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3世紀とは?

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千年紀: 1千年紀
世紀: 2世紀 - 3世紀 - 4世紀
十年紀: 200年代 210年代 220年代 230年代 240年代
250年代 260年代 270年代 280年代 290年代
エデッサの戦い。新興勢力のサーサーン朝ペルシアがローマ帝国に勝利した。画像はナクシュ・イ・ルスタムの磨崖像で、平伏するローマ皇帝ウァレリアヌスと騎乗のサーサーン朝皇帝シャープール1世が浮き彫りにされている。
軍人皇帝時代。ローマ帝国全体の政情が不安定となり、半世紀に20人余の皇帝が乱立される混乱期を迎え外敵の侵攻も勢いを増した。画像は「グランデ・ルドヴィシの石棺(ローマ国立博物館アルテンプス宮蔵)」でローマ人とゲルマン人の闘いが彫刻されている。被葬者は軍人皇帝デキウスの息子とされている。


3世紀(さんせいき)は、西暦201年から西暦300年までの100年間を指す世紀

目次

  • 1 できごと
    • 1.1 200年代
    • 1.2 210年代
    • 1.3 220年代
    • 1.4 230年代
    • 1.5 240年代
    • 1.6 250年代
    • 1.7 260年代
    • 1.8 270年代
    • 1.9 280年代
    • 1.10 290年代
    • 1.11 300年代
    • 1.12 出土品の記録
  • 2 文化
  • 3 人物
    • 3.1 地中海世界
    • 3.2 ペルシア
    • 3.3 インド
    • 3.4 東アジア
      • 3.4.1 後漢
      • 3.4.2 魏
      • 3.4.3 蜀
      • 3.4.4 呉
      • 3.4.5 西晋
      • 3.4.6 日本
  • 4 脚注
  • 5 関連項目
  • 6 外部リンク

できごと

三国時代後漢の滅亡とともに各地で群雄が相争う時代に突入した。今日でも人気の高い小説『三国志演義』の舞台として有名である。
蜀の劉備とその義兄弟。漢王室の末裔とされる劉備とその同志たちは三国時代の群雄のうちでも知名度が高い。画像は一堂に会した劉備・関羽張飛を描いた18世紀の画家桜井雪館の絵画。
竹林の七賢。魏から晋にかけての政治的な混乱から遠ざかり清談をした人々で後世の中国の知識人のモデルともなった。画像は室町時代の日本の絵画。
古越州青磁の展開。三国時代から西晋にかけて複雑な意匠を伴う明器としての青磁が江南各地(浙江省江蘇省)で製造された。画像は上海博物館所蔵の青磁神亭壺(穀倉罐)で壺の上部にある楼閣や人物像に特色がある。
箸墓古墳。日本最古級の古墳で倭迹迹日百襲姫命の墓との伝承がある。また邪馬台国畿内説では卑弥呼の墓に比定する考えもある。
ミーラン遺跡タクラマカン砂漠の南方に位置し、西域南道のオアシス都市として各地の文化が混交した。画像はミーランの仏教寺院遺跡にあった「有翼天使」の壁画でローマ的な顔立ちが特徴的である。
パルミラ遺跡の列柱道路。パルミラ女王ゼノビアはローマの混乱に乗じて自立したが、アウレリアヌス帝によって滅ぼされた。
ドゥラ・エウロポス遺跡。ローマ帝国東端の要塞都市で257年にサーサーン朝に占領され廃墟となった。画像はこの地にあったユダヤ教シナゴーグの壁画「モーセと燃える柴」。
コロニア・アグリッピネンシス(ケルン)。ローマ帝国内での属州各地の地位の上昇とともにガリアでも独立政権が生まれ(ガリア帝国)、この地がその首都となった。画像は220-230年代に作られた「ディオニソスモザイク」で、ケルンのローマ・ゲルマン博物館に所蔵されている。
ヴェネツィアにあるテトラルキア(四分割統治)の像。ディオクレティアヌスによりローマ帝国は正帝2人と副帝2人の計4人で統治されることになった。

200年代

詳細は「200年代」を参照

210年代

詳細は「210年代」を参照

220年代

詳細は「220年代」を参照

230年代

詳細は「230年代」を参照

240年代

詳細は「240年代」を参照
  • 243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。
  • 244年
  • 245年 - 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。
  • 247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。
  • 248年 - ローマ皇帝ピリップス・アラブスによるローマ建国一千年祭が行われる。
  • 248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる。
  • 249年 - 魏の司馬懿がクーデターを起こし、曹爽らを誅殺(高平陵の変または正始の政変)。

250年代

詳細は「250年代」を参照

260年代

詳細は「260年代」を参照
  • 260年
  • 261年
    • ウァレリアヌス帝の共同皇帝だった息子のガッリエヌスが単独皇帝となり、キリスト教寛容令を発布。
    • 鮮卑索頭部の拓跋力微が魏に入貢する。
  • 262年 - アナトリア半島西南部の大地震で、エフェソスが大破する。
  • 263年 - 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。
  • 264年 - 魏の司馬昭が晋王となる。
  • 265年 - 魏の元帝の禅譲を受け、司馬炎西晋の初代皇帝(武帝)となる( - 316年)。
  • 266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。
  • 267年 - パルミラ王国の実権をゼノビアが掌握する。
  • 268年 - 晋が泰始律令を公布する。これは体系的な統一法典としての最初の律令
  • 268年/269年 - ナイススの戦いクラウディウス・ゴティクス帝がゴート人に勝利しバルカン半島を制圧。
  • 269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクス帝の迫害を受けて刑死。

270年代

詳細は「270年代」を参照
  • 271年
  • 273年頃 - マニが刑死。
  • 274年 - アウレリアヌス帝が凱旋式で元老院から「帝国の再建者」の称号を授与される。
    • この年までにアウレリアヌス帝はパルミラ王国(273年)、ガリア帝国(274年)を平定しローマ帝国の再統一を達成。
    • 同年アウレリアヌス帝はローマに「不敗太陽神(ソル・インヴィクトゥス)」の神殿を建立する。
  • 275年 - サーサーン朝遠征途上のアウレリアヌス帝が暗殺される。

280年代

詳細は「280年代」を参照

290年代

詳細は「290年代」を参照
  • 292年 - グアテマラのティカルの記念碑29号に暦日が記録される。この時期よりマヤ古典期が始まる。
  • 293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国のテトラルキア(四分割統治)を始める。
  • 297年 - ディオクレティアヌスによりインディクティオ(15周年暦)が導入される。

300年代

詳細は「300年代」を参照
  • 300年 - 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。
  • 300年頃 - ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより「カピタティオ(土地税)」「ユガティオ(人頭税)」の再編がなされる。
  • この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓(首長墓)が現れる。

出土品の記録

  • 238年 - 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する(山梨県西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。
  • 239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、大阪府和泉市の和泉黄金塚古墳島根県大原郡の神原古墳から出土している。
  • 240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する(群馬県高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。
  • 244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、兵庫県宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。
  • イラン西北部サンジャーン地方のチェル・アーバード塩山で発見された「ソルトマン(イラン国立考古学博物館蔵)」は3世紀頃に死亡した人間の遺体である。

文化

人物

地中海世界

ペルシア

インド

東アジア

後漢

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