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Charとは?

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Char

【出生名】
竹中 尚人
【生誕】
(1955-06-16) 1955年6月16日(63歳)
【出身地】
日本東京都品川区戸越
【ジャンル】
ロック
【職業】
ギタリスト
シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
【担当楽器】
ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
パーカッション
【活動期間】
1971年 -
【レーベル】
ZICCA RECORDS
【共同作業者】
スモーキー・メディスン
ピンククラウド
PSYCHEDELIX
BAHO
P-SMOKE
ACRI
三人の侍
【公式サイト】
公式サイト(ZICCA.net) (日本語)
【著名使用楽器】

フェンダー・ムスタング
フェンダー・ストラトキャスター
ギブソン・レスポール
イーエスピー
ゼマティス
オベーション
フェンダー・プレシジョンベース
フェンダー・ジャズベース
ローズ・ピアノ
ホーナー・クラビネット

Char(チャー、1955年6月16日 - )は、日本ミュージシャンギタリストシンガーソングライター音楽プロデューサーである。本名は、竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。


目次

  • 1 来歴
    • 1.1 アマチュア時代
    • 1.2 プロデビュー後
    • 1.3 一度目のレーベル立ち上げ
    • 1.4 二度目のレーベル立ち上げ
  • 2 人物
  • 3 ディスコグラフィー
    • 3.1 シングル
    • 3.2 アルバム
    • 3.3 ミニアルバム
    • 3.4 ベストアルバム
    • 3.5 ライブアルバム
    • 3.6 リミックスアルバム
    • 3.7 DVD
    • 3.8 参加作品
  • 4 出演
    • 4.1 テレビ
    • 4.2 ラジオ
    • 4.3 CM
  • 5 脚注
    • 5.1 注釈
    • 5.2 出典
    • 5.3 参考文献
  • 6 外部リンク


来歴

耳鼻咽喉科眼科の開業医を母に持つ。7歳(1962年)でピアノを習いはじめ、兄の影響から8歳(1963年)でギターを手にする。ピアノは、本人曰く、18歳まで継続し、音楽大学に行きたかった為、とのこと。ザ・ベンチャーズや、エリック・クラプトンジェフ・ベックジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々、ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と、壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスポスターを指差した。

アマチュア時代

11歳 ~ 13歳(1966年 - 1968年)に同級生の新川博らと『FOX』結成。ヤードバーズドアーズローリング・ストーンズ等をレパートリーとしていた。 14歳 ~ (1969年)『JAH(ヤッハ)』結成。3人のバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名。 ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとしバンド・コンテスト等にも出場。 この時、早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、『生ギターでフォークみたいのやらない?』と言う条件に断る。

16歳(1971年)『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場しオリジナル曲を演奏。地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、グランド・ファンク・レイルロード等をレパートリーとしていた。

1971年(中学3年生 ~ 高校1年生)に、スタジオミュージシャンとしての初仕事をこなす。 レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、エリック・クラプトンなどの曲を収める為だった。 当時のスタジオミュージシャンはジャズ系スタイルの人が多く、ロック系ギタリストは少数だった為、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だったそうである。 その時のエピソードとして、その当時の録音エンジニア達は~ロック・エレキギターの『歪み』『フィードバック奏法』を認識しておらず、戸惑ったと自身が回想している。

17歳(1972年)『Shock』結成。 別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。 『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散してしまう。

1973年スモーキー・メディスンを結成。

『Shock』『Bad Scene』にて日比谷野外音楽堂でライブをしていた頃、金子マリも別のバンドで同じステージに立っていた。 ある日、街中で出会い連絡先を交換。 『Bad Scene』も解散してしまい、『Bad Scene』のベーシスト鳴瀬喜博、『Shock』の佐藤準藤井章司と共に新たなバンドの構想中、金子マリから『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話を受けて迎え入れた。同年8月には合歓の郷で合宿をし本格的な活動準備に入る。

Charは、当時エレックレコード所属アーティストのレコーディングにも参加していた為、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キング・レコード/1974年リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディングエンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオに入り、朝方にデモ・テープは完成。後日、そのテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬喜博以外は高校生だったが、その圧倒的な演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、内田裕也の耳にも入る。当時、Char本人がチケットを購入して見に行く予定だった、とも言われていた内田裕也プロデュース・イベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:渋谷西武劇場)に於いてサディスティック・ミカ・バンドが出演予定だった、が同バンドは海外公演決定の為キャンセル。その空いた時間にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにも関わらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。

以降は様々なロックイベントに出演し、日本で野外での大規模ロック・イベントとして有名な郡山ワンステップフェスティバル1974にも出演が決まっていたが、直前に解散してしまう。(解散理由は音楽的指向性の他にも諸説有り)

解散後Charはフォーク系グループのレコーディングやLIVEでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。

プロデビュー後

1976年6月『NAVY BLUE』でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。 1977年6月にリリースされた『気絶するほど悩ましい』は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のROCK指向とは異なる『歌謡ROCK』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。 1978年には『逆光線』『闘牛士』とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト原田真二の3人(グループ)と共に『ロック御三家』と呼ばれる。

他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている。アイドル性を狙うもバンドのメンバーにルックスの悪いハーフがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという。

この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡したピンク・レディーの想像を絶する忙しさと、五木ひろし新沼謙治といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。

1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてGodiegoと共に楽曲の半分にて共演。 リリース後に行われたGodiegoとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。

同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。TBSの時代劇特番『雲を翔びこせ(渋沢栄一伝)』にて主人公の渋沢栄一(西田敏行)の嫁、千代(池上季実子)の兄、長七朗役を演じる。

同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なROCKバンド結成を構想。 Yellow~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成し活動準備の為、合歓の郷で合宿。

その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられた為、活動休止を余儀なくされ、オンエアーされることなく御蔵入りとなってしまう。 同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止となってしまった。

1979年カルメンマキの支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。

同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。 7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にも関わらず全国からファンが殺到し日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立する。 (当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)

1980年5月『Trycycle』、1981年『OiRA』を発表。

所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「ピンククラウド」(PINK CLOUD)と改名。 1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、1983年11月『PINK CLOUD』、1984年11月『PLANT BLEND』を発表。 レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件が有り、この時期は精力的な活動期間でもあった。 この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。 ジョニー吉長のソロアルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。

1985年、「ピンククラウド」は2度目のレコード会社を移籍。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れずに収録されたミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英し半年を過ごす。その為、PINK CLOUDとしてのバンド活動は年間でも数回となる。

1986年3月 忌野清志郎とアニメのサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行なった。

一度目のレーベル立ち上げ

1988年 - 1997年 電話通販専門のインディーズレコードレーベル「江戸屋Record」を運営。 1988年6月 ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。 (会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表)以後、『PINK CLOUD』としての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。

1991年にはイベントがきっかけで組まれた石田長生とのアコースティック・デュオ「BAHO」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、現在も活動中である。

1992年4月 - 「PSYCHEDELIX」を発表。 これは『PSYCHE』1988年にソロLIVEを行う際に佐藤準アンルイスジム・コウプリージャズ・ロッホリー、と組まれた『Char&PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバムとしては3枚を発表。

1994年、PINK CLOUD/JOHNNY, LOUIS & CHARが解散。

1995年、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースパートの収録は途中からcharが演奏している。

1996年、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。

1998年、Char自身もレコード会社を移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。

二度目のレーベル立ち上げ

2010年、ネット販売専門の新レーベルZiccaを立ち上げ、自身のルーツをアレンジし収録したTRADROCKシリーズとして『Eric』、『Jeff』、『The B』、『The V』、『Jimmy』、『Jimi』、『Char By Char』を発表した。

それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで奥田民生山崎まさよしとの『3人の侍』(Samurai‐3)がある。

2011年RSRでは斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。

人物

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この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2009年11月)

(例1 = 本名:「尚人(ひさと)」 → 「ちゃと」 → 「ちゃー」。例2 = 本名:「久子(ひさこ)」 → 「ちゃこ」 → 「ちゃー」)
Char曰く『公私ともに共同作業者』と語る事も多い。
Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、1977年 - 1978年に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが釈迦に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、21世紀に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
2011年には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった。
本人も石井竜也と共演した際に度々「まだギャラ貰ってないぞ」と発言している。
『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある松任谷由実最終回の出演を希望しているとのことを語った。

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

ミニアルバム

ベストアルバム

ライブアルバム

『Zicca PICKER』:Zicca.net販売のみ

リミックスアルバム

DVD

参加作品

出演

テレビ

ラジオ

CM

同社チョコフレーク

CFにも出演

脚注

注釈

  1. ^ この件については2008年6月3日に放送されたTV音楽番組THE M』(日本テレビ系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、
    ~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問
    石井:「米米には合わないかな?」 Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」
    そして歌メロの ~WOW WOW~は Charアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、
    「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。

出典

  1. ^ 星新一公式サイト 寄せ書き Char「First-magnitude star」
  2. ^ 週刊朝日1978年6月30日号 p142-145「いま女の子に騒がれているロック御三家のカクメイ的音楽性」
  3. ^ http://www.fender.jp/topics/news/000860.php
  4. ^ “徹子の部屋|2015/06/02(火)放送”. TVでた蔵 (株式会社ワイヤーアクション). (2015年6月2日). http://datazoo.jp/tv/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B/861930

参考文献

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年4月)

外部リンク

【典拠管理】

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出典:wikipedia
2018/11/05 23:53

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