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麻生太郎とは?

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日本政治家
麻生 太郎
あそう たろう

内閣官房内閣広報室より
公表された肖像写真 2008年9月頃撮影

【生年月日】
(1940-09-20) 1940年9月20日(78歳)
【出生地】
日本
福岡県飯塚市
【出身校】
学習院大学政治経済学部卒業
【前職】
麻生セメント代表取締役社長
日本青年会議所会頭
【現職】
衆議院議員
副総理
財務大臣
金融担当大臣
デフレ脱却担当大臣
自由民主党福岡県支部連合会最高顧問
【所属政党】
自由民主党(麻生派)
【称号】
政治学士(学習院大学・1963年)
【配偶者】
麻生ちか子
【親族】
立花種道(高祖父)
大久保利通(高祖父)
三島通庸(高祖父)
麻生太吉(曾祖父)
加納久宜(曾祖父)
竹内綱(曾祖父)
牧野伸顕(曾祖父)
吉田健三(養曾祖父)
麻生太郎(祖父)
吉田茂(祖父)
加納久朗(大伯父)
竹内明太郎(大伯父)
吉田健一(伯父)
麻生太賀吉(父)
麻生和子(母)
鈴木善幸(岳父)
鈴木俊一(義弟)
麻生泰(弟)
寬仁親王妃信子(三妹)
【公式サイト】
麻生太郎オフィシャルサイト
第92代 内閣総理大臣

【内閣】
麻生内閣
【在任期間】
2008年9月24日 - 2009年9月16日
【天皇】
上皇(平成の天皇)
内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理)
第17-19代 財務大臣
内閣府特命担当大臣(金融担当)

【内閣】
第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍改造内閣
【在任期間】
2012年12月26日 - 現職
第138-139代 外務大臣

【内閣】
第3次小泉改造内閣
第1次安倍内閣
【在任期間】
2005年10月31日 - 2007年8月27日
第3-5代 総務大臣

【内閣】
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
【在任期間】
2003年9月22日 - 2005年10月31日
衆議院議員

【選挙区】
(旧福岡2区→)
福岡8区
【当選回数】
13回
【在任期間】
1979年10月 - 1983年11月28日
1986年7月8日 - 現職
その他の職歴

経済財政政策担当大臣
(第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後))
(2001年1月23日 - 2001年4月26日)
第53代 経済企画庁長官
(第2次橋本内閣)
(1996年11月7日 - 1997年9月11日)

麻生 太郎(あそう たろう、1940年昭和15年〉9月20日 - )は、日本政治家実業家自由民主党所属の衆議院議員(13期)、副総理財務大臣(第171819代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)デフレ脱却担当志公会(麻生派)会長、自民党たばこ議員連盟顧問。

内閣総理大臣(第92代)、経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、総務大臣(第3代第4代第5代)、外務大臣(第138代第139代)、衆議院外務委員長自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党幹事長(第40代・第42代)、自由民主党総裁(第23代)を務めた。

目次

  • 1 概要
  • 2 経歴
    • 2.1 生い立ち
    • 2.2 世界での事業
    • 2.3 帰国後
    • 2.4 政界へ
    • 2.5 年譜
  • 3 人物
    • 3.1 人物像
    • 3.2 信仰
    • 3.3 クレー射撃
    • 3.4 喫煙
    • 3.5 総理大臣としての評価
  • 4 経済政策
    • 4.1 内閣総理大臣就任後の主な景気対策
      • 4.1.1 定額給付金について
    • 4.2 第二次安倍内閣財務大臣として
      • 4.2.1 法人税引き下げ慎重論
      • 4.2.2 公的年金の運用
    • 4.3 第三次安倍内閣財務大臣として
  • 5 外交関係
    • 5.1 韓国
    • 5.2 中華人民共和国
    • 5.3 中華民国(台湾)
    • 5.4 インドとの安全保障協力共同宣言
    • 5.5 北方領土問題
    • 5.6 発展途上国への政府開発援助
    • 5.7 核武装論
    • 5.8 インテリジェンスのさばき方
  • 6 歴史認識
    • 6.1 日本軍慰安婦問題
    • 6.2 靖国神社問題
  • 7 制度改革
    • 7.1 義務教育の短縮
    • 7.2 憲法改正論議
    • 7.3 国籍法改正
    • 7.4 選択的夫婦別姓制度
    • 7.5 漫画の表現規制
    • 7.6 健康増進法改正
  • 8 政治的立場
    • 8.1 派閥
    • 8.2 主な役職等
    • 8.3 公明党との関係
    • 8.4 神道との関係
    • 8.5 麻生グループ
    • 8.6 電力会社からの献金
    • 8.7 政治資金パーティー
    • 8.8 衆議院議員初当選後
      • 8.8.1 2001年以降
      • 8.8.2 2006年
      • 8.8.3 2007年
      • 8.8.4 2008年・内閣総理大臣就任前
    • 8.9 内閣総理大臣在任中
      • 8.9.1 2008年9月
      • 8.9.2 2008年11月
      • 8.9.3 2008年12月
      • 8.9.4 2009年
    • 8.10 副総理在任中
      • 8.10.1 2013年
    • 8.11 誤読
    • 8.12 日常生活・金銭面に関する逸話
    • 8.13 自宅
    • 8.14 その他
  • 9 その他・逸話
    • 9.1 漫画についてのエピソード
    • 9.2 学生時代
    • 9.3 外務大臣時代
    • 9.4 内閣総理大臣就任前
    • 9.5 内閣総理大臣就任後
    • 9.6 内閣総理大臣辞任後
    • 9.7 その他
  • 10 家族・親族
  • 11 家系
  • 12 著作
    • 12.1 共著
  • 13 論文
  • 14 脚注
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 参考文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク

概要

学習院大学政治経済学部卒業、政治学士(学習院大学)を取得。その後、麻生産業に入社し、麻生セメント(後の麻生)の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、1979年(昭和54年)衆議院選挙に初当選。以後1983年(昭和58年)の落選を除き、当選回数13回を数える。相続した自宅は25億円など世襲議員として資金力を有する。

経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、自由民主党政務調査会長総務大臣(第3代第4代第5代)、外務大臣(第137代第138代)、自由民主党幹事長を経て2008年自由民主党総裁選挙により、第23代自由民主党総裁に選出され、第92代内閣総理大臣に就任した。

第2次安倍内閣財務大臣副総理金融担当大臣として入閣した。首相経験者の入閣は幣原喜重郎宮澤喜一橋本龍太郎に続き戦後4人目。

1976年モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表(41位)。弟の麻生泰は、学校法人麻生塾麻生セメントなどを傘下に持つ麻生グループ代表である。また、実妹は皇族の寛仁親王妃信子殿下にあたる。信仰宗教キリスト教(カトリック)であり、洗礼名は「フランシスコ」。

経歴

生い立ち

福岡県飯塚市麻生太賀吉・和子の長男として生まれる。麻生塾小学校を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入

世界での事業

一日も出社せず休職して海外留学を選んだ。帰国後は産経も退職して、1966年に実家の麻生産業(「麻生」の初期の中核企業 後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロに1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。

その後、1970年から2年間に渡ってシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していたが、シエラレオネ内戦勃発で帰国した。

帰国後

1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年モントリオールオリンピッククレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。

政界へ

1979年10月、第35回衆議院議員総選挙旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。1982年自民党青年局局長に就任。

2期務めた後、いわゆる田中判決解散後に行われ自民党が過半数割れした第37回衆議院議員総選挙5位当選した共産党候補に2600票余り及ばず次点となり落選する。その後第38回衆議院議員総選挙で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。宏池会に所属。

1996年には第2次橋本内閣経済企画庁長官に就任し、初入閣。1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱、河野洋平を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。

2001年1月、不祥事により引責辞任した額賀福志郎の後任で、経済財政政策担当大臣に就任し、また、情報通信技術(IT)新千年紀記念行事も担当した。4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎橋本龍太郎亀井静香と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、その後は総務大臣外務大臣などを務める。

2004年9月に、国民年金保険料未払い期間があったことが判明している(1996年11月から2000年9月までの3年10か月間。経済企画庁長官就任時、国民年金への切り替えを忘れたため)。後に自身も未納期間があることが発覚した民主党代表菅直人(当時)が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。

詳細は「政治家の年金未納問題」を参照

2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。安倍新総理の下、引き続き外務大臣を務め、12月、河野グループが解散し、新たに為公会(麻生派)を結成、会長に就任する。

2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。同年8月の内閣改造、党役員人事で、幹事長就任するも、ほどなく安倍が退陣を表明。9月、07年自民党総裁選に立候補し、党員票では福田康夫を僅差で上回ったが、133票差で敗れ(福田:330票 麻生:197票)、1ヶ月で幹事長の座を退く。

2008年8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理、総裁の福田が退陣を表明。同年9月の08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣する。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。

2009年8月1日1977年横田めぐみ北朝鮮工作員に拉致されたとされる新潟市内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。9月16日自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて内閣総辞職を決定。政権を最大野党党首で同選挙で300を超える議席を獲得した民主党代表鳩山由紀夫に明け渡した。麻生は第二次世界大戦終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。

野党時代の2012年自由民主党総裁選挙では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の石原伸晃を批判して安倍晋三を支持した。

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権を奪還。まもなく成立した第2次安倍内閣では副総理財務大臣金融担当大臣として再入閣した。首相経験者の入閣は第2次森改造内閣(中央省庁再編後)宮澤喜一が財務大臣、橋本龍太郎沖縄及び北方対策担当大臣行政改革担当大臣として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは第1次吉田内閣幣原喜重郎以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは宮沢喜一以来2人目である。

2017年7月、為公会が番町政策研究所などと合流し志公会(麻生派)が発足、会長に就任。

年譜

出典:wikipedia
2019/08/22 12:34

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