このキーワード
友達に教える
URLをコピー

L'Arc〜en〜Cielとは?

【基本情報】

【出身地】
日本 大阪府大阪市
【ジャンル】
ポップ・ロック
ロック
ニュー・ウェイヴ
オルタナティヴ・ロック
プログレッシブ・ロック
【活動期間】
1991年 -
【レーベル】
Danger Crue Records
(1992年 - 1993年)
Ki/oon Sony Records
Ki/oon Records
Ki/oon Music

(1994年 - )
【事務所】
MAVERICK
(1992年 - )
【共同作業者】
岡野ハジメ
(プロデューサー・1998年 - )
【公式サイト】
www.larc-en-ciel.com
【】

【メンバー】
hyde(ボーカル)
ken(ギターコーラス)
tetsuya(ベース・コーラス)
yukihiro (ドラムス)
【】

【旧メンバー】
hiro(ギター)
pero(ドラムス)
sakura(ドラムス・コーラス)

L'Arc en Ciel(ラルク アン シエル)は、日本の4人組ロックバンド。1991年結成。通称・略称は主にラルクが用いられる。

プロダクションはMAVERICK、レコード会社はソニー・ミュージックレーベルズ(Ki/oon Music)にそれぞれ所属する。公式ファンクラブ名は「LE-CIEL」(1995年設立)。

目次

  • 1 メンバー
    • 1.1 現メンバー
    • 1.2 過去に在籍したメンバー
    • 1.3 時系列
  • 2 概要
    • 2.1 1991年:結成
    • 2.2 1992年 - 1996年:『DUNE』『Tierra』『heavenly』『True』
    • 2.3 1997年 - 2002年:『HEART』『ark』『ray』『REAL』
    • 2.4 2003年 - 2010年:『SMILE』『AWAKE』『KISS』
    • 2.5 2011年 - 2014年:『BUTTERFLY』
    • 2.6 2015年 - 現在
  • 3 音楽性
    • 3.1 音楽的影響・嗜好
    • 3.2 L'Arc〜en〜Cielと「ヴィジュアル系」
      • 3.2.1 「ヴィジュアル系」に対する他メンバーの反応
      • 3.2.2 評論家による評価
  • 4 楽曲制作
    • 4.1 作詞
    • 4.2 作曲
    • 4.3 編曲 (アレンジ)
    • 4.4 カップリング曲
  • 5 パートチェンジバンド
  • 6 来歴
    • 6.1 1990年代
    • 6.2 2000年代
    • 6.3 2010年代
  • 7 sakura逮捕時の流れや概要
    • 7.1 事件を受けての活動自粛等
  • 8 作品
    • 8.1 正式な作品
    • 8.2 デモテープ
    • 8.3 ミュージック・クリップ
  • 9 ライブ・コンサートツアー
  • 10 出演ライブイベント
  • 11 受賞記録
  • 12 タイアップ
  • 13 出演
    • 13.1 ラジオ
    • 13.2 テレビ
      • 13.2.1 CM出演
      • 13.2.2 NHK紅白歌合戦出場歴
  • 14 脚注
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

メンバー

現メンバー

メンバー名 生年月日と出身地 バンド遍歴 パート
hyde (ハイド)
(本名:寶井 秀人) |  (1969-01-29) 1969年1月29日(50歳)
和歌山県和歌山市出身 |  | 
ken (ケン)
(本名:北村 健) |  (1968-11-28) 1968年11月28日(50歳)
滋賀県米原市出身 |  | 
tetsuya (テツヤ)
リーダー |  (1969-10-03) 1969年10月3日(49歳)
滋賀県彦根市出身 |  | 
yukihiro (ユキヒロ)
(本名:淡路 幸宏) |  (1968-11-24) 1968年11月24日(50歳)
千葉県市川市出身 |  | 

過去に在籍したメンバー

メンバー名 生年月日と出身地 パート 在籍期間
hiro (ヒロ) | 不明 |  | 1991年2月 - 1992年6月12日
pero (ペロ) | 不明 |  | 1991年2月 - 1992年12月30日
sakura (サクラ)
(本名:桜澤 泰徳) |  (1969-11-20) 1969年11月20日(49歳)
東京都杉並区出身 |  | 1993年1月16日 - 1997年11月4日

時系列

概要

1991年:結成

1991年2月頃、大阪市tetsuyaを中心に結成される。グループ名はフランス語の「」を意味する l'arc〜en〜ciel (フランス語発音: [laʀkɑ̃sjɛl] ラルコンスィエル、ラフコンスィエル)。グループ名決定の経緯は諸説あり、阪急梅田三番街にある喫茶店の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。実際には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている。

当時のメンバーはtetsuya (ベース・当時は「tetsu」)、hyde (ヴォーカル・当時は「hide」)、hiro (ギター)、pero (ドラムス)の4人で、インディーズ時代は関西を拠点に活動した。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名はJelsarem's Rodというバンドで共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuyaと遭遇して以降、tetsuyaがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuyaらとセッションを行った。その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった。結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員。また、9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員を記録するなど、結成間もなくのインディーズバンドとしては異例の動員数を誇っていた。

また、当時他のインディーズバンドが活発にライブ活動を行う中、L'Arc〜en〜Cielは結成当時はあまりライブを行わないスタンスをとっていた。これについてtetsuyaは「ライブの本数はあえて絞った」「大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう、それぐらいの気持ちでやっていた」と語っている。また、ライブの本数を減らしたことで、口コミにより動員数が増加にしたと振り返っている。また、L'Arc〜en〜Cielはインディーズ時代にデモテープの公式配布・公式販売は一切行っておらず、「ライブに来ないと曲を聴けない」「自分達が納得するタイミングと形になるまで世に出さない」というやり方をとっていた。

1992年 - 1996年:『DUNE』『Tierra』『heavenly』『True』

hiroとperoの脱退、kenとsakuraの加入

1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオ『L'Arc-en-Ciel』のプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが、6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった。後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入。kenは同年6月25日の新宿ロフトで行われたライブでL'Arc〜en〜Cielとして初めてステージに立つこととなった。

ken加入直後からアルバムのレコーディングを行い、完成直前まで漕ぎ着けたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。また、これに関しては脱退したhiro側から「自分の曲を使わないでほしい」と言われたことも理由の一つになっている。しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。これとほぼ同時期に、デンジャークルー (現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった。ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル「Floods of tears/夜想花」は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである。そして、このシングルリリース直後の1992年12月30日に大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもって、ドラマーのperoが脱退することとなった。

1993年1月16日、前年脱退したperoに代わりsakuraが加入。加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り、1stアルバム『DUNE』をデンジャークルーレコードより発売。限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった。5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。

1993年夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりの「キューン・ソニーレコード」と契約を結ぶ。

メジャーデビュー、地道な活動、自身初のミリオンセラー

1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』を発売しメジャーデビューする。同年7月14日には2ndアルバム『Tierra』、同年10月21日にはシングル「Blurry Eyes」を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。ちなみに、当時メンバーの口からメジャーデビューの発表は一切行われていない。このことに関し、tetsuyaは「ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった」と述べている。

メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ライブツアー「Tour Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった。hydeは当時を振り返り、「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う」と述べている。

1995年1月からはファンクラブ「Ciel(現・LE-CIEL)」の発足記念ライブツアー「Ciel/winter '95」を開催。同年5月21日からはライブツアー「in CLUB '95」を開催。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『and She Said』を発売。さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『heavenly』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー「TOUR heavenly '95」では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。

1996年5月には、ライブ「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成。また、同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。中でも10月17日に発売したシングル「flower」は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。さらに、同年12月には4thアルバム『True』を発売。過去のアルバム3作と異なり、6人のアレンジャーを迎えて制作されたアルバムとなっており、「L'Arc〜en〜Cielの前期の集大成」といえる作品となった。アルバムは発売6週目でメジャーデビュー後では初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラーを記録した。

1997年 - 2002年:『HEART』『ark』『ray』『REAL』

sakura逮捕に伴う活動休止、復活ライブとなる自身初の東京ドーム公演開催

前年から1997年初頭にかけて初のアリーナツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される。これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、完全なバンド活動休止体制へ突入した。(詳細は"sakura逮捕時の流れや概要"の項目参照)

sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡し、アルバムレコーディングを含め数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元ZI:KILLDIE IN CRIESのドラマー・yukihiroが参加したセッションなどが行われ、同年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル「」は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。同年12月23日には、自身初の東京ドーム公演となる復活ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。チケットが当時の最速記録である4分で完売と、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。また、後年tetsuyaはこの公演を振り返り、「賭けだった」と述べており、「同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、だから絶対に良くなったって思わせたかった」と語っている。

yukihiro加入による新体制での活動再開、自己最長となるホールツアー開催

1998年1月1日にはサポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入。加入直後にシングル「winter fall」を発売し、自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得。シングルリリースの翌月には5thアルバム『HEART』を発売。ちなみに、この作品が岡野ハジメ(ex.PINK)が共同プロデューサーとして楽曲制作に携わる初のアルバムとなった。

また、yukihiroが正式加入して初めてのツアーとして、1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」を敢行。tetsuyaは後年この長期ツアーを振り返り、「yukihiroが加入した後だったので、この4人がL'Arc〜en〜Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった」「そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライヴをやることだな、たくさんリリースすることだなって思ってた」と述べている。

シングル3作同時、アルバム2作同時発売、2度のシングルチャート1位・2位の独占

前述のアルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り、1998年7月には「HONEY」「花葬」「浸食 〜lose control〜」のシングル3作を同時発売した。この同時発売により、発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し、「HONEY」「花葬」の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録。さらに、10月には「snow drop」「forbidden lover」のシングル2作を2週連続発売し、オリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた。なお、この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした。

さらに、翌1999年7月には6thアルバム『ark』と7thアルバム『ray』のアルバム2作を同時発売。2作合わせ初動300万枚以上、トータルセールス600万枚以上を売り上げ、2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった。また、本作は日本を含め、台湾香港タイマレーシアシンガポールフィリピンアジア7ヶ国においてリリースされ、L'Arc〜en〜Cielとして海外進出する第一歩となった。

また、同時期からフリーの映像ディレクター・箭内道彦が主な広告ディレクションを担当するようになり、藤原喜明風間杜夫ユースケ・サンタマリアの起用を始めとするバラエティに富んだ広告展開を行うようになる。テレビCMでは「グループ名『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」ものや「記者会見風の『活動予定告知』告知」を流し、新聞広告では「新曲の着信メロディの作成方法」や、コンピュータグラフィックスで作成した「坊主頭のメンバーの写真」などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。後年に箭内は当時のディレクションを振り返り、「アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが、それをメジャーシーンでやることに意義がある」として、「メジャーで、アンチで、びっくり」をテーマに広告を制作していたと述べている。また、「常に世の中やファンを裏切るような、次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった」と述懐している。

自己最大規模の野外ツアー開催、2度目の活動休止

1999年7月からは自身初の野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を全国6都市で開催。「誰もコンサートをやっていないところで(ライブを)やろう」という目的から、本公演では既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり、全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった。また、8月21日・22日に行われた同ツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を動員したライブを敢行した。さらに、21日の東京公演はViewsic (現・MUSIC ON! TV)で、自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた。

1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、自身初のカウントダウンライブ「RESET>>LIVE *000」を開催。資生堂ピエヌCMソングに起用された「NEO UNIVERSE」を2000年代突入の一曲目として初披露した。同年8月には8thアルバム『REAL』を発売し、アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した。1998年の活動再開から2000年までの3年間で、シングル13作、アルバム4作ものリリースし、その内の9作がミリオンセラーを記録した。さらに、同年10月からはライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」、同ツアー後に立て続けに自身初の4大ドームツアー「TOUR 2000 REAL」を開催した。

翌2001年には自身初となるベストアルバム『Clicked Singles Best 13』を発売。本作制作にあたり、Yahoo! JAPANとのジョイント企画として期間限定特設ウェブサイトを開設。8つの国と地域から人気投票を募り、各国で収録内容が異なるベストアルバムを発売した。また、本作でシングル・アルバムを通じて11作目となるミリオンセラーを記録した。

2001年9月発売のシングル「Spirit dreams inside -another dream-」のリリース前後から、tetsuya・yukihiro・hydeが相次いで個人活動を開始。公式発表はないものの、実質的な活動休止状態に入る。前述のように1998年以降のL'Arc〜en〜Cielは活動が集中的に行われていたため、急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ、「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていた。この活動休止に関してtetsuyaは、「どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった」と語っている。また、当時hydeが脱退を考えていたこと、tetsuyaが環境改善に取り組もうとしていたことが、各個人名義で出版した本で綴られている。

2003年 - 2010年:『SMILE』『AWAKE』『KISS』

2年半ぶりのライブ開催、本格的な活動再開、自身初の海外公演開催

個人活動の開始から約2年半が経った2003年6月、国立代々木競技場でバンド名に沿った7日間のライブ「Shibuya Seven days 2003」を開催。この公演が解散ライブになると当時噂されていたが、ライブ最終日には翌年の活動予定(シングル・アルバムのリリース、ライブツアーの開催)を発表し、それまで流れていた解散説を一蹴する。

上記ライブでの発表通り、2004年2月には2年5ヶ月ぶりとなるシングル「READY STEADY GO」を発売。本作の表題曲はテレビアニメ『鋼の錬金術師』のオープニングテーマに起用され、2000年以来4年ぶりにオリコン年間シングルランキングTOP30にランクインした。そして、同年3月には3年7ヶ月ぶりとなる9thアルバム『SMILE』を発売。さらに、5月よりアリーナツアー「SMILE TOUR 2004」を開催し、L'Arc〜en〜Cielの活動を本格的に再開した。

また、2004年7月31日にはアメリカ東海岸で開かれる地域最大のアニメコンベンション「OTAKON 2004」の一環として「L'Arc〜en〜Ciel Live in USA」を開催。ボルチモアにあるファースト・マリナー・アリーナで行われ、自身初となる海外公演は1万1100人を動員するライブとなった。さらに、翌2005年には10thアルバム『AWAKE』の発売後に国内ツアーを経て、初のアジアツアー「ASIALIVE 2005」を行い、ソウル上海において自身初のライブを開催した。

結成15周年記念ライブ、9年ぶりとなるホールツアー開催

2006年には結成15周年を迎え、特別企画「L'Anniversary」を開始。同年8月には「Blurry Eyes」から「forbidden lover」までのシングル14作の12cmCDシングル盤と、sakura逮捕に伴い当時発売中止したシングル「the Fourth Avenue Café」を発売。この再発によって、全15作がオリコン週間シングルチャートTOP30にランクインし、「同一アーティストによるオリコン週間シングルチャートTOP30入り」の記録を更新した。さらにシングル再発に立て続いて、1999年に2作同時発売されたアルバム『ark』、『ray』に特典DVDを付属した15周年記念盤が発売された。

2006年11月25日・26日には、結成15周年を記念したライブ「15th L'Anniversary Live」を東京ドームにて開催。ライブ最終日には翌年のシングルリリースと9年ぶりとなるホールツアーの開催を発表した。翌2007年5月にはシングル「SEVENTH HEAVEN」を発売。また、SUBARUレガシィ」のCMソングに起用された「MY HEART DRAWS A DREAM」を同年8月にシングルとして発売することを皮切りに、シングル・アルバム・映像作品を5ヶ月連続でリリースすることを発表した。さらに、前述のホールツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!」では、同年12月に発売される11thアルバム『KISS』の収録曲を含んだセットリストが組まれ、未音源化楽曲の先行披露をして全国32都市を廻った。

自身初の欧州公演を含むツアー開催、ライブ活動休止

前述のアルバムを引っ提げ、童話「不思議の国のアリス」を題材にした演出やセットが組まれたライブツアー「TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS」を2007年12月より開催。ライブで新曲として披露された「DRINK IT DOWN」がゲームソフト『デビルメイクライ4』の主題歌に起用され、翌2008年4月に発売された。

また、同月からは上海、台北パリ、ソウル、香港、大阪、東京という世界7都市を廻るライブツアー「TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜」が開催され、日本公演含め30万人を動員した。同年5月9日に行われたフランス・パリのルゥ・ゼニット公演は、自身初のヨーロッパでのライブとなった。また、このパリ公演は日本全国5ヶ所の映画館において、世界初となる海外コンサートの同時中継が実施された。

さらに、同年5月13日の読売新聞朝刊記事で、シングル「NEXUS 4/SHINE」の発売および上記ツアー終了を持って結成20周年となる2011年までライブ活動を休止することを発表。以後2011年まで各メンバーの個人活動の期間に充てられたが、あくまでライブ活動のみの休止のため、新譜は定期的にリリースされていた。2010年には「PEPSI NEX」CMソングに起用された自身初のカバー楽曲「I Love Rock'n Roll」を配信リリースした他、バンクーバーオリンピックパラリンピックNHK放送テーマソングに起用された「BLESS」がシングルとしてリリースされた。さらに、同年放送されたNHK紅白歌合戦に10年ぶりに出場するなど、テレビ出演含め音楽活動は途切れず継続された。

2011年 - 2014年:『BUTTERFLY』

ライブ活動再開、結成20周年記念ライブ、約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー開催

前年の紅白歌合戦への出場直後となる2011年1月1日にニューイヤーライブ「L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!"」を開催。L'Arc〜en〜Cielとしては約2年半ぶりのライブ開催となった。また、同ライブのMCにおいて、hydeが公演翌日から作曲期間に入ることを宣言し、本格的な始動を予告。さらに、公演終了後に場内スクリーンでオールタイムベストアルバムとなる『TWENITY』シリーズ3作と記念ライブの開催を発表した。

新年の発表通り、2011年5月28日・29日に結成20周年を記念したライブ「20th L'Anniversary LIVE」を味の素スタジアムで開催。本公演のセットリストは初日公演で結成から1998年までにリリースされたアルバムの楽曲を、最終日公演では1999年発売のアルバムから当時の最新楽曲を中心に披露し、2日間で1曲も被りがないものとなった。また、本公演の収益全額を、公演2ヶ月前に発生した東日本大震災の被災地への義援金として寄付することをメンバーとスタッフの連名で発表した。さらに、同年9月10日からはアリーナ、ドーム公演を含む約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー「20th L'Anniversary TOUR」を全国5都市で開催。メンバー4人以外がステージに立つことが滅多にないL'Arc〜en〜Cielとしては珍しくステージ後方にストリングス隊を携えた構成で展開され、多数の楽曲にストリングスアレンジを施し披露されるライブとなった。

同年には前述の記念ライブで初披露された「GOOD LUCK MY WAY」を含めシングル3作、翌2012年2月には4年3ヶ月ぶりとなる12thアルバム『BUTTERFLY』が発売された。中でも2011年10月に発売されたシングル「X X X」は、ロックバンドとして史上3組目となる1990年代2000年代2010年代の3つの十年代連続でのオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録した。さらに、同年12月には前述の結成20周年ライブの模様を収録したライブビデオの発売により、DVD総売上のミリオン突破を記録した。また、VHS総売上と合わせ映像作品全体(VHS+DVD)においてダブルミリオンの達成となった。

世界10カ国14都市を廻るワールドツアー、日本人初のマディソン・スクエア・ガーデン単独公演、2度の国立競技場公演開催

2012年3月からは、香港、バンコク、上海、台北、ニューヨークロンドン、パリ、シンガポールジャカルタ、ソウル、ホノルル等、世界10カ国14都市を廻るワールドツアー「WORLD TOUR 2012」が開催され、日本公演含め45万人を動員した。同年3月25日には、アメリカ・ニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、日本人ミュージシャンとして初となる単独公演が行われた。

さらに、上記ツアーの追加公演として、横浜大阪東京の国内3都市で野外ライブツアー「20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL」が行われ、5月26日・27日には、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初となる国立霞ヶ丘陸上競技場(通称・国立競技場)公演が開催された。

ワールドツアー後約2年間は、各メンバーの個人活動が活発化し、L'Arc〜en〜Cielは実質休止状態となっていたが、2014年3月に1年10ヶ月ぶりとなるライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場」が国立競技場にて開催された。前回の同所での公演と異なり、フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰めることにより、スタンド、フィールド含め8万人(両日16万人)を動員。国立競技場でのライブにおいて史上最多となる動員数を記録した。また、同年5月には同所で行われたライブイベント「SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT」に出演。この公演は全面建替工事前の国立競技場で行われる最後の音楽イベントとなり、L'Arc〜en〜Cielは最終日のトリを務め、全9曲を披露し国立競技場の長い歴史に花を添えた。

さらに、同年12月には前述のワールドツアーに密着したドキュメンタリー映画『Over The L'Arc-en-Ciel』を全国72ヶ所の映画館で期間限定公開した。本作が自身初のドキュメンタリー映画となり、同年公開された音楽ドキュメンタリー映画の中で、最速となる興業収入1億円突破を記録した。

2015年 - 現在

4年ぶりとなるシングルリリース、結成25周年記念ライブ、自身初のクリスマスライブ開催

2015年9月には大阪・夢洲において史上初となるライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」を開催し、同ライブにて新曲「Wings Flap」を発表。限定シングルを除いて約4年ぶりとなるシングルとしてリリースされた。翌2016年9月には新曲「Don't be Afraid」の完成を発表。同楽曲は映画『バイオハザード: ザ・ファイナル』の日本語吹替版主題歌に起用された他、同年に発売20周年を迎えたゲームシリーズともコラボし、世界初のVRミュージックビデオ「Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-」をPlayStation VR向けで制作・配信した。

2017年4月8日・9日には、結成25周年を記念したライブ「25th L'Anniversary LIVE」が東京ドームで行われた。また、翌年には自身初のクリスマスライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas」を開催。前述のライブにおいて募集したリクエストのうち「冬」をテーマにした楽曲を中心にセットリストが構成され、近年演奏されることがなかった楽曲が多数組み込まれた。

音楽性

音楽的影響・嗜好

メンバー 音楽的趣向(ジャンル) 好きなアーティスト
(太字はバンド) 影響を受けたアーティスト
(太字はバンド) その他(特筆事項など)
hyde | 
一覧
 | 
一覧

洋楽

邦楽

 | 
一覧

洋楽

出典:wikipedia
2019/08/13 02:46

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「L'Arc〜en〜Ciel」の意味を投稿しよう
「L'Arc〜en〜Ciel」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

L'Arc〜en〜Cielスレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「L'Arc〜en〜Ciel」のスレッドを作成する
L'Arc〜en〜Cielの」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail