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麒麟麦酒とは?
麒麟麦酒株式会社
Kirin Brewery Company, Limited
麒麟麦酒株式会社本社
【種類】
株式会社
【市場情報】
非上場(注)
【略称】
キリン、麒麟
【本社所在地】
日本
〒164-0001
東京都中野区中野四丁目10番2号
中野セントラルパークサウス
【設立】
1998年(平成10年)3月2日(注)
【業種】
食料品
【法人番号】
5010001034768
【事業内容】
ビール等酒類の製造
【代表者】
代表取締役社長 布施孝之
【資本金】
300億円
【売上高】
6993億8200万円(2018年12月31日時点)
【営業利益】
592億5200万円(2018年12月31日時点)
【経常利益】
639億9100万円(2018年12月31日時点)
【純利益】
445億4400万円(2018年12月31日時点)
【純資産】
1018億9300万円(2018年12月31日時点)
【総資産】
4175億7500万円(2018年12月31日時点)
【従業員数】
3,501名(2008年12月31日現在)
【決算期】
12月31日
【主要株主】
キリンホールディングス株式会社 100%
【主要子会社】
キリンビールマーケティング株式会社 100%
【関係する人物】
ウィリアム・コープランド
T・グラバー
米井源次郎(創設者)
伊丹二郎(元会長)
磯野長蔵(設立発起人)
三宅占二(元社長)
松沢幸一(元社長)
佐藤安弘(元社長)
【外部リンク】
https://www.kirin.co.jp/
特記事項:注:現麒麟麦酒株式会社は2007年7月1日、持株会社「キリンホールディングス株式会社」へ移行した(旧)麒麟麦酒株式会社(1907年設立)より事業を承継(旧麒麟麦酒の持株会社移行の為の準備会社だった(旧)キリンホールディングス株式会社(1998年設立)が、商号を麒麟麦酒株式会社に変更)。
麒麟麦酒株式会社(きりんビール、Kirin Brewery Company, Limited)は、日本の酒造会社である。一般的な企業名表記として、片仮名のキリンビール株式会社も用いられる。
現会社は、キリンホールディングス株式会社(旧麒麟麦酒の改組により設立)のビールや発泡酒を製造する事業子会社である。企業グループは三菱グループに属する。
概要
1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バレー・ブルワリー(コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業である。
幾多の変遷を経て、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年(昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものにする。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の台頭までは、継続的に首位を守った。2009年(平成21年)はアサヒビールがビール類(ビール・発泡酒・第三のビール)「販売数量」首位となっており、新商品の投入合戦で熾烈なシェア争奪戦を繰り広げているが、発泡酒と第三のビールでは、キリンがトップシェアを獲得していることもあって、2009年(平成21年)のビール類「出荷量」市場シェアは、キリンビールが37.7%とアサヒビールの37.5%をわずかながらも抑え9年ぶりに首位に返り咲いた。
ビールの商品構成は多品種で品揃えは業界一、2010年(平成22年)2月時点で定番ビール11銘柄(ライセンス品含む)を製造・発売している。
2007年(平成19年)7月1日、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」と商号変更し、純粋持株会社となった。ビールなどのアルコール飲料の製造・販売事業については、1998年(平成10年)に設立されグループの共通業務を担当し、純粋持株会社制の準備に当たってきた「旧・キリンホールディングス」を改称した事業子会社「麒麟麦酒(新)」に移管された。2007年(平成19年)7月1日以降、この項目では事業会社の「麒麟麦酒(新)」について説明する。
2012年(平成24年)の到来とともに、さらなるグループ再編の一環として「製販分離」を実施。本社に残っていた営業部門を分割し、これにグループでマーチャンダイズ事業を行っていた会社を統合させ、新会社として切り離した。これを一時統合検討相手とされたサントリーグループに当てはめると、この会社が製造を担う「サントリー酒類(初代)」に、分離された新会社が販売を担う「サントリービア&スピリッツ」に、それぞれ相当する。
2013年(平成25年)には、グループ会社のキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社とともに、国内綜合飲料事業会社として、キリングループオフィス株式会社から商号変更したキリン株式会社の傘下に異動した。
2019年(令和元年)7月1日、親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され、同社の直接子会社となった。
沿革
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創業
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1869年 - ローゼンフェルトとウィーガントが横浜・山手46番に「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー(横浜ブルワリーまたはジャパン・ブルワリー(初代)とも呼ばれる)」を創設。居留地の外国人向けにビールの醸造を開始(後にいくつかの統廃合を経て横浜ブルワリーは閉鎖。1871 - 1872年頃、ウィーガントは山手68番の「ヘフト・ブルワリー(オランダ人の、ノールトフーク・ヘフトにより設立された醸造所)」に移った。ヘフト・ブルワリーはいったん閉鎖後、1874 - 1875年ごろ「ババリア(バーバリアン)・ブルワリー」として再興)。
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1870年 - ノルウェー系アメリカ人 ウィリアム・コープランドが横浜・山手123番(天沼)に「スプリング・バレー・ブルワリー(コープランドビール)」開設。大衆向けビールとしては日本で初めて継続的に醸造・販売を開始。当時としては最新鋭のパストリゼーション(低温殺菌法)を取り入れ、大量醸造・販売を開始。
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1875年 - コープランドが、工場隣接の自宅を改装して日本初のビアガーデンであるパブブルワリー「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」を開設。
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1876年 - コープランドとウィーガントで、商事組合「コープランド・アンド・ヴィーガント商会」を結成(事実上、ウィーガントの「ババリア・ブルワリー」を合併)。コープランドが支配人、ヴィーガントが醸造担当となった。主たる醸造所を「スプリング・バレー・ブルワリー」とし、山手68番の旧「ババリア・ブルワリー」は、同組合の麦芽の発酵所「モルトハウス」として残された。この頃、品質の良さが評判となり、横浜のみならず、東京、長崎、神戸、函館、上海、サイゴンと販路を拡大。
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1880年 - コープランドとウィーガントの間で、工場経営の主導権をめぐって対立。両者は折り合うことができずに、裁判となり、商事組合は解散の上、工場が競売にかけられることとなる。即時、コープランド自身が落札し、醸造所は継続する。
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1884年 - 1880年の醸造所買収時の借金をきっかけに倒産。そのため、醸造所は一旦閉鎖され、醸造所と醸造設備が裁判所を通じて公売にかけられる。トーマス・ブレーク・グラバーやイギリスのビール会社バターフィールド社のジェームス・ドッズらがスプリング・バレー・ブルワリーの再建をすべく在日外国人を中心に、日本国内外の投資家に協力要請を開始。
- ※この頃、コープランドの弟子の浅田甚右衛門は、倒産したスプリング・バレー・ブルワリー社の醸造設備を購入し、同僚だった村田吉五郎とともに東京府下中野に浅田麦酒醸造所を開設。「浅田ビール」の醸造を開始。しかし、経営は振るわず、1912年自主廃業している。
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1885年 - T・グラバーやJ・ドッズらに三菱財閥の岩崎弥之助らが発起人として加わり、外国資本による香港国籍の新会社「ジャパン・ブルワリー(二代目)」を設立。スプリング・バレー・ブルワリーの醸造所を買収。その醸造所の技師や従業員の多くが新会社へ引き継がれる一方、既存の醸造設備は売却し、ドイツの最新鋭設備を導入し再建する。(後に株主として渋沢栄一も参加し、後に重役に就任。コープランドは「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」の経営を継続する)
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1888年 - ジャパン・ブルワリーが明治屋と一手販売契約を締結、「麒麟ビール」を大瓶1本18銭で発売(明治屋は現在も出資している)。
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1889年 - 現在の瓶のデザインの元になる大きい麒麟のイラストを瓶のラベルに起用。
初代・麒麟麦酒
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1907年(明治40年) - 三菱財閥と明治屋の出資による純粋日本国籍、日本資本の新会社「麒麟麦酒株式会社」を設立。ジャパン・ブルワリー社から組織や事業をそのままの状態で買収・継承(会社としてのジャパン・ブルワリー社は解散)。
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1923年(大正12年) - 関東大震災で横浜の本牧にあったビール工場(現 横浜市立北方小学校・キリン園公園)が全壊。東洋醸造を合併し、仙台工場とする。
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1928年(昭和3年) - 「キリンレモン」(後にキリンビバレッジへ移管)「キリンシトロン」「キリンサイダー」発売。
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1933年(昭和8年) - 販売協定を結ぶため「麦酒共同販売会社」を設立。
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1943年(昭和18年) - ビールメーカー各社の商標が廃止され、各社ともラベルは「麦酒(家庭用・業務用)」に統一される。
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1949年(昭和24年) - ビールの配給制度が廃止され、直接販売が復活。出荷制限も解除され、本格的自由販売が再開、「キリンビール」の商標が復活する。
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1960年(昭和35年) - 「キリン缶ビール」発売。
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1963年(昭和38年) - キリンレモンなど清涼飲料の自動販売機での販売を専門とする会社として、自動販売サービス株式会社(現在のキリンビバレッジ株式会社)を設立。
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1965年(昭和40年) - 本店を横浜市から東京都中央区京橋に移転。
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1966年(昭和41年) - 日本国内のビール生産量の50%を突破する。
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1967年(昭和42年) - 宝酒造がビール事業より撤退したのに伴い、同社の京都工場を買収し、京都工場を開設。
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1972年(昭和47年) - キリン・シーグラム株式会社(現:キリンディスティラリー)設立。
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1976年(昭和51年)
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1985年(昭和60年) - 「キリン生ビール(瓶ビール)」(別名"青ラベル")発売。
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1986年(昭和61年)
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1988年(昭和63年) - ドライビールブームの全盛期、「キリンドライ」が発売される。また、麦芽100パーセントの生ビール「キリンファインモルト」も発売。
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1989年(平成元年) - 「キリンビール」が「キリンラガービール」に名称変更、「キリン生ビール」が大幅に改良されて「キリンファインドラフト」に改名。また、麦芽100%のオールモルトドライビール「キリンモルトドライ〈生〉」や味わいにこだわった生ビール「キリンファインピルスナー〈生〉」も発売される。
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1990年(平成2年) - 一番搾り麦汁を使用した「キリン一番搾り生ビール」発売。また、「キリンファインドラフト」が「キリンドラフト」に改名。
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1991年(平成3年) -
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松任谷由実の「DAWN PURPLE TOUR 1991-1992」に協賛。以降10年間に渡り、松任谷のコンサートツアーに協賛。
- 清涼飲料水部門を分割し「キリンレモン株式会社」に統合。「キリンビバレッジ株式会社」発足。
- 「キリンプレミアムビール」発売。一番搾り麦汁を使用した熱処理ビール。
- 秋季限定発売の熱処理ビール「キリン秋味」発売開始。
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1993年(平成5年) - アンハイザー・ブッシュ社からライセンスを受け、バドワイザーの生産・販売開始(これ以前はサントリーがライセンス契約をしていた。なお、北米では逆方向のライセンスで、アンハイザー・ブッシュ社が、キリン一番搾りなどのビールを製造・販売している)。
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1995年(平成7年) - 本社を東京都中央区新川に移転
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1996年(平成8年) - キリンラガービールが熱処理方式から熱処理しない「生ビール」に品質変更し、アルコール度数を4.5%から5%に引き上げた(ただし業務用の「キリンラガー樽詰」は1995年に一般向けに先行して生ビール化している)。味も従来より爽快感を高め、軽めに変更。しかし、ラガーは重さが特徴だったため、これまでのラガーユーザーは次々と離れてしまった。また、実質的な後継商品であるキリン一番搾り生ビールのヒット後も並行販売していた「キリンドラフト(旧キリン生ビール)」が販売終了となった。
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1998年(平成10年)
- キリンラガービールが、生ビール化してからは初めての味の変更を行う。コクと苦味を高め、ラガーらしさを持ち直した。
- キリン初の発泡酒「麒麟淡麗〈生〉」発売。この年の大ヒット商品となる。
- キリングループ3社、サッカー日本代表のオフィシャルスポンサー単独契約。
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2000年(平成12年) - パッケージデザインに山本容子、田中秀幸、326を起用した数量限定ビール「キリン21世紀ビール」発売。
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2001年(平成13年)
- 「キリンクラシックラガー」発売。ラガービール本来の熱処理方式であるオリジナルのキリンラガービールが5年ぶりに復活。当初は瓶ビールのみ。
- 缶チューハイ「氷結果汁」(のちに「氷結」に改名)発売。
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2002年(平成14年)
- 発泡酒「淡麗グリーンラベル」発売。サントリー・ダイエットとともに糖質オフ発泡酒の先駆け。
- 発泡酒「キリン 極生」発売。翌年には黒い色をした発泡酒「キリン 生黒」を発売。
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2005年(平成17年) - ビール風味のアルコール飲料「キリン のどごし〈生〉」発売。
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2006年(平成18年)
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5月12日 - 持株会社化の一環として、キリンビバレッジのTOBを6月15日まで実施し、キリンビバレッジの発行済株式総数(55,002,370株)の97.07%(53,392,016株)を取得。
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7月12日 - 出荷統計量の発表でキリンがビール関連飲料で一位になった。二位のアサヒビールとの差は0.3ポイント。「のどごし」が好調だったのが良かったと報じている。アサヒビールの「ぐびなま。」も好調だったがあと一歩で一位を逃してしまった。
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10月1日 -
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11月16日 - メルシャンと資本業務提携を発表。その上でメルシャンの発行済み株式の50.12%を友好的TOBによって取得すると発表。TOB成立後は子会社化し、ワインと加工用酒類をメルシャンに、焼酎とチューハイ・カクテル類をキリンに集約する予定とされた。ウイスキー、ブランデーなどの処遇はこの時点では未発表。
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12月26日 - TOBの成功により、メルシャンを連結子会社化。
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2007年(平成19年)
- 創業100周年。3月の「キリン・ザ・ゴールド」を皮切りにビール系新商品を大量投入。また、「クラシックラガー」以来となる熱処理ビールの新商品を2点投入。発売されたビール・発泡酒・新ジャンル(すべて限定品は除く)は次の通り。
- グランドエール(チルドビール、無濾過)
- キリン・ザ・ゴールド(麦芽100%、熱処理ビール)
- ニッポンプレミアム(麦芽100%、熱処理ビール)
- 一番搾りスタウト(麦芽100%、生ビール)
- 円熟黒(発泡酒)
- 良質素材(新ジャンル、リキュール類)
- スパークリングホップ(新ジャンル、リキュール類)
- 1月1日 - 「キリン ウェルフーズ」の健康・機能性食品事業を「キリン ヤクルト ネクストステージ」へ会社分割により移管。キリンウエルフーズは商品の製造と癌プロモーター作用を持つ成分が含有されていることが厚生労働省から指摘され、自主回収することとなったアガリクス商品などの回収業務、事後対応のみを対応することになった。
- 2月 - ハイネケン社および、同社との合弁会社ハイネケンジャパン社からライセンスを受け、缶ビールに限り国内生産開始。
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4月3日 - 三菱グループ内の食肉関連事業の再編として、グループ会社・米久の全株式を5月1日より順次三菱商事へ譲渡することを発表。
2代目・麒麟麦酒
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2007年
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7月1日 - 純粋持株会社制に移行し、それまでの麒麟麦酒株式会社は「キリンホールディングス株式会社」に社名変更。国内酒類事業を統括する(新)「麒麟麦酒株式会社」(旧・キリンホールディングス株式会社)、医薬事業を手がける「キリンファーマ株式会社」の2つの事業会社と、グループ間の業務サポートを担う「キリンビジネスエキスパート株式会社」に会社分割。持ち株会社の準備会社として運営されていた旧・キリンホールディングスを事業子会社の麒麟麦酒株式会社(新社)に商号変更し、6月末までの麒麟麦酒株式会社(旧社)の国内酒類事業(ビール系飲料、RTD)を新社に移管し、さらに、子会社のメルシャンからは、RTD、焼酎、梅酒、洋酒(一部商品を除く)、合成清酒の販売が新社に移管され、逆に旧社のワイン販売事業をメルシャンへ移管した。
- (※以降、麒麟麦酒株式会社(新社)の歴史のみを記載。そのほかグループ全体の歴史や各事業子会社の歴史は、キリンホールディングスなどを参照。)
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8月29日 - キリンカクテル スパークル発売。缶カクテル市場へ参入。
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10月17日 - 新ジャンル・スパークリングホップ発売。同時に新ジャンルとしては業界初となる瓶容器を発売。
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2008年
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2月20日 - 健康志向の発泡酒「麒麟ZERO」発売。
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4月2日 - メルシャンブランドで販売されていたRTD全商品(「本搾り」「ギュギュっと搾った。」)をリニューアルと同時にキリンブランドに移管。
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4月9日 - メルシャンブランドで販売されていた一部焼酎(「白水」の一部、「火唐」・「火の麦」全商品)をリニューアルと同時にキリンブランドに移管。
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6月24日 - 環境省の「エコファースト制度」に認定。
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2009年
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2010年
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1月15日 - 2009年におけるビール類の出荷量(課税ベース)にて同社が2000年以来9年ぶりの首位と発表された。ただし、販売数量ではアサヒビールが首位であり、統計によって順位が異なるという初の「珍現象」が発生。
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2月8日 - グループ会社のキリンビバレッジも原宿本社ビルへ本社機能を移転。
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2月中旬 - キリンラガービールが、生ビール化してからは2度目の味の変更を行う。よりホップを利かせ、苦味と飲み応えを高めた。
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12月 - メルシャン株式会社を完全子会社化。
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2011年3月11日 - この日発生した東日本大震災により、宮城県仙台市宮城野区にあるキリンビール仙台工場が被災。屋外に設置されているビールタンク15基の内4基が倒壊するも、醸造設備など全体的に壊滅的な被害は免れたと発表。また茨城県取手市にあるキリンビール取手工場でも震災の影響で建物の一部損壊が確認された。
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2012年
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1月1日 - 営業部門を分割し、キリンマーチャンダイジング株式会社と統合させ新会社「キリンビールマーケティング株式会社」発足。
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7月1日 - ワイン・梅酒・焼酎の販売元をメルシャンに再移管。従来キリンブランドで販売されていた商品もメルシャンブランドで販売される。
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2013年
- 1月1日 - キリンホールディングス株式会社が保有していた当社の全株式をこの日発足した国内綜合飲料事業会社(中間持株会社)であるキリン株式会社に譲渡され、同社の傘下に移行する。
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4月 - キリングループ各社の本社機能を東京都中野区中野の再開発地域「中野四季の都市」に移転(5月までに登記上の本店も中野に移転)。
- 11月14日 - キリン株式会社のコーポレートサイトおよびキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社のウェブサイトが当社ウェブサイトに統合され、キリン株式会社のウェブサイトに集約される。
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2014年
- 源流のウイリアム・コープランドの業績と理念を引き継ぎ運営されている横浜工場内のパブブルワリー(醸造所併設レストラン)「スプリングバレー」を母体にクラフトビールブランド「SPRING VALLEY BREWERY」を立ち上げ、その運営子会社である「スプリングバレーブルワリー」を設立。
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2015年
- 3月25日 - パブブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」をLOG ROAD DAIKANYAMA内に開設。かねてからあった横浜(横浜工場)のパブブルワリーは改装再オープン
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2016年
- 10月12日 - ブルックリン・ブルワリーと資本提携を発表。ブルックリン・ブルワリーの 24.5%を所有する株主となり、協力して日本やブラジルでブルックリン・ブランドの商品の販売に当たることが発表された。
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2017年
- 2月1日 - ブルックリン・ブルワリーとの合弁会社「ブルックリンブルワリー・ジャパン」を設立。
- 9月7日 - スプリングバレーブルワリー3店目を京都に開店。
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2019年
- 7月1日 - 親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され消滅したため、同社の直接子会社となる。
ブランド名とラベルデザインの由来
ブランド名
「麒麟(キリン)」という名前の由来については諸説あるが、当時の記録によると、幹部の荘田平五郎の提案によるものであることが分かっている。
「麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、縁起が良いとされており、命名当時、海外のビールで、動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという説がある。
また、創業者コープランドの親しい友人の名前である「カリン」から来ているという説もある。
ラベルデザイン
瓶製品の麒麟(クラシックラガーの瓶とキリンの隠し文字の拡大)
缶製品の麒麟(キリンラガーの缶とキリンの隠し文字の拡大)
1998年以前の缶製品の麒麟(1988年のキリンドライの缶と一部の拡大)
1995~1997年のラガー缶の麒麟(1996年 - 1997年の缶とキリンの隠し文字の拡大)
- 「麒麟ビール」発売時に導入された初代ラベルは、朝陽を浴びて、駆け出そうとしている麒麟であった。スプリング・バレー・ブルワリー社時代に製造したボックビール(果実のような芳香や麦芽の風味を重視した高濃度のビール)のシンボルマークの山羊をヒントに、中国の聖獣「麒麟」を組み合わせたという説がある。
- その後採用されたデザインは、1889年(明治22年)にグラバーの提案(彼は太宰府天満宮にある麒麟像を気に入っていた)でデザインされたと言われているもので、現在のラガービールやクラシックラガーのラベルデザインの原型となった。戦中を除いて現在まで受け継がれている。
- ビールや一部の清涼飲料のラベルに用いられている麒麟の絵の中には隠し文字、カタカナの「キ」、「リ」、「ン」の文字がデザインされている。同社によると隠し文字の発祥は「当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説」と「偽造防止説」があるが明確な理由は関東大震災で資料を紛失したため不明であり、導入された時期も不明瞭であるが大正時代の商品ラベルの一部には導入が確認されている。
- ※麒麟のひげは、創業に関わったグラバーのひげがモチーフだと言われている。
- なお、これは、フジテレビ「トリビアの泉」でも、取り上げられたことがある。
- 現在使用されている麒麟にも、良く見ると少しずつ違いがある。ここでは、シルエットではなく、体に模様が描かれている麒麟の模様について触れる。
- 瓶製品の麒麟には、毛の模様がしっかり描かれている。「キ」「リ」「ン」の隠し文字もはっきり書かれている。(ビヤ樽や、缶製品の一部にも、これが採用されている)
- 缶製品の麒麟は、瓶製品と比べ、毛の模様が簡略化されているが、1998年(平成10年)以降のほとんどの缶製品の麒麟には、隠し文字もちゃんと書かれている。炭酸飲料のNUDAの麒麟は、これである。(瓶製品の場合でも、麒麟が小さい場合などに、これが採用される場合がある)
- 1998年(平成10年)以前の缶製品は、模様がさらに簡略化されており、隠し文字が入っていない。現在も、麒麟がかなり小さい場合は、これが採用される場合がある(これも当時の瓶製品の一部でも採用されていた)。
- それ以外には、1995年(1994年と同デザインであるが、側面の能書きを変更した際に、麒麟も変更した) - 1997年までの缶のキリンラガーには、毛の模様が、1998年以前の缶製品と同程度まで簡略化されているが、隠し文字の入っている麒麟が採用されていた。
- 麒麟のデザインは、1889年(明治22年)に広島県出身の漆工芸家である六角紫水が制作。
キリン原宿旧本社ビル
キリン原宿旧本社ビルは、東京都渋谷区神宮前六丁目26番1号に所在した、麒麟麦酒株式会社(以下「キリンビール」)の本社社屋である。ビルは明治通りと山手線に挟まれた高台の、かつては穏田と呼ばれた地区にあり、約1,800坪の敷地に対して建坪は500坪に過ぎず、残りは日本庭園となっている。
このビルが竣工してキリンビールの本社となったのは1976年(昭和51年)で、当時創立70周年を迎えたキリンビールは、他社によって建築中だったこのビルを土地ごと購入、改装して本社社屋としたものである。このビルはもともと高級マンション仕様として設計・建築されており、余裕のある建物配置や内部構造はこの事情に由来している。
1995年(平成7年)には一旦本社機能が中央区新川に移され、このビルは麒麟麦酒の医薬事業の事務所として使用されることになった。
しかしながら2009年(平成21年)8月には麒麟麦酒株式会社の本社はここに再移転、翌2010年(平成22年)2月にはキリンビバレッジ社の本社もこのビルに移転された。これは、キリングループ内における飲料グループ同士のシナジー効果を図るという経営戦略に基づいたもので、この2社本社機能隣接の際には、キリン原宿旧本社ビル内の設備・設計も大幅に改装された。
ただキリングループの国内主要子会社の本社を一箇所に集約することになり、同ビルはその目的にはやや手狭であることなどから、2013年(平成25年)に本社機能を中野区の中野セントラルパークサウスに移転した。これに伴い当ビルは新川のキリンホールディングス本社などと共に売却され、2015年3月に一般社団法人 巨樹の会 原宿リハビリテーション病院が開業した。
コーポレート・スローガン、キャッチフレーズ