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高木守道とは?

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2013年1月)
 | 本来の表記は「髙木守道」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
髙木守道
2012年8月28日、こまちスタジアムにて

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
岐阜県岐阜市
【生年月日】
(1941-07-17) 1941年7月17日(78歳)
【身長
体重】
174 cm
72 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
二塁手
【プロ入り】
1960年
【初出場】
1960年5月7日
【最終出場】
1980年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴

  • 中日ドラゴンズ (1978 - 1986, 1992 - 1995, 2012 - 2013)

野球殿堂(日本)
殿堂表彰者

【選出年】
2006年
【選出方法】
競技者表彰
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


高木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は、元プロ野球選手プロ野球監督野球解説者愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。

現役時代は中日ドラゴンズで活躍し、引退後はコーチ・監督を歴任した。初代・西沢道夫、3代目・立浪和義とともに、2代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる。

2007年1月より2012年11月25日まで中日ドラゴンズOB会会長。2012年から2013年まで再び中日の監督を務めた。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入りまで
    • 1.2 現役時代
    • 1.3 引退後
      • 1.3.1 第1次中日監督時代
      • 1.3.2 中日監督退任後
      • 1.3.3 第2次中日監督時代
  • 2 選手としての特徴
  • 3 特筆
    • 3.1 野球
    • 3.2 人間関係
    • 3.3 その他
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別監督成績
    • 4.3 タイトル
    • 4.4 表彰
    • 4.5 記録
    • 4.6 背番号
  • 5 関連情報
    • 5.1 関連書籍
    • 5.2 出演番組
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入りまで

1951年8月19日、当時10歳だった高木は後に自身が選手としてプレーした中日スタジアム(1976年シーズンより「ナゴヤ球場」に名称変更)の1塁側スタンドで兄とともに読売ジャイアンツ(巨人)戦を観戦していたが、その試合の3回裏に球場ネット裏上段から出火した。この火災は内野席・球場施設がほぼ全焼し死者3人・重軽傷者318人を出す大惨事(中日スタジアム火災)となったが、高木は危うく事無きを得た。なお少年時代の高木にとってプロ野球の試合を観客として観戦したのはこれが最初で最後だった。

1957年県立岐阜商業高校に進学。当初は遊撃手だったが、肩を痛めて二塁手に転向。1年生の時に長嶋茂雄(当時立教大学4年生)にコーチを受けた。長嶋は髙木の才能を見抜き、監督に高木をレギュラーとして使うように薦め、その結果、髙木はすぐにレギュラーを取りチームの中核となった。なお、遊撃手だった高木を二塁手に転向させるよう監督に提案した人も長嶋である。2年上のエース清沢忠彦を擁し1957年夏の甲子園に出場。準々決勝で大宮高に敗退。1959年には春の選抜に出場。決勝まで進んだが、中京商業の平沼一夫(中京大-西濃運輸-東京オリオンズ)に抑えられ2-3で惜敗、準優勝に終わる。同年夏は県予選決勝で、後にプロで同僚となる高木一巳のいた大垣商に完封負け。

高校3年夏の甲子園大会終了後はプロからの誘いがなく、OBの縁故を頼って卒業後は早稲田大学に進学する予定だったが、地元球団・中日から急遽オファーが届き、入団する。

現役時代

1960年、中日に入団。同年5月7日の対大洋ホエールズ戦で代走として初出場、初盗塁を記録。この試合で宮本和佳からプロ入り初打席初本塁打を打った。

1963年から半田春夫の後継として二塁手のレギュラーとなり、規定打席(19位、打率.254)にも到達。同年には50盗塁を記録して最多盗塁のタイトルを獲得。中利夫と1・2番を組み、前年に放出された森徹に代わり、江藤慎一とともに中日の新たなスター選手となった。以後1965年1973年と3度の盗塁王に輝く俊足に加えて、打撃では1969年に24本塁打するなど通算236本塁打を記録しており、守備ではバックトスやグラブトスなどを度々披露した。

1965年には打率.302(4位)、1966年にも打率.306(6位)と二度の打率3割を記録するが、1968年5月28日の巨人戦で堀内恒夫から顔面に死球を受け、一時は意識不明となる。その影響でバッティングフォームを崩し、長期にわたる打率の低迷を余儀なくされた。しかし徐々に打棒も復活し、1974年にはリードオフマンとして、チームの20年ぶりの優勝に貢献した。

初打席初本塁打を記録した選手で通算200本塁打、通算2000安打を記録した選手は高木が初めてであり、また通算で200本塁打・200犠打を併せて記録した選手も髙木が初めてである。

1974年、優勝決定翌日の10月13日に予定されていた後楽園球場の対読売ジャイアンツシーズン最終戦ダブルヘッダーは、長嶋茂雄の引退試合であったが、降雨で14日に順延してしまい、中日の優勝パレードと日程が重なった。そのため、大島康徳藤波行雄などの若手や、引退直前だった広野功を含む準レギュラー級選手のみを出場させ、中日のレギュラー選手は同日の名古屋での優勝セレモニーのために欠場するよう球団に言い渡された。この通達に高木は「偉大なる選手になんて失礼なことを」と大いに憤慨し、球団にその通達の撤回と「それが無理ならばせめて自分だけでも出場させてほしい」と抗議した。しかしその願いは聞き入れられず、高木は優勝セレモニーで終始むすっとした表情をしていた。高木はのちに長嶋へ電話し、謝罪したという(『月刊Dragons』では星野仙一も同様に電話で謝罪したとの記述がある)。

ロッテオリオンズと対戦した同年の日本シリーズでは、第1戦の9回裏に村田兆治から逆転サヨナラ二塁打を打つなど大活躍する。後楽園球場での第4戦でも金田留広から初回先頭打者本塁打を放つが、その試合の3打席目で自打球を左足に当て負傷退場。検査の結果全治3週間の骨折で、高木は第6戦で復帰するも中日はロッテに敗れた。シリーズ通算22打数8安打3打点を記録し、敢闘選手賞を獲得。

1975年にも打率.298(4位)を記録。1978年4月5日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)で、1回表、高橋里志から中前安打を放ち、日本プロ野球(NPB)史上11人目、中日の生え抜き野手としては初となる、通算2000本安打を達成した。

1979年にも38歳ながら打率.300(14位)と気を吐くが、視力の衰えもあり、中利夫が監督に就任した1980年限りで現役引退。二塁手としてベストナイン7回は史上最多である。同年シーズン終了後にナゴヤ球場で行われたセ・リーグオールスター東西対抗では、同年引退した1歳上で自身より1年早くプロ入りした王貞治とともに引退セレモニーが行われた。引退の際には「王さんが引退したら自分がプロ野球選手で最年長になる。最年長の選手は相応のプレーを見せなければならないが、自分にはそのプレッシャーに耐えられる強さがなかった」と発言している。翌1981年のオープン戦で引退試合が行われた。

引退後

一軍作戦守備コーチ(1981年 - 1983年)、二軍監督(1984年 - 1985年)、一軍守備コーチ(1986年)を務めた。1986年には山内一弘監督の途中休養を受け、同年7月6日からシーズン終了まで代理監督を務めた。

第1次中日監督時代

1987年からCBC野球解説者となるが、1991年オフ、星野仙一の監督の辞任を受け、後任として監督に就任する。初年度となった1992年は、シーズン後半に上位チームに善戦するものの、主力選手の故障等も響いて60勝70敗の最下位となる。なお、この年のセントラル・リーグは全球団が60勝台であった。

1993年は優勝したヤクルトに前半大差をつけられるも、後半一時は逆転して首位に立ったが、最終的に2位となる。特に9月5日の対阪神タイガース21回戦ではトーマス・オマリーのソロホームラン1点だけに抑えていた先発の山本昌広を7回で降板させたが(点数も7-1)、そこから後続のピッチャーが8回1点、9回に8点を取られて大逆転負けを喫した。高木は試合後「私が悪かった」と選手に頭を下げ、シーズン終了後には「中日がペナントをとれなかったのは、この試合にある」とまでいわれた。また、落合博満は後に自著でこの試合を振り返って「勝負事では驕りは禁物である。誤った采配を招くからである」と、中4日でこの試合でも102球投げていた山本を代えたのはまだしも、当時リリーフエースだった郭源治を出すタイミングを誤ったことに苦言を呈し、「何点勝っていても、手を緩めずに完璧に叩きのめしたことを、相手の記憶に植えつけなければいけない」と述べている。なお同年オフには2年前(1991年オフ)に不祥事を起こして横浜大洋ホエールズ(→当時・横浜ベイスターズ)を解雇され、2年間資格停止処分を受けていた中山裕章打撃投手として採用し、翌シーズン途中から選手として現役復帰させた。

1994年は首位巨人に前半戦で大差をつけられるが、後半戦は巨人のもたつきもあり、猛追してとうとう同率首位に立ち、両チーム共この年の130試合目の最終戦で勝った方がリーグ優勝という日本プロ野球史上に残る10.8決戦を迎えたが、結果的に敗戦で終える。シーズン終盤には監督交代の話が挙がっていたが、後半戦の躍進が評価され、翌年も続投となった。

しかし、1995年は、投手陣の崩壊・故障者続出により、チームは低迷を続けた。そのため、成績不振の責任を取り、シーズン途中で監督を解任された。監督としての最後の試合となった同年6月2日の対阪神戦では、友寄正人審判への暴行により退場処分を受けた。同シーズンは、当初は徳武定祐が監督代行を務めたが、その徳武もシーズン途中で解任され、その後はシーズン終了まで、島野育夫が監督代々行を務めた。当時、たまに打つが三振が多かった山崎武司を起用し続け、山崎は高木の監督退任後の翌年1996年には本塁打王になっている。

中日監督退任後

1998年からは再び、CBC野球解説者・中日新聞野球評論家となる。

2003年オフには中日の次期監督候補として、谷沢健一野村克也牛島和彦らと共に名前が挙がったが、この時は監督復帰は実現せず、落合博満が就任した。

2006年野球殿堂入り。また、この年の日本シリーズ第1戦で始球式を務めた。2007年からは中利夫に代わり、中日OB会の会長も務めた。

第2次中日監督時代

2011年9月22日、落合監督の後任として2012年シーズンから指揮を執ることが、球団から発表された。「まさに青天の霹靂で驚いています。落合さんという大監督の後ということもあり悩みはしましたが、やはり野球人間なのでしょう。この年齢になっても、もう1度チャンスを頂けましたので、全力で頑張る覚悟です」と球団広報を通じてコメントした。2012年はシーズン2位に終わり、クライマックスシリーズではファイナルステージで巨人に3連勝の後の3連敗で3勝4敗で敗退。

2013年、この年、チームは12年ぶりのBクラスの4位に終わり、セ・リーグ5球団に負け越す結果となった。Bクラスが確定した9月25日に今季限りで退任する意向である事が中日新聞が伝え、10月8日に退任の会見を行った。

退任後は高齢もあり、評論活動はCBCテレビ・CBCラジオの野球中継での副音声ゲストなど散発的なものとなっている。

現役時代の優勝経験は巨人のV9時代も重なってか1974年の1度だけだったが、巨人のV10を阻んだ優勝でもある。また、コーチ時代は1982年に1度経験している。通算で2度リーグ優勝を経験しているが、日本シリーズではいずれも2勝4敗で敗れており、日本一は1度もない。

選手としての特徴

主に打低投高だった時代に活躍し、通算236本塁打は二塁での先発出場率が90%を超えている選手中では歴代最多である。レンジファクター系指標による二塁守備は、通算でプロ野球史上歴代最高値を出している。規定打席到達15シーズン中一桁本塁打だった年は3回だけ、24本塁打した年もあり、長打力をも備えたリードオフマンとして打線を牽引し続けた。

野球誌やテレビ番組などでの「プロ野球歴代ベストナイン」等の企画では、プロ野球史上最高の二塁手として髙木が選出されたことがある。高木は二塁手として2179試合・11477守備機会・5327刺殺・5866補殺・284失策・1373併殺という通算守備記録を残している(すべて二塁手プロ野球歴代1位)。他のポジションを含めた補殺数は5917で、これはNPB歴代最高記録である。

特筆

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年10月)

野球

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年10月)

人間関係

その他

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1960 | 中日 | 51 | 109 | 99 | 7 | 19 | 2 | 1 | 3 | 32 | 6 | 2 | 1 | 4 | 0 | 6 | 0 | 0 | 18 | 1 | .192 | .238 | .323 | .561
1961 | 80 | 243 | 222 | 15 | 47 | 8 | 3 | 2 | 67 | 11 | 4 | 2 | 6 | 0 | 12 | 2 | 3 | 36 | 3 | .212 | .262 | .302 | .563
1962 | 96 | 256 | 239 | 24 | 67 | 11 | 5 | 1 | 91 | 15 | 10 | 5 | 12 | 0 | 4 | 0 | 1 | 28 | 2 | .280 | .295 | .381 | .676
1963 | 133 | 543 | 496 | 72 | 126 | 18 | 6 | 10 | 186 | 39 | 50 | 12 | 15 | 3 | 27 | 1 | 2 | 43 | 8 | .254 | .295 | .375 | .670
1964 | 123 | 522 | 482 | 59 | 141 | 24 | 6 | 8 | 201 | 31 | 42 | 14 | 8 | 4 | 24 | 0 | 4 | 38 | 4 | .293 | .331 | .417 | .748
1965 | 132 | 538 | 483 | 75 | 146 | 19 | 1 | 11 | 200 | 48 | 44 | 11 | 21 | 2 | 27 | 1 | 5 | 49 | 1 | .302 | .346 | .414 | .760
1966 | 113 | 491 | 457 | 82 | 140 | 18 | 5 | 17 | 219 | 59 | 20 | 9 | 7 | 4 | 21 | 1 | 2 | 37 | 9 | .306 | .340 | .479 | .819
1967 | 118 | 491 | 455 | 59 | 133 | 25 | 1 | 19 | 217 | 66 | 9 | 3 | 2 | 7 | 26 | 0 | 1 | 60 | 10 | .292 | .332 | .477 | .809
1968 | 83 | 356 | 318 | 50 | 76 | 15 | 3 | 10 | 127 | 33 | 11 | 2 | 3 | 4 | 29 | 0 | 2 | 45 | 6 | .239 | .307 | .399 | .706
1969 | 130 | 562 | 513 | 78 | 129 | 20 | 3 | 24 | 227 | 66 | 20 | 8 | 11 | 3 | 34 | 1 | 1 | 69 | 8 | .251 | .299 | .442 | .742
1970 | 118 | 483 | 449 | 41 | 116 | 15 | 4 | 10 | 169 | 51 | 18 | 6 | 12 | 5 | 14 | 1 | 3 | 51 | 17 | .258 | .285 | .376 | .662
1971 | 120 | 482 | 436 | 58 | 104 | 18 | 1 | 8 | 148 | 22 | 28 | 9 | 10 | 1 | 32 | 2 | 3 | 42 | 5 | .239 | .295 | .339 | .635
1972 | 118 | 492 | 459 | 42 | 115 | 13 | 2 | 10 | 162 | 42 | 19 | 12 | 10 | 2 | 18 | 1 | 3 | 38 | 10 | .251 | .283 | .353 | .636
1973 | 122 | 527 | 480 | 68 | 131 | 20 | 3 | 5 | 172 | 31 | 28 | 9 | 7 | 5 | 30 | 3 | 5 | 21 | 10 | .273 | .322 | .358 | .681
1974 | 121 | 501 | 456 | 71 | 126 | 22 | 2 | 15 | 197 | 47 | 14 | 11 | 10 | 4 | 29 | 2 | 2 | 42 | 11 | .276 | .322 | .432 | .754
1975 | 116 | 495 | 463 | 60 | 138 | 20 | 2 | 17 | 213 | 51 | 16 | 7 | 8 | 2 | 18 | 2 | 4 | 31 | 14 | .298 | .330 | .460 | .790
1976 | 98 | 417 | 392 | 50 | 104 | 14 | 1 | 17 | 171 | 44 | 7 | 6 | 8 | 3 | 12 | 0 | 2 | 35 | 11 | .265 | .291 | .436 | .727
1977 | 121 | 504 | 468 | 74 | 136 | 18 | 3 | 20 | 220 | 52 | 10 | 3 | 11 | 2 | 18 | 0 | 5 | 49 | 10 | .291 | .324 | .470 | .794
1978 | 89 | 338 | 314 | 41 | 89 | 15 | 2 | 13 | 147 | 37 | 3 | 3 | 11 | 1 | 9 | 2 | 3 | 20 | 10 | .283 | .310 | .468 | .778
1979 | 120 | 518 | 467 | 74 | 140 | 25 | 1 | 11 | 200 | 48 | 11 | 2 | 18 | 1 | 28 | 3 | 4 | 45 | 10 | .300 | .345 | .428 | .773
1980 | 80 | 242 | 219 | 20 | 51 | 6 | 0 | 5 | 72 | 14 | 3 | 4 | 6 | 0 | 16 | 3 | 1 | 22 | 11 | .233 | .288 | .329 | .617
通算:21年 2282 | 9110 | 8367 | 1120 | 2274 | 346 | 55 | 236 | 3438 | 813 | 369 | 139 | 200 | 53 | 434 | 25 | 56 | 819 | 171 | .272 | .312 | .411 | .723

年度別監督成績

レギュラーシーズン
年度
球団
【順位】
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲーム差
年齢
1986年 | 中日 | 5位 | 130 | 54 | 67 | 9 | .446 | 20.0 | 44歳
1992年 | 6位 | 130 | 60 | 70 | 0 | .462 | 9.0 | 50歳
1993年 | 2位 | 132 | 73 | 57 | 2 | .562 | 7.0 | 51歳
1994年 | 2位 | 130 | 69 | 61 | 0 | .531 | 1.0 | 52歳
1995年 | 5位 | 130 | 50 | 80 | 0 | .385 | 32.0 | 53歳
2012年 | 2位 | 144 | 75 | 53 | 16 | .586 | 10.5 | 71歳
2013年 | 4位 | 144 | 64 | 77 | 3 | .454 | 22.0 | 72歳
通算:7年 940 | 445 | 465 | 30 | .489 | Aクラス3回、Bクラス4回
(1992年から1996年までは130試合制)
※1 1986年は、山内監督休養後の7月6日から閉幕までの68試合(29勝35敗4分)
※2 1995年は、開幕から休養前の6月2日までの39試合(13勝26敗)
ポストシーズン
【年度】
【チーム】
【大会名】
【対戦相手】
勝敗
2012年 | 中日 | セ・リーグ
クライマックスシリーズ

1stステージ | 東京ヤクルトスワローズ(セ・リーグ3位) | 2勝1敗=ファイナルステージ進出
セ・リーグ
クライマックスシリーズ
ファイナルステージ | 読売ジャイアンツ(セ・リーグ1位) | 3勝3敗=敗退
(※1)
※ 勝敗の太字は勝利したシリーズ
※1 これに相手チームのアドバンテージ1勝を含め、3勝4敗で敗退。

タイトル

出典:wikipedia
2019/10/16 13:28

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