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B'zとは?

B'z

稲葉浩志(左)と松本孝弘(右)

【基本情報】

【ジャンル】
ハードロック
ポップ・ロック
ロック
ブルースロック
スタジアム・ロック
J-POP
【活動期間】
1988年 -
【レーベル】
BMGビクター air records
(1988年 - 1990年)
BMGビクター ZEZ
(1990年 - 1992年)
BMGルームス ZEZ
(1992年 - 1994年)
BMGルームス VERMILLION
(1995年)
Rooms RECORDS VERMILLION
(1995年 - 2001年)
VERMILLION RECORDS
(2002年 - )
【事務所】
VERMILLION
【公式サイト】
B'z Official Website
【】

【メンバー】
松本孝弘(ギター)
稲葉浩志(ボーカル)
ロゴ(2004年 - 現在)

B'z(ビーズ)は、ギタリスト松本孝弘ボーカリスト稲葉浩志からなる日本ロックユニット。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 ユニット名
      • 1.1.1 ユニット名の由来
      • 1.1.2 読み方
  • 2 メンバー
    • 2.1 2人組になった経緯
  • 3 音楽性
    • 3.1 音楽ジャンル
    • 3.2 楽曲制作
    • 3.3 B+U+M
  • 4 来歴
    • 4.1 1988年(出会いからデビューまで)
    • 4.2 1988年(デビュー後) - 1993年
    • 4.3 1994年 - 1998年
    • 4.4 1999年 - 2003年
    • 4.5 2004年 - 2008年
    • 4.6 2009年 - 2013年
    • 4.7 2014年 - 2018年
  • 5 評価
    • 5.1 パクリ問題
  • 6 賞・記録
    • 6.1 受賞歴
    • 6.2 オリコン記録
    • 6.3 その他
  • 7 ディスコグラフィ
  • 8 ライブ
    • 8.1 サポートメンバー
    • 8.2 Z'b
  • 9 出演
  • 10 タイアップ一覧
  • 11 脚注
  • 12 参考文献
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

概要

1988年にシングル「だからその手を離して」とアルバム『B'z』の同時発売でデビュー。1990年発売の5thシングル「太陽のKomachi Angel」で初のオリコンチャート1位を獲得し、同年発売の4thアルバム『RISKY』、1991年発売の8thシングル「LADY NAVIGATION」が初のミリオンセラーになるなど作品が次々とヒットしており、これまでにシングル15作品、アルバム19作品がミリオンセラーとなっている。中でも、1998年発売のベスト・アルバムB'z The Best "Pleasure"』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『B'z The Best "Treasure"』との2作品合計で約1,000万枚の売上枚数を記録している。2007年にはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク」(The Hollywood's Rock Walk)に殿堂入りした。

1989年から「LIVE-GYM」と冠するライブは(公演内容や規模によって「LIVE-GYM Pleasure」や「SHOWCASE」となる)、これまでに日本国内のライブハウスからスタジアム、日本国外までの様々な会場で開催しているほか、各種音楽イベントにも出演している。

ユニット名

ユニット名の由来

「B'z」の名称についてメンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としているが、「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業ロゴのように意匠化しやすいものを求めていた。これまでにB'zの2人が説明している名前の由来は一貫しておらず曖昧なものが多く、2012年のインタビューで松本は「昔は適当に答えていた」と述べている。これまでに「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」、「『Z』を使用したいことに男性的なニュアンスのある『B』を合わせた結果が『B'z』」、1995年に使用していたB'zのロゴに因んで「蜂の群れ(Beeの複数形)で『B'z』」、「英語アルファベット最初の文字と最後の文字『A to Z』を用いて『AからZのすべてをカバーする』という意味を込めた『A'z』(アズ)を候補に挙げたが、『A'z≒エイズ(AIDS)』と読まれる可能性があり、別の案を検討した結果「Aの次はBだろう」という理由で「B'z」となった」。
また、「『B』から始まる名前は力強いバンドが多く、『B'zだと憶えやすそう』という意見もあり決まった」、「『A'z』の案『ギターのエース』と『ボーカルのエース』のジョイントに由来しているが、発音しにくかったため、『B'z』とした」などと述べているほか、2012年のインタビューで松本は「昔は『ビートルズ(The Beatles)の"B"と、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の"Z"』って答えたこともある」と発言している。

ビーイング創業者である長戸大幸によると、バンドを作る度に商標を取らなくてはならないことが大変であり、当時は「JT」(日本たばこ産業)や「JR」(旧日本国有鉄道の民営化に伴うグループの総称・略称)などのネーミングが世の中に出てきた頃であったため、当初はユニット名を「A'z」(アズ)にしようとした。ところが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたので、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになったので、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べている。

読み方

「B'z」の発音については、世間的に抑揚をつけない平板な読み方の「ビーズ」(例えば「リール」「レール」に近いもの)が一般的になっているが、本人たちや関係者は「ビィズ」と「ビ」にアクセントを置いて読んでいる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)。平板な発音の方が一般に定着した理由について、NHK放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」と前置きした上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのではないか」との見解を述べている。

メンバー

オフィシャルウェブサイト「BIOGRAPHY」を参照。

名前 パート 生年月日 出身地
松本孝弘(まつもと たかひろ)
TAK MATSUMOTO | ギター作曲プロデュース | 3月27日 | 大阪府豊中市
稲葉浩志(いなば こうし)
KOSHI INABA | ボーカル作詞 | 9月23日 | 岡山県津山市

2人組になった経緯

当初、松本は少人数のバンドを結成する計画でメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えない状況が続いていた。そのような中で稲葉と出会って2人組の音楽ユニット「B'z」を結成したが、松本は「ボーカルとギターという極めてアナログ的な楽器の可能性を広げていくため、コンピューターや色々な新しい機材と対比しながら共存していけたら」と述べており、「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている。

当時の日本国内の音楽シーンはいわゆる「バンドブーム」の真っ只中であり、B'zのデビューは異色でもあった。このことについて、松本は「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と述べている。一方、ライブについて松本は「コンピューターだけではライブの良さを出せるとはおもってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と述べている。

音楽性

音楽ジャンル

当初は打ち込みにハードなギターを合わせた音楽スタイルであり、TM NETWORKに近いサウンドであった。当時について松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」、「TMから始まったものが今の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」、「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と述べ、プロデューサーの長戸大幸からして、「TMのメンバーに似た容姿のバンドマン同士を組ませて、新しいグループを作る」というコンセプトありきの企画ユニットだった。

また、松本と稲葉は好きなギタリストやシンガー、これからやりたいことが似ていたこともあり、ノリのある8ビートにロックな部分を残し、打ち込みで人間的なノリを出すことにこだわった。その後、レコーディングやツアーを重ねるごとにロック色が強い作品を発表するようになり、サポートメンバーを含めたバンド感を出すようになる。
そして、ハードロックをベースとしながらもアコースティック調、ジャズ調、ファンク調、レゲエ調、ブルース調、ラテン調、マーチ調、GS調、歌謡曲調など様々な音楽ジャンルを作品に取り入れている。

日本国内のいわゆる「J-POP」の中でハードロックをベースにチャート上位を狙いながら活動しているのはB'zくらいしかいないと言われている。

楽曲制作

B'zの曲は作詞稲葉浩志作曲松本孝弘が担当している。B'z結成当初から曲については「自分たちでなんとかしよう」ということがあり、自然な流れでギターの松本が作曲でボーカルの稲葉が作詞になった。ところが、2人ともB'zが始まってから本格的な作詞・作曲の創作活動を行ったため、1stアルバム『B'z』では「Nothing to Change」の作詞を亜蘭知子、「孤独にDance in vain」の作曲を大槻啓之が担当しており、松本は「当時はあれが限界だった」と述べている。また、稲葉は日本語で歌詞を書くことや日本語で歌うことに抵抗があったため、はじめは作詞に苦慮する日々が続いた。

基本的には松本が作るメロディやギターのリフなど断片的なものから始まり、後から歌詞を書くいわゆる「曲先」で制作しているが、すでにストックしてある詞やメロディを当てはめて制作していく場合もある。松本は浮かんだアイデアをボイスレコーダーや携帯電話に録音し、近くにギターがなければ歌だけで録音することがある。稲葉も思いついたものをメモに取ったり携帯電話に録音している。また、稲葉はB'zの曲の作詞に関して松本が奏でるメロディや音色から言葉を喚起することが多々あるとも述べている。編曲に関して当初は明石昌夫が単独で行い、1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』の頃から松本と明石でベーシックなものを制作してから稲葉が詞を書いていくという手法で行っていたが、6thアルバム『RUN』では制作途中までツアーメンバーでレコーディングしている。7thアルバム『The 7th Blues』レコーディングの頃から稲葉がスタジオ作業に具体的な興味が湧いてきたと述べており、8thアルバム『LOOSE』レコーディングからは稲葉が制作当初から参加するようになり、16thシングル「ねがい」で稲葉が初めて編曲にクレジットされた。また、B'zの2人をはじめサポートメンバー、ディレクターなどがアレンジに意見し、出たアイデアを音にして具現化するようにしているほか、デモテープを複数のアレンジャーに渡して良いアレンジを採用するような場合もある。

レコーディングは松本のギター・ソロや稲葉のボーカル録りを個別に行っており、松本は歌詞に関しても稲葉の歌入れ後に初めて聞くことが多い。松本のギター・ソロのレコーディングは、何通りか弾いた中からフレーズが決まってくると、いくつかのフレーズをミックスして弾く場合が多いと述べている。レコーディング場所はロサンゼルス東京で行うことが多く、制作などのスタジオ作業はロサンゼルスや東京のほかにニューヨークハワイ沖縄福岡大阪などで行ったことがある。また、かつてはアメリカの制作過程や作業を学ぶためロサンゼルスに渡り、アンディ・ジョーンズ(Andy Johns)をプロデューサーに迎えてレコーディングを行ったことがあり、20thシングル「Real Thing Shakes」として発売するなど、外部のプロデューサーを起用して曲づくりをする場合もある。

B+U+M

「B+U+M」はかつてのB'zの音楽制作集団であり、名称は「B'z Unreal Music」のイニシャルに由来している。ギター松本孝弘ボーカル稲葉浩志で構成しているB'zであるが、「自分たちだけでは実現できない音楽を実現する」という目的で「B+U+M」を結成しており、B'zの曲の制作やライブサポートなどの活動を行っていた。1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』収録の「B.U.M」には「We're B'z & Funky Crew」という「B+U+M」を示唆する歌詞があり、同年発売の4thシングル「BE THERE」で初めてクレジットしている。なお、1990年11月16日にはB'zのマネジメントオフィスとして「B.U.M」を設立しており、2001年には「B.U.M」を継承した「VERMILLION RECORDS」を設立している。その後、「B'zは2人である」というメリットを有効に活用するため、1994年発売の15thシングル「MOTEL」制作を最後に「B+U+M」を解体した。

B+U+Mメンバー
名前 パート 備考
松本孝弘 | ギター | 
稲葉浩志 | ボーカル | 
明石昌夫 | マニピュレートベース | ベース演奏は1992年発売の11thシングル「ZERO」から
野村昌之 | レコーディング・エンジニア | 
寺島良一 | ボイスディレクション | 
田中一光 | ドラムス | 1992年発売の11thシングル「ZERO」から1993年発売の12thシングル「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」まで
畠山勝紀 | ギターテクニシャン | 1992年発売の11thシングル「ZERO」から

来歴

1988年(出会いからデビューまで)

音楽制作会社のビーイングに所属して浜田麻里TM NETWORKなどのバックバンドスタジオ・ミュージシャンなどとして活動していたギタリスト松本孝弘は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、バンド結成に向けた活動を開始していた。音楽雑誌においてあるボーカリストとバンドを組むことを公表した時もあったが、結局デビューには至らなかった。

1988年5月、松本はビーイング社長であり音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡された。そのデモテープには「Being音楽振興会」(後のBeing Music School)に所属していた稲葉浩志が、T-ボーン・ウォーカー(T-BONE WALKER)の「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリン(LED ZEPPELIN)の「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエル(BILLY JOEL)の「オネスティ」(Honesty)を歌ったものが録音されていた。この頃の長戸は、「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい。」との思いを抱いていた。歌声を聞いた松本は稲葉をボーカルに採用することを決め、長戸を介して2人は初めて会うことになった。松本は当時について、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」、「後は『いい人』であってくれと願っていた」と振り返っている。
翌々日に当時六本木にあった録音スタジオ「SOUND JOKER」にてビートルズ(THE BEATLES)の「レット・イット・ビー」(Let It Be)、「オー!ダーリン」(Oh! Darling)をセッションした。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、松本曰く「ものの10分くらいですぐ決まった」と述べている。そして、ユニット名を「B'z」として1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」とアルバム『B'z』の同時発売でデビューした。アルバムのキャッチコピーは「最先端から加速する」。初めての出会いからデビューに至るまでが約4ヶ月と短期間であり、信頼関係や友情がないままデビューに向けての活動が始まっていたため、稲葉によると「これまで松本さんから『一緒にバンドやろう』と言われたことはない」と述べている。

松本によると、当時のレコード会社は「アルバム発売3枚までにブレイクさせよう」という方針であり、B'zを始めた時から「売れなければ意味がない」という意識が高く、「どうしたら売れるか?」ということを考えていたという。稲葉には「(当時一番売れていた音楽雑誌)『ギターブック/Gb』の表紙を目指す」、「(週刊ランキング誌)『オリコン』の(1位から50位までが掲載されている)左ページに載る」といったB'zの「3ヵ年計画」を語ったという。なお、初期のプロデューサーは中島正雄であり、松本のトータル・プロデュースとなった後は「スーパーバイザー」としてクレジットしていた。

1988年(デビュー後) - 1993年

デビュー1年目は音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいこうという戦略であり、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出すまで絶対ツアーをやらない」「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった。その代わりにヤマハのモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後には同行していた稲葉とともにB'zを披露するキャンペーンで全国各地を回った。この頃、松本はまだTM NETWORKのツアーに参加するスケジュールが残っており、コンサートの前後にセミナーを開催する時もあった。

B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKやFENCE OF DEFENSEとの音楽イベントにオープニングアクトとして出演した時であり、松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている。2ndアルバム『OFF THE LOCK』発売後、初の単独ライブ『B'z LIVE-GYM #00 "OFF THE LOCK"』を東名阪の3ヵ所で開催した。3rdアルバム発売前に実験的な試みで発表した1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』がロングセラーを続ける中、1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』がオリコンチャート初登場3位となりトップ10入りを果たした。

これまではアルバムとシングルを同時発売していたが、4thシングル「BE THERE」を単独発売しシングルでもオリコンチャートトップ10入りを果たした。なお、このシングルから収録曲の表記を「1st beat」、「2nd beat」としているほか、音楽制作集団「B+U+M」をクレジットしている。続く5thシングル「太陽のKomachi Angel」で初のオリコンチャート1位を獲得すると、4thアルバム『RISKY』は初のアルバムチャート1位とミリオンセラーを達成した。この年はシングル5枚、オリジナル・アルバム2枚、ミニ・アルバム1枚、ビデオ1作品を発表しており、毎月のように各音楽雑誌が紙面に取り上げ、表紙を飾ることもできた。1991年発売の8thシングル「LADY NAVIGATION」ではシングル初のミリオンセラーを達成した(なお、「LADY NAVIGATION」から1996年発売の20thシングル「Real Thing Shakes」まで13作品連続ミリオンセラーになっている)。また、1991年はそれまでに発表した曲の中から人気曲などを演奏する『B'z LIVE-GYM "Pleasure '91"』を開催した年であり、以後シリーズ化していく。5thアルバム『IN THE LIFE』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』を開催した。

1992年の『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"』ではアリーナクラスの会場に「STAR FISH」と名づけられた可動式の照明トラスを持ち込み、360度全方向に客席を設けた。この年は10thシングル「BLOWIN'」と11thシングル「ZERO」、6thアルバム『RUN』と4thミニ・アルバム『FRIENDS』を発売している。1993年は『B'z LIVE-GYM '93 "RUN"』を開催し、ツアー中に12thシングル「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」と13thシングル「裸足の女神」を発売した。夏にはB'z初の野外ライブ『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』を渚園(静岡県弁天島海浜公園)で2日間開催した。

1994年 - 1998年

1994年、14thシングル「Don't Leave Me」発売日から『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』を開催し、1年を通して87本のライブを行った。また、初の2枚組になった7thアルバム『The 7th Blues』発売日には、全国31紙の新聞に音楽業界初となる全30段フルカラー2ページの広告展開を実施した。15thシングル「MOTEL」発売を最後に制作チーム「B+U+M」を解体した。

1995年、16thシングル「ねがい」を発売し、17thシングル「love me, I love you」発売日から『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 "BUZZ!!"』がスタートし、スタジアムクラスの会場を中心に開催した。ツアーで未発表曲として披露した「LOVE PHANTOM」を18thシングルとして発売した。「B'zは2人である」という原点に立ち返って制作した8thアルバム『LOOSE』は売上枚数が300万枚に達した。1996年は19thシングル「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE」発売後、『B'z LIVE-GYM '96 "Spirit LOOSE"』を開催。ツアーで披露していた全編英語詞の「Real Thing Shakes」を20thシングルとして発売した。

1997年、21stシングル「FIREBALL」発売後に『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』を開催し、ナゴヤドームのこけら落し公演を含むドームツアーとなった。ツアーで未発表曲として披露した「Calling」は大幅なアレンジを経て22ndシングルとして発売した。9thアルバム『SURVIVE』発売後、1998年から『B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE"』を開催した。デビュー10周年となったこの年に発売した初の公式ベスト・アルバムB'z The Best "Pleasure"』は、当時の初週売上枚数を更新する270万枚を記録すると、さらに売上枚数を増やして日本国内の音楽史上初となる売上枚数500万枚を突破した。また、『Pleasure』に封入していたはがきによるリクエストで収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "Treasure"』も400万枚を超える売上枚数となって2作品合計の売上枚数が約1,000万枚を記録した。

1999年 - 2003年

1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『日本ゴールドディスク大賞』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞、『ワールド・ミュージック・アワード』(The World Music Awards)の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞した。ソロ活動を経て26thシングル「ギリギリchop」を発売、10thアルバム『Brotherhood』収録の「ギリギリchop(Version 51)」にはMr. Bigからビリー・シーン(Billy Sheehan)とパット・トーピー(Pat Torpey)が参加している。また、以前から面識のあったスティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)のレコーディングに参加し、『ウルトラ・ゾーン』(The Ultra Zone)収録の「エイジアン・スカイ」(ASIAN SKY)を制作している。『B'z LIVE-GYM '99 "Brotherhood"』の横浜公演はコンサート初開催となる横浜国際総合競技場を使用した。

2000年、27thシングル「今夜月の見える丘に」、マスト・アルバムとして『B'z The "Mixture"』を発売。ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』に出演した際は、インターネット中継の同時アクセス数が14,600ストリームに達し、当時の日本記録を更新した。29thシングル「juice」のミュージック・ビデオ札幌での「ゲリラライブ」形式で撮影した。『B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 "juice"』では、8月9日の千葉マリンスタジアムでのライブが激しい雨と落雷によって急遽内容を短縮して終了する事態となった。同年には11thアルバム『ELEVEN』発売した。

2001年は31stシングル「ultra soul」発売後に『B'z LIVE-GYM 2001 "ELEVEN"』を開催し、コンサート初開催となる札幌ドームでは32ndシングル「GOLD」のミュージック・ビデオを撮影した。また、この年はB'z初の海外公演を台北香港で開催した。

2002年、『2002 FIFAワールドカップ』開催に伴い発売されたコンピレーション・アルバム2002 FIFA ワールドカップ公式アルバム』(2002 FIFA World Cup Official Album)Songs of KOREA/JAPAN盤に「DEVIL」で参加し、東京スタジアムで開催した国際サッカー連盟(FIFA)初のオフィシャル・コンサート『2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day』に出演した。Wアンコールではエアロスミス(AEROSMITH)とともに「トレイン・ケプト・ア・ローリン」(Train Kept A Rollin')を披露した。また、12thアルバム『GREEN』を発売後に『B'z LIVE-GYM 2002 "GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜"』を開催したほか、初のアメリカ公演『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll"』をサンディエゴロサンゼルスで開催した。なお、この年のサポートメンバーはベースビリー・シーン(Billy Sheehan)が参加した。冬には初のバラード・ベスト・アルバム『The Ballads 〜Love & B'z〜』を発売した。

2003年、34thシングル「IT'S SHOWTIME!!」発売と同時に「BE THERE」から「裸足の女神」までのシングル10作品をマキシシングル化して再発売し、オリコン週間シングルチャートトップ10に9作品がランクインした。『B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!"』最終公演は10年ぶりとなる渚園(静岡県弁天島海浜公園)で開催し、デビュー15周年を迎えた。その後、前年に続き海外公演『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA"』をアメリカとカナダの西海岸5都市で開催し、日本国内では5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2003 "BIG MACHINE"』を開催した。

2004年 - 2008年

2004年はソロ活動がメインとなったが、36thシングル「BANZAI」、37thシングル「ARIGATO」を発売している。

2005年、38thシングル「愛のバクダン」と14thアルバム『THE CIRCLE』発売後に『B'z LIVE-GYM 2005 "CIRCLE OF ROCK"』を開催し、アリーナ公演からはB'z初となる円形ステージを採用した。39thシングル「OCEAN」のミュージック・ビデオは史上初となる海上保安庁巡視船(みずほ)を使用しての撮影となった。アップルコンピュータ(現在のアップル)による日本国内でのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)サービス開始に伴って楽曲の配信を開始し(一部の曲を除く)、配信限定のボックス・セットThe Complete B'z』をリリースした(現在は配信停止)。また、同年に発売したベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure II"』では、iTunesから初公開のライブ映像1曲がダウンロードできる購入特典があった。

2006年は15thアルバム『MONSTER』発売後に5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"』を開催した。また、ライブ映像配信事業の「Network LIVE」(当時)に初の日本人アーティストとして参加し、映像収録のためのライブを行った。

2007年はB'zとしては初のロック・フェスティバル出演となる『サマーソニック』に出演した。また、デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク」(The Hollywood's Rock Walk)に殿堂入りし、ハリウッドのギター・センターで記念セレモニーが行われた。16thアルバム『ACTION』を発売し、2008年に『B'z LIVE-GYM 2008 "ACTION"』を開催した。また、ベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』とインターネットからのリクエストによって収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Treasure"』を発売し、5年ぶりとなるPleasureシリーズ『B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』を開催した。

2009年 - 2013年

2009年、46thシングル「イチブトゼンブ/DIVE」を発売。ドラムスにはチャド・スミス(Chad Smith)が参加した。『B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-』開催後には『サマーソニック』に出演した。47thシングル「MY LONELY TOWN」のミュージック・ビデオやディスクジャケット(ジャケット写真)は端島(通称「軍艦島」)で撮影した。17thアルバム『MAGIC』発売し、翌年に『B'z LIVE-GYM 2010 "Ain't No Magic"』を開催した。ツアー後の表立った活動はソロがメインとなった。

2011年、「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、B'z初のCM出演となった。CMには「さよなら傷だらけの日々よ」を使用し、夏には18thアルバム『C'mon』からタイトル曲「C'mon」、冬には「いつかのメリークリスマス」を使用した。3月11日の「東日本大震災」発生に伴い、被災者支援のためにリンキン・パーク(Linkin Park)が設立した「Music For Relief」によるダウンロード販売のコンピレーション・アルバム『ダウンロード・トゥ・ドネート:ツナミ・リリーフ』(Download to Donate: Tsunami Relief)に参加し、「Home」を提供した。また、8年ぶりとなる海外公演『B'z LIVE-GYM 2011 -long tome no see-』をカナダとアメリカの3都市で開催した後、ロサンゼルスで行った「Music For Relief」による被災者支援のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』に出演した。『B'z LIVE-GYM 2011 -C'mon-』では最初の開催地となった宮城公演の収益全額を復興支援に寄付し、全公演でチャリティーグッズを販売した。

2012年も引き続き「ペプシネックス」のCMに出演し、CMには「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-」を使用したほか、夏には配信限定アルバム『B'z』から38thシングル「愛のバクダン」を英語詞で新たにレコーディングした「Love Bomb」を使用した。また、カプコンのゲームソフト『Dragon's Dogma』主題歌となった24thシングル「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/06/18 12:31

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