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11世紀とは?

この項目「11世紀」は途中まで翻訳されたものです。(原文:英語版 "11th century" 19:31, 10 October 2015‎ (UTC))
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千年紀: 2千年紀
世紀: 10世紀 - 11世紀 - 12世紀
十年紀: 1000年代 1010年代 1020年代 1030年代 1040年代
1050年代 1060年代 1070年代 1080年代 1090年代
カノッサの屈辱。教皇権の伸長は皇帝権との間で衝突を生み出し、叙任権闘争を激化させた。画像は神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世(中央)と、破門された彼をローマ教皇グレゴリウス7世にとりなすトスカーナ女伯マティルデ(右)とクリュニー修道院長(左)。
バイユーのタペストリー。画像はヘイスティングズの戦いにおけるイングランド王ハロルド2世の死の場面。この戦いに勝利したノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世になる。
マーストリヒト大聖堂宝物室の写本外装。聖遺物崇敬の高まりとともにモザン美術と呼ばれるマース川流域の低地地方で生み出された金銀やエナメルの細工も巧緻なものとなった。この11世紀に造られた写本外装は現在はルーヴル美術館にある。
藤原道長。御堂関白とも通称された道長の時代に摂関政治は頂点に達した。画像は『紫式部日記』藤田家本第5段から1008年の一条天皇の土御門邸行幸に備え、新造の竜頭鷁首の船を検分する道長。
紫式部と『源氏物語』。かな文字の発達は日本独特の女流文学の発展を促した。画像は12世紀初頭に描かれた『源氏物語絵巻』「竹河」(徳川美術館蔵)。
奥州の反乱。東北地方での大規模な反乱は摂関政治に馴れた都人を驚かした。画像は前九年の役に続く後三年の役を14世紀に描いた『後三年合戦絵詞』。武家の棟梁源義家が雁の列の乱れから敵の伏兵を見破った場面(東京国立博物館蔵)。
宇治平等院鳳凰堂。末法思想の高まりとともに阿弥陀仏極楽浄土に往生すること(浄土思想)が求められた。平等院は関白藤原頼通によって建てられたもので、中心の鳳凰堂には仏師定朝の手による阿弥陀仏が安置されている。
遼の応県木塔山西省応県の仏宮寺釈迦塔のことで章聖皇太后の弟蕭孝穆により建立された中国最古の木造の塔とされる。
慶暦の治。4代皇帝仁宗の時期までに北宋は国制を整え、遼や西夏とは和平関係を結び、安定期を現出した。画像は仁宗の皇后曹氏(慈聖光献曹皇后)の肖像(台湾故宮博物院蔵)。
北宋の宰相・王安石。慢性的な財政難を克服するため神宗皇帝の熙寧年間に大改革を行った王安石だったが、司馬光らとの党争を惹起し、国内を混乱させることともなった。
山水画の大成。唐末五代から著しい進展を見せた山水画は北宋の李成・范寛・郭熙らの名手により高い技術と深い精神性を得ることになった。画像は台北国立故宮博物院蔵の郭熙の「早春図」。
汝窯青磁。宋では透明感を持つ釉薬が開発されるとともに無駄を省いた簡素な形状の磁器が愛好された。特に河南省臨汝付近で焼かれた宮廷用の磁器は汝官窯と呼ばれ、「神品」と呼ばれるほどの質の高さを誇った。画像は台北国立故宮博物院所蔵の「北宋汝窯青磁蓮花式温碗」。
敦煌楡林窟第3窟壁画「文殊菩薩」。仏教信仰に熱心だった西夏支配の敦煌では最後の繁栄の時代を迎えていた。
チャンパ王国の発展。11世紀初頭にヴィジャヤに遷都した王国はこの地に独特の文化を花開かせた。画像はビンディン省タイソン県にあるズオン・ロン塔で「象牙の塔」の名でも知られている。
カジュラーホーのパールシュバナータ寺院の塔(シカラ)。チャンデーラ朝のダンガ王と続く歴代の王によって建立された。
イスラム教徒のインド進出。トルコ系のガズナ朝を皮切りにイスラム教徒はインド土着の勢力を圧倒し支配を拡大していった。画像はプラティハーラ朝を滅ぼしたガズナ朝の君主マフムードの宮廷。
シャー・ナーメ(王書)』。11世紀初めにフェルドウスィーによってまとめられた長大なペルシア民族叙事詩。画像はサファヴィー朝時代の『シャー・ナーメ』の写本。
イブン・スィーナー。『医学典範』を著した博学な医師であると同時に東方イスラム世界を代表する哲学者としても多くの仕事を残した。
「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のあるガズヴィーンイランカスピ海南岸の街で、近郊には「暗殺教団」ニザール派アラムート要塞もある。
商業都市フスタート。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られたラスター彩陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である(メリーランド州ボルチモアウォルターズ美術館蔵)。
イスラム天文学。9世紀から始まったイスラム科学の興隆は10世紀から11世紀に一つの頂点を迎えた。画像はイベリア半島で作成された1067年の記名がある「アル・サーリのアストロラーベ」(スペイン国立考古学博物館蔵)。
エル・シッドバレンシアの征服でレコンキスタの時代を代表する英雄ではあるが、カスティーリャアルフォンソ6世との確執など波乱に富んだ一生を送った。画像はエル・シッドの故郷ビバールにほど近いブルゴスに建てられたエル・シッドの銅像。
転換期に立つ東ローマ帝国。マケドニア朝の血統はゾエとテオドラの二人の皇女の配偶者をめぐって錯綜した。画像はハギア・ソフィア大聖堂内のモザイク画で、中央のキリストを挟んで、皇后となったゾエとその夫君である東ローマ皇帝コンスタンティノス9世の肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生している。
東ローマ皇帝アレクシオス1世の戦略。混迷の帝国にあって軍事貴族から身を起こし、帝位に就いたのがアレクシオス1世である。ノルマン人やクマン人といった外敵を互いに競わせ、或いは懐柔する巧みな外交手腕を駆使したことで有名である。しかしセルジューク族を排除するため西欧諸国から援軍を募ろうとして大きな誤算を生むのである。
第1回十字軍。西ヨーロッパのキリスト教徒は血みどろの戦いにより聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還した。画像は13世紀に描かれたエルサレム攻囲戦の細密画。
トゥーラ・シココティトラン。10世紀から11世紀に栄えたメキシコ後古典期の遺跡で、伝承ではトルテカ帝国の都だとされている。

11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す世紀2千年紀における最初の世紀である。

目次

  • 1 11世紀の歴史
    • 1.1 イスラム圏
    • 1.2 ヨーロッパ
    • 1.3 東アジア・東南アジア
      • 1.3.1 日本
  • 2 できごと
    • 2.1 1000年代
    • 2.2 1010年代
    • 2.3 1020年代
    • 2.4 1030年代
    • 2.5 1040年代
    • 2.6 1050年代
    • 2.7 1060年代
    • 2.8 1070年代
    • 2.9 1080年代
    • 2.10 1090年代
    • 2.11 1100年代
  • 3 フィクションのできごと
  • 4 人物
    • 4.1 キリスト教世界
      • 4.1.1 神聖ローマ帝国
      • 4.1.2 イタリア
      • 4.1.3 フランス
      • 4.1.4 イングランド
      • 4.1.5 スコットランド
      • 4.1.6 北欧
      • 4.1.7 東ローマ帝国
      • 4.1.8 東欧
      • 4.1.9 十字軍国家
      • 4.1.10 イベリア半島
    • 4.2 イスラム世界
    • 4.3 南アジア・チベット
    • 4.4 東南アジア
    • 4.5 東アジア
      • 4.5.1 北宋
      • 4.5.2 遼
      • 4.5.3 西夏
      • 4.5.4 大越
    • 4.6 日本
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

11世紀の歴史

イスラム圏

11世紀は、西アジアトルコ系のイスラム王朝ガズニ朝セルジューク朝の台頭が著しく、前者は北インドに侵入しインドのイスラム化の契機をつくり、後者は東ローマ帝国を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北アフリカモロッコ近辺ではムラービト朝などベルベル人のイスラム王朝の台頭が始まって、レコンキスタを停滞させる一方、サハラ交易で繁栄したガーナ王国を滅ぼした。

ヨーロッパ

東ヨーロッパでは東ローマ帝国が第一次ブルガリア帝国を征服してバルカン半島全土を回復して最盛期を迎えるが、11世紀後半に入ると衰退に転じ、国内の反乱やセルジューク朝、ノルマン人などの外敵に悩まされることになる。西ヨーロッパでは教皇権が伸長する一方、東西教会の分裂が起こっている。また、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノス教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したことが発端で、十字軍の遠征が開始された。

東アジア・東南アジア

東南アジア南インドでは、1025年を境にシュリーヴィジャヤ王国の衰退と、チョーラ朝クディリ王国が全盛を極めた。東アジアでは、北宋の経済的繁栄は続くものの、西夏への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、王安石の改革が始まった。

日本

日本では平安時代中期から後期の初めにあたる。院政の開始以降を中世に区分する場合がある。11世紀の前半から中葉にかけては、藤原北家による摂関政治が全盛を極めたが、地方では国司苛政上訴が行なわれ、小領主の有力武士が台頭していた。名目的な寄進荘園に課税するなど税の公平さを保つために荘園整理令が行なわれたが、反面ここで公認された荘園はそれまでの公田の中に税の取得権が荘園領主にある農地が散在した形態から一円領域化してまとまった経営領域と化し、国衙に納税する公領と対等の権利主体としての地位を獲得する。ここで荘園と公領の領域などを巡る武力紛争が多発する事態となり、双方の現地管理人として武力紛争への対応能力のある武士が任命されることが多くなり、武士の在地領主化が進行した。11世紀の後半になると藤原氏の力が及ばない後三条天皇の親政が契機となり、院政がはじまった(院政時代)。院政は受領が紛争当事者となることで調停不能になった荘園公領間の紛争の調停者として権力を高め、また院自らも荘園領主として広大な荘園を集積した。こうして荘園と公領が併存して地方社会の統治単位となる荘園公領制はこの院政期を通じて発展していくことになる。

できごと

1000年代

詳細は「1000年代」を参照

1010年代

詳細は「1010年代」を参照

1020年代

詳細は「1020年代」を参照

1030年代

詳細は「1030年代」を参照

1040年代

詳細は「1040年代」を参照
出典:wikipedia
2018/06/17 23:34

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