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鳩山邦夫とは?

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日本政治家
鳩山 邦夫
はとやま くにお

2007年9月の入閣に際して公表された肖像写真

【生年月日】
(1948-09-13) 1948年9月13日
【出生地】
東京都
【没年月日】
(2016-06-21) 2016年6月21日(67歳没)
【死没地】
東京都
【出身校】
東京大学法学部第3類卒業
東京大学法学部第2類卒業
【前職】
田中角栄衆議院議員秘書
【所属政党】
(無所属→)
(自由民主党→)
(無所属→)
(改革の会→)
(自由改革連合→)
(新進党→)
(旧民主党→)
(民主党→)
(無所属→)
(自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党(無派閥)
【称号】
正三位旭日大綬章
衆議院永年在職議員
法学士(東京大学法学部第3類・1971年)
法学士(同第2類・1972年)
【配偶者】
鳩山エミリ(妻)
【親族】
鳩山和夫(曾祖父)
寺田栄(曾祖父)
鳩山一郎(祖父)
鳩山威一郎(父)
井上和子(姉)
鳩山由紀夫(兄)
鳩山太郎(長男)
鳩山二郎(次男)
鳩山紀一郎(甥)
第10代 総務大臣
内閣府特命担当大臣(地方分権改革)

【内閣】
麻生内閣
【在任期間】
2008年9月24日 - 2009年6月12日
第79-80代 法務大臣

【内閣】
第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
【在任期間】
2007年8月27日 - 2008年8月2日
第59代 労働大臣

【内閣】
羽田内閣
【在任期間】
1994年4月28日 - 1994年6月30日
第117代 文部大臣

【内閣】
宮澤内閣
【在任期間】
1991年11月5日 - 1992年12月12日
衆議院議員

【選挙区】
(旧東京8区→)
(東京2区→)
(比例東京ブロック→)
福岡6区
【当選回数】
13回
【在任期間】
1976年12月10日 - 1979年9月7日
1980年6月23日 - 1999年3月25日
2000年6月26日 - 2016年6月21日

鳩山 邦夫(はとやま くにお、1948年(昭和23年)9月13日 - 2016年(平成28年)6月21日)は、日本政治家。位階は正三位。勲等は旭日大綬章「邦」の字体は、偏の縦の払いが上にはみ出ないのが正式とされる

衆議院議員(13期)、行政管理政務次官(第2次中曽根内閣)、文部大臣(第116代)、労働大臣(第59代)、法務大臣(第7980代)、総務大臣(第10代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)〔麻生内閣〕、民主党副代表、裁判官訴追委員会委員長、地方創生に関する特別委員会委員長等を歴任した。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 政界入り
    • 1.3 自由民主党を離党
    • 1.4 自由民主党復党後
    • 1.5 自由民主党を再離党
    • 1.6 自由民主党へ再復党、死去
  • 2 人物
  • 3 政策
    • 3.1 憲法改正
    • 3.2 死刑制度
      • 3.2.1 朝日新聞による「死に神」表現
    • 3.3 児童ポルノ規制
    • 3.4 司法試験合格者数問題
    • 3.5 かんぽの宿一括譲渡問題
    • 3.6 東京中央郵便局建て替え問題
  • 4 発言
    • 4.1 「友人の友人がアルカイダ」
    • 4.2 志布志事件
    • 4.3 草彅剛に関する発言
  • 5 資産・政治資金
    • 5.1 実母からの資金提供
  • 6 家族・親族
  • 7 系譜
  • 8 主な所属議員連盟
  • 9 主な関係団体
  • 10 著書
  • 11 出典・注釈
    • 11.1 出典
    • 11.2 注釈
  • 12 秘書経験者
  • 13 参考文献
  • 14 外部リンク

経歴

生い立ち

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年5月)

東京都鳩山威一郎の次男として生まれる。

学習院初等科学習院中等科東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、同学部第2類(公法コース)に学士入学し卒業。学習院の同級生に作曲家の都倉俊一東京大学名誉教授の能見善久日本郵政社長(元シティバンク銀行会長)の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる。早くから政界入りを志望し、田中角栄の下を訪ねる。田中は「もし自分が首相になったら秘書にする。福田赳夫首相になったら、福田に紹介する」と約束した上で、見聞を広めるため海外への遊学を鳩山に勧めた。鳩山は田中の助言を受け、東大を卒業しアメリカスタンフォード大学に留学していた由紀夫を頼り、数ヶ月間アメリカに滞在した後、帰国した。その後、田中の秘書となった。

政界入り

1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙新自由クラブ推薦で旧東京8区から出馬し、初当選。同じく無所属の宇都宮徳馬麻生良方と衆院無党派クラブを結成した(1978年に解散)。1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙において落選するが、8か月後に行われた第36回衆議院議員総選挙で国政に復帰。1978年12月に自民党入党後は、田中派竹下派に所属した。1991年(平成3年)、宮澤内閣文部大臣に就任し、政界入りから16年目で初入閣した。文相在任中、「学力偏差値追放」を訴え一斉業者テストを廃止した

自由民主党を離党

1993年(平成5年)に自民党を離党し、第40回衆議院議員総選挙では無所属で当選。細川内閣発足後もしばらくは無所属で通していたが、1994年(平成6年)1月、前年に自民党を離党した西岡武夫石破茂らと院内会派改革の会を結成した。細川護煕首相の退陣を受けて発足した羽田内閣では労働大臣に就任するも、羽田内閣は2ヶ月で退陣に追い込まれた。改革の会は高志会(海部俊樹代表)、新党みらい(鹿野道彦代表)、自由党(柿澤弘治党首)と共に自由改革連合を結成するが、同年12月に解散し、新進党結党に参加した。

1996年(平成8年)に新進党を離党し、兄・由紀夫らと旧民主党を結党、副代表に就任する。更に1998年(平成10年)、民政党の合流により民主党が結成され、東京都連初代会長に就任した。しかし、党の路線をめぐり、徐々に兄弟間で対立が目立つようになった。その後、民主党を離党し、1999年東京都知事選挙に立候補した。不出馬を表明した青島幸男知事の後継指名、及び民主党・生活者ネット改革クラブの推薦を受けたが、石原慎太郎の後塵を拝し、2位で落選した(3位は東大法学部の同級生である舛添要一)。前述の通り選挙戦で民主党の全党的な支援を受け、同党衆院議員の岩國哲人が選対本部長、吉田公一が事務総長を務めた。都知事選落選後は民主党からは距離を置き、2000年(平成12年)に自民党に復党する(かねてから邦夫は、民主党の実質的なオーナーである兄・由紀夫との不仲が囁かれており、都知事選出馬は民主党を離党するための口実であったとする見方もある)。東京2区補欠選挙には系列都議中山義活を擁立し、鳩山の中選挙区時代からのライバルで1996年(平成8年)第41回衆議院議員総選挙で鳩山に敗北し、比例復活した深谷隆司自民党総務会長在職中のため出馬せず、中山が初当選した。

自由民主党復党後

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、自らは東京ブロック比例単独候補として出馬し、東京2区で深谷を支援した(鳩山は当選したが、深谷は通商産業大臣在任中でありながら比例復活が出来ず、落選)。2002年(平成14年)に衆院議院運営委員長に就任した。

2003年(平成15年)10月、衆議院永年在職議員の表彰を受ける。

2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では突然「あのような人物を一国の総理にするわけにはいかない」と、民主党代表菅直人の選出選挙区である東京18区に国替えし、出馬。小選挙区では落選したが比例東京ブロックで復活当選した。

2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙から、母方の祖父・石橋正二郎(ブリヂストン創業者)の出身地である久留米市を主要地盤とする福岡6区へ国替えし、古賀一成を破って当選した。

2006年(平成18年)9月の自由民主党総裁選挙への立候補に向け活動していたが、推薦人を集められず立候補を断念。麻生太郎を支持した。

2007年(平成19年)の安倍改造内閣法務大臣に就任するが、安倍晋三首相は間もなく病気辞任する(鳩山自身は13年ぶりの入閣)。2007年自由民主党総裁選挙では麻生太郎自由民主党幹事長の推薦人代表を務めた。福田康夫内閣でも法務大臣に再任された。

2008年(平成20年)5月、津島派の役員人事で、会長代理から改編された会長代行に就任。同年9月に発足した麻生内閣では総務大臣内閣府特命担当大臣(地方分権改革)に就任したが、翌2009年(平成21年)6月12日日本郵政西川善文社長の進退問題を受け、辞任(事実上の更迭)。

自由民主党を再離党

2010年(平成22年)3月15日、自民党に離党届を提出し、24日の党紀委員会で了承された。邦夫に近いとされてきた麻生派岩屋毅、平成研究会の田村憲久河井克行、無派閥(のぞみには参加している)の古川禎久らは同調せず自民党に残留。離党後の内閣総理大臣指名選挙では無所属ながら衆院では唯一新党改革代表の舛添に投票。

2011年(平成23年)8月30日の内閣総理大臣指名選挙では一転して古巣の自民党の谷垣禎一総裁に投票した。また、自身も無所属の中島正純より一票を得た。

自由民主党へ再復党、死去

2011年(平成23年)末、自民党に復党届を提出するが、党内の反発で先送りされる。

2012年(平成24年)12月16日第46回衆議院議員総選挙には無所属で出馬し、自民党の推薦を受けて12選した。翌日、安倍晋三総裁宛ての復党願を同党福岡県連に提出。その後、党紀委員会にて復党が了承され、11日後の12月28日に2年ぶりに復党した。2014年(平成26年)12月14日第47回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬し、13選。

2016年(平成28年)6月21日十二指腸潰瘍のため、都内の病院で死去した。享年67歳。死去する三週間ほど前の6月1日衆議院本会議に出席した時に非常に痩せ細った姿が見られた。余りの変貌ぶりから健康不安が囁かれたが、この時はあくまで否定していた。

政府は没後、正三位に叙するとともに、旭日大綬章を追贈した。

人物

アルゼンチンにて(2015年12月)
アルゼンチンにて副大統領ガブリエラ・ミケティ(右)と(2015年12月9日)

1期下の船田元と共に早くから竹下派のホープとして期待されたが、自民党の離党・復党を繰り返したことから「政界渡り鳥」とも言われた。

多彩な趣味を持っていた。料理の腕はプロ級とされ、歴代秘書は邦夫が作った朝食をとっていた。代表的得意料理はチャーハンであった。邦夫の料理好きを聞いた山花貞夫(日本社会党元代議士)が京都から取り寄せた包丁を邦夫へ贈った。邦夫はその包丁を18年間愛用していた。

政治信条でもある家庭菜園(規模が大きく、邦夫の指導の下、秘書により徹底管理されている)で無農薬野菜を栽培し、自身の休日に収穫した後、地元の知人や政界関係者に贈っていたほか、読売グループ会長渡邉恒雄等にも贈っており、交遊が広かった。また、閣僚時代は部下の官僚たちに配っていたという

東大法学部を首席で卒業している。高校時代は駿台予備校の模試を5回受け、1回目は600番くらい、3回目が105番、4回目に60番、5回目に1番になった。

少年の頃からが好きで、大人になってから学問として研究するまでとなるエピソードが、柏原精一の『昆虫少年記』で紹介されている。の採集家として政界でも著名で、蝶についての著作もある。

政策

憲法改正

日本国憲法については俗に「アメリカからの押し付け」だったとして改正を唱えている。改憲については不仲が噂される兄とともに歩調を合わせていた。

押し付け憲法論」も参照

なお、この主張は祖父・鳩山一郎以来の持論でもある。

死刑制度

2007年(平成19年)12月(3人)、2008年(平成20年)2月(3人)、2008年(平成20年)4月(4人)、2008年(平成20年)6月(3人)と4回(計13人)の死刑執行を命令した。これは、1993年(平成5年)3月の死刑執行再開以降の法相では最も多い数字である。また、過去の例からはそれまで死刑執行は死刑執行の間隔が長く国会閉会中や内閣改造直前に行われる傾向があったため、8月・9月・12月が死刑執行が多い月として一般的に認知されていたが、鳩山は国会開会中である2008年(平成20年)2月・4月・6月と2ヶ月間隔で死刑執行されたことが注目された。

法務省は2007年(平成19年)12月の執行で、日本国憲法下では初めて、執行対象となった死刑囚の氏名を公表し、以降の死刑執行でも、署名・刑執行後に死刑囚の氏名の公表を行っている。

2008年(平成20年)6月の執行では、弁護団再審に向けた準備を進めて鳩山に執行延期を求める要望書を提出していた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の死刑囚である宮崎勤について、「事件の残虐性を考えると執行を猶予することはできない」として死刑を執行した。鳩山は、2010年(平成22年)末に番組のインタビューの中で「最も凶悪な事犯の一つだと思うから、宮崎を執行すべきと思うが検討しろと。私から指示しました、実は」と、当時の経緯を述べた。

朝日新聞による「死に神」表現

鳩山が2008年6月17日に3件の死刑執行を指示したことについて、翌6月18日付の朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」が、前日に将棋棋士羽生善治永世名人称号を獲得したことを引き合いに出し、鳩山を「永世死刑執行人。またの名、死に神」と表現したことに対し、6月20日閣議後の記者会見で、「[極刑を実施するのだから心境は穏やかではないが、どんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない」「司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。記事は執行された方に対する侮辱だ」と抗議し、「そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と朝日新聞を批判した。兄の由紀夫も「弟は法に従っただけ。私も死に神の兄といわれては困る」と弟を擁護した。

朝日新聞の「死に神」表現に対しては、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」「羽生名人にも失礼」など、死刑賛成派市民から1800件あまりの抗議文などが朝日新聞社に送られた。

死刑賛成派団体の全国犯罪被害者の会は、鳩山に対する朝日新聞の「死に神」発言は、犯罪被害者や遺族を侮辱する内容であるとして、朝日新聞社に対して抗議文書を送付した。最終的に、全国犯罪被害者の会の三度に渡る公開質問状に朝日新聞社は、2008年8月2日付け朝日新聞朝刊社会面に経緯を掲載した上で、「適切さを欠いた表現だったと言わざるを得ず」と謝罪する回答を提示、同会も回答に納得し抗議を打ち切る考えを示した。

児童ポルノ規制

児童ポルノの規制に積極的な立場である。2009年(平成21年)2月18日の衆院予算委員会で、児童ポルノを個人的に所有する「単純所持」や被害者が存在しない成人向け漫画アダルトゲームなど二次創作物(準児童ポルノを参照)について「断固として禁止するべきだ。表現の自由で守られる法益と、児童ポルノで失われる人権を比較すれば、表現の自由が大幅に削られてかまわない」と述べている。

司法試験合格者数問題

2010年(平成22年)に、司法試験の合格者数を年3000人に増員することが決まっているが、多すぎるとして反対。2007年(平成19年)10月の国会答弁で、法務官僚の反対を押し切って、減員の方向で見直すと明言している。

かんぽの宿一括譲渡問題

かんぽの宿の一括譲渡問題では、2008年(平成20年)10月31日の第2次入札で、オリックス不動産ホテルマネージメントインターナショナルの2社が価格を提示した後、スポーツ施設「ゆうぽうと世田谷レクセンター」を売却対象から外した。これに関して鳩山邦夫総務大臣が公正な入札とは云えないと批判し、完全民営化途上にある日本郵政に対して調査を実施していくことを明言した。

東京中央郵便局建て替え問題

2009年(平成21年)2月、東京中央郵便局の再開発工事(超高層建築物JPタワー」の新築・旧庁舎の一部保存)の見直しを示唆する発言をした。東京中央郵便局旧庁舎(吉田鉄郎設計)は、歴史的価値のある建築であるとされ、建築の専門家らから、重要文化財としての登録と全面保存が求められていた経緯がある。

しかし、再開発が中止となれば、日本郵政の将来の経営に打撃を与えるとする予想もあった状況につき、同年3月、「トキ焼き鳥にせず剥製にして残す」として、旧庁舎の保存部分を拡大した上で、再開発を進めるとする「JPタワー」妥協案に同意した。

詳細は「東京中央郵便局#再開発計画」および「JPタワー」を参照


発言

「友人の友人がアルカイダ」

2007年10月29日日本外国特派員協会の講演で2002年のバリ島爆弾テロ事件に関連し「私の友人の友人がアルカイダなんですね。バリ島の中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けた」と発言し、その日中に、「実際に話を聞いたのはテロの3、4ヶ月後だった。話を聞いた友人は自分の趣味であるチョウの採集を通じて知り合った一般人で、アルカイダと断定はしていなかったが関わりのある過激派グループに協力している人物かも知れないとのことだった」と釈明している。

翌30日内閣総理大臣福田康夫から「そういうこと(テロ)を防止する役目だからしっかりやるように」と注意を受ける。国民新党代表代行亀井静香(元警察官僚)が「警察庁は法相から事情聴取をしていない。国家公安委員長は何をやっているのか。(法相を)放っておくのはふまじめすぎる」と発言するなど、事実関係の解明を求める声もおき、町村信孝は文書による事実関係の報告を鳩山に指示している。また、当該人物がテロ組織と無関係だった場合どうするのか問われた鳩山は、「人の名誉を著しく傷つけることになれば、何らかの責任を取らないといけない」と衆議院法務委員会にて答弁している。

また、衆議院法務委員会において、野党議員から、アルカイダ関係者と見られる人物を当局に告発しておらず、刑事訴訟法239条2項(公務員の告発義務規定)に違反しているのではないかという質問を受けている。それに対して、鳩山はアルカイダ関係者と見られる人物が出入国管理及び難民認定法に触れる可能性を認識したが、友人の立場を考慮し告発は行わず、関係当局への連絡にとどめたと答えている。なお、鳩山は「警察にも入管にも防衛省にも、公安調査庁に言ったかどうかはよく覚えておりませんが、かなり厳しく言いました」とし、連絡した相手の人名等を問われると「記憶にはありません」「だれにいつどうしたということが今のところはっきりしておりません」と答弁している。

志布志事件

2008年2月13日、法務省内で開かれた検察長官会同で、鹿児島県志布志事件について「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではないと思う」と発言し、志布志事件は冤罪にはあたらない、との認識を示した。本事件は被告人全員の無罪が確定しており、無実の人間に有罪の確定判決が下ることを指す厳密な解釈からすれば、確かに冤罪事件とは言えないという指摘もある(冤罪の項も参照)。鳩山は「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と釈明した。

翌日の衆議院予算委員会で、社民党保坂展人議員からこれについて質問を受けた時、鳩山法相は「元被告が『冤罪が晴れた』とおっしゃるのを、私は否定する何の根拠も持っていない。私の発言で元被告の方々が不愉快な思いをしたなら謝罪しなければならない」と回答した。さらに「今後は公式の場で冤罪という言葉は使わない」「冤罪は意味が不確実だ」とも述べた。この件については、町村信孝内閣官房長官も鳩山に「不適切な捜査は是正しなければいけないと強調すべきだった」と苦言を呈している。

草彅剛に関する発言

2009年4月23日、地デジのイメージキャラクターを務めていた当時SMAPのメンバーだった草彅剛が、公然わいせつ容疑で逮捕されたことを受け、責任者の総務大臣としてTVのインタビューで「めちゃくちゃな怒りを感じている。なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と発言。その直後から批判が殺到し翌24日、この発言を撤回して「最低な行為と言い替えたい。彼には出直して頑張ってほしい」と訂正したが、公式ホームページへの7000以上のコメントや、フォークシンガー松山千春による批判がされた。

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出典:wikipedia
2018/05/23 02:19

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