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香川県とは?

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香川県旗 | 香川県章

【国】
日本
【地方】
四国地方
中国・四国地方
団体コード
37000-2
ISO 3166-2:JP
JP-37
面積
1,876.77km
(境界未定部分あり)
総人口
961,900
(推計人口、2018年10月1日)
人口密度
513人/km
【隣接都道府県】
※は海上で隣接
【県の木】
オリーブ
【県の花】
オリーブ
【県の鳥】
ホトトギス
【】

香川県庁

知事
浜田恵造
【法人番号】
8000020370002
【所在地】
760-8570
香川県高松市番町四丁目1番10号
北緯34度20分24.4秒東経134度2分35.8秒座標: 北緯34度20分24.4秒 東経134度2分35.8秒
県庁舎位置


【外部リンク】
香川県

― 市 / ― 町



【ウィキポータル】
日本の都道府県/香川県
ウィキプロジェクト

香川県(かがわけん)は、瀬戸内海に面し四国の北東部に位置する日本の行政区画及び地方公共団体令制国讃岐国に当たる。県庁所在地及び最大の都市は高松市

県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積が全国で一番小さい県だが、災害が少なくコンパクトな中に都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を併せ持つ特徴を有する。

目次

  • 1 概要
  • 2 地理・地域
    • 2.1 広袤(こうぼう)
    • 2.2 自然公園
    • 2.3 気候
    • 2.4 地域区分
    • 2.5 自治体
  • 3 歴史
    • 3.1 原始・古代
    • 3.2 中世
    • 3.3 江戸時代
    • 3.4 近代
      • 3.4.1 香川県発足
    • 3.5 現代
      • 3.5.1 平成の大合併
    • 3.6 讃岐の大地震
  • 4 人口
  • 5 政治・行政
    • 5.1 国政
      • 5.1.1 衆議院
      • 5.1.2 参議院
    • 5.2 知事
    • 5.3 県議会
    • 5.4 財政
      • 5.4.1 直近の財政指標
      • 5.4.2 2006年度(平成18年度)の財政指標
      • 5.4.3 2005年度(平成17年度)の財政指標
  • 6 対外関係
    • 6.1 姉妹提携
      • 6.1.1 海外
      • 6.1.2 国内
  • 7 経済・産業
    • 7.1 第一次産業
    • 7.2 第二次産業
    • 7.3 第三次産業
    • 7.4 拠点事業所を置く主要企業
    • 7.5 香川県で創業した主要企業
  • 8 生活・交通
    • 8.1 警察
    • 8.2 交通
      • 8.2.1 航空
      • 8.2.2 鉄道
      • 8.2.3 バス事業者
      • 8.2.4 道路
      • 8.2.5 海上
    • 8.3 医療・福祉
    • 8.4 教育
      • 8.4.1 小学校
      • 8.4.2 中学校
      • 8.4.3 高等学校
      • 8.4.4 高等専門学校
      • 8.4.5 大学・短期大学
      • 8.4.6 専修学校
      • 8.4.7 学校教育以外の施設
    • 8.5 マスメディア
      • 8.5.1 新聞
      • 8.5.2 タウン情報誌
      • 8.5.3 テレビ局
      • 8.5.4 ラジオ局
      • 8.5.5 ケーブルテレビ局
      • 8.5.6 その他
  • 9 文化・スポーツ
    • 9.1 方言
    • 9.2 生活特性
    • 9.3 食文化
    • 9.4 伝統工芸
    • 9.5 スポーツ
  • 10 観光
    • 10.1 うどん県
    • 10.2 史跡・名勝
    • 10.3 その他の名所・観光スポット
    • 10.4 公園・テーマパーク等
    • 10.5 祭事・イベント
    • 10.6 文化施設
  • 11 香川県を舞台とした作品
    • 11.1 映画
    • 11.2 テレビドラマ
    • 11.3 バラエティ
    • 11.4 小説
    • 11.5 漫画・アニメ・ゲーム
    • 11.6 音楽
  • 12 人物
    • 12.1 香川県名誉県民
  • 13 脚注
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク


概要

瀬戸大橋

香川県は、日本の全47都道府県で最も面積が狭い。かつては大阪府の面積を上回り46位であったが1988年10月1日に国土地理院が算定法を見直し、岡山県玉野市との間に境界未定部分がある香川郡直島町の面積(14.2km)を県全体の面積に算入しないことになったため面積が減少し、大阪府と逆転した。その後、大阪府では関西国際空港の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため、現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている。また、県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である岐阜県高山市よりも狭い。しかし人口は高山市の約11倍、人口密度は約13倍である。また、平野が県土のほぼ半分を占めている。

香川県の総面積は全国47位、人口密度は全国11位、可住地面積比率全国10位、居住室畳数全国9位、誘導居住面積水準以上世帯割合全国11位、自然災害の少ない方から全国3位である(2008年統計)。

古来より雨量、河川の流水量ともに少なく旱魃に備えて県内各地に14,000を超える数のため池が造られ点在している。また香川県は、平野が多いことから県全体の人口密度が高い。

北部に広がる瀬戸内海には、小豆島など多くの島々が点在している。本州岡山県とは島々を伝う形で架けられた瀬戸大橋により、道路鉄路で結ばれている。瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く、民間テレビ放送局が同一のエリアになる程である。

のコシがしっかりとした讃岐うどんや、こんぴらさんの愛称で親しまれる金刀比羅宮空海の生誕地としても知られる善通寺(四国八十八箇所の一つ)、寛永通宝銭形砂絵で知られる観音寺、対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸大橋が有名である。

正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習が一部にある。江戸時代、讃岐の国では砂糖木綿が特産で、「讃岐三白」と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったことから「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている。ただ、食べる県民と食べない県民の比率は半々であり、好みが分かれる。

香川県庁舎の設計者は丹下健三で、この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している。

救急病院数は全国2位、救急車搬送所要時間は全国3位、介護老人保健施設普及率は全国8位、看護師数は全国14位、医師数は全国12位である。また、2009年度と2010年度の有効求人倍数はそれぞれ全国1位、2位である。

県内を供給区域とする電力会社は四国電力であるが、岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および小豆郡の全域は海底地形の理由から、四国電力ではなく中国電力の供給区域となっている。

地理・地域

讃岐平野と讃岐富士

香川県は四国の北東部に位置し、北部には瀬戸内海に面して讃岐平野が広がる。南部は山がちで、讃岐山脈が連なる。最高峰は竜王山で1059.9mあるが、丘陵部は500 - 800mで各地峠越えに行き来が行われた。

多島海である瀬戸内海には小豆島をはじめ、塩飽諸島直島諸島など約110余りの島々が存在する。

が少なく、またどれも33 - 38kmぐらいで短いため、昔から渇水対策に手を焼いてきた。このため、道守朝臣(みちのかみあそん)が造り、空海が修築したことで知られる満濃池をはじめとするため池が県内に14,000余あり、国内有数の数である。

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報によると香川県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは92.15km、南北の長さは61.29kmである。

 | 北端
北緯34度33分53秒東経134度20分48秒
↑ | 
西端
北緯34度6分28秒東経133度26分48秒← | 中心点
北緯34度17分18.5秒東経133度56分49.5秒 | 東端
北緯34度14分24秒東経134度26分51秒
 | ↓
南端
北緯34度0分44秒東経133度41分17秒 | 重心
北緯34度14分47秒東経133度59分38秒

自然公園

気候

気候は、瀬戸内海式気候で晴天の日が多く雨量が少ないのが特徴である。日照時間が長いことが塩の生産・発展に役立ち、「塩田王国香川」と言われた。しかし少雨の傾向は夏場に多く水不足をもたらし、大雨になると河川が氾濫し、洪水をもたらした。

積雪も一冬に1 - 2回程度は起こるが、大雪は少ない。または瀬戸内海の「」や四国山地越えのフェーン現象などの影響で、猛暑日熱帯夜になる日も少なくない。

香川県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報)
平年値
(月単位) 東讃 西讃
小豆島
内海 東かがわ市
引田高松
高松市
香南 綾川
滝宮 多度津 三豊市
財田
平均
気温
(°C) 最暖月 26.6
(8月) | 26.8
(8月) | 27.4
(8月) |  | 26.6
(8月) | 27.7
(8月) | 26.5
(8月)
最寒月 5.1
(2月) | 5.1
(2月) | 5.3
(1月) |  | 4.3
(1月) | 5.8
(1、2月) | 4.4
(1月)
降水量
(mm) 最多月 170.5
(6月) | 158.2
(6月) | 158.5
(6月) |  | 171.6
(6月) | 164.3
(6月) | 177.0
(6月)
最少月 24.7
(12月) | 25.4
(12月) | 33.8
(12月) |  | 34.7
(12月) | 31.7
(12月) | 39.0
(12月)

地域区分

地域区分は広義・狭義とも県民生活の基盤にもなっており、この区分によって気候風土方言(讃岐弁参照)なども異なっている。香川県は江戸時代、歴史的な背景から東は高松藩が治める東讃、西は丸亀藩が治める西讃に二分されていた。しかし、地方行政や住民の生活感覚等から自然的に実際は5つに大別するものと考えられる。

【地域名】
自治体
【広義】
狭義
東讃 | 小豆地域 | 小豆郡
東讃 | さぬき市東かがわ市木田郡
高松地域 | 高松市香川郡
西讃 | 中讃 | 丸亀市坂出市善通寺市綾歌郡仲多度郡
西讃 | 観音寺市三豊市


1
2
香川県の自治体 /
略数字 : 1.宇多津町, 2.琴平町
高松地域
人口423,553人 面積389.37km
高松市は一般的に東讃地域に含められることが多いが、実際は狭義の東讃とは少し違う地域というのが実情である。高松市と直島町が該当し、高松市は県庁所在地で四国の中心都市でもある。直島町は瀬戸内国際芸術祭の発祥地で賑わいを見せている。
小豆地域
人口29,949人 面積170.02km
淡路島に次ぐ瀬戸内海第2の大島である小豆島とその周辺の島々からなる地域で、土庄町と小豆島町が該当する。オリーブ、そうめん、醤油など、数々の特産品がある小豆島は香川県本土とは違った独自の文化圏が育まれてきた。
東讃地域
人口111,834人 面積388.03km
高松市より東の地域で、さぬき市、東かがわ市、三木町が該当する。平成の大合併まで市が一つもなかったものの、古くから東讃の商都として栄えた東かがわ市三本松やハマチの養殖で有名な東かがわ市引田、手袋生産で名を馳せた東かがわ市白鳥など、これまた特色のある地域である。過疎化が進むものの、高松市に近い三木町、さぬき市志度町などでは高松市のベッドタウンとなり、地域内でも人口増減の差が激しい。
中讃地域
人口292,603人 面積589km
中讃地域は県下第2の都市である丸亀市を中心とした地域で丸亀市、坂出市、善通寺市、宇多津町、綾川町、多度津町、琴平町、まんのう町が含まれる。讃岐うどんは事実上この中讃地域から始まりブームを牽引する超有名なうどん店もこの中讃地域が圧倒的に多い。また、丸亀城、四国の新玄関である瀬戸大橋、善通寺、金刀比羅宮、ゴールドタワー、少林寺拳法など香川県を代表する観光地を各市町が持っており、特色のある地域である。
西讃地域
人口128,668人 面積340.13km
中讃地域よりも西の地域で、観音寺市、三豊市が該当する。観音寺市は西讃の商都として古くから栄え、県下では3番目の商圏を有する都市である。寛永通宝の砂絵で有名な琴弾公園がある。また、LOTO7で16億円が当たったのもこの街である。三豊市は田園地帯であったが、近年は大型商業施設が挙って進出している。

東西に長い香川県を分けて考える場合、最も多く用いられるのが五色台を境に東部を「東讃」(とうさん)、西部を「西讃」(せいさん)とする概念である。この名称は香川県が旧讃岐国の範囲と合致しているため、旧国名である「讃岐」に東・西を冠した言い方である。このスケールは県民の会話上でも西讃のことを「西の方」や単に「西」、東讃のことを「東の方」や単に「東」と呼ぶことで通用するほど定着した概念である。

この方式に沿った言い方に「中讃」(ちゅうさん)があるが、こちらはより狭い範囲を表すものであり、このスケールでは同じ「西讃」といった場合でも指し示す範囲が異なる。同じように「東讃」も高松地域・小豆地域を除いた範囲を指す狭義が存在する。小豆地域は狭義の東讃にも含むとする概念もあるが、小豆島は航路で結ばれているのがすべて高松であるため、直接の結びつきがない香川県東部とは分けて小豆地域、あるいは単に小豆島とする場合が多い。

その他にも、東讃に高松市を含んだ上で残りの西部を中讃、西讃の計3つで分ける概念もあるが、この場合では県都の位置する地域が中讃であると捉えられる場合があるため、あえて県都の高松市を別格として「高松地域」とする場合がほとんどである。

行政区分や天気予報、県立高校の学区などでも用いられるこの区分は自治体ごとに区切られているため、市町村合併により所属地域が変化する例が多く見られた。特に平成の大合併では高松市へ合併した綾歌郡国分寺町の所属地域が西讃から東讃へ変わったほか、木田郡庵治町牟礼町が同じく高松市への合併により、狭義の東讃から高松地域へ所属地域が変わった。

自治体

8市5郡9町を含む。香川県では、地方公共団体としての町はすべて「ちょう」と読む。なお、村は1970年に消滅している。

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歴史

讃岐国」を参照

原始・古代

約2万年前の旧石器時代人が永く住み着いた国分台遺跡群が知られている。同遺跡群は、高松市と坂出市の境に南北にのびる標高400メートルの台地上および斜面上に立地し、高松市(旧綾歌郡国分寺町)に所在する。そこからは、サヌカイト製のナイフ形石器尖頭器、楕円形石器、舟底形石器、錐などの生活必需石器が大量に出土した。

縄文時代晩期後半の林防城遺跡(高松市)で、当時の土器と木製諸手狭鍬が出土しているなどから、県下にも稲作が伝播し、水田耕作が行われたと推定されが、他に水稲耕作に直接かかわる道具や同時に伝播するはずの文化要素が見当たっていない。また、水稲耕作に従事したムラの形跡がない。

日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国司となっている。

平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友伊予国で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦い源義経に敗れた平氏屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。

中世

鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏守護大名として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津町坂出市)。

讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く、香西氏香川氏安富氏奈良氏の四氏は細川四天王と称されたという(南海通紀)。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。

戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し、両者中間の香西氏、阿野氏、鵜足郡に長尾氏、奈良氏、羽床氏など中小豪族が乱立していた。しかし安富氏が細川・三好氏の援助を受けた三木郡十河氏によって滅びると、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた。真偽は不明だが、この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った元吉合戦があったとされる。

土佐国を統一した長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより織田信長による四国攻めを招くことになった。豊臣秀吉四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は尾藤知宣生駒氏が相次いで封ぜられる。当初は宇多津聖通寺城に拠点が置かれたが、手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた。

江戸時代

丸亀城(国の史跡・重要文化財)

生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。

この頃には、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には高杉晋作を匿った日柳燕石が出ている。

災害としては、宝永4年(1707年)10月に西日本を襲った宝永地震(東海・東南海・南海連動型地震)の被害は讃岐国にも及び、牟礼・庵治の五剣山の一角が崩れ落ち、各地の家や堤防も崩れたところに1 - 2メートルの高さの津波が押し寄せた。

近代

香川県発足

徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領津山藩の飛地が分立していた。

1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。

その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置され、1872年(明治5年)に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日以後)と同じ管轄範囲(行政区画1888年12月3日に分割)となる。

しかし、1873年2月20日には名東県(後の徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、翌年1876年8月21日には愛媛県に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の1888年12月3日香川県が復活して、現在に至る。なお、1888年の香川県の分離独立を最後に、東京府東京市の合併(1943年7月1日)や、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入(1972年5月15日)などの特殊な事例を除いて、新しい県の設置はなく、この1888年12月3日に現在の47都道府県体制がほぼ確定したことになる。

「香川県」の名称は、高松市が所属していた香川郡から取ったもので、いわば名を県名にしたものである。

明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、讃岐鉄道(のちの国鉄)、琴平参宮電鉄、琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)、琴平急行電鉄の4社が高松 - 丸亀 - 琴平間で競って鉄道を敷設した。

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