AKB48(エーケービー フォーティーエイト)は、日本の女性アイドルグループ。
秋元康のプロデュースにより、2005年12月8日に東京・秋葉原を拠点として活動を開始した。運営会社および所属事務所はDHで、所属レーベルはYou, Be Cool!/キングレコード。
AKB48は、東京・秋葉原(東京都千代田区外神田)に専用の劇場である「AKB48劇場(エーケービーフォーティエイトシアター)」を持つ。「会いに行けるアイドル」をコンセプトに日替わりのメンバーで、ほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。マスメディアを通した遠い存在ではなく、ファンがメンバーを身近な存在として感情移入し応援して、その成長過程を共有するスタイルがファンの支持を得ている。
「AKB48」というグループ名から、メンバー数は48人であると誤解されることがあるが、正規メンバーと研究生を合わせて約100人のメンバーが在籍している(現在のメンバー数はAKB48のグループ構成を参照)。2010年11月には正規メンバー48人、2013年3月には全メンバー88人でギネス世界記録に認定された。
姉妹グループとして日本国内にSKE48・NMB48・HKT48・NGT48・STU48が、日本国外にJKT48・BNK48・MNL48・AKB48 Team SH・AKB48 Team TP・SGO48・CGM48・DEL48がある。さらにインドにおいてMUB48のプロジェクトが進行中である。AKB48に姉妹グループを含めた場合には「AKB48グループ」・「48グループ」と総称されている。
2005年12月8日、AKB48劇場で初公演を行い(初公演の一般入場者は7名)、2006年2月1日にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年10月25日にシングル「会いたかった」でデフスターレコーズからメジャーデビュー。2007年にはいわゆる「アキバ枠」で『第58回NHK紅白歌合戦』に出場するものの、当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった。
2008年1月に地上波テレビ初の冠番組『AKB1じ59ふん!』の放送が開始される。レーベルを移籍して、同年10月にキングレコード(You, Be Cool!)から発売した10thシングル「大声ダイヤモンド」から徐々にCD売り上げが増え始める。2009年には、14thシングル「RIVER」で初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、その後発表する曲で次々と1位を獲得し、マスメディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるようになる。2010年8月の17thシングル「ヘビーローテーション」は、シングルの連続初動売上50万枚突破やオリコン登場週数120週、オリコン週間カラオケチャート48週連続1位などの記録を残している。2011年には22ndシングル「フライングゲット」で、2012年には26thシングル「真夏のSounds good !」で日本レコード大賞を受賞している。また日本ゴールドディスク大賞でも、2011年(2010年対象)から7年連続で「シングル・オブ・ザ・イヤー」(邦楽部門)を、2012年から3年連続で「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(邦楽部門)を受賞している。CDシングル売り上げは、2011年10月に23rdシングル「風は吹いている」で1000万枚、2013年3月に28thシングル「UZA」(発売は2012年10月)で2000万枚、2014年12月に38thシングル「希望的リフレイン」で3000万枚、2015年12月8日に42ndシングル「唇にBe My Baby」では3615万8000枚を超え、アーティスト別のCDシングルの総売り上げ日本一を記録し、2016年9月に45thシングル「LOVE TRIP/しあわせを分けなさい」で、オリコンが1968年より集計を開始して以来初めて4000万枚を突破した。また、アルバムも含めたCD総売り上げは2014年3月に35thシングル「前しか向かねえ」で女性グループ初、ソロを含めた女性アーティストでは5組目となる3000万枚を突破した。
2005年のチームAのデビュー公演では、入場者72人のうち一般の観客は7人だった(65人が関係者)が、約2か月後の2月4日には初の満員(定員250名)を記録している。同年4月にはチームKの初公演が行われ満員となるが、3日目には半減するなど、紆余曲折を経ることとなる。2009年1月には、劇場公演のオンデマンド配信を開始している。劇場公演で最も高い応募倍率は、2012年8月27日に行われた前田敦子卒業公演の916倍となっている。劇場外では、2006年11月に日本青年館で初のコンサートを開催。2007年3月 - 4月には東京・名古屋・福岡・大阪を巡る全国ツアーを開催。2008年9月には中華人民共和国・北京で行われた文化交流行事のなかで、チームBが日本国外初のライブを行っている。
2009年6月 - 7月には、シングル選抜メンバーを決める第1回選抜総選挙を実施、以降2019年を除き毎年開催している。2012年からは、地上波でのテレビ中継が行われている。翌2010年9月には、同じくシングル選抜メンバーを決める第1回選抜じゃんけん大会を実施、以降このイベントも2019年を除き毎年開催しているが、第5回からはAKB48のシングル選抜を決めるものではなくなっている。さらに2011年1月には、AKB48初のドキュンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』が公開となった。一方、同年3月の東日本大震災後に、チャリティー活動として「誰かのために」プロジェクトを開始している。
2008年のSKE48(名古屋・栄)を皮切りに、日本国内外に姉妹グループが結成されている(「#姉妹プロジェクト」参照)。
2011年6月にはチーム4が、チームB以来4年半ぶりの新チームとして発足した。2014年4月にはチーム8が発足した。他のチームと異なりトヨタ自動車のサポートを受け、メンバーは各都道府県別のオーディションにより、それぞれの代表という形式をとっている。
大規模コンサートについては、2011年7月に西武ドームでAKB48グループで開催して以降、2012年3月にはさいたまスーパーアリーナ、同年8月には東京ドーム、2013年6月には横浜日産スタジアム、2013年7月 - 8月には全国5大ドームツアーコンサートを開催している。また2014年3月には国立霞ヶ丘陸上競技場でAKB48単独コンサートを開催、同年6月には味の素スタジアムでAKB48グループコンサートを開催、同年8月には東京ドームで初のAKB48単独コンサートも行っている。
メンバー構成は、不定期で行われるオーディションで研究生として加入し、適時正規チームへの昇格人事が行われる一方で、不定期に卒業者も出るなど大人数グループであるため流動的である。チームの体制は、2010年に初めて「組閣」と呼ばれるAKB48内で大規模なチーム再編が行われて以降、2012年の2回目はAKB48と姉妹グループとの間で数名の兼任と海外移籍を含む再編、2014年の3回目は姉妹グループ全体での兼任・移籍と乃木坂46からの兼任を含む再編(「#編組略史」参照)、2015年の4回目は姉妹グループの兼任解除を含む変更およびNGT48新設に伴う移籍・兼任、2017年の5回目は姉妹グループからの兼任の解除およびチーム8メンバー全員の兼任が行われている。
AKB48は、「テレビやコンサート会場でしか会うことができない」という従来のアイドルの固定観念を根底から覆し、結成以来「会いにいけるアイドル」のコンセプトのもと、専用劇場(後述)での高頻度の公演・徹底したファンサービス(握手会・写真会等)でアイドルとファンとの距離を縮め、アイドルをより身近な存在にする取り組みを継続して行っている。
専用劇場で行われるコンサートは全て「公演」と銘打っており(「ライブ」「コンサート」と呼称されることはない)、2014年現在でもグループ活動の中心となっている。公演は全てオリジナル曲で行われ、オリジナル曲の数は2013年11月22日時点で、AKB48単独で401曲、AKB48グループ全体では914曲となる。一部の楽曲を除き、総合プロデューサーの秋元康が作詞を行っている。秋元康は1回の公演につき1,000曲以上のデモテープを集め、何日もかけてそれを聴きながら使用する曲を選んでいる。
グループ名「AKB48」のAKBは、ホームグラウンドが位置する秋葉原(あきはばら、AKIHABARA)、または秋葉原の俗称の秋葉(あきば、AKIBA)に由来する。当初募集告知をした際には、「秋葉原48プロジェクト」と銘打っており、NTTドコモとのメンバー募集タイアップCMなどを始め、インディーズデビュー当時の各種メディアでは「Akihabara48」とされていたこともあるが、「AKB48」とだけ表記された簡素なロゴマークに自らがアイデンティティを拘束される形となり、後にグループ名も「AKB(エーケービー)48(フォーティーエイト)」に統一された。グループのメンバーやマスメディアが、「AKB48」を省略してAKBと呼称・表記することもある。なお、「AKB48」は株式会社AKSの登録商標である。
48の由来は、秋元康いわく「『おニャン子』とか、何か単語が入ると、古くなるので、商品開発番号みたいな無機質なものにしたい」。その名の通り正規メンバーが48人程度(メンバーの加入・脱退などの都合により多少の変動はある)で活動していた時期が長くあった。初期の構想では1軍24人+2軍24人の計48人というものだった。戸賀崎智信は、結成当初の所属事務所であるoffice48の社長(芝幸太郎)の好きな数字が48(シバ、本人の名字である「芝」に由来する)であったため、50人程度のグループをつくるなら48人にしてくださいと言われたと述べている。
「AKB48」という名称は、プロジェクトの拡大に伴い姉妹グループなどを含める場合もある。「AKB48」は、主に以下の3つの意味で用いられる。
2および3の括りは、「AKB48グループ」、「AKBグループ」、または「48グループ」と呼ばれている。
1の意味でのオリジナルグループ「AKB48」のシングルや派生ユニットに姉妹グループのメンバーが参加して活動している。
AKB48には日本国内に5つ、日本国外に8つの姉妹グループがあり、AKB48グループの各グループ間には「兼任・移籍制度」がある。兼任とは、所属元グループに在籍して活動しながら、兼任先グループのメンバーとしても活動することである。したがって、会社の人事異動でいう出向とは異なる形態といえる。一方で移籍とは、所属元グループの籍を離れ、移籍先グループに所属して活動することであり、会社の人事異動でいう関連会社への転籍に近い形態である。AKB48グループ内での異動となる。特殊な形態ではあるが、2014年には、AKB48グループと乃木坂46相互間の「交換留学」と称した兼任も松井玲奈(当時SKE48)と生駒里奈(当時乃木坂46)の2人を対象に行われた。2015年に兼任が解除されている。また組閣等により、兼任の解除や兼任先の変更のほか、兼任先グループにそのまま移籍となったメンバーもいる。
メンバーには、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」という認識を持つ者が多い。そのすべてが歌手を目指しているわけではなく、女優・ファッションモデルなど志望する職業は様々である。一方で歌手や女優などへのステップではなく、佐藤亜美菜(4期生・元メンバー)以降には「AKB48での活動」自体を明確に目標としている者も現れる。AKB48としては、公式ブログの前タイトルが示していたように、東京ドームでのコンサート実現を目標に置いていたが、この目標は、2012年8月24日から8月26日に開催された『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』で達成された。発足当初は、メジャーデビューを目標にしていた。目標達成により公式ブログも『〜1830mから〜』にタイトルが変更された。
結成当初はメンバー全員が「office48」に所属していたが、マネジメントや露出展開の強化を図るために、また卒業後も継続して芸能活動ができるように、2007年に大島麻衣・板野友美・河西智美が「ホリプロ」に移籍したのをきっかけに一部メンバーが他の芸能事務所へ移籍することが発表された。
また、一部のメンバーを除いて、「office48」から「AKS」に所属変更がなされた。これ以降は、新たに研究生として加入したメンバーも、最初は「AKS」に所属するようになり、他の事務所からのオファーがあったメンバーが移籍するようになった。なお、「office48」に残ったメンバーは移籍組として扱われている。グループ自体が「AKS」に所属しているため、移籍組メンバーもAKB48としての公演や活動を行う場合は「AKS」の管轄となる。
2010年3月25日のコンサート『AKB48 満席祭り希望 賛否両論』において、AKS所属で残っていた7期生までの全てのメンバーの芸能事務所への移籍打診がアナウンスされた。
2012年3月24日のコンサート『業務連絡。頼むぞ、片山部長! in さいたまスーパーアリーナ』最終日には、初日公演の時点ですでに正規メンバーとして活動していた9・10期生のメンバーの芸能事務所への移籍打診がアナウンスされた。
以降しばらくは、現役メンバーのAKSからの移籍は行われなかったが、2017年に小嶋真子がサンミュージックプロダクションへ移籍し、加藤玲奈・向井地美音がプロダクション尾木の子会社で提携する「Mama&Son」へ移籍した。
2020年1月20日、AKSは社名を「Vernalossom(ヴァーナロッサム)」に変更するとともにAKB48のマネジメント業務を行わず、運営会社として4月予定で設立する「株式会社AKB(仮)」に移行・独立させることを発表した。同年4月1日、AKSは同日付で「株式会社Vernalossom」(ヴァーナロッサム)に社名を変更するとともに、新会社「株式会社DH」(ディーエイチ)にAKB48の事業を譲渡することを発表した。これに伴い著作権表示は「©AKS」から「©AKB48」に変更されている。また同年には、チーム8の大西桃香・清水麻璃亜・小田えりな・岡部麟のほか、篠崎彩奈、谷口めぐが他の芸能事務所へ移籍した。
AKB48の活動の始まりの地であるドン・キホーテ秋葉原店の8階にある専用劇場。この「AKB48劇場」をホームグラウンドとして活動している。また、同店5階にはDVDやグッズを販売する「AKB48 SHOP」が併設されていたが、2015年12月に閉店している。
なお、2009年6月から10月までシアターGロッソ(東京ドームシティアトラクションズ)をセカンドフランチャイズとして、不定期で公演を行っていた。2009年11月以降も公演を行う計画はあり、AKB48公式サイトにもシアターGロッソが案内されていたが、2011年10月のサイトリニューアルに伴い記述は消滅した。
AKB48は専用劇場を設置して公演を行う方法でアイドルとファンの距離を縮めることに成功しているが、同時にファン同士の結びつけを強めることにもなった。特に劇場前のロビーは見知らぬファン同士が知り合うきっかけとなる空間として機能している。オンライン上でも、ソーシャル・ネットワーキング・サービスが台頭したことからそれらを利用して交流を深める動きが見られる。
運営側は、ファンの意見を積極的に取り入れている。劇場が混雑していなかった頃はプロデューサーの秋元康が直接劇場でファンから意見を聞いていたこともあり、ヒットしてからもスタッフから間接的に伝えてもらっている。特に初期段階は運営スタッフ側に芸能関係の経験が少なかったため、チケットの販売・抽選や整列の具体的な方法などについてファンからアドバイスを受けていた。岩崎夏海がアシスタントプロデューサーをしていた頃は、彼がネットに強かったことから電子掲示板2ちゃんねるやブログに書き込まれた公演についてのファンの反応をまとめて秋元康に伝えていた。
また、公式ファンクラブ「柱の会」の運営を2006年8月22日より開始した。しかし、1人複数口の会員登録が可能な会員登録制度や、これが起因となった公演チケットのインターネットオークションでの転売などが問題となり、2011年9月30日をもって廃止した。同年12月8日よりこれに代わる新たな公式ファンクラブ「二本柱の会」が発足することとなった。
AKB48ではCD購入者を対象にした握手会を実施しており、ファンがメンバーと直接握手や会話ができる機会として「会いにいけるアイドル」のコンセプトを果たす役割を担っている。2005年12月16日、機材故障により中止された劇場公演の代替として行われた握手イベントがきっかけとなり、その後はCDのリリースに合わせて定期的に実施されるようになった。
AKB48の握手会には、「全国握手会」と「大握手会」の2種類がある。「全国握手会」は、シングルCDのリリースに合わせて日本全国のエリア(北海道・東北・関東・中部・関西・中国・九州)単位で開催されている握手会である。どのエリアでも事前予約なしに自由に参加でき、参加するにはシングルCD(初回限定盤)に封入されている「イベント参加券」が必要である。全メンバーではなく一部のメンバー(20人程度)が参加し、1レーン1メンバーではなく複数のメンバーがいるレーンもある。開催日ごとに使用できる「イベント参加券」のシングルタイトルが指定される。当日はライブやイベントも行われる。
「大握手会」は、「基本的に関東地方」(一部、大阪市など)で実施されている握手会で、CDのリリースごとに開催されている。姉妹グループの劇場盤CDの握手会と同様に「個別握手会」とも呼ばれる。参加するには、劇場盤CDに添付されている参加券が必要であり、リリース前に所定のウェブサイトから「日程」「メンバー」「時間帯」を指定して申し込み、劇場盤CDを抽選により予約購入する。原則としてAKB48メンバーだけではなく国内のAKB48グループメンバー全員が参加して、各メンバーが1人で1レーンずつを担当する。メンバーによって割り当てられる時間の長さ(90分単位の部数)が異なる。メンバーは私服での参加が原則となっている。なお「大握手会」では、握手会だけではなく「写真会」と呼ばれる携帯電話の写真撮影機能を使ったメンバーとのツーショット写真撮影や「サイン会」が行われることもある。
またCDには「購入特典」として、「握手券」や「イベント参加券」だけではなく「選抜総選挙」や「リクエストアワーセットリストベスト100」などのファン参加型イベントの投票券が添付される場合がある。また、多くの作品に「生写真」と呼ばれるランダム絵柄のメンバーの写真が添付されている。一方で、同一タイトルのCDでType-A、Type-Bなど複数のバリエーションを設けたり、購入特典を添付したりする手法はAKB48特有のものではないが、姉妹グループを含めて日本の音楽セールス市場で影響力を持つことから俗に「AKB商法」とも呼ばれ、批判もなされている(後節の「#商品のバリエーション展開に対する批評」参照)。
メンバーが着用する衣装のデザインは、結成当初のTシャツとデニムから始まり、初期はシンプルなチェック柄の女子高生の制服をモチーフとした形が多かった。2009年の『第1回AKB48選抜総選挙』の頃から、世間にもメンバーのキャラクターが浸透し始めて衣装も変化していく。「言い訳Maybe」の衣装がAKB48のイメージを形成するものとなったこともあり(後述)、次のシングル「RIVER」においてメンバーの個性が世間に伝わるようにメンバー別に衣装をデザインするようになり、今日に続く制作工程が形成された。
衣装は、株式会社オサレカンパニー所属の茅野しのぶ(AKB48グループ衣装総責任者およびクリエイティブ・ディレクター)を中心とする専門の衣装スタッフが一手に担当している。衣装デザインには各楽曲が持つコンセプトに基づいた統一性があるが、一着一着が各メンバーのキャラクター・イメージや体形に合わせて調整を加えているため、その総数は5万着を超える。シングル曲のミュージック・ビデオ (MV) 衣装においては、完成した新曲の音源が秋元康のオーダーとともに茅野の元に届けられ、秋元の意向をつかめるまでデザイン画を描き、提出するという工程となっている。秋元康が副学長を務めた京都造形芸術大学の秋元ゼミ学生のデザインが、「桜の花びらたち」や「スカート、ひらり」などの衣装に採用されたこともある。2017年3月25日には、シングル・劇場公演衣装のほか、コンサートや歌番組で着用した特別衣装など1,102着の衣装を掲載した『AKB48 衣装図鑑 放課後のクローゼット〜あの頃、彼女がいたら〜』が宝島社より発売された。
「言い訳Maybe」の衣装に使用された赤チェック柄は、AKB48のイメージを定着させた衣装であり、前田敦子のものまねで知られるお笑いタレントのキンタロー。が主に着用する衣装のモチーフとなっている。
AKB48グループの衣装を手がけてきたオサレカンパニーは、明石スクールユニフォームカンパニーのコラボレーションによる学校制服ブランド『O.C.S.D.(オーシーエスディー)』を2016年に立ち上げた。イメージモデルにはAKB48グループの若手メンバーが起用されており、2017年度に中学校・高等学校5校で採用されて以降、採用校を増やしている。
AKB48の楽曲の歌詞は大きく分けると「BINGO!」「スカート、ひらり」などの「(女性視点からの)擬似恋愛的な歌詞」、「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」などの「(男性視点からの)恋愛/青春賛歌的な歌詞」、「RIVER」「チャンスの順番」などの「自己言及的な歌詞」という3つのタイプが存在する。時期に注目すると初期段階では従来の女性アイドルの楽曲の歌詞では定番ともいえる「(女性視点からの)擬似恋愛的な歌詞」が存在していたが、ヒットのきっかけとなったシングル「大声ダイヤモンド」がリリースされた頃を境にそれらはあまり多くはみられなくなり、「(男性視点からの)恋愛/青春賛歌的な歌詞」「自己言及的な歌詞」の2つが主流になっていった。
岡島紳士・岡田康宏による書籍『グループアイドル進化論』での記述によれば、女性目線の歌詞から男性目線の歌詞への変遷には、ファン層自体の変化が関連しているという。すなわち、従来の日本の女性アイドル文化におけるアイドルファンといえば「ファッションなどに興味の無い男性のアキバ系アイドルオタク」といった印象になりがちであるが、AKB48では握手会や劇場公演などアイドルとファンが直接的に接触する機会が多いこともあって「アイドルからみられる」ことをファンも意識するようになり、見た目にも気をつかう若い男性ファンや女性ファンの割合も増えている。それに呼応するように、擬似恋愛的な歌詞はあまり必要とされなくなり、青春観を疑似体験したり掛け声を通じてステージ上のアイドルと感情を共有できるような楽曲が増えているのだという。
宇野常寛は、「私」を一人称とした女性目線の歌詞から「僕」を一人称とした男性目線の歌詞への変遷について、アイドルがファンに対して「ここではない、どこか」への憧れを一方的に提示するという超越的アイドルではなく、ファンとアイドルが協力して「いま、ここ」を肯定して実り豊かなものに彩っていくことを志向する内在的アイドルというコンセプトがはっきりと歌詞が反映されはじめたということであると説明している。さらに、男性目線の歌詞の曲と同様に後期になって増え始めた「自己言及的な歌詞」の曲については、AKB48自体が一種の社会現象といえるほどヒットしていったのに伴ってAKB48自身を歌うことがそのまま社会を歌うことにつながり、そしてそのことに対して作詞者である秋元康が自覚的であるがゆえだろうと述べている。
斎藤環は、秋元康によるAKB48の楽曲の歌詞を「絶望荒野と化したJ-POP業界においてひときわ輝いている」と評価し、「ヤンキー性」の要素が歌詞に織り込まれていることに注目している。それによると、AKB48のメンバー自体に注目してもオタク受けする渡辺麻友とヤンキー受けする板野友美の両者が存在するというようにバランスがとられているが、秋元自身がオタク性とヤンキー性の両方を持った特異なタイプの人間であり、「マジスカロックンロール」「Beginner」など歌詞にはヤンキー特有の刹那主義・反知性主義的な価値観が掲げながらも、同時に自覚的にそういった振る舞いをしているという意識がみられるというバランスが絶妙なのであるという。このような意識は、前述の「サヴァィヴ系/バトルロワイヤル系」の傾向ともつながるものである。
脚本家・作詞家の佐藤大は、同じく秋元康が手がけたおニャン子クラブの楽曲では言葉遊びや内輪受けを狙った歌詞が多かったのに対し、AKB48の楽曲の歌詞は主観的・直球であると対比し、「自分がどうあるべきか」ということを鼓舞するシステムが内包された歌詞がAKB48のメンバー個人への教育になっていると評している。
AKB48の登場より前に、同じく秋元康が1人のスタッフとしてプロデュースに参加しデビューした日本の女性グループアイドルとして、1980年代に活動したおニャン子クラブがある。おニャン子クラブの特徴である、「素人の少女をオーディションで選び、50名前後の大人数グループにする」「(うしろゆびさされ組・うしろ髪ひかれ隊など)数名のメンバーを選んで派生ユニットとして売り出す」「メンバーと同世代ぐらいの若いファンを主なターゲットする」といった点はAKB48にも受け継がれている。他方、おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』をはじめとするテレビ番組を活動の中心としたのに対してAKB48は専用劇場を持ち劇場公演を主な活動として立ち上げられたプロジェクトであるという点は異なり、おニャン子クラブは番組の視聴率の低下に伴ってデビューから2年ほどで解散したが、AKB48は2005年の結成から15年目に入った2020年現在も活動を継続している。また、おニャン子クラブはメンバーがオーディションを通過してデビューしていくさまをテレビで放送することによって「舞台裏」の様子を視聴者に公開してリアリティをアピールするという手法をとりながらも審査や放送内容を運営サイドがある程度コントロールすることが可能だったのに対して、AKB48では2009年後半頃までそれほど積極的にはテレビ番組に出演しておらず、「会いに行けるアイドル」というコンセプトの通りテレビ番組という中間項をも排除してファンとアイドルの間の距離を極限まで縮めたといえる。
おニャン子クラブの解散後、決定的な人気を得る女性アイドルがなかなか登場しないアイドル冬の時代や1997年(メジャーデビューは翌1998年)から現在まで活動を継続しているモーニング娘。などのヒットを経て、地下アイドル文化を背景にその手法を導入する形で2005年にAKB48が結成される。AKB48の初期のファンにはモーニング娘。(あるいはそれを含むハロー!プロジェクト)のファンが流入したとみられるという意味で、AKB48が人気を得られた理由としてモーニング娘。が10年以上も解散せずに活動を持続していることがあるという見方もある。
2009年頃にAKB48が爆発的にヒットしたのに少し遅れて、日本ではKARAや少女時代をはじめとする韓国のK-POPガールズユニットが人気を得ている。AKB48が「成長する過程をファンに見せる」ことをコンセプトの1つとしているのに対し、K-POPの女性アイドルユニットの多くはデビューまでの間に数年単位の練習期間を設定しており、初舞