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10.19とは?

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年6月)

10.19(じってんいちきゅう)は、1988年10月19日神奈川県川崎市川崎区川崎球場ダブルヘッダーにより行われた日本プロ野球パシフィック・リーグロッテオリオンズ近鉄バファローズの試合である。

近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武ライオンズの優勝が決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝が決まった。川崎球場は超満員となり、第2試合途中から急遽全国的にテレビ中継が放送され(近鉄の地元、関西地区では第1試合開始当初から中継)、高視聴率を記録した。

2010年にNPBが行った「最高の試合」「名勝負・名場面」調査では、監督およびコーチ、報道関係者の両者が「最高の試合」の第2位にこの試合を選んでいる。

この項目では翌1989年10月12日西武球場で行われた西武対近鉄のダブルヘッダーについても記述する。

10月19日直前の状況

 | 
この節への加筆について(ノート 参照)

詳細は「1988年の野球」を参照

近鉄バファローズは、1988年6月、大麻不法所持により逮捕、退団となった主砲のリチャード・デービスに代わる選手として、中日ドラゴンズ第三の外国人選手だったラルフ・ブライアントを、同月28日に金銭トレードで獲得した。同日、首位の西武ライオンズと2位近鉄は8ゲーム差だった。9月15日の段階で、首位西武と2位近鉄は6ゲーム差であった。

しかし、ここから近鉄は驚異の追い上げを見せる。西武が9月16日からの7試合を3勝4敗だった一方、近鉄は8試合8連勝し、9月終了時点で1.5ゲーム差となる。その後もゲーム差は縮まり、10月4日には西武が負けて近鉄が勝ったため、2位近鉄に優勝へのマジック14が点灯、翌日の試合にも勝ち、首位に立っている。

その年の天候などにより対ロッテオリオンズ戦の順延が続いた一方、10月22日に日本シリーズの開幕が決まっていたため、近鉄は10月7日から19日にかけての13日間で15連戦(10、19日はダブルヘッダー)、一方の西武も7日から16日まで10連戦を戦った。7日・8日に近鉄と西武の直接対決で西武が連勝し再び首位となり近鉄と2ゲーム差となるが、そこから13日までに西武は4勝1敗、近鉄が対ロッテ戦6試合に全勝として、近鉄のマジックが点灯のまま減っていった。14日から16日はともに勝ち、負けが続き、16日、西武は全日程を終了した。

近鉄は17日に阪急に敗れたため、優勝するためには残る対ロッテ戦3試合に全勝するしかなく、引き分け1つも許されない状況に追い込まれた。近鉄は西宮球場から宿舎(京都)に移動するバスの車内で、佐々木修が音頭を取り、近鉄バファローズの球団歌を全員で合唱した。翌日の18日、近鉄は川崎球場で行われた対ロッテ戦に12対2で勝利し、10月19日を迎えた。

試合内容

第1試合

15時試合開始。川崎球場は快晴だった。

初回にロッテは愛甲猛の2ラン本塁打で2点を先制。近鉄は、ロッテの先発投手小川博に5回二死まで無走者・無得点に抑えられていたところで、鈴木貴久の本塁打で1点を返した。7回裏にロッテは2四球により二死一・三塁となったところで佐藤健一二塁打を放ち1点を追加、再び2点差とした。鈴木の本塁打以降再び無走者・無得点に抑えられていた近鉄は、8回表一死から鈴木がチーム2本目となる安打、続く吹石徳一代打加藤正樹が四球で出塁して一死一・二塁となったところで、山下和彦の代打村上隆行が2点適時二塁打を放ち3-3の同点に追いついた。9回表を迎えた時点で両チームの得点はそのままであり、当時のパ・リーグは「ダブルヘッダー第1試合は延長戦なし。9回で試合打ち切り」という規定があったため、近鉄はこの9回表に勝ち越さなければ西武の優勝が決まる状況であった。

その9回表、一死後淡口憲治が二塁打で出塁し、代走佐藤純一が送られた。ここでロッテはリリーフ牛島和彦を投入。続く近鉄の鈴木は右翼手前に安打を放つ。三塁ベースコーチ滝内弥瑞生は本塁突入を指示したが、前進守備だった右翼手からの返球もあり、佐藤純一は間に挟まれ、捕手小山昭吉触球されて憤死。二死二塁となった。

ここで近鉄はこの年での引退を決めていた梨田昌孝代打に送る。一方のロッテは捕手を小山から袴田英利に交代した。一塁が空いており敬遠も考えられる状況だったが、牛島は梨田との勝負を選んだ。ボールカウント1ボールからの2球目、梨田は中堅手前に落ちる安打を放つ。二塁走者の鈴木は三塁を回り本塁へ突入。中堅手からの返球が届き、クロスプレイとなるも、鈴木は本塁に滑り込んで生還、近鉄が勝ち越し点をあげた。生還した鈴木は両手を広げて飛び出したヘッドコーチの中西太の胸に飛び込み、二人は抱き合ったまま倒れ込んで喜んだ。梨田は、二塁ベース上でガッツポーズをした。冷静沈着な梨田にとって現役最初で最後のガッツポーズだった。

9回裏、抑え吉井理人が先頭打者袴田の代打丸山一仁への投球がボールと判定されたことを不服としてマウンドから駆け降り、球審に詰め寄った。結果丸山へは四球を与え、続く水上善雄の代打山本功児に対しても2ボール0ストライクとなった。ここで吉井に代えてリリーフに、2日前の試合で9回完投し128球を投げていた阿波野秀幸を送った。阿波野は、一塁走者丸山の守備妨害などもあり二死一塁としたが、佐藤健一にこの試合4安打目となる二塁打を許し、続く愛甲も2ストライクと追い込みながらも死球を与え、二死満塁となった。

阿波野は次打者森田芳彦を三球三振に仕留めて試合終了。終了時刻は18時21分で、試合時間は3時間21分。近鉄の勝利により、優勝の行方は130試合目である第2試合に持ち越されることとなった。また、ロッテはこの試合に敗れたことで対近鉄戦9連敗となった。

【チーム】
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
【8】
【9】
R
H
E

近鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 【4
6 | 0
ロッテ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 【3
8 | 0
  1. 近 : 小野(7回)、吉井(1回)、阿波野(1回)
  2. ロ : 小川(8回1/3)、牛島(0回2/3)
  3. : 吉井(10勝2敗24S) : 牛島(1勝6敗25S) S: 阿波野(14勝12敗1S)
  4. : 近 – 鈴木20号ソロ(5回・小川) ロ – 愛甲17号2ラン(1回・小野)
  5. 審判:球審…、塁審…山本斎田村越、外審…山崎中村浩
  6. 試合時間:3時間21分
【近鉄】

【打順】
【守備】
選手
1 | [二] | 大石大二朗
2 | [一]左 | 新井宏昌
3 | [右] | R.ブライアント
 | 三 | 尾上旭
4 | [指] | B.オグリビー
5 | [左] | 村田辰美
 | 左 | 淡口憲治
 | 走中 | 佐藤純一
6 | [中]右 | 鈴木貴久
7 | [三] | 吹石徳一
 | 打中 | 加藤正樹
 | 打捕 | 梨田昌孝
8 | [捕] | 山下和彦
 | 打 | 村上隆行
 | 走遊 | 安達俊也
9 | [遊] | 真喜志康永
 | 打 | 栗橋茂
 | 捕 | 古久保健二
 | 一 | 羽田耕一
 | 
【ロッテ】

【打順】
【守備】
選手
1 | [二] | 西村徳文
2 | [遊] | 佐藤健一
3 | [右]一 | 愛甲猛
4 | [中] | 高沢秀昭
 | 打 | 上川誠二
 | 中 | 森田芳彦
5 | [指] | B.マドロック
 | 走指 | 伊藤史生
6 | [一] | 伊良部秀輝
 | 一 | 田野倉利行
 | 打右 | 岡部明一
7 | [左] | 古川慎一
8 | [捕] | 斉藤巧
 | 捕 | 小山昭吉
 | 捕 | 袴田英利
 | 打 | 丸山一仁
9 | [三] | 水上善雄
 | 打 | 山本功児

第2試合

第1試合終了から23分後の18時44分に第2試合が開始された。当時のパ・リーグは(9回で打ち切りとなるダブルヘッダー第1試合を除き)9回終了時点で同点の場合、最大12回までの延長戦を行うとしていたが、「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了をもって打ち切り(ただし、8回完了前に4時間を経過した場合は、9回終了まで続行)」という規定もなされていた。

試合はロッテが2回裏に先頭打者ビル・マドロックの本塁打で1点を先制。しかし、試合中度々ストライクの判定をめぐって近鉄監督の仰木彬や(NPBの試合規定では審判への抗議を認めていない)近鉄ヘッドコーチの中西太がベンチから飛び出し抗議するなど、球場内に不穏な空気が漂いながら試合は進んでいった。愛甲によると、第1試合に4安打を放ちながら、第2試合が始まった直後(1回裏1死)に近鉄の先発投手・高柳出己の投じたシュートが左手首に当たって動けなくなった佐藤健一に対して、仰木が聞こえよがしに「痛かったら代われば?」と声を掛けたことが、ロッテ側の憤激につながったという。また、第2試合の球審を務めていた前川芳男は、「佐藤が相当痛がっていたので、(患部の)治療に時間が掛かった。そこへノコノコやってきた仰木が、『もっと早く(治療を)やれないか』と余計なことを言った。有藤は(佐藤を)心配して来ているので、『言わなきゃいいのに』と思った。現に有藤は、(自分が)制止する前に、ものすごい剣幕で『あんた(仰木)に言われる覚えはない。(第2試合は)絶対に負けないから』と言い返した。この一件が後々まで尾を引いた」と述懐している。

ロッテの先発の園川一美に5回まで2安打に抑えられていた近鉄は、6回表二死一・二塁からベン・オグリビーの適時打で同点に追いつく。続く7回表には、一死から吹石、二死から真喜志がいずれもソロ本塁打を放ち2点を勝ち越した。一方、ロッテも7回裏、先頭打者の岡部明一の本塁打、その後、近鉄が投手を高柳から吉井に交代すると、二死から西村徳文の適時打で同点に追いついた。

8回表、近鉄は一死からブライアントがソロ本塁打を放ち4対3とし再びリードを奪った。

近鉄は8回裏から第1試合に続いて阿波野を起用した。しかし、一死から高沢秀昭が阿波野の決め球スクリューボールを捉えて左越ソロ本塁打を放ち4対4の同点となった。打たれた阿波野はマウンド上で下を向いて膝に両手をついて体を支えていた状態で、その直後の試合展開の記憶がないという。捕手の山下のサインはストレートであったが、阿波野自身はストレートの調子が悪かったとこれを拒否していた。阿波野は「なぜ山下さんがサインを出してくれたストレートを……信じられなかったのか」と後悔したという。なお、高沢は後に「ストレートを待って右翼方向に打とうと準備していたところにスクリューボールがきて、バットがうまく返った」と述懐している。9回表、近鉄は二死後、大石が二塁打を放ち二死二塁とした。次打者新井の打球は三塁線を襲うも三塁手水上の好守に阻まれ無得点。

9回裏、ロッテは先頭打者古川慎一が出塁。続く袴田の犠牲バントの打球を阿波野と梨田が一瞬譲り合い交錯、内野安打となり無死一・二塁となった。ここで阿波野は二塁へ牽制球を投じた。牽制球は高めに浮き、大石が三塁寄り方向にジャンプして捕球。その体勢のまま、二塁走者の古川と交錯しながら触球。二塁塁審の新屋晃は触球の際、古川の足が二塁ベースから離れていたとしてアウトを宣告。古川は新屋塁審に抗議し、ロッテの監督の有藤通世もベンチを飛び出して「大石が古川を故意に押し出した」と走塁妨害を主張した。

この抗議の時点で試合時間は3時間30分を過ぎていた。近鉄ベンチから仰木が飛び出し有藤に迫り、客席からも罵声や怒号が飛び交うなど騒然とする中、有藤の抗議は9分間に及んだ。仰木は、自著『燃えて勝つ』で有藤の抗議を「信義に悖るものだった」と振り返っている。対する有藤は、後年のインタビューで、前述した佐藤の死球が抗議の伏線になったことを繰り返し明言。「仰木監督が佐藤に謝るどころか、『もう休め』と言ったことがきっかけで、仰木の人間性を疑った」と語っている。栗橋茂も近鉄のヤジがロッテを怒らせた要因の一つだと後年振り返っている。結局判定は覆らず一死一塁から試合再開となる。その後ロッテは西村の二塁打などで二死満塁としたが、愛甲が打った詰まった飛球を、左翼手の淡口憲治が地面スレスレで好捕し、勝負は延長戦に突入した。

延長10回表、この回先頭のブライアントの二塁ゴロを捕った西村の送球を、ベースカバーの投手の関清和が後逸し出塁を許す。近鉄は代走に安達俊也を送る。続くオグリビーは三振で一死。羽田耕一の打球を、二塁手の西村が捕球。そのまま二塁を踏み、一塁へ送球、併殺打で三死となり、近鉄の攻撃は終了した。

西村のこの時のプレーについて、仰木は「西村が定位置で守っていたら羽田の打球は前に抜けていただろうが、西村が二塁ベースよりに守っていた」と振り返っている。また、この試合のテレビ放送の実況を担当した安部憲幸は、西村から聞いた話として「西村は、西武よりできれば近鉄に優勝させたいという心境になり、羽田は右狙いだと読んで、予め二塁近くで守っていたが、結果として打球がそこに来たと言っている」旨を述べている(安部)。この時、時刻は22時41分、試合開始から3時間57分が経過していた。次の延長イニングがなくなる4時間までの残り3分で10回裏のロッテの攻撃を終わらせることは事実上不可能であったが、近鉄ナインは10回裏の守りに就いた。マウンドに上がった加藤哲郎は投球練習を省略し、少しでも試合を早く進めようとしたが及ぶべくもなく、22時44分、西武の4年連続リーグ優勝が正式に決まる。先頭の丸山は四球、代走に伊藤が送られた。続くマドロックは捕邪飛に倒れた。次打者岡部に対して近鉄は投手を木下文信に交代、ロッテは代打に斉藤巧を送る。そして木下が斉藤と最後の打者古川を三振に討ち取り4-4の同点のまま22時56分、時間切れ引き分けで試合は終了した。仰木は最後までベンチ中央に仁王立ちして指揮を執った。このイニングは「悲劇の10回裏」と称された。

試合終了後、仰木をはじめ、近鉄ナインはグラウンドに出て整列し、三塁側とレフトスタンドに陣取ったファンへ頭を下げ、挨拶を行った。そのナインの姿に観客席で観戦していた上山善紀球団オーナー代行は立ち上がって拍手を送り、ファンからは「よくやった」「ご苦労さん」などの温かい声がかけられた。試合時間は4時間12分。第1試合の3時間21分との合計7時間33分は、ダブルヘッダーの試合時間としては、当時のNPB史上歴代2位の長時間試合となった。

【チーム】
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
【8】
【9】
【10】
R
H
E

近鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 【4
9 | 0
ロッテ | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 【4
11 | 2
  1. (延長10回・時間切れ引き分け)
  2. 近 : 高柳(6回)、吉井(1回)、阿波野(2回)、加藤哲(0回1/3)、木下(0回2/3)
  3. ロ : 園川(7回2/3)、(0回1/3)、仁科(0回2/3)、関(1回1/3)
  4. : 近 – 吹石2号ソロ(7回・園川)、真喜志3号ソロ(7回・園川)、ブライアント34号ソロ(8回・園川) ロ – マドロック17号ソロ(2回・高柳)、岡部11号ソロ(7回・高柳)、高沢14号ソロ(8回・阿波野)
  5. 審判:球審…前川、塁審…高木新屋五十嵐、外審…小林一小林晋
  6. 試合時間:4時間12分
【近鉄】

【打順】
【守備】
選手
1 | [二] | 大石第二朗
2 | [中]左中 | 新井宏昌
3 | [左]右 | R.ブライアント
 | 走 | 安達俊也
 | 左 | 加藤正樹
4 | [指] | B.オグリビー
5 | [一] | 羽田耕一
6 | [右] | 鈴木貴久
 | 中 | 佐藤純一
 | 打中 | 村上隆行
 | 打左右 | 淡口憲治
7 | [三] | 吹石徳一
8 | [捕] | 山下和彦
 | 打 | 栗橋茂
 | 捕 | 梨田昌孝
9 | [遊] | 真喜志康永
 | 
【ロッテ】

【打順】
【守備】
選手
1 | [二] | 西村徳文
2 | [三]遊 | 佐藤健一
3 | [一] | 愛甲猛
4 | [中] | 高沢秀昭
 | 打 | 丸山一仁
 | 走 | 伊藤史生
5 | [指] | B.マドロック
6 | [右] | 岡部明一
 | 打 | 斉藤巧
7 | [左] | 古川慎一
8 | [捕] | 袴田英利
9 | [遊] | 森田芳彦
 | 打 | 上川誠二
 | 三 | 水上善雄

  1. 西武 73勝51敗6分 勝率.589(.5887)
  2. 近鉄 74勝52敗4分 勝率.587(.5873)

最終順位は1位西武、2位近鉄。最終ゲーム差0.0、勝率差は僅かに.002(一厘未満四捨五入。正確には.0014)だった。監督就任1年目にして10.19を演出した仰木は「悔しいが、これだけの粘りを見せた集団と一緒にやれた幸せをしみじみと感じる」「こんな立派な試合ができて、私自身も感動したし、ファンの方にも感動を与えることができたのでは。残念だけれど悔いはない」とコメントを残している。

近鉄関係者は、宿舎である東京都港区内のホテルに戻るときも裏方も含めて泣いており、祝勝会の準備がなされていたホテルの宴会場で、佐伯勇オーナーも顔を出して「残念会」を行った。骨折で戦列を離れていた金村義明は「みんな、すみませんでした」と土下座して見せた。またこの試合を最後に退団したオグリビーは、トイレで人目をはばかりながら涙を流していた。仰木は10.19の時のチーム一体感について、自著『燃えて勝つ』でも振り返っている。この試合に出場した近鉄の選手達が現役引退する際、「選手生活で一番印象に残る思い出は」という質問に対して、ほぼ全員が「10.19のダブルヘッダー」と答えている。

この後、時間制限や引き分け制度への懐疑論が相次ぎ、パ・リーグでは4時間の時間制限が撤廃された。セ・リーグは1990年から延長15回引き分け再試合制を導入したが、2001年から延長は12回として引き分けを復活させた。その後、2011年2012年東日本大震災による電力供給不足へ対応するための特別ルールとして、セ・パ共に時間制限が再導入されたこともあった。

球場の状況

現在の川崎球場のメインスタンド。写真左後方から2番目の建物がハウスプラザ角倉である。(2009年9月撮影)

ロッテは1978年に川崎球場を本拠地として以来、慢性的に観客動員数が伸び悩んでおり、この1988年も前年より観客動員数は増えたが12球団最下位であった。球団は当時、1シーズン全試合有効の無料招待券(1枚につき、シーズン中任意の1試合に入場可)を近隣住民をはじめ多くの人々に大量に配布していた(なお、当時、プロ野球の観客動員数の発表は実数によるものではなく、上記のような球団の公式発表による数値はあくまでも公称値である。特にロッテは当時、年間予約席(シーズンシート)の席数などを含めて「3,000人」などと公式発表するケースが多かった)。

だが、この日は朝から無料招待券を持った客や各地から動員された近鉄ファンが大挙して押し寄せ、球場の定員を大幅に上回る人々が集まった。指定席は定数分の入場券があらかじめ用意されておらず、更に自動発券機がなかったため、不足した分は窓口の係員が座席表を確認しながらゴム印で席番を打つという手作業で発券した。さらには「大人用」の台紙を使い切ってしまったため、「小人用」の台紙の「小人」の表記をペンで消去して使いまわし、さらに指定席完売前に席番無しの立ち見券を発行するという異例の対応をするなど、係員は終始発券の対応に追われた。それでも発券が追い付かず、球場周辺には長蛇の列ができた。第1試合開始の15時前にはチケットは売り切れになり、無料招待券で入れる自由席に入場制限がかけられた。

入場できなくなった人は球場に隣接する雑居ビル、マンション、アパート等の上の階に観戦場所を求めて集まり、右翼側場外にあるマンション「ハウスプラザ角倉」は階段や踊り場、さらには屋上までが人で一杯になったほどだった。第1試合に近鉄が勝利したことでさらに観客が球場周辺に押し寄せた。

さらに売店は、当時の川崎球場は施設そのものの老朽化が進んでいた上に、普段から観客数が少なかったことから設置数が元々少なく、全ての売店がメインスタンドのネット裏周辺のみに集中して設けられており、外野スタンドには物販スペースが一切設けられていなかった。また売り子による巡回販売も行われていなかったため、観客は自ら売店へ足を運ぶ必要があった。そのため、1階スタンド下の売店と場外のうどん店・ラーメン店・お好み焼き店や自動販売機には場内の観客が次々と詰め掛けて長蛇の列をつくった。更に第1試合と第2試合の間のインターバルが夕食の時間とほぼ重なったため、第2試合が始まる頃にはほとんどの食べ物、飲み物が売り切れ、食事をとるのに支障が出てしまった。当時の川崎球場のトイレは、全て男女共用でしかも鍵が壊れたものがあり、実際に女性が利用できる場所はネット裏1階の実質1箇所しかなかった。さらに内外野スタンドのベンチも割れていたり壊れているものが多かった。

試合後、来場したファンから施設やサービス面について球団や球場施設を管理する川崎市に苦情が数多く寄せられたため、川崎市市議会は1989年度の予算委員会で議論を行い、日本共産党を除く賛成多数で川崎球場の改修工事の予算を承認した。改修工事は1989年秋から段階的に着手。89年秋内野一般席・外野席椅子、スタンド壁面塗装工事、防球ネット嵩上げを行い、翌90年にはグラウンド全面人工芝化、スコアボード電光表示化、指定席椅子取替工事を完了させた。

こうした改修の甲斐もあって、1991年(平成3年)には、ロッテは球団史上初の観客動員数100万人を記録する。しかし、ロッテ側の根強い不信感を完全に払拭することはできず、同じ年の1991年の7月には重光昭夫球団社長代行が既に千葉市の千葉マリンスタジアムへの移転を表明していた。川崎市側の懸命な引き止めも虚しく、翌1992年(平成4年)のシーズンからは正式に千葉への移転が決まり、以降、川崎球場を本拠地とする球団が現れることはなかった。ロッテが去った後、川崎球場はアマチュア野球やプロレスなど各種スポーツの会場として使われたが、2000年3月31日をもって閉場となった。スタンドの撤去・数度の改修工事を経て、2014年(平成26年)に「川崎富士見球技場」となっている。

テレビ中継

テレビ朝日系列の準基幹局で、近鉄の地元・大阪府に本社を置く朝日放送(ABC)が、ロッテ球団から2試合分のテレビ中継権を取得。第1試合開始の15時から、完全生中継を実施した。

実況:西野義和 解説:岡本伊三美(前近鉄監督)
実況:安部憲幸 解説:小川亨(元近鉄選手)
※実況担当の西野と安部、2試合ともベンチリポートを担当した戸石伸泰はABCのスポーツアナウンサー、解説の岡本と小川は同局のプロ野球解説者だった(いずれも中継時点)。制作クレジットは「制作協力:テレビ朝日 制作:朝日放送」と表示されていた。

テレビ朝日の英断でテレビ朝日系列での全国中継へ

1988年のパ・リーグは、降雨による試合中止が例年より多く、ロッテ対近鉄戦の消化がとりわけ遅れていた。9月26日から29日までの間にも川崎球場で4連戦が予定されていたものの、3試合が降雨で中止。パ・リーグの事務局では遅くとも10月19日の優勝決定を想定していたため、降雨中止分のロッテ対近鉄戦を、18日に1試合、19日にダブルヘッダーで2試合消化する方向で公式戦の日程を組み直した。ABCで当時スポーツ局次長とスポーツ部長を兼務していた高田五三郎は、9月末にロッテ対近鉄戦が3試合中止になったことを受けて、「このカードがおそらくパ・リーグの(レギュラーシーズンの)最後に回って、優勝を決める大一番になる」と予想。ロッテ球団が川崎球場における主催試合のテレビ中継の許認可権を有していたことを背景に、かねてから懇意にしていた当時の近鉄球団営業部長・吉川孝を通じて、未消化試合のテレビ中継をロッテ球団に打診した。この打診に対して、ロッテ球団は「在京のテレビ局から中継の申し込みがなければ、(ABC単独での)中継は可能」と回答。結局、他局が中継を申し込まなかったため、ABCスタッフの乗り込みによる19日開催分のテレビ中継が実現した。

第1試合については、福岡県九州朝日放送(KBC)と、宮城県東日本放送(KHB)でも、朝日放送制作の中継を第1試合から同時ネットで放送した。

ABCで第2試合の時間帯に編成されていたレギュラー番組のうち、『ハーイあっこです』(自社制作のネットワークセールス枠=18:50 - 19:20で放送されていたアニメ)については、同局のみ放送枠を臨時に移動。テレビ朝日と大半の系列局に対しては、上記の時間帯に裏送り(ABCからの先行ネット)方式で放送した。当時20:00 - 20:54に放送されていた『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日制作の全国ネット番組)については、ABCのみ後日の振り替え放送で対応した。

テレビ朝日では、自社で保有する系列局向けの中継回線を貸与するなど、ABCによるテレビ中継の制作に協力。当初は自社の放送対象地域である関東地方向けに第2試合を中継することを予定しておらず、前述の『ハーイあっこです』もABCからの裏送り方式で放送したが、自社制作の生放送番組の『パオパオチャンネル』と全国ネットの『ニュースシャトル』でABCの中継映像を使い、パオパオチャンネルでは大熊英司(当時はテレビ朝日のスポーツアナウンサー)による電話リポートを挿入、ニュースシャトルでは第2試合実況の安部が試合経過を伝えていた。

しかし、このような対応を繰り返すうちに、試合の経過を知った視聴者から中継の延長を求める電話が数百件もテレビ朝日に殺到。さらに、「局内のどこへいっても、誰もがABCからの裏送りで局内向けに流れているテレビ中継を見ている」という有様でもあったため、編成局では20時以降の第2試合中継の実施について協議に入った。協議では、『ビートたけしのスポーツ大将』と『さすらい刑事旅情編』(当時21:00 - 21:54に放送されていた全国ネットの連続ドラマ)の全面差し替えも検討されたという。結局、21:00から10分間だけ中継を放送したうえで、『さすらい刑事』以降の番組の放送開始時間を10分ずつ遅らせる方針に落ち着いた。「10分遅れ」には『さすらい刑事』の後続番組『ニュースステーション』からのクレームもあったものの、スポンサーや系列局への折衝も済ませ、第2試合途中の21:00から全国放送に踏み切った(21:00の時点で試合は7回裏、ロッテの攻撃中であった)。

実際には、10分で切り上げる予定だった中継の時間延長を繰り返したあげく、21:30を迎える直前で『さすらい刑事』の休止と22:00までの中継延長を決定(一部地域では21:54で中継が一旦終了、テレビ朝日では21:54からのミニ番組『世界の車窓から』も休止となった)。結果として、21時台はCMなしの中継が続いたため、事実上スポンサー抜きの“自主番組”(サスプロ放送)となった。以上の対応を直々に指示した斎田祐造(当時のテレビ朝日編成部長)は、中継を見ながら、「(CMを出稿しているスポンサーからの収入で成り立つ民間放送としての)身を切るようなエライ(大変な)ことをしている」という思いに何度も苛まれたという。

さらに、22:00スタートの『ニュースステーション』でも、メインキャスターの久米宏が番組冒頭から「今日はお伝えしなければならないニュースが山ほどあるのですが、このまま野球の中継をやめるわけにもいきません」「どんな番組になるか今夜は分からないんですが、伝えるニュースもいっぱいあるし助けてください」などと視聴者に事情を説明し、当初予定していた放送内容を全て飛ばして中継を続けた。22:00の時点で試合は9回表、近鉄の攻撃中であった。この日の同番組では主なニュースは攻守交代の合間などを縫って放送した。 そして22:41の羽田の併殺打で近鉄の逆転優勝が消滅、西武の優勝が決まったシーンとともに、その時間にも西武球場のライブビジョンでテレビ中継の映像を見ていたファンの歓喜の様子まで石橋幸治(当時はテレビ朝日のスポーツアナウンサー)のレポートも交えて伝えていた。

『ニュースステーション』では、1988年12月30日の年内最終放送(年末スペシャル)で、このダブルヘッダーに関する特集企画を編成。第2試合のテレビ中継で実況した安部が川崎球場からの生中継に登場したほか、近鉄・ロッテ・テレビ朝日・日刊スポーツの各関係者(同番組にスポーツコメンテーターとして出演していた編集委員の野崎靖博など)による証言VTRを放送された。

21年後の2009年2月7日にはテレビ朝日系の特別番組「伝説のスポーツ名勝負 いま明かされる舞台裏の真実」でもこのダブルヘッダーが取り上げられており、ニュースステーションと同じように近鉄・ロッテ・テレビ朝日の各関係者の証言VTRをもとに放送されていた。

【「10.19」〜7時間33分の追憶〜】

【ジャンル】
ドキュメンタリー番組
【放送方式】
録音
【放送期間】
2018年11月18日
【放送時間】
日曜日16:00 - 17:00
【放送局】
朝日放送ラジオ
【出演】
伊藤史隆ほか

また、テレビ・ラジオとも中継を制作したABCでは、試合から30年後の2018年に、平成30年度芸術祭参加作品として『 「10.19」〜7時間33分の追憶〜』というラジオドキュメンタリーを制作。同局(朝日放送テレビ所属)のスポーツアナウンサーで、中継のスコアラーを務めていた伊藤史隆(2017年に71歳で永眠した安部の後輩)が近鉄関係者(中西、梨田、吹石、大石、村上、阿波野)へのインタビュー取材とナビゲーターを担当したほか、第1・第2試合のテレビ中継の実況を収録した音源を盛り込んだ。同年11月18日に朝日放送ラジオでこの番組の本放送を実施したところ、2019年の日本民間放送連盟賞・ラジオ報道部門の優秀賞や、第56回(2018年度)ギャラクシー賞・ラジオ部門の選奨を受賞した。試合からちょうど31年後の2019年(令和元年)10月19日(土曜日)には、以上の受賞を記念して、第1試合が催された時間帯(16:00 - 17:00)に再放送を実施している。

ラジオ中継

朝日放送
※第1試合 実況:高柳謙一(当時は朝日放送アナウンサー) 解説:小川亨(第2試合のテレビ中継の前に出演)
※第2試合 実況:武周雄(当時は朝日放送アナウンサー)
毎日放送
※第1・第2試合とも、ニッポン放送裏送り方式で制作した中継を同時ネット。第1試合の中継では、当時同局の野球解説者だった土橋正幸が解説を担当した。
ラジオ大阪
※ナイトゲームを中心に近鉄戦をレギュラーで中継していたため、川崎球場の放送席に専用の中継ブースを設けていた文化放送の技術協力によって、自社制作で放送。第1試合の中継には、平野光泰(当時はラジオ大阪の野球解説者、元近鉄選手)が出演していた。
上記3局はいずれも、関西ローカル向けに放送。当日はナイターオフ編成期間に入っていたが、番組表に「(6:00以降、引き続きロ×近戦の時あり)」と記されるなど、試合展開に応じて中継時間を延長する体制を取っていた。
TBS(関東ローカル放送)
※当初は『生島ヒロシのいきいき大放送』(当時13:00 - 16:00に編成されていた生ワイド番組)の放送を優先する方針で、当日の番組表にも「(ロッテ×近鉄戦放送の場合あり)」と記されていた。
NHKラジオ第一(全国放送、実況:松本一路、解説:鈴木啓示NHK大阪放送局野球解説者、元近鉄投手〕、ベンチリポーター: ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/07/16 07:02

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