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飛脚とは?

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飛脚(ひきゃく)は、信書金銭為替貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のことである。佐川急便商標でもある。単純な使い走りとは違い、事業が組織化されているのが特徴である。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 歴史
    • 1.2 江戸時代の飛脚
  • 2 飛脚の種類
  • 3 関連項目
  • 4 外部リンク

概要

飛脚は飛脚走りと呼ばれる独特の走法で走った。これは一説には「ナンバ走り」という走法で、体のひねりをしないため、体力の消耗が抑えられるとされるが、飛脚走りがどのようなものか失伝し文献もないことから真偽のほどは不明である。毎年10月、広島県府中市で催される「白壁まつり」の中で『飛脚リンピック』というイベントが行われる。

歴史

当初は専ら公用であった。律令制の時代にはから導入された駅制が設けられていた。を中心に街道に駅(うまや)が設けられ、使者が駅に備えられた駅馬を乗り継いだ。重大な通信には「飛駅(ひえき)」と呼ばれる至急便が用いられた。「飛駅」には「駅鈴」が授けられた。律令制の崩壊に伴い駅制も廃れてしまったが、鎌倉時代には鎌倉飛脚・六波羅飛脚(ろくはらひきゃく)などが整備された。これは京都六波羅から鎌倉まで最短72時間程度で結んだ(駅逓制度による早馬)。廃絶してしまった「駅」に代わり、商業の発達に伴い各地に作られてきた「宿」が利用された。室町時代には京都御所鎌倉府を結ぶ「関東飛脚」が設けられた。

戦国時代には、戦国大名をはじめとする各地の諸勢力が領国の要所に関所を設けたため、領国間にまたがる通信は困難になった。戦国大名は書状を他の大名に送るため、家臣山伏が飛脚として派遣された。これらは連携が進む一方、しばしば密使であったので業態化しなかった。また、人目を忍ぶため徒歩が増えた。

江戸時代に入ると、五街道宿場など交通基盤が整備され、飛脚による輸送・通信制度が整えられた。江戸時代の飛脚はと駆け足を交通手段とした。公儀継飛脚の他、諸藩の大名飛脚、また大名・武家町人も利用した飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達、当時の日本国内における主要な通信手段の一翼を担ってきた。

飛脚は明治以降の郵便制度に比較すると費用的に高価で天候にも左右された。また江戸大阪間は一業者で届けられるが、江戸以東や大阪以西へは別業者に委ねられたが、連携は必ずしも円滑ではなかった。このような理由で、期日に届かないことも多かった。毎日配達しないため、近世の書簡は案件をまとめて記されることが多く、費用的に安価であることや儀礼的な理由で飛脚を用いずに私的な使用人を介して伝達されることも多かった。

明治時代に入った1871年(明治4年)、駅逓司に所属していた前島密の提案でイギリスの郵便制度を参照しつつ、従来の飛脚の方法をも取り入れて郵便制度を確立した。地方名望家の協力のもと郵便取扱所の全国展開が図られる事になった。郵便料金に対抗して近距離の飛脚料金を郵便の半額にしていたが前島密は飛脚が全国ネットでない事と世界へ手紙が届けられない事で佐々木荘助(飛脚問屋側の代表)と話し合った結果、郵便制度に並行する形で飛脚問屋は陸運元会社として再組織され、小荷物・現金輸送に従事した。飛脚として活躍した人々は、郵便局員や人力車の車夫などに転じていった。

現代の飛脚といえば、宅配便貨物便、バイク便などが相当する。佐川急便は自社のトラックに飛脚の絵を描いている。(2007年より江戸時代の飛脚の絵から、セールスドライバーをデザインした新飛脚マークに変更)。日本通運は、さかのぼると1872年(明治5年)6月に江戸定飛脚問屋が創業した陸運元会社が始まり。同会社は1875年(明治8年)2月に内国通運に社名変更。

江戸時代の飛脚

フェリーチェ・ベアトによる飛脚の着色写真(1863年-1877年頃)

江戸時代中期〜明治初年における民間の飛脚問屋は、基本的には決められた「定日」に荷物を集荷すると、荷物監督者である「宰領」が主要街道の各宿場の伝馬制度を利用して人馬を変えながらリレー輸送した。荷物を付けた馬と馬方を引き連れた宰領は乗馬し、防犯のため長脇差を帯刀した。宿泊は指定の「飛脚宿」に泊った。途中、人馬継立の渋滞、現金盗難、河川増水(川止め)、地震遭遇など不慮の人災・天災により延着・不着・紛失もあった。高額の金を支払い、一件のために発したのを「仕立飛脚」といい、また早便として「六日限」「七日限」などの種類があったが、遅れがちであった。飛脚問屋が特権にこだわったのは、延着、賃銭(値上げ)などの課題を抱えていたからだと思われる。

守貞謾稿は当時のシステムを具体的に説明している。江戸 - 京坂を結ぶ飛脚のうち最低料金のものを「並便り」と呼び、日数の保証はなかった。昼間のみの運行であり、また駅馬の閑暇を利用して運行する関係上、片道概ね30日を要したという。これより急を要する場合、所要10日の「十日限」(とおかぎり)、6日の「六日限」あるいは「早便り」の利用となったが、東海道の通信量増加と共に各宿での滞貨が増大、それぞれ2〜3日の延着が通例になったという。そこで江戸 - 上方を6日間で走ることを約した定飛脚が登場し、「定六」または「正六」と呼んだ。更に火急の書状では「四日限仕立飛脚」が組まれることもあり、料金4両を要したという。これらの飛脚に便乗させる形で書簡を託すことも可能であり、「差込」(さしこみ)と称した。運賃2〜3分という。こうした便乗は概ね世界的な傾向であった。

江戸時代の日本の飛脚については『駅逓誌稿』、日本通運『社史』などが基本文献である。研究論文に関しては藤村潤一郎による論文・翻刻の業績数が群を抜く。国内外の通信の歴史については星名定雄『情報と通信の文化史』(法政大学出版局)がある。日本の飛脚研究は、近年の高度情報社会を背景に情報史の領域で扱われる傾向にある。

飛脚の種類

継飛脚(つぎびきゃく)
公儀の飛脚(幕府の公用便)で、老中京都所司代大坂城代駿府城代勘定奉行道中奉行が使うことを許されていた。書状・荷物を入れた「御状箱」を担ぎ、「御用」と書かれたを持った二人一組で宿駅ごとに引き継ぎながら運んだ。
宿場の問屋に専用の飛脚を常駐させ、その費用として幕府から宿駅に「継飛脚給米」を支給することで、1633年(寛永10年)に継飛脚の制度が確立した。急を要する場合、江戸 - 京都間なら片道70時間ほどで運行できたと考えられている。また「御状箱」の通行は最優先とされ、一般の行き来が規制される、増水した大井川を渡ることも特別に許可されていた。
大名飛脚
各藩が主に国許と江戸藩邸を結んで走らせた飛脚。広義では大坂蔵屋敷を結ぶものや領内の役所内を結ぶ飛脚も含む場合がある。飛脚はその藩の足軽もしくは中間から選ばれることが多かった。紀州尾張両藩が整備した「七里飛脚」や加賀藩の「江戸三度」がよく知られる。雲州松江藩の飛脚も七里飛脚といった。その他の大名もこれに準じて独自の飛脚を持ったが、維持費が嵩むことなどから下記の町飛脚に委託する藩も多くなっていった。
飛脚問屋飛脚屋
文献によって「町飛脚」とも呼称される。上記の継飛脚・大名飛脚は公用のための飛脚であり、一般の武士や庶民は利用することが出来なかった。このため、民営の飛脚屋・飛脚問屋が走らせた飛脚が広く利用された。1663年(寛文3年)幕府許可を得て開業したのが始まり。大坂・京都・江戸の三都を中心に発達。「三度飛脚」と呼ばれるのは大坂から毎月2、12、22日の3度発したからだと言われる。1698年(元禄11年)に京都では町奉行が飛脚問屋16軒を「順番仲間」として認め、毎夕順番に発信するようにした。宿駅の交通量が増え、人馬継立(馬方と馬の交換)が混み合うようになると、延着が目立つようになったため、江戸の飛脚問屋9軒の願いにより1782年(天明2年)、幕府が宿駅での人馬継立を優先的に御定賃銭で使用する特権を認めた。特権を行使した飛脚問屋を「定飛脚問屋(じょうびきゃくどんや)」という。地方の城下町などでも飛脚問屋が営業した。飛脚問屋は災害情報を得意先へ伝える機能もあった。地震、火災洪水などのほか、戦争情報も伝えた。
通飛脚(とおしびきゃく)
出発地点から目的地まで通して一人で運ぶ飛脚。
町飛脚(まちびきゃく)
江戸御府内専門の飛脚。幕末に盛ん。状箱に鈴をつけたため「ちりんちりんの町飛脚」とも呼ばれた。「守貞謾稿」によると「その扮、挟筥形の張り籠を渋墨に塗り、町飛脚および所名・家号を朱塗りに書きて、これを背にし、棒の一端前の方等に一風鈴を垂れて、往来呼ばずして衆人に報告す。これをもつて、下にも云へるごとく、ちりんちりんの町飛脚等異名す」とある。
米飛脚
大坂堂島米会所周辺の飛脚。堂島米会所での米相場の動向を地方に伝えることを専門としていた。

飛脚は浄瑠璃古典落語川柳狂歌などに登場し、庶民に親しまれていた。

近年では時代小説の題材にも取り上げられている。

2017年9月28日発行

関連項目

外部リンク

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出典:wikipedia
2018/10/15 06:05

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