが、夜に海上運行と花火大会が催される。また、8月1日には前夜祭が行われる。開催にかかる費用は、約2億2000万

青森のねぶたには大型ねぶた、子供ねぶた、地域ねぶたがある。子供ねぶた、地域ねぶたは主に町内会が主流となって運行するねぶたであり大きさも普通の大型ねぶたより一回り小さい。子供ねぶたは8月2・3日の2日間運行される。大型ねぶたは開催期中必ず運行されるが、奨励金の関係か2日と3日は大型ねぶたの運行台数が少ない。

昔は雨天中止になることもあったが、現在は雨天でもビニールをかぶせて運行される。ただし、ねぶたの形によっては一部がビニールに穴をあけてはみ出してしまうこともある。ビニールを突き破るのは持っている武器等細長い物や尖った物が多いが、馬の顔が突き出していたこともある。また強風によりビニールを飛ばされてしまうこともあり、そういった場合には運行終了後に修復しなくてはいけなくなる。

青森市以外のねぶた・ねぷた

青森ねぶたの遠征

渋谷センター街で運行されるねぶた(2009年)
恒例となっているもの
「青函ツインシティ交流」を結んでいる北海道函館市の「函館いか踊り」との間で、隔年で「ねぶた」と「いか踊り」の相互派遣が行われている。2006年は8月7日のねぶた昼間運行の先頭に「いか踊り」が登場し、2007年は函館に「ねぶた」が派遣された。
2005年より、毎年9月(金王八幡宮例大祭と同日)に東京都渋谷区渋谷センター街で開催。但し渋谷センター街自体道路が狭い為、青森ねぶたの半分程度の大きさのねぶた1基が製作させる。
開催当初より、例年ねぶた1基が参加している。9月第二土曜日に秋田県能代市で開催。竿燈さんさ踊りなどの東北内外の他の祭りと共演をする。
現時点で単発開催のもの
「とことん青森2010」原宿表参道で運行されたねぶた(2010年1月23日撮影)

各地のねぶた

詳細は「ねぶた#各地のねぶた一覧」を参照

青森県内では、大小さまざまなねぶた・ねぷたが合わせて約30市町村で作られている。以下は主なもの

青森県外では、ねぶたが祭りの一部に組み込まれている例が見られる。

運行コース

青森市内の国道4号、新町通り、八甲通り、平和公園通りで囲まれたエリアが運行コースとなる。

1982年まで市役所前又は新町通りと八甲通りの交差点から1台ずつ出発し、コースを右回りで回っていた。しかし祭りが佳境にはいったころ道幅の狭い新町通りにねぶたが入り、ハネトで通りが一杯になりねぶたがいつまでたっても前に進めないという問題点が指摘された。このため1983年に左周りにコースが改められた。

その後、1992年にねぶた団地(ねぶたの車両基地のようなところ)がそれまでの公園(青森市立浦町小学校に隣接)から観光物産館付近のラッセランドに移されスタート地点が新町通りと柳町通り付近の交差点となった。

しかし祭りが高潮するとハネトであふれかえるためゴール地点は常に渋滞し、祭りそのものがなかなか終了しないという問題は相変わらずであった。ねぶた祭は青森市内の幹線道路を2本も通行止めにするので、時間通りに祭りが終了しないと市民生活に与える影響も大きい。またこの頃から、増大するカラス族(後述)の問題が無視できなくなってきた。祭りがだらだらと運行されるとカラス族が最後尾に集合し、祭りそのものが彼らの格好の餌食にされてしまう。

そこで2001年にはあらかじめねぶたを配置し花火の合図で同時にスタートし花火の合図で同時に終了するという手法に改められ、コースも右周りとなった。これによりねぶたの列の始めと終わりがなくなり、運行もスムーズになった。また、祭りを破壊しに来るカラス族を少なくさせることにも成功した。

大太鼓などの先頭集団は青森市立橋本小学校前で待機している(2017年現在)。

一方で、花火の合図と同時に最高潮にある祭りが蜘蛛の子を散らすように終了するのは見ていて寂しいものがある。

なお最終日の7日に限り、現在でもねぶたが1台ずつ出発している(吹き流し)。

ねぶた祭りへの参加

ハネトの正装

ねぶたの運行に関して基本的な運営(ねぶたの隊列、山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。それ以外の重要なファクターとしてねぶたをロープで引っ張る子供(現在は形式だけで実際に引く団体は稀)、ハネトがある。特にハネトに関しては正式な装束をまとってさえいればどの団体のねぶたに参加しても自由であり、観光客でも参加することができる。県内のスーパーやデパートなどでは、花笠を除いて一式5000円程度で販売されている他、ねぶたの運行ルート上には衣装のレンタルを行っている所もある。こういった所では衣装の着付けもしてくれるので気軽にハネトとして参加することができる。

ねぶた師

祭りのメインである山車、ねぶたを作る制作者のことをねぶた師という。明治時代ごろまでは、ねぶたが町内単位での運行であったため、有志が制作していたが、ねぶたを企業などが運行するようになると、次第に名の立つ制作者が注文を受けるようになった。昭和時代になると、雑誌などで制作者のことを「ねぶた師」というようになる。2018年現在、ねぶた師は14人で、それぞれ作風が異なる。

ねぶた師・製作団体一覧(敬称略、制作歴順 2017年度)

※()内は大型ねぶた制作年

千葉流

千葉作龍(ちば さくりゅう)(1967年〜)
サンロード青森のねぶたを制作。第5代ねぶた名人。下記参照。1983年までは本名の千葉伸二を名乗って制作。
内山龍星(うちやま りゅうせい)(1987年〜)
青森市PTA連合会のねぶたを制作。千葉作龍の弟子。
竹浪比呂央(たけなみ ひろお)(1989年〜)
JR東日本、青森菱友会(三菱)のねぶたを制作。
林広海(はやし ひろみ)(2017年〜)
日本通運のねぶたを制作。千葉作龍の弟子。
立田龍宝(たつた りゅうほう)(2013年〜)
青森青年会議所、消防第二分団・アサヒビールのねぶたを制作。内山龍星の弟子。
手塚茂樹(てづか しげき)(2014年〜)
マルハニチロ侫武多会のねぶたを制作。竹浪比呂央の弟子。

北川流

北村隆(きたむら たかし)(1966年1969年1977年〜)
青森山田学園、ヤマト運輸、に組東芝のねぶたを制作。第6代ねぶた名人。下記参照。
北村蓮明(きたむら れんめい)(同上)
日立製作所、青森県板金工業組合、パナソニックのねぶたを制作。北村隆は双子の兄。
北村春一(きたむら しゅんいち)(2011年〜)
NTTグループのねぶたを制作。北村蓮明の実の息子である。
北村麻子(きたむら あさこ)(2012年〜)
青森市民ねぶた実行委員会のねぶたを制作。北村隆の娘で弟子。青森ねぶた史上初となる女性のねぶた師。

荒川流

京野和鴻(きょうの わこう)(2007年〜)
東北電力青森市役所のねぶたを制作。
大白我鴻(おおしろ がこう)(2005年〜2007年2009年〜)
青森県庁のねぶたを制作。

その他

諏訪慎(すわ まこと)(2004年〜)
ねぶた愛好会のねぶたを制作。
有賀義弘(ありが よしひろ)(2005年〜)
陸上自衛隊青森駐屯地のねぶたを制作。

私たちのねぶた自主制作実行委員会は、特定のねぶた師によって制作はなされていないが、ねぶた師と同等の役割を果たす責任者(制作指導者)が制作の指揮をとっている。

ねぶた名人

それぞれの時代において、優れた功績を残したねぶた師には名人位が贈られており、2012年現在で6人のねぶた名人がいる。4代までは名人位認定に対する明確な基準は無かったが、5代と6代が認定されるにあたって実力や実績(制作期間、受賞歴、後継者たる弟子の育成等)に対する基準が制定されている。

【代数】
【名前】
【生年月日】
【認定年月日】
【年齢】
【没年月日】
備考
初代 | 北川金三郎 | 1880年12月26日 | 1958年8月22日 | 78歳 | 1960年 | それまで竹で大ざっぱに作っていたねぶたを、針金で丁寧に作り、蝋燭だった照明を電球蛍光灯に替え、ねぶたに革命をもたらしたため、「近代ねぶた開祖」「青森ねぶた中興の祖」と呼ばれる。
2代 | 北川啓三 | 1905年3月21日 | 1985年6月7日 | 80歳 | 1988年 | 上記初代名人の息子で、父同様優れたねぶたを作り、第1回田村麿賞を獲得した。
3代 | 佐藤伝蔵 | 1925年12月26日 | 1986年8月11日 | (61歳)※ | 1986年8月8日 | 上記・北川親子の弟子。骨組みが少ないため平坦な作りであった顔の部分(面)を、針金を多用し、凹凸のある面にし、主流とさせた。華麗な色彩と大胆な構図の作りで、多くの制作者が尊敬の念を抱いている。
4代 | 鹿内一生 | 1925年1月30日 | 1990年8月1日 | 65歳 | 1991年3月16日 | 馬のねぶたを得意とし、佐藤が華麗なねぶたを作ったのに対し、荒々しいねぶたで、作りが対照的であった。多くの弟子を育て我生会という一門を作り、結束力を強めた。
5代 | 千葉作龍 | 1947年1月25日 | 2012年8月1日 | 65歳 | 存命 | 早くから頭角を現し、26歳での田村麿賞初受賞、28歳29歳での連覇という最年少記録を持つ。いくつもの新たな題材や表現方法に挑み芸術としての幅を広げ続けている。ねぶた大賞(田村麿賞)受賞回数は11回。
6代 | 北村隆 | 1948年5月20日 | 64歳 | 北川啓三の弟子。ねぶた大賞(田村麿賞)受賞回数は12回で最多記録保持者。

※佐藤伝蔵は没後認定のため享年

ねぶた師は、名人たちの流れを受け継ぎ、自分の作風をつくりあげていく。

かつて制作した主なねぶた師

明治〜大正時代

北川金三郎名人の師匠。

昭和時代

初代名人。上記参照。
初めて馬をねぶたで作った。
2代目名人。上記参照。
千葉作龍(上記)の父で師匠。
独特な作風で、ねぶたのグロテスクの要素を確立させた。
3代目名人。上記参照。
16歳で1本立ちの最年少記録を持つ。1981年まで制作(1982年の制作も決まっていたが実現せず)。

昭和〜平成時代

4代目名人。上記参照。
1964年から長きに渡り制作した。早作りで有名で、1973年には6台も制作した。鹿内一生没後は最長老となり、昭和の面影のあるねぶたを制作した。2003年まで制作。
2000年に急死
鹿内一生の弟子たちのリーダーであった。後述の穐元和生は実弟。2005年まで制作。
2006年まで制作。
佐藤伝蔵の助手であったが、1986年に佐藤が病に倒れ、制作途中のねぶた3台を引き継ぎ、完成させた。2007年まで制作。
2003年まで制作。
主に黒石ねぷたでの人形ねぷた師として有名で、青森ねぶたも2008年まで制作。青森でも、おどろおどろしい独特の作風は異彩を放っていた。
自衛官で、自衛隊のねぶたを制作。定年退職により2004年まで制作。2013年まで青森自然公園ねぶたの里にてねぶたを制作していた。2018年逝去。
前述の穐元鴻生は実兄である。
1984年、私たちのねぶた自主制作実行委員会でデビュー。2015年まで制作。
2009年、市役所ねぶた実行委員会でデビュー。2016年まで制作。
2011年、私たちのねぶた自主制作実行委員会でデビュー。相馬寿朗と私たち一同で制作。2015年まで制作。

ねぶた師の系列

かつてねぶた祭が有志による開催だった時代にはねぶた師と呼べるような人物が存在しなかったが、やがて腕の立つ者がねぶた師として制作するようになり、明治に入ると弟子を取る者も現れた。現在ではねぶた師を志向する者はほとんどが特定のねぶた師に弟子入りして手ほどきを受け、制作技術を磨いて一本立ちする。ただし中には特定の師匠を持たず独自に制作技術を身につけるねぶた師もいる。以下にその系列を示す。

千葉作太郎系

千葉作太郎を祖とする系統である。明治のねぶた師・柿崎琴章の流れを汲むとされる。5代名人・千葉作龍を輩出している。

     ※柳谷優浩(正式な弟子ではない)

北川金三郎系

明治のねぶた師、坂田金作を祖とする歴史ある系列である。また初代、2代、6代と実に3名の名人を輩出している。

佐藤伝蔵系

3代名人・佐藤伝蔵を祖とする系列である。佐藤伝蔵は北川親子の弟子であるため北川系の分派とも言える系統である。

我生会一門(鹿内一生系)

川村伯鳳を祖とする系統である。昭和40年に鹿内一生によって明確に一門とされた。4代名人・鹿内一生を輩出している。

※相馬寿朗

ねぶた大賞

ねぶた本体・運行はねと・囃子の総合評価で最優秀のねぶた運営団体には「ねぶた大賞」が贈られる。

またこの賞は1962年より「田村麿賞」の名称で制定されたが、坂上田村麻呂は東北地方から見れば征服者であるという見解により「賞名に征服者の名前を使うのはおかしい」「史実の坂上田村麻呂は青森までは来ていない」という批判もあり各界各層の意見や世論を踏まえた結果として1995年より現在の賞名に変更された。2012年時点での通算最多受賞記録は北村隆の12回。連続受賞記録は佐藤伝蔵の4年が最高(翌年伝蔵は他界)。

昭和20年代より、ねぶたを豪華絢爛にすべく審査制度が設けられた(古くは戦前にも審査は存在した模様だが現存する資料は確認できていない)。当初は「優秀」「優良」「佳良」などの名称であったが、審査に偏りがあるなどの理由から、1960年からは中止された。しかし審査を廃止した結果制作の手を抜くねぶた師が出るようになり、2年後の1962年より青森ねぶたの最優秀作を決める「田村麿賞」が制定された。その後、「田村麿賞」に次ぐ賞がいくつか設けられ、また製作者賞(制定当時の表記)などの部門賞も設けられた。ただし、1964年のみ田村麿賞を受賞したねぶたが無い。祭り4日目の運行終了後に審査の集計が行われ、夜11時ごろに各賞が決定、翌日の表彰式で受賞した団体に賞の額が贈られ、ねぶたに飾り付けられる。なお、額の形状は、黒い枠の上段に「贈」、右上に「祝 ねぶた祭」、左上に団体名、左下に「青森ねぶた祭実行委員会」、下段にその年の西暦が記されている。

審査方法(2018年現在)
基本的には点数制で、ねぶた本体の点数に運行、ハネト、囃子などの点数を加算して順位が決まる。しかしそのため、ねぶた本体の順位と総合点の順位が異なる場合があり、これによってねぶた本体の評価と総合点での審査結果で逆転現象が起こることもある。そのため様々なねぶたに各賞が分散することもあれば、一度に多数の賞を取るねぶたが出ることもある。集計後、審査委員の採決によって点数が調整されることもある。

賞一覧(2018年現在)

最高賞。1962年〜1994年までは「田村麿賞」(詳しくは「ねぶた大賞」を参照)。最も大きい額を用いる。背景は金色。
第2位の賞。背景はオレンジ色。
かつては参加賞の位置づけであったが、1990年より第3位の賞となった。これに合わせるようにそれまで年賞と同じ小型だった額が大型化された。背景は緑色(参加賞時代は薄紫の背景に赤の文字)。
第4位の賞。背景は空色。
第5位の賞。2000年までは「観光協会会長賞」。背景はピンク色。
最も良い囃子を奏でる団体に贈られる賞。背景は赤色。
運行と跳人が最も良い団体に贈られる賞。かつては運行賞と跳人賞という別々の賞だった。背景は薄いオレンジ色。
その年の最も良いねぶたを作った制作者(ねぶた師)に贈られる賞。背景は銀色。
最優秀制作者賞に準ずるねぶたを制作したねぶた師に贈られる。原則として2台に贈られる賞だが、2012年は審査で同点のねぶたが存在したため3台に贈られた。額は贈られない。
最終日に開催される海上運行に選出されたねぶたに贈られる賞。かつては海上運行に出陣できる全てのねぶたに上位の賞と伏せて贈られており、その後、数年間賞に選ばれていない団体へと贈られる賞となった(2003年からは推薦という形となり、厳密に言えば賞という位置付けではない)。海上運行が7台となった2008年からは、大賞からの上位5台は海上運行の対象ながら贈られず、上記各賞を受賞していない2台に単独で贈られた。2014年は海上運行が6台になったため再び1台に贈られるようになった。海をイメージしているのか背景は青色。
全てのねぶたが獲得する賞。初出陣の年を一年賞とし、それから何年出ているかが記されている。2018年現在最長は日通と東芝の七十二年賞。参加賞のような位置付けであり、最も小型の額を用いる。背景は黄色。

かつて設けられていた賞

当時はこれと田村麿賞だけだったことから恐らく現在の知事賞に相当する賞。1台だけに贈られた年と2台に贈られた年があった。
1979年、80年はねぶた本体のみで最も優れた団体に贈られる賞として、1981年〜1989年は3位の団体に1990年〜1993年は5位の団体に贈られる賞あった。2001年に復活したが、その年の最も良いねぶたを作った制作者(ねぶた師)に贈られる賞としてであった。背景は青色(黄緑色、黄色、藤色の年もあった)。制定当時は製作者賞。2005年に前述の「最優秀制作者賞」に名称変更した。
背景は水色
背景は黄色
運行が最も良い団体に送られる賞。6日間を皆勤したねぶたがとることが多かった。跳人賞と統合された。背景は青色。
跳人が最も良い団体に贈られる賞。運行賞と統合された。背景は薄ピンク色。

運行団体一覧(2018年 運行許可順)

青森ねぶたは、大型化にともない町内会だけで費用をまかないにくくなり、ほぼすべての団体が大手企業、官公庁、大学等がスポンサーとなり運行している。しかし、企業名や官公庁の名がある団体でも、すべての関係者がその企業の社員や職員ではないことがある。また、ねぶた愛好会や私たちのねぶた自主製作委員会の様に特定のスポンサーをつけず、市民の手だけで製作・運行している団体もある。

2010Happy Mail