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鳥谷敬とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
東京都東村山市
【生年月日】
(1981-06-26) 1981年6月26日(37歳)
【身長
体重】
180 cm
80 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投左打
【ポジション】
遊撃手三塁手二塁手
【プロ入り】
2003年 自由獲得枠
【初出場】
2004年4月2日
【年俸】
4億円(2018年)
※2015年から5年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
WBC
2013年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - )は、東京都東村山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。

日本野球機構(NPB)公式戦1939試合連続出場、13シーズン連続全試合出場(いずれも歴代2位)、史上50人目の公式戦2000本安打および、史上15人目の1000四球達成者。遊撃手としては、NPB公式戦シーズン最多打点記録(104打点)および、NPB史上最長の667試合連続フルイニング出場記録を保持している。また、阪神2年目の2005年シーズン以降は、二軍戦への出場や故障による出場選手登録の抹消を一度も経験していない(2017年シーズン終了時点)。

阪神への入団後には、2010年と2011年に選手会長、2012年から2016年まで主将を務めた(2012年、2016年は野手キャプテン)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備・走塁
    • 2.3 評価
    • 2.4 連続試合出場
  • 3 人物
  • 4 社会奉仕活動
  • 5 詳細情報
    • 5.1 年度別打撃成績
    • 5.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
    • 5.3 WBCでの打撃成績
    • 5.4 年度別守備成績
    • 5.5 タイトル
    • 5.6 表彰
    • 5.7 記録
    • 5.8 背番号
    • 5.9 登場曲
    • 5.10 代表歴
  • 6 関連情報
    • 6.1 出演
    • 6.2 出版物
      • 6.2.1 著書
      • 6.2.2 その他
    • 6.3 漫画
  • 7 脚注
    • 7.1 注釈
    • 7.2 出典
  • 8 関連項目
  • 9 外部リンク

経歴

プロ入り前

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年12月)

3兄弟の長男として出生した後に、羽村市へ移住。小学生の時には、東村山ジュニアメッツや小作台少年野球クラブに所属しながら、柔道でも活躍。得意技は背負い投げ体落とし大外刈りで、東村山市の大会で優勝したり、東京都大会でベスト8に入るなどの好成績を修めた。

元々は左利きだが、右利きに矯正されたため、小学生時代には右打ちだった。しかし、左利きの癖が抜けておらず、左手に箸を持ちながら弁当を食べている姿を見た当時の監督から、「左で打ったほうが良い」と言われたことをきっかけに左打ちの練習を開始。羽村第一中学校への進学を機に瑞穂シニアへ加入すると、野球へ専念するとともに、1年時から本格的に左打ちへ転向した。当時は、地元球団である西武ライオンズのファンで、秋山幸二に憧れていたという。

中学生時代に両膝の成長痛で苦しんだことから、中学校からの卒業を機に野球を辞める予定だった。実父からの説得を受けて後に翻意したが、聖望学園高校へ進学してからも、1年生の夏までは野球部の練習を見学するだけにとどめていた。しかし、1年生の秋に入部すると、たちまちレギュラー二塁手の座を確保。3年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会では、遊撃手兼投手として、チームを史上初めて阪神甲子園球場の全国大会出場へ導いた。チームはこの間に、全国高等学校野球選手権埼玉大会の準決勝まで、3試合連続で9回逆転サヨナラ勝利を挙げている。全国大会では、日田林工高校との初戦で2安打2打点をマーク。投手としてリリーフ登板すると、ストレートで最速143 km/hを計測したが、チームは初戦で敗退した。

高校3年生だった1999年の秋には、西武へ入団することを視野に、日本学生野球協会プロ志望届を提出した。NPBのドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、早稲田大学野球部のセレクションを受験したところ、当時監督だった野村徹から高い評価を受けて合格。この年から同大学が設けたスポーツ推薦入学枠の第1号になった。ちなみに、鳥谷が入団を希望していた西武には、3年夏の選手権埼玉大会で対戦した埼玉栄高校大島裕行がドラフト3位で指名。対外試合通算86本塁打(当時の高校最多記録)の実績を背景に、入団へ至っている。

早稲田大学では、1年時から正遊撃手に抜擢。東京六大学野球のリーグ戦では、在学中の全試合にスタメンで起用されるとともに、主に3番打者を任された。鳥谷を抜擢した野村によれば、同大学における6年間の監督生活で、1年生からリーグ戦の全試合に出場させた選手は鳥谷だけという。同期の青木宣親比嘉寿光由田慎太郎などと共に、3年時の春季から4年時の秋季までチームのリーグ戦4連覇に貢献。遊撃手としても、通算で5回ベストナインに選ばれた。2年時の春季リーグでは、後藤武敏に並ぶリーグ史上最速タイ記録で三冠王を獲得。4年時には、春季リーグ戦で当時のリーグ最多四死球(19)を記録すると、秋季リーグで2度目の首位打者を獲得した。在学中には、リーグ戦で通算96試合に出場。打率.333(345打数115安打)、11本塁打、71打点を記録。通算115安打は、2017年の春季リーグ終了時点で、早稲田大学の選手としての歴代2位に当たる。4年時には、第32回日米大学野球の日本代表メンバーとして、アメリカへの遠征も経験。その一方で、人間科学部スポーツ科学科の学生として、『打撃動作における下肢の筋電図解析』というテーマで卒業論文を執筆している。

大学4年生だった2003年のNPBドラフト会議で、自由獲得枠を通じて、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という最高条件で阪神タイガースに入団した。背番号は1。担当スカウトは菊地敏幸で、「日本一の遊撃手を獲得する」という球団の強い意向から、前述した日米大学野球のアメリカ遠征にも同行していた。

この会議に際しては、かつて入団を希望していた西武をはじめ、大学の1年先輩・和田毅を前年(2002年)に自由獲得枠で入団させた福岡ダイエーホークス読売ジャイアンツ(巨人)横浜ベイスターズも鳥谷の獲得を目指していた。しかし、内野手として土のグラウンドでのプレーを望んでいた鳥谷は、「お金で自分の将来を決めたくない。そんな人間だと思われるのが一番嫌だ」とコメント。大学4年時の東京六大学秋季リーグ戦の前に、上記の球団で唯一、本拠地(甲子園球場)の内野グラウンドに土を使用する阪神への入団を決意した。

プロ入り後

2004年、大物新人選手としてキャンプオープン戦から注目され、前年の遊撃手のレギュラーだった藤本敦士とポジションを争った。7番遊撃手で開幕先発出場し、最終的に打率.251、3本塁打、17打点に終わった。なお、その間の同年7月9日に大阪ドームで催されたフレッシュオールスターゲームには、同リーグ選抜の「3番・遊撃手」としてフル出場で3打数1安打1盗塁を記録した。

2005年、藤本が二塁手コンバートされ、開幕から遊撃手として全試合出場。2番を打っていた藤本と関本健太郎の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番打者に定着。打率.278、9本塁打、52打点の成績を残し、サヨナラ本塁打を2本放つなどチームの優勝に貢献。自身初のオールスターゲームにも出場し(遊撃手・ファン投票選出)、千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズにも出場した。シーズン終了後には、高校の1年先輩で、野球部のマネージャーだった女性と結婚している。

2006年、シーズン前半は主に7番遊撃手、シーズン後半は6番遊撃手として全試合フルイニング出場。6月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で愛敬尚史から逆転2ラン本塁打、2日の対福岡ソフトバンクホークス戦では斉藤和巳からソロ本塁打とタイムリー二塁打、3日の対ソフトバンク戦では藤岡好明からサヨナラ安打を放ち、3日連続でヒーローインタビューに立った。ファン投票選出で2年連続でオールスターゲームに出場。9月前半まで打率3割台を維持したが、シーズン最終盤に成績を落とし、最終成績は打率.289、15本塁打、58打点だった。9月に長男が誕生。

2007年、主に1番打者として全試合出場したが好不調の差が激しく、打率.273、10本塁打、43打点と打撃成績が前年よりも落ち込んだ。7月24日の対中日ドラゴンズ戦で遊撃手として340試合連続フルイニング出場のプロ野球記録を樹立し、9月28日の398試合まで記録を伸ばしたが、25日の試合で受けた死球の影響で翌29日に途中交代した。同年オフにレーシック手術を受け視力が回復した。

2008年、開幕から「6番・遊撃手」として公式戦に出場。シーズン前半は3割を超える打率で、勝負強さも見せた。夏場に新井貴浩が離脱した際には3番や5番に入ったが調子を落とした。不調だった今岡誠が9月に復帰した後は再び6番に戻り、打率.281、13本塁打、自己最多の80打点を記録。10月19日のクライマックスシリーズ対中日戦では1試合2本塁打を放った。守備では簡易RF5.13を記録したが、ゴールデングラブ賞受賞はならなかった。同年は自身2度目の全試合フルイニング出場も達成してベストナインを初受賞。9月13日に次男が誕生。

2009年、開幕から「3番・遊撃手」として公式戦に出場。4月終了時点で90打数30安打14打点と好調だったが、5月に不調に陥り、打順も7番に降格し、チャンスで代打を送られるなど苦しんだ。シーズン後半は完全復調して打順も3番に戻り、打率.288、自身初の20本塁打、75打点を記録。安打、得点、打率、長打率OPSはチーム1位。守備でも遊撃手としてリーグトップの守備率.990を記録した。これは平田勝男1986年に記録した.988を上回る球団記録でもあった。11月26日、引退した赤星の後継としてチーム選手会長に就任した。

2010年、前年に続いて、開幕から「3番・遊撃手」として公式戦に出場。5月にマット・マートンと交錯し腰椎を骨折した後、成績を落とし、4試合スタメン離脱。6月から7月まで1番打者を務め、3番に戻った8月から一気に調子を上げ、赤星の持っていた球団月間安打記録を更新する43安打を放つなど、月間打率.422、OPS 1.151の活躍で月間MVPを初受賞した。また、7月20日の対広島東洋カープ戦で球団史上初となる延長戦での逆転サヨナラ本塁打を放った。10月2日の対広島戦で、遊撃手としてプロ野球史上初となるシーズン100打点を記録。10月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ通算1000本安打を達成。シーズンを通して打率.301、19本塁打、104打点と自己最高の成績を残し、リーグトップの得点圏打率.360、満塁打率.500を記録するなど勝負強さも見せて2年ぶり2度目のベストナインを受賞。この年に記録した104打点は遊撃手としてのシーズン最多打点のプロ野球記録である。7月2日に長女が誕生。

2011年、開幕から「3番・遊撃手」に定着。5月15日の対中日戦で打球処理の際に右手人さし指の爪を裂傷し途中交代。翌週から始まったセ・パ交流戦では遊撃守備を上本博紀に譲り、5月28日に守備復帰するまで指名打者や代打で出場した。5月22日の対西武戦で通算1000試合出場を達成。この年に導入された統一球の影響もあり本塁打・打点は前年の半分以下に落ちたものの、2年連続の打率3割越え(打率.300・リーグ4位)を記録し、OPSはリーグ3位、RC27はリーグ2位をマーク。RCWINでは自己最高の数値を記録するなど、傑出度では過去最高の成績だった。また三塁打7・四球78・出塁率.395はいずれもリーグトップで、自身初のタイトルとなる最高出塁率を獲得した。上述の怪我で守備ができない時期もあったが、3年連続失策一桁台、自身の持つ球団記録を更新する守備率.991を記録して、ゴールデングラブ賞を初受賞、2年連続3度目となるベストナインも受賞した。9月3日に国内フリーエージェント (FA) 権を取得したが行使せず残留した。

2012年、チームがキャプテン制を導入したのに伴い、野手キャプテンに選ばれた。シーズンでは阪神で唯一全試合出場を果たし、成績は打率.262、8本塁打、59打点と昨年より大きく打率を落としたが、自身最高の94四球を記録し高出塁率は維持した。8月には海外FA権を取得。「メジャーへの思いはあります」とメジャーリーグ挑戦志向があることを公言し、「メジャーか残留かは正直、五分五分」とまで話したが、前年と同じくFA権を行使せずに残留を表明。「いろんな可能性を残して、自分を奮い立たせてやりたい」と年俸2億8,000万円の単年契約で契約更改した。

2013年、シーズン前に開かれたWBCの日本代表に選出。日本代表の強化試合およびWBCの本選では、本職である遊撃手以外の内野手の層が薄いチーム編成の下で、公式戦での経験がほとんどない二塁手や三塁手としても多く起用された。2次ラウンドの対チャイニーズタイペイ戦(東京ドーム)で1点ビハインドの9回表1死から四球で出塁すると、2死後に打者・井端弘和の場面で二盗に成功。直後に井端の適時打で同点のホームを踏み、延長10回・4対3で日本代表が勝利したのに貢献した。翌日の対オランダ戦には、それまでの本選で無安打だったにもかかわらず、出塁率の高さや前述の盗塁を買われてリードオフマンとして先発出場。初回に先頭打者本塁打を右翼に放った。この一打をきっかけに、チームはWBC1試合最多記録タイの17安打・6本塁打の猛打を見せ、16-4で大会規定による7回コールド勝ち。3大会連続の決勝ラウンド進出を決めた。決勝ラウンド準決勝の対プエルトリコ戦(サンフランシスコAT&Tパーク)では、1番二塁手として8回裏の打席で三塁打を放つと、次打者・井端の適時打で日本代表唯一の得点を挙げたが、チームは1対3で敗退した。

レギュラーシーズンでは藤川球児のメジャーリーグ移籍に伴いチームキャプテンに選ばれ、「3番・遊撃手」として公式戦への出場を継続。7月7日の対広島戦(マツダスタジアム)で、2004年9月9日の対ヤクルト戦(甲子園)からの連続試合出場記録がNPB歴代単独3位の1251試合に達した。また、オールスターゲームには、セントラル・リーグのファン投票・遊撃手部門で選出。同ゲーム前最後のリーグ戦であった7月17日の対巨人戦(甲子園)から9月16日の対ヤクルト戦(神宮)までは、球団史上最長・リーグ歴代3位タイの47試合連続出塁を記録した。8月30日の対広島戦(甲子園)で、自身初にして、阪神の遊撃手では1980年の真弓明信以来33年振りに4番で起用された。10月以降は3番に戻ったものの、公式戦ではリーグ最多および球団新記録の104四球を記録し、2年連続フルイニング出場を達成した。2011年以来2度目となるゴールデングラブ賞を両リーグ最多投票で受賞、通算4度目となるベストナインも受賞し、DELTA算出のUZRで遊撃手1位の26.4、1000イニングあたりのUZR/1000では2位の20.4を記録、同社算出の選手総合評価指標WARでは両リーグ1位の8.0を記録した。シーズンオフには「優勝できなかったということがあるし、チームの方に必要とされた」と話し、年俸3億円の単年契約で契約更改した。

2014年、背中の張りを訴えてオープン戦を数試合欠場したが、開幕戦であった3月28日の対巨人戦(東京ドーム)では、公式戦では2007年以来7年振りに「1番・遊撃手」としてスタメンに起用。4月には、30日の対広島戦(甲子園)2回裏に適時打で出塁すると、マウロ・ゴメスの本塁打によるホームインで月間30得点の球団新記録を達成した。5月29日の対西武戦(甲子園)では、現役選手では最も若い32歳11か月で、公式戦通算1500本安打を記録。レギュラーシーズン全体では、自己最高の打率.313、出塁率.406という成績を残した。また、NPBの遊撃手としては初めて、公式戦3年連続フルイニング出場を達成。藤村富美男と並ぶ球団タイ記録および、NPB史上4位に相当する10年連続全試合出場も成し遂げた。

なお、シーズン終了後には、海外FA権を行使することを宣言。代理人にスコット・ボラスを立てたうえで、MLB球団への移籍を目指した。宣言後の交渉では、複数の球団が獲得に興味を示した。しかし、条件面で折り合いがつかなかったため、阪神への残留を表明した。

2015年、春季キャンプ直前の1月22日に、推定年俸4億円(1億円増)という条件で5年契約を締結した。鳥谷はこれに関して「阪神で終われたら」と、公の場で初めて「生涯虎」を誓った。レギュラーシーズンでは、9月3日の対広島戦(甲子園)で、球団歴代3位の通算1740安打を達成。4年連続の公式戦全試合フルイニング出場を達成するとともに、シーズン終了後には、3年連続6度目のベストナインを受賞した。通算6度目のベストナイン選出は、藤田平に並ぶ球団2位の記録である。

その一方で、シーズン終了後には、2012年までのチームメイトだった金本知憲が一軍監督に就任。金本からゴメス・福留孝介と並んでレギュラー野手の座を早々に確約される一方で、「数字(成績)、実績、年齢、年数をすべて考えても、(金本自身が把握する限りでの鳥谷の能力に比べれば)物足りない。お前が変わらないと、チームも変わらない」という表現を通じて、打撃フォームの改造や長打力をあげるための体重増、意識改革を求められた。

2016年、投手・野手別のキャプテン制度が4年振りに復活したことから、チームキャプテンから野手キャプテンに変更。金本監督による構想の下で、「6番・遊撃手」として公式戦をスタート。4月24日の対広島戦(マツダスタジアム)で、NPB公式戦600試合連続フルイニング出場を達成した。この記録は、NPBの野手では史上4人目、遊撃手のみで公式戦に出場した選手としては初めてであった。しかし前半戦では、プロ入り後自己ワーストの28打席連続無安打に陥ったり、4番と9番以外の全打順でスタメン出場を経験したりするなど総じて不振。4年振りにオールスターゲームへの出場を逃した。後半最初の試合であった7月18日の対巨人戦(甲子園)では、NPB公式戦通算1102三振を喫するとともに、阪神の選手による公式戦での通算最多三振記録を更新。結局、シーズンの通算打率は、プロ入り後最低の.236にとどまった。本塁打数(7本)や盗塁数(13)は例年とほぼ同じ水準だったものの、通算打点は36で、入団1年目に次ぐ少なさだった。

また、同年7月24日の対広島戦(マツダスタジアム)でスタメンを外れたことによって、2011年10月24日の同カードから始まった公式戦での連続試合フルイニング出場記録は667試合で途切れた。この試合以降、代打からの途中出場が相次いだが連続試合出場は継続した。北條史也が遊撃手として頭角を現したことから、9月3日の対横浜戦(甲子園)では「6番・三塁手」としてスタメンに起用された。三塁手としての公式戦出場は2004年9月11日の同カード(横浜)、スタメンでの起用は同年6月20日の対巨人戦(東京ドーム)以来12年振り。この試合を境に、鳥谷を三塁手、北條を遊撃手としてスタメンで起用するパターンが定着した。鳥谷自身は、シーズン終了後に、2017年から遊撃一本で北條と再び競い合うことを金本に直訴している。

9月30日の対巨人戦(甲子園)では、出場機会のないまま7回裏二死から強い降雨で試合が中断。試合自体は5回裏終了の時点で成立していたため、雨天コールドゲームへ至った場合には、自身の連続試合出場記録が1750試合で途切れる可能性があった。しかし、11分間の中断を経て試合が再開されると、8回表から三塁手として出場。チームのレギュラーシーズン最終戦であった翌10月1日の同カードでは、「6番・三塁手」としてのフル出場によって、上記の記録を1752試合にまで伸ばしている。

2017年、春季一軍キャンプから北條との間で正遊撃手争いを展開したが、金本監督は北條をキャンプの「筆頭MVP」に選出する一方で、鳥谷には「北條に7対3で勝っても遊撃のレギュラー(として起用すること)はない」と通告。鳥谷は、オープン戦で二塁手や三塁手にも起用された後に、プロ14年目で初めて公式戦の開幕を三塁手として迎えた。

レギュラーシーズンでは、開幕戦から三塁手として公式戦へのスタメン出場を続けた結果、4月19日の対中日戦(ナゴヤドーム)で連続出場試合数が1767試合に到達。金本が現役時代に達成した1766試合連続出場記録を上回るとともに、公式戦における連続出場試合数で、衣笠祥雄の2215試合に次ぐ単独2位に浮上した。

5月24日の対巨人戦(甲子園)に「6番・三塁手」としてスタメンで出場したことによって、連続試合出場記録が1794試合にまで到達した。しかし5回裏の第2打席で、吉川光夫が投じた144km/hのストレートが顔面の右側付近を直撃した影響で昏倒。丹波幸一球審がこの投球を危険球と宣告したため、吉川が退場処分を受けたほか、鳥谷も鼻からの出血が止まらないままグラウンドを後にした。試合後の診察で鼻の骨が折れていることが判明したが、翌25日の同カード以降の試合にも、フェイスガードをつけながら代打や三塁手として出場を継続。セ・パ交流戦では、6月6日の対オリックスバファローズ戦(京セラドーム大阪)3回表の打席で金子千尋からシーズン2号本塁打(3点本塁打)を放ったことによって、交流戦通算350安打(NPBの一軍交流戦における個人最多安打記録)を達成した。さらに、球団からのノミネート選手としてセ・リーグの三塁手部門に名を連ねたオールスターゲームのファン投票では、リーグ全部門で最も(パ・リーグ全部門を含めれば3番目に)多い471,327票を獲得。三塁手としては初めての出場を果たした。

9月8日の対DeNA戦(甲子園)で、2回裏に1死1塁で迎えた第1打席で井納翔一から右中間へ適時二塁打を放ち、NPB史上50人目の公式戦通算2000安打を達成した。達成までに要した出場試合数は1956試合で、NPB実働14年目での達成は、ドラフト制度導入後の1965年以降に新人扱いでNPBの球団と契約した日本人選手における最速記録。新人時代から一貫して阪神に在籍した生え抜き野手では、1983年に後楽園球場の対巨人戦で記録した藤田平以来2人目だが、本拠地・甲子園球場での達成は球団史上初めてである。翌9日の対DeNA戦(甲子園)では、第4打席まで凡退したものの、延長12回裏に2死満塁で迎えた第5打席で通算2001本目の安打をサヨナラ安打で記録した。レギュラーシーズンの最終戦であった10月10日の対中日戦(甲子園)で4打数4安打以上の記録を残せば、シーズンの最終打率が3年振りに3割へ達する可能性があったが、実際には4打数無安打で終了(最終打率は.293)。その一方で、NPB史上15人目の公式戦通算1000四球を達成した。レギュラーシーズン全体では、公式戦全143試合に出場。打率.293、4本塁打、41打点、143安打、出塁率.390、OPS.767など、前年を大きく上回る成績で復活を果たした。さらに、シーズン終了後には、セ・リーグの三塁手部門でゴールデングラブ賞に選ばれた。遊撃手部門では過去に4回受賞しているが、三塁手部門での選出は初めてである。

2018年、春季一軍キャンプの途中から、二塁守備の練習を本格的に始めた。メインポジションが一塁であるウィリン・ロサリオが4番打者候補として入団したことを機に、前年に新人ながらレギュラーシーズン後半から主に一塁手として長打力を発揮していた大山悠輔を、本来のポジションである三塁へ回したことによる。オープン戦でも主に二塁を守ったが、打撃不振に陥ったため、前年までの正二塁手である上本や西岡剛などとの併用策へ移行。レギュラーシーズンでは、その影響でスタメン起用の機会が限られながらも、開幕戦から連続試合出場記録を更新した。5月18日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、9回表に代打へ起用されたことによって、公式戦2011試合出場の球団新記録を達成。この時に、公式戦では初めて、代打で犠打を記録した。セ・パ公式戦の初戦に当たる5月29日の対ソフトバンク戦(甲子園)にもベンチへ入っていたが、最後まで出場の機会がなかったため、連続試合出場記録は1939試合、シーズン全試合出場記録は13シーズン(いずれもNPB歴代2位)で途絶えた。

選手としての特徴

打撃

2006年から2010年までの通算の対右打率.300に対し対左打率.262と左投手を苦手とし、特に左投手の落ちる球を苦手としていた。

リーグ最多の78四球で最高出塁率のタイトルを獲得した2011年以降3年連続でリーグ最多四球を記録した他、2013年には両リーグ最低のボール球スイング率を記録すると同時に、球団記録となる104四球を達成。また、2013年から5年連続で両リーグ最高のボール球見極め率(規定打席到達者中)を記録している。

守備・走塁

新人合同自主トレにて行った100メートル走では12秒台だったが、50メートル走では5秒75を記録した。

守備では、2016年の途中まで遊撃手として起用。2013年のWBCでは、チーム事情から二塁や三塁も守った。高校時代には投手として140 km/h台を記録し、プロ入り後初めてブルペンで投げた2012年の春季キャンプでは134 km/hを記録した。三遊間の打球に強い。レンジファクター は、2008年では高い数値を記録したが、2011年ではリーグ最低だった。 2009年から守備コーチを務めた久慈照嘉の指導の下、安定性を増して守備率も向上させ、2006年には490補殺でセ・リーグのシーズン最多補殺記録、2008年にはリーグ16年ぶりの5点台となる簡易RF5.13を記録し、2010年には両リーグ2位のUZR11.7を記録。2012年にも守備イニング1,000以上の遊撃手で両リーグ4位のUZR10.4を記録。また2013年にはDELTA社算出のUZRで遊撃手両リーグ1位の28.9を記録している。2014年はDELTA社算出のUZRは遊撃手として-8.1、データスタジアム社算出のUZRは400イニング以上出場した遊撃手としてはリーグワースト2位のUZR-5.3を記録。2015年シーズン中には守備で足を引っ張るプレーが散見され、UZRでは最終的に-20.4を記録した(遊撃手としての数値)。

2017年シーズンには三塁手へ本格的に転向。三塁手としては自身初のゴールデングラブ賞を受賞したが、UZRでは-13.4にとどまった。さらに、2018年シーズンからは、前述したチーム事情を背景に二塁手へ転向している。ちなみに、鳥谷はWBCで二塁の守備を経験しているが、NPBの公式戦では2017年まで二塁手に起用されたことがなかった。

鳥谷自身は、公式戦通算2000本安打を達成した際に、ある方向の打球が見えにくくなっていることを告白。2016年のオフシーズンに病院で診察を受けたところ、ストレスが原因であることが判明したため、以降のトレーニングでは身体全般の動きに意味を持たせることを心掛けているという。

評価

2013年には野球選手の総合評価指標WARにおいて阿部慎之助に次ぐ2位を記録する。またベストナインを6回、ゴールデングラブ賞を5回(遊撃手として4回、三塁手として1回)獲得している。

連続試合出場

2004年9月6日の対ヤクルト戦から、2018年5月27日の対巨人戦(いずれも甲子園球場で代打に起用)まで、NPB歴代2位の公式戦1939試合連続出場を記録。その間には、2012年から2016年まで、NPB歴代4位(遊撃手としては歴代1位)の667試合連続フルイニング出場を記録した。このような記録を達成できるほど身体が強いイメージを持たれていることから、現役選手時代に連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立した金本と同じく、「鉄人」とも称される。

ただし実際には、腰椎、肋骨、背骨、鼻骨を骨折するなど、多数の故障を経験。このような故障を押して出場を続けていることから、親しい選手や関係者からは、「痛みに強い」と評価されている。

鳥谷自身は、連続試合出場に対するモチベーションとして、「(試合がある)その日しか(球場に)来られないファンもいるから(試合に)出続ける」という金本の言葉や、欠場によってポジションを失いかねないことへの恐怖感を挙げている。また、「連続試合出場自体が野球へのモチベーションになっている」とも語っている。

なお、衣笠が2018年4月22日に71歳で死去した直後には、「(野球解説者として毎年のキャンプなどで)声を掛けていただいたことや、(自分から)挨拶した時に話をしていただいたことはある(ので感謝している)。ただ、(衣笠が広島の現役時代に樹立した公式戦2215試合連続出場のNPB記録については)意識したことがなく、今は(以前に比べてスタメン起用の機会が減るほど打撃が振るわないので)自分の調子を上げていくだけ」と語っていた。しかし、およそ1ヶ月後(5月29日)の対ソフトバンク戦への出場を見合わせたことによって、自身の連続試合出場記録を歴代2位の1939試合で終えた。金本は、この試合後に、「起用する場面がなかったので、(記録が止まるのは)仕方がない。鳥谷には、連続試合フルイニング出場記録が止まって以来起用法に配慮していて、本人も感謝の気持ちを示していた。その一方で、『起用する場面がない試合では出場させないかも』とも話していた」とコメント。鳥谷自身も、「いつかは(記録が)止まるもの。(調子が)良い時にも、悪い時にも、怪我をした時にも(自分を試合で)使ってくれた(歴代の)監督たちに感謝している」と述べている。

人物

2人の弟も、自身と同じ聖望学園高校へ進学すると野球部に所属。長弟の司も内野手で、東京農業大学を経て、ヤマハ硬式野球部社会人野球日本選手権大会出場を経験した。2011年限りで現役を引退してからは、同部のマネジャーを3年間務めた後に、社業へ専念している。末弟は、鳥谷が早稲田大学の3年生だった2002年に病気を患った影響で、選手生活を断念した。

聖望学園高校時代の同級生に、ファッションモデルフォトグラファーとして活動するアルナ(成松阿留奈)がいる。阪神入団後の2016年には、成松が連載を担当する「MENS+ LIFE(雑誌『MENS CLUB』のオンライン版)の企画で、成松との対談が実現した。

大学時代には、当時の監督だった野村が1度も怒ったことがないほど、練習や食事の管理へ熱心に取り組んでいた。2年時には、東京六大学野球の春季リーグ戦で三冠王を獲得したものの、秋季リーグ戦では不振を極めた。自身や弟の学費を捻出するために両親が共働きを強いられていたこともあって、将来のMLB挑戦を視野に、NPBの球団で野球を続けることを本格的に意識。当時住んでいた野球部合宿所の自室から、テレビをはじめ、野球に必要のない私物をすべて排除したという。このような姿勢から、他の野球部員からは、「筋肉ファンタジー」というニックネームを付けられていた。

阪神入団後も食事に関する自己管理を徹底。入団当初に居住していた選手寮「虎風荘」のスタッフによれば、鳥谷は在寮中にカップラーメン白砂糖を使用した缶コーヒーの類は口にしたことがないと言っていたことを明かしている。一時はグルテンフリー(小麦由来の飲食物を摂取しない食事法)を徹底させていたが、2016年にプロ入り以来最大の不振に陥ったことから、2017年以降は食事に関する制限を緩和している。シーズンオフには毎年ファスティング(断食)で体をリセットしている。

早大の先輩であり、また鳥谷の阪神入団時から5年間監督として接した岡田彰布は「チームリーダーというタイプではない。彼は自分のことを黙々とやる選手」と評している。同大学4年のときもキャプテン就任を断ったという。

時間や場所を問わずトレーニングに励むことでも有名で、最新の理論を反映させながらトレーニングを続けている。かつてのチームメイトであった赤星が練習量を尋ねたところ、「練習は歯磨きと同じく毎日続けるもので、練習しないと気持ちが悪い」と返答したという。坂本勇人京田陽太は鳥谷への敬意を公言している。

阪神3年目の2006年4月からは、打率3割の達成を目標に掲げながら、プロ

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出典:wikipedia
2018/09/19 04:24

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