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馬場えい一とは?

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年2月)
 | 本来の表記は「馬場鍈一」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
日本政治家
ばば えいいち
馬場 鍈一

【生年月日】
1879年10月5日
【出生地】
東京府芝区(現港区)
【没年月日】
1937年12月21日(1937-12-21)(58歳)
【死没地】
東京府東京市
【出身校】
東京帝国大学
【前職】
官僚 → 日本勧業銀行総裁
【称号】
勲一等旭日大綬章
第20代 法制局長官

【内閣】
高橋内閣加藤友三郎内閣
【在任期間】
1922年3月28日 - 1923年3月19日
第35代 大蔵大臣

【内閣】
広田内閣
【在任期間】
1936年3月9日 - 1937年2月2日
第56代 内務大臣

【内閣】
第一次近衛内閣
【在任期間】
1937年6月4日 - 1937年12月14日
その他の職歴

日本勧業銀行総裁
(1927年10月7日 - 1936年3月9日)
貴族院議員(勅選)
(1922年12月 - 1937年12月21日)

馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年(明治12年)10月5日1937年(昭和12年)12月21日)は、日本政治家大蔵官僚貴族院勅選議員広田内閣大蔵大臣第一次近衛内閣内務大臣をつとめた。蔵相時代に行った大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政は、官界や財界に大きな混乱を招く結果となった。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 官僚から銀行家へ
    • 1.3 馬場財政の混乱とその後
  • 2 栄典・授章・授賞
  • 3 記念
  • 4 出典
  • 5 参考文献
  • 6 関連項目

来歴

生い立ち

東京府芝区(現在の東京都港区)に、旧幕臣・山本時光の長男として生まれる。時光は一時日雇人夫に身をやつしていたと伝えられ、生家は貧しかった。後に鉄道技師・馬場兼の婿養子となり改姓する。麹町区富士見小学校高等科3年から1892年(明治25年)4月に東京府尋常中学校2年へ編入学、1896年(明治29年)3月に尋中を卒業し、第一高等学校文科政治科へ入学。一高の寮では同期の岩崎小彌太と同室だった。1899年(明治32年)7月に一高を卒業し、東京帝国大学法科大学に入学。1903年(明治36年)東大法科大政治科を卒業。卒業順位は、1位が後に東京市助役となった小野義一、2位が後に商工大臣鉄道大臣などを歴任した小川郷太郎、3位が後に憲法学者として天皇機関説を猛烈に批判した上杉慎吉で、馬場は4位だった。

官僚から銀行家へ

馬場は卒業順位の雪辱を果たしてその年の高等文官試験に首席で合格、、晴れて大蔵省に入省した。こうして馬場は苦学の末にエリート官僚として立身出世するための最前席を掴み取ったが、彼はそこにじっとしていられるような男ではなかった。

この後馬場は、横浜税関監視部長、韓国統監府総務部経理課長を経て、1907年(明治40年)には法制局に転じ、1922年(大正11年)3月に政友会党内抗争の煽りで突如辞任した横田千之助の後任として高橋内閣法制局長官となった。在任3か月で高橋内閣が総辞職したことで馬場も免官となったが、同年11月には貴族院勅選議員に勅任される。馬場は当時貴族院における政友会の別働隊的な行動をとっていた研究会に所属、やがて交渉と妥協に長けた折衝の名人として頭角を顕わし会派の中心的存在となっていく。

馬場はそれまで銀行畑とは縁がなかったが、1927年(昭和2年)には政友会の田中義一内閣の人事により日本勧業銀行総裁に就任、1936年(昭和11年)までその任にあった。勧銀総裁在任中、馬場は特に農村金融の充実に尽力した。彼は本来は正統的な均衡財政論者だったといい、浜口内閣井上準之助蔵相による金解禁政策も支持していた。しかし勧銀総裁として金解禁後の不況による農村部の疲弊をつぶさに目にし、また満州事変以後ソ連と直接で国境を接することになって軍備の重要性を再認識したこともあり、この頃から積極財政主義に転向していったと考えられている。

馬場財政の混乱とその後

1936年(昭和11年)に広田内閣が発足すると馬場は満を持して蔵相として入閣。前任者の高橋是清蔵相が掲げていた公債漸減主義を放棄し、国防の充実と地方振興のためには増税と公債増発をもいとわない財政声明を出した(馬場財政)。またその政策遂行のために省内の人事刷新にも着手、長沼弘毅を蔵相秘書官にして新たな人事を練らせた。まず津島寿一次官を退任させ、軍部と強硬に渡り合ってきた賀屋興宣主計局長を理財局長に異動させたほか、石渡荘太郎主税局長を内閣調査局調査官へ、青木一男理財局長を対満事務局次長へと、それぞれ省外へ放出した。

こうして馬場が初めて主導権を握って作成した昭和十二度一般会計予算案の概要は次の通りだった。

【】
【十二度予算案】
【前年度比】

歳出 | 30億3850万円 | 7億6650万円増(↑33.7%)
うち軍事費 | 14億0800万円 | 3億4900万円増(↑33.0%)
公債発行額 | 9億5700万円 | 2億7700万円増(↑40.7%)
増税額 | 4億1750万円 | —
増収額 | 1億5480万円 | —

増税はタバコの値上げなどで賄うことにした。こうして昭和十二度予算案が明らかになると、軍需資材の需要増を見込んだ商社が一斉に輸入注文を出し、輸入為替が殺到して円が下落、輸入物資の高騰を招く混乱を招いた。この直後の1937年(昭和12年)1月21日に浜田国松議員と寺内寿一陸相との間で「腹切り問答」が起き、これに憤慨した寺内が単独辞任をちらつかせながら衆議院を懲罰的に解散することを広田に要求すると、広田はあっさりと閣内不一致を理由に内閣総辞職。これでこの予算案は結局廃案となった。しかし後に広田は賀屋興宣に対し、実は「腹切り問答」は助け舟のようなものだったことを打ち明けた。本当は馬場財政のあおりで外国為替や経済情勢が混乱して、どのみち内閣を投げ出さざるを得なかったのだという。

広田内閣総辞職から短命の林内閣を経た4ヶ月後の1937年(昭和17年)6月に第一次近衛内閣が発足すると、馬場は軍部の強い後押しにより内務大臣として入閣した。軍部はもとより、近衛も当初は馬場を蔵相に再起用することを考えていたのだが、財界には馬場財政への不信と風当たりがたいへん根強く、かといって今更断れない近衛は結局馬場を副総理格の内相という、そもそも広田を外相として迎え二頭立ての陣容になっていた近衛内閣においてはいかにも中途半端な立場に処遇せざるを得えなかったのである。馬場はそれからわずか半年後に病気を理由に辞任すると、1週間後の12月21日に心筋梗塞を起こして急死した。満58歳。没後従二位勲一等旭日大綬章が贈られた。

栄典・授章・授賞

記念

出典

  1. ^ 青木『馬場鍈一傳』 P.31
  2. ^ 井上『政友会と民政党』p.73
  3. ^ 青木『馬場鍈一傳』、長沼『長沼弘毅』ほか
  4. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  5. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」大正5年1月20日
  6. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」大正11年2月14日
  7. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」昭和6年12月28日

参考文献

関連項目


先代:
横田千之助
 | 
法制局長官
高橋内閣加藤 (友) 内閣
1922年 - 1923年
 | 
次代:
松本烝治

先代:
高橋是清
 | 
大蔵大臣
広田内閣
1936年 - 1937年
 | 
次代:
結城豊太郎

先代:
河原田稼吉
 | 
内務大臣
第一次近衛内閣
1937年 - 1937年
 | 
次代:
末次信正

大蔵大臣
大蔵卿 | 

大蔵大臣 | 

財務大臣 | 


内務卿内務大臣
内務卿 | 

内務大臣 | 

引継職 | 
地方行財政部門 | 
内事局長官・(内事局官房自治課長・官房職制課長) - 国務大臣地方財政委員会委員長・全国選挙管理委員会委員長・(総理庁官房自治課長) - 国務大臣地方自治庁長官 - 国務大臣自治庁長官 - 自治大臣 - 総務大臣

警察部門 | 
内事局長官・(内事局第一局長) - 国家公安委員会委員長・(国家地方警察本部長官) - 国務大臣国家公安委員会委員長・(警察庁長官)

土木部門 | 
建設院総裁 - 建設大臣 - 国土交通大臣

衛生・社会部門 | 
厚生大臣 - 厚生大臣・労働大臣 - 厚生労働大臣

調査部門 | 
内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁特別審査局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府特別審査局長) - 法務大臣・(公安調査庁長官)

出版・著作権部門 | 
文部大臣・(文部省社会教育局文化課長) - 文部大臣・(文部省社会教育局著作権課長)- 文部大臣・(文部省文化局長) - 文部大臣・(文化庁長官)- 文部科学大臣・(文化庁長官)

神道部門 | 
神社本庁総長(宗教法人化)

国籍に関する事務 | 
内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁民事局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府民事局長) - 法務大臣・(法務省民事局長)

出入国管理に関する事務 | 
外務大臣・(入国管理部長) - 外務大臣・(出入国管理庁長官) - 外務大臣・(入国管理庁長官) - 法務大臣・(法務省入国管理局長)

旧軍需物件に関する事務 | 
内閣総理大臣・(終戦連絡中央事務局長官) - 内閣総理大臣・(連絡調整中央事務局長官) - 外務大臣・(外務省連絡局長) - 外務大臣・(外務省国際協力局長)



法制局長官
法制局長官 | 

法制長官(法務庁) | 

法制意見長官(法務府) | 

法制局長官 | 

内閣法制局長官 | 


【典拠管理】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/06/22 06:13

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