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13世紀とは?

この項目「13世紀」は途中まで翻訳されたものです。(原文:英語版 "13th century" 21:12, 20 December 2015 (UTC))
翻訳作業に協力して下さる方を求めています。ノートページ履歴、翻訳のガイドラインも参照してください。要約欄への翻訳情報の記入をお忘れなく。(2016年1月)
千年紀: 2千年紀
世紀: 12世紀 - 13世紀 - 14世紀
十年紀: 1200年代 1210年代 1220年代 1230年代 1240年代
1250年代 1260年代 1270年代 1280年代 1290年代
チンギス・ハーン像。
モンゴル帝国の発展。
モンゴル帝国の最大領域。
クビライ・ハーン像。

13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀

目次

  • 1 13世紀の歴史
    • 1.1 モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)
    • 1.2 十字軍勢力は衰退へ
    • 1.3 マグナ・カルタ成立
  • 2 できごと
    • 2.1 1200年代
    • 2.2 1210年代
    • 2.3 1220年代
    • 2.4 1230年代
    • 2.5 1240年代
    • 2.6 1250年代
    • 2.7 1260年代
    • 2.8 1270年代
    • 2.9 1280年代
    • 2.10 1290年代
    • 2.11 1300年代
  • 3 人物
    • 3.1 モンゴル世界
    • 3.2 イスラム世界
    • 3.3 アフリカ
    • 3.4 キリスト教世界
      • 3.4.1 東ローマ帝国・ラテン帝国・ニカイア帝国
      • 3.4.2 東欧・カフカス
      • 3.4.3 イタリア
      • 3.4.4 イベリア半島
      • 3.4.5 フランス
      • 3.4.6 イングランド
      • 3.4.7 スコットランド
      • 3.4.8 神聖ローマ帝国
      • 3.4.9 北欧
    • 3.5 南アジア・チベット・東南アジア
    • 3.6 東アジア
      • 3.6.1 南宋・金・元
      • 3.6.2 大越
      • 3.6.3 高麗
    • 3.7 日本
  • 4 フィクションのできごと
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

13世紀の歴史

モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)

13世紀は、チンギス・ハーンの興したモンゴル帝国ユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。

ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国()のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。

十字軍勢力は衰退へ

第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝スルターンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。

マグナ・カルタ成立

イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタ(大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命アメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。

できごと

第4回十字軍。東ローマ帝国の内紛に介入したヴェネツィア商人の使嗾により首都コンスタンティノポリスはキリスト教徒の十字軍に占領された。画像はウジェーヌ・ドラクロワの歴史画「第4回十字軍のコンスタンティノポリス入城(ルーヴル美術館蔵)」。
「サン・マルコの馬」。第4回十字軍を支援したヴェネツィア共和国は東ローマ帝国から多くの貴重品を持ち去った。画像は「勝利のクアドリガ」とも呼ばれる四頭馬の彫像でもとはコンスタンティノポリス競馬場を飾っていたもの。ヴェネツィアに移送されてからはサン・マルコ大聖堂に置かれていた。
大旅行家マルコ・ポーロ。ヴェネツィア商人として元朝ほかアジア各地を訪れ『東方見聞録(イル・ミリオーネ)』に記録を残した。画像は『驚異の書』写本(Fr. 2810)でマルコ・ポーロが象や駱駝を乗せた船でホルムズを訪れる箇所の挿絵。
グルジア王国の繁栄。女王タマルの時代にルーム・セルジューク朝を破り、東ローマ系亡命国家トレビゾンド帝国を支援してグルジアの勢力は拡大した。画像は南グルジアのヴァルディツィアの修道院礼拝堂フレスコ画に描かれた父王ギオルギ3世と並んで立つ女王タマルの肖像。
マグナ・カルタ(認証付写本)、1215年に作られたもの。
教皇権の最盛期。教皇はこの時期には世俗王侯を凌ぐ権威を有し、教会政治でもその手腕を遺憾なく発揮した。画像は14世紀に描かれたアッシジフランチェスコ聖堂ジョット・ディ・ボンドーネの壁画で、教皇インノケンティウス3世アッシジのフランチェスコの会見が描かれている。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世。破門されたまま十字軍を組織しエルサレムを奪い返すなど大胆不敵な行為から当時の人々は「世界の驚異」とも「反キリスト」とも呼んでいる。画像は彼が著した『鷹狩論(鳥類を利用した狩猟技術)』に描かれた皇帝の肖像。
第7回十字軍。画像は南仏エーグ・モルトを出港し、マムルーク朝支配のエジプトに向かうフランス王ルイ9世とその一行。聖王と称えられたルイ9世だがこの遠征には失敗し捕虜となる。
シャルトル大聖堂。盛期ゴシック様式を代表するフランスの教会建築で、画像にあるバラ窓ステンドグラスが有名である。
トマス・アクィナス。盛期スコラ学を代表する神学者で、理性と信仰を結び付ける壮大な著作『神学大全』をまとめ、「天使博士」の称号を得た。画像は15世紀のカルロ・クリヴェッリによるもの。
イベリア半島における文化交流。レコンキスタが進む一方でキリスト教徒とイスラム教徒の共存はカスティーリャの賢王アルフォンソ10世の時代も続いた。画像はこの王の時代に編纂された『聖母マリア頌歌集(カンティーガス・デ・サンタ・マリーア)』の挿絵でキリスト教徒とイスラム教徒の合奏が描かれている。
ヴァルトブルクの歌合戦。テューリンゲン方伯の宮廷に集まったミンネザンガーたち。画像は14世紀に編纂された『マネセ写本』(ハイデルベルク図書館蔵)の挿絵。
リューベック北海バルト海貿易を生業とする北ドイツ諸都市ではハンザ同盟が結ばれ、リューベックがその盟主とされるようになった。なおリューベックは1266年には帝国自由都市の地位も獲得している。画像は13世紀に拡張されたリューベックの市庁舎でマルクト広場の黒煉瓦造りの建物がそれである。
泉州(ザイトン)の繁栄。南宋時代から多くのイスラム商人が定住していたが、蒲寿庚らが元朝に帰服すると以前にも勝る賑わいを見せるようになった。画像は泉州のイスラム寺院清浄寺に残るアラビア文字の刻まれた石碑。
禅宗の到来。中国で発達した禅宗日宋貿易などを通じて日本に流入した。画像は日本禅宗の源流ともなった中国の無準師範(仏鑑禅師)の頂相で現在は京都東福寺に所蔵されている。
武家の都鎌倉。東国を基盤とした政権の誕生により、宋よりもたらされた禅宗や、「鎌倉仏教」と呼ばれる庶民に開かれた新しい宗派がこの地で発展した。画像は「鎌倉の大仏」で知られる高徳院阿弥陀如来坐像。
蒙古襲来。クビライの命によりモンゴルの大軍が日本に押し寄せた。画像は御家人竹崎季長によって依頼され、元寇の様子を生々しく伝える記録となった『蒙古襲来絵詞(三の丸尚蔵館保管)』。
執権北条時宗。二度にわたる蒙古襲来を迎え撃った日本側の指導者は北条時宗であった。画像は『一遍上人絵伝』巻5のもので、時宗の僧侶一遍と鎌倉七口の一つ小袋坂(現在の巨福呂坂)にて対面する北条時宗(折烏帽子で白い狩衣を着て馬に乗った人物)。
インドからチベットへ向かう仏教。インド仏教の最後の拠点ヴィクラマシーラ寺院は1203年にイスラム教徒に破却された。その学頭であったシャーキャシュリーパドラはチベットに亡命し、サキャ派6代座主となるサキャ・パンディタらに法を伝えた。画像はサキャ・パンディタの肖像。
マジャパヒト王国の躍進。クディリ王国とシンガサリ王国の抗争に加えモンゴル人の元朝の襲来で混沌としたジャワ島に秩序をもたらしたのがマジャパヒト王国である。画像は初代王ラデン・ウィジャヤ(クルタラジャサ・ジャヤワルダナ)の肖像に基づくハリハラ(シヴァヴィシュヌの集合神)の像。
万塔の都パガン。仏教信仰の篤いミャンマーではモンゴル侵攻の中でもナラティーハパテ王のもと造寺造仏が続けられた。しかし1287年のパガンの戦いでこの都はついに陥落した。
オリッサをめぐる争い。インドの北部と南部をつなぐ東海岸のオリッサはこの時期にはイスラム教徒の奴隷王朝とヒンドゥー教徒の東ガンガ朝の激突の舞台となった。画像は東ガンガ朝のナラシンハ・デーヴァ1世によって建てられたオリッサ・コナーラクのスーリヤ寺院にある車輪のデザインの基壇部分。
クトゥブ・ミナール奴隷王朝アイバクによって13世紀初頭にデリーに建てられたインド最古のミナレットで、後世に一部が破損したものの現在でも世界で最も高い72.5mの高さを誇っている。
イスラム世界の機械工学。博識な技術者、であったジャザリーが1206年に著した『巧妙な機械装置に関する知識の書』は好評だったらしく多くの写本が残されている。画像はオートマタの技術を駆使した「象時計」。
スーフィズムの高まり。忘我境の中で神との合一を果たすスーフィズムと呼ばれるイスラム神秘主義がルーミーによって大成された。画像はトルココンヤにあるルーミー廟の前で旋回舞踏を行うメヴレヴィー教団の人々。
モンゴルのホラズム・シャー朝征服。中央アジアを支配していたホラズム・シャー朝もモンゴルの攻撃で崩壊した。画像はインダス河畔の戦いで敗北後も戦い続けたホラズム・シャー朝の君主ジャラールッディーン
アッバース朝の滅亡。モンゴル人フラグの征西によりバグダードが陥落した。最後のカリフは処刑され市街は略奪と殺害が横行したと伝えられる。画像はラシード・ウッディーン集史』の写本の挿絵。
ワールシュタットの戦い。モンゴル軍によりポーランド・チュートン騎士団連合軍が大敗を喫した。画像は14世紀に書かれた聖人伝『シレジアの聖ヘドウィッヒの伝説』の挿絵。
氷上の戦い。「ネヴァ川の勝者」としてスウェーデン軍を打ち破ったノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーは、1242年には新たな敵であるドイツ騎士団を氷の張ったチュド湖で迎え撃ち勇猛さを轟かせた。画像は20世紀に作られた「氷上の戦い」のモザイク画。


1200年代

詳細は「1200年代」を参照

1210年代

詳細は「1210年代」を参照

1220年代

詳細は「1220年代」を参照
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