このキーワード
友達に教える
URLをコピー

LGツインズとは?

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年9月)
LGツインズ
LG Twins
創設 1982年
ロゴデザイン

所属リーグ

KBOリーグ


歴代チーム名

MBC青龍(1982年 - 1989年)
→LGツインズ(1990年 - 現在)


本拠地
蚕室野球場(ソウル特別市松坡区)

収容人員 30,500人
ソウル特別市(1982年 - 現在)
永久欠番

9
41



獲得タイトル
シリーズ優勝(2回)

1990・1994



成績(タイトル以外)
シリーズ出場(6回)(太字は勝利した年)

2勝4敗
198319901994199719982002


プレーオフ(9回)(太字は勝利した年)

3勝6敗
1993・1995・19971998・2000・2002・2013・20142016


準プレーオフ(6回)(太字は勝利した年)

5勝1敗
199319982002201420162019



Aクラス(15回)

1982-1983・1986・1990・1993-1995・1997-1998・2000・2002・2013-2014・2016・2019


Bクラス(23回)

1984-1985・1987-1989・1991-1992・1996・1999・2001・2003-2012・2015・2017-2018



球団組織
オーナー 具本茂(ク・ボンム、LGグループ会長)
運営母体 LGグループ
監督 柳仲逸(リュ・ジュンイル)

【LGツインズ】

【各種表記】

ハングル: 엘지 트윈스
漢字: -
発音: エルジ トゥウィンス
英語: LG Twins

LGツインズ(エルジー・ツインズ、韓国語: 엘지 트윈스英語: LG Twins)は、KBOリーグに所属する韓国プロ野球チームである。ホームタウンソウル特別市であり、本拠地は同市松坡区蚕室野球場LGグループ傘下。KBO創設メンバー6球団の一つ。

韓国プロ野球界における人気球団の一つであり、1982年からの累積観客動員では最多を記録している(2018年まで)。チーム名はソウル特別市の汝矣島にあるLG本社オフィスビルであるLGツインタワーに因む。

チーム略歴

概要

MBC青龍時代(1982年 - 1989年)

1982年の韓国プロ野球発足と同時に誕生した韓国文化放送(MBC)を親会社とするMBC青龍(エムビーシー チョンヨン、ハングル:MBC청룡。資料によっては「MBCブルードラゴンズ」、または「MBCドラゴンズ」とするものもある)としてソウルを本拠地として創設。1983年まではプレイングマネージャーとして、日本プロ野球でも活躍した白仁天が活躍し、1982年には史上唯一のシーズン打率4割(.412)を記録した。しかし、1980年代後半は低迷が続き、毎年のように監督が交代し親会社のMBCの経営陣も球団運営に熱意を見せなかった。結局1989年シーズン終了後、球団の売却を決定、LGグループが当時約130億ウォンで買収してLGツインズとなった。

LGツインズ時代(1990年 - )

1990年代

1990年代は4度の韓国シリーズ進出、1990年と1994年に韓国シリーズを制覇するなど、当時のヘテ・タイガースとともに90年代の人気球団としての地位を両分し、「シンパラム(新風)野球」として一世を風靡した。1990年にLG初代監督として、前身のMBCで活躍した白仁天が迎えられ、球団創設初年度に三星ライオンズをやぶって韓国シリーズ初優勝を果たした。だが翌91年は6位と低迷したため、この年限りで白仁天は退任となった。

1992年から李廣煥監督が就任し、初年度は7位と低迷したが、翌93年は公式戦4位でプレーオフまで進出した。そして1994年、柳志炫金宰炫などの新人選手、当時プロ2年目の李尚勲などの若手が活躍し、2度目の韓国シリーズ優勝を成し遂げた。 このころがまさにLGツインズの黄金時代であり、当時の主なスター選手としては李尚勲柳志炫金龍洙徐容彬宋九洪金東洙などがあげられる。

しかし1995年3位、1996年7位と成績が低下すると、李廣煥も96年シーズン途中で交代となった。このあと監督代行を務めた千普成が監督に昇格し、1997年には2位に浮上したが、韓国シリーズでヘテタイガースに敗れた。1998年も2位だったがまたもやヘテに韓国シリーズで敗れ、1999年には総合6位(ドリームリーグ4位、この年から2000年まで2リーグ制)と低迷したため、千普成監督も退任した。

2000年代

2000年から李光殷監督が就任し、同年はドリームリーグ1位でプレーオフに進出したが、斗山ベアーズに敗れた。翌01年は6位に終わり、オフにはシーズン途中で監督代行となった金星根が正式に監督に就任した。

2002年、金星根の指揮の下、公式戦4位ながら準プレーオフ、プレーオフを勝ち上がり、韓国シリーズに出場したが三星ライオンズに敗れた。しかしフロントとの対立で金星根がこの年限りで退任してから、チームの低迷が始まった。

2003年は1990年代韓国シリーズ優勝に導いた李廣煥監督の再登板となったが、6位に終わりこの年限りで退任した。2004年から李順喆監督が就任したがまた6位に終わり、、2005年と3年連続で6位と成績不振が目に付くようになって、2000年代半ばからチーム強化に成功し、韓国シリーズに3度進出した地域ライバルの斗山ベアースに水をあけられる状態に陥る。

2006年は投手インストラクターとして加藤初が4年ぶりに復帰、宇都博之がトレーニングコーチを務めた。同年、球団史上初の最下位の屈辱を味わい、シーズン途中で李順喆監督は成績不振で退任となり、オフには同チームのOBであり、現代ユニコーンズを4回優勝に導いた金在博を新監督として迎え、巻き返しを図かった。その初年度の2007年は5位で終わったが、夏場までポストシーズン進出枠を争い、シーズン終了間際までポストシーズン進出の可能性を残すなど健闘した。だが2年目の翌2008年は、投打ともに振るわず序盤から低迷を続け、2年ぶり2度目の最下位に沈んだ。

2009年には20年以上のコーチ経験があり、2008年まで中日ドラゴンズの投手コーチを務めていた高橋三千丈を投手コーチとして招聘した。オフにFAで鄭成勲李晋暎の大物野手を獲得したこともあり、上位進出も期待されたが、投手陣の弱さが克服できず7位に終わり、例年と代わり映えのない成績で7年連続ポストシーズン進出に失敗し、低迷から脱出できなかった。なお金在博はこの年限りで退任し、新監督として朴鍾勲が迎えられた。

2010年代

2010年はトレードでネクセンヒーローズから李宅根をトレードで獲得し、かつての主力選手李炳圭の復帰などで戦力を補強したが、外野手が必要以上に多いなどチーム構成のバランスが悪く、6位となり8年連続でポストシーズン進出に失敗した。 2011年は前半こそ首位争いをしていたものの、夏場から勝率を下げる一方でハンファと同率6位に終わり、9年連続ポストシーズン進出失敗の不名誉な韓国プロ野球新記録を塗り替えてしまった。成績不振の責任を取る形で朴鍾勲監督も辞任し、金杞泰監督が就任した。

2012年は4月7日の公式戦開幕を前にして、前年チーム最多勝(13勝)だった朴顯俊金聖賢の2名の投手が金銭を受け取り競技操作事件に加担したとして有罪となり、解雇された後に球界から永久追放処分を科されてしまう(韓国プロ野球八百長事件)。投手力不足を解消できず7位でポストシーズン進出失敗記録を10年に伸ばした。2013年は公式戦2位で11年ぶりにポストシーズン進出となり、プレーオフから出場したが斗山ベアーズに敗れた。2014年4月23日、最下位に低迷していたためシーズン中にも関わらず金杞泰監督が辞任し、同年5月11日、楊相汶が監督に就任すると調子を取り戻し、公式戦4位で1998年以来となる2年連続でポストシーズンへ進出した。NCダイノスとの準プレーオフに勝利し、2年連続プレーオフへ進出したがネクセン・ヒーローズに敗れた。2015年は9位で、3年ぶりにポストシーズン進出を逃した。2016年はレギュラーシーズン4位で2年ぶりにポストシーズンへ進出し、起亜とのワイルドカード決定戦、ネクセンとの準プレーオフで勝利したが、プレーオフで2位のNCダイノスに敗れた。2017年は6位でポストシーズン進出はならず楊相汶監督が退任した。

2018年より柳仲逸監督が就任するも、同年は8位で2年連続ポストシーズン進出はならなかった。2019年はレギュラーシーズン4位で3年ぶりにポストシーズンへ進出するも、準プレーオフでキウム・ヒーローズに敗れた。

永久欠番

歴代成績

年度 シーズンランク 最終順位 試合数 勝 敗 無 勝率
MBC青龍
1982 | 3位/6チーム | 3位 | 80 | 46 | 34 | 0 | 0.575
1983 | 1位/6チーム | 準優勝 | 100 | 55 | 43 | 2 | 0.561
1984 | 4位/6チーム | 4位 | 100 | 51 | 48 | 1 | 0.515
1985 | 5位/6チーム | 5位 | 110 | 44 | 65 | 1 | 0.404
1986 | 3位/7チーム | 3位 | 108 | 59 | 41 | 8 | 0.590
1987 | 5位/7チーム | 5位 | 108 | 50 | 51 | 7 | 0.495
1988 | 6位/7チーム | 6位 | 108 | 40 | 64 | 4 | 0.389
1989 | 6位/7チーム | 6位 | 120 | 49 | 67 | 4 | 0.425
LG TWINS
1990 | 1位/7チーム | 優勝 | 120 | 71 | 49 | 0 | 0.592
1991 | 6位/8チーム | 6位 | 126 | 53 | 72 | 1 | 0.425
1992 | 7位/8チーム | 7位 | 126 | 53 | 70 | 3 | 0.433
1993 | 4位/8チーム | 4位 | 126 | 66 | 57 | 3 | 0.536
1994 | 1位/8チーム | 優勝 | 126 | 81 | 45 | 0 | 0.643
1995 | 2位/8チーム | 3位 | 126 | 74 | 48 | 4 | 0.603
1996 | 7位/8チーム | 7位 | 126 | 50 | 71 | 5 | 0.417
1997 | 2位/8チーム | 準優勝 | 126 | 73 | 51 | 2 | 0.587
1998 | 3位/8チーム | 準優勝 | 126 | 63 | 62 | 1 | 0.504
1999 | 3位/4チーム | 3位 | 132 | 61 | 70 | 1 | 0.466
2000 | 1位/4チーム | 4位 | 133 | 67 | 63 | 3 | 0.515
2001 | 6位/8チーム | 6位 | 133 | 60 | 71 | 2 | 0.458
2002 | 4位/8チーム | 準優勝 | 133 | 66 | 61 | 6 | 0.520
2003 | 6位/8チーム | 6位 | 133 | 60 | 71 | 2 | 0.458
2004 | 6位/8チーム | 6位 | 133 | 59 | 70 | 4 | 0.457
2005 | 6位/8チーム | 6位 | 126 | 54 | 71 | 1 | 0.432
2006 | 8位/8チーム | 8位 | 126 | 47 | 75 | 4 | 0.385
2007 | 5位/8チーム | 5位 | 126 | 58 | 62 | 6 | 0.483
2008 | 8位/8チーム | 8位 | 126 | 46 | 80 | 0 | 0.365
2009 | 7位/8チーム | 7位 | 133 | 54 | 75 | 4 | 0.406
2010 | 6位/8チーム | 6位 | 133 | 57 | 71 | 5 | 0.429
2011 | 6位/8チーム | 6位 | 133 | 59 | 72 | 2 | 0.450
2012 | 7位/8チーム | 7位 | 133 | 57 | 72 | 4 | 0.442
2013 | 2位/9チーム | 3位 | 128 | 74 | 54 | 0 | 0.578
2014 | 4位/9チーム | 4位 | 128 | 62 | 64 | 2 | 0.492
2015 | 9位/10チーム | 9位 | 144 | 64 | 78 | 2 | 0.451
2016 | 4位/10チーム | 4位 | 144 | 71 | 71 | 2 | 0.500
2017 | 6位/10チーム | 6位 | 144 | 69 | 72 | 3 | 0.489
2018 | 8位/10チーム | 8位 | 144 | 68 | 75 | 1 | 0.476
KBO 通算37シーズン | 2回優勝 | 4627 | 2189 | 2332 | 106 | 0.484

主な在籍選手

投手

捕手

内野手

外野手

歴代監督

前任監督の辞任、解任で務めた監督代行は歴代監督に含み、出場停止、休養などで一時的に代行を務める時は含まない。

主な退団・引退選手およびコーチング・スタッフ

韓国人選手

金在博(キム・ジェバク、在籍年度1982 - 1991)
元LGツインズ監督(2007 - 2009)
李光殷(イ・グァンウン、在籍年度1982 - 1991)
MBC球団の創設メンバーで球団を代表した強打者。ポジションは主にサード、後にレフトを守ったこともある。
1991年シーズンオフ、若返りを図った球団から金在博とともに引退勧告を受けた時、現役続行を選んで太平洋ドルフィンズに移籍した金在博と違って、引退を引き受けて1992年からコーチに就任。
将来の監督候補のライバルだった金在博はこの件で球団との間に溝が生じて監督として古巣に戻るのに15年が掛かったのに対して、コーチとしてチームに残って2000年シーズン監督に昇格。球団初の生え抜き監督の栄光を手にした。しかし、同年のプレイオフで継投を間違って敗退すると、翌シーズン、開幕から9勝26敗の惨状の責任をとって5月途中で辞任した。現在は母校の延世大学の監督を勤めている。
金尚勲(キム・サンフン、在籍年度1984 - 1993)
MBC時代は「ミスター青龍」と呼ばれ、LGになってからは初代「ミスターLG」の名を冠した好打者。88年.354の高打率で首位打者になる。1993年オフ、韓大化との交換トレードでヘテ・タイガースに移籍した。
金龍洙(キム・ヨンス、在籍年度1985 - 2000)
韓国プロ野球通算最多セーブおよびセーブポイント記録保持者。キャリア序盤は切れ味のあるスライターを武器にして「剃刀」のニックネームをとっていた。入団初年度は平凡な成績に終わったが、翌年抑えに転向すると開花。選手生活の後半はチームの事情によって先発と抑えを行き来しながらも両方で好成績を上げており、最多勝利投手になったこともある。通算成績は126勝89敗227セーブ、防御率2.98。いまだ、チームの通算最多勝利と最多セーブの両方の記録を持っている。佐々木主浩についでアジアで2人目で通算200セーブを突破して、個人通算100勝、200セーブの記録ははアジアではただ一人。この記録はメジャーリーグでも3人しか持っていない。現役時代につけていた背番号41はLGツインズ史上初の永久欠番となった。現役引退後はLGの投手コーチなどをつとめた。2010年5月より中央大学校野球部監督となったが、2012年11月、審判に金銭を渡した嫌疑で韓国アマチュア野球界から3年間の資格停止の処分を受けた。
鄭三欽(チョン・サムフム、在籍年度1985 - 1996)
宣銅烈は大学の同期で大学時代は彼の影に隠れて目立たなかった。プロ入り後、登板機会を得て実力を認められるようになった。しかし、自己主張がつよく、チームの首脳陣と確執を見せる事も多かった。成績も敗戦数が多かったが、チームの戦力が整ってくると勝ち数の方が上回るようになり、ローテーションの柱になる。1996年、球団初の100勝投手になるが、球威の低下によって球団から引退勧告を受ける。結局、この年限りで引退を表明、同球団のコーチに就任。現在は韓國富川(ブチョン)高校野球部の監督を務めている。
キャリア初期の負け数の多さが響いて通算成績は106勝121敗47セーブと負け越した。ハンファの宋津宇(ソン・ジヌ)に抜かれるまでは、韓国プロ野球で通算最多敗戦の記録を持っていた。頭脳派として知られ、研究熱心でもあり、コーチとしてもコンピュターを用いた当時では新しい指導法を導入したりして後輩を育てあげる。このことで、1998年、韓国政府から新知識人に選ばれたこともある。
金兌源(キム・テウォン、在籍年度1986 - 1998)
入団当初は剛速球を放るピッチャーとして毎年期待されながら、度胸不足と制球難で伸び悩んでいた。いわゆる未完の大器の典型のような選手だった。1990年、白仁天監督が赴任して、同監督のスパルタ式トレーニングの下で急速に成長、その年18勝をあげて初優勝に貢献。以後、ローテーションの一角として働いた。1993年、サンバンウル・レイダース戦でノーヒット・ノーランを達成。チーム史上唯一のノーヒット・ノーラン記録者である。
盧燦曄(ノ・チャンヨプ、在籍年度1989 - 1997)
MBC青龍の最後の新人で、1987年のシーズンオフにMBCから指名を受けたが、ソウルオリンピック出場のため、1年遅れて入団。新人の時から打線の主軸になった。鋭いバッティングが持ち味で「剣客」というニックネームがついた。しかし、1993年シーズン、頭を直撃したデッドボールの影響で視力に問題が生じ、その後の成績は降下の一途をたどる。これが引退を早める原因になった。
金東洙(キム・ドンス、在籍年度1990 - 1999)
LGツインズ最初の新人として入団。球団側は支離滅裂としていたMBC時代末期のイメージの払拭のため、彼を球団を代表するスターとして前面に出そうとした。1990年、新人王を獲得でその期待に答えて、韓国球界を代表するキャッチャーに成長する。
1999年シーズンオフ、FA宣言して、三星ライオンズに移籍。その後、SKワイバーンズ現代ユニコーンズヒーローズと渡り歩き、2009年に引退した。現在はネクセン・ヒーローズのバッテリーコーチを務めている。
2009年現在、韓国プロ野球の野手では現役最年長、ピッチャーを含んでもハンファの宋津宇(ソン・ジヌ)に続いて2番目で、2009年シーズン現役で1軍試合の出場を果たし、野手としては実働20年を記録した最初の選手となった。
宋九洪(ソン・グホン、在籍年度1991 - 1997、2000)
1992年、球団史上初の年間20本塁打を記録して、7位に沈んだチームの中心打者として台頭。この年は、盗塁も20を記録して、俊足巧打のイメージを確立する。翌年の1993年は、リードオフとショートとしてチームを牽引して、3年ぶりのポストシーズン進出に貢献。しかし、1994年シーズンは兵役の問題で全シーズンを欠場、韓国シリーズ優勝の年にはチームと一緒にいられなかった。1995年にチームに復帰。
闘志が前面に出るプレイでファンに愛されたが、柳志炫の入団でサードにコンバートされてからは、守備に精彩を欠いてエラーが続出。1997年のシーズンオフ、ヘテ・タイガースにトレード。サンバンウル・レイダースを経て、2000年シーズン古巣に復帰するが、その年限りで引退。現在はLGツインズの守備コーチを務めている。
韓大化(ハン・デファ、在籍年度1994 - 1995)
詳細は本人の項目を参照。
李尚勲(イ・サンフン、在籍年度1993 - 1997、2002 - 2003)
中日ドラゴンズ。日本での登録名はサムソン・リー
柳志炫(ユ・ジヒョン、在籍年度1994 - 2004)
ショートとして金在博を彷彿する巧みな守備や俊足巧打、賢いプレーでファンの人気を集めた。1994年の新人王。
2001年のシーズン後の年俸交渉で本人の希望額と球団側の提示額の差を埋めないまま、調停に持っていき、ここで勝利。韓国プロ野球史上初めて、年俸調停で選手が勝利する先例を残す。しかし、ここからこの件を快く思わなかった球団側の冷遇が始まり、出場機会が大幅に減少。野手陣の若返り策に出た球団の方針によって2004年シーズン後半からはほぼコーチ扱いされ、引退か移籍かの選択を迫られる。結局2004年シーズンを終えて正式に引退を表明、2005年シーズンからコーチに就任。2006年シーズンの前は、コーチングスタッフとしてワールドベースボールクラシックに参加。2006年シーズン後退団し、アメリカにコーチ研修に赴く。帰国後LGのコーチに復帰。
金宰炫(キム・ジェヒョン、在籍年度1994 - 2004)
柳志炫、徐容彬とともに1994年の新人旋風の中心の一人。パワーヒッターとしての片鱗を見せ、新人ながら21本塁打を記録。LGツインズとOBベアーズは、広い蚕室球場をホームに持って、1992年になってようやく年間20本塁打を超えた打者を輩出した。こういう状況の中で、高卒間もない新人として年間20ホームランを軽く超えて、長距離砲の候補として期待を集める。しかし、その後は長打力はなかなか成長を見せず、年間20ホームラン以上を記録したのは新人の年を含めて2度しかない。その反面、打率の方は2000年から6年連続3割を記録。
2002年シーズン途中、「大腿骨頭無血性壊死」という奇病を診断され、選手生命の危機に立たされる。しかし、これを承知で韓国シリーズに強行出場、代打で活躍し、ファンに強い印象を残す。手術を経て、無事チームに復帰したものの、それからの活躍の可能性に疑いを持った球団側は再発の場合を想定した裏面契約を迫り、球団に不信感を持つようになる。この件を根にもって、2003年シーズンオフ、FA宣言して、SKワイバーンズに移籍。チームを代表するスター選手に対する球団側の粗末な扱いにファンからの批判の嵐が起こされた。SKでは3度の韓国シリーズ優勝に貢献し、2010年シーズン終了後に引退。2011年は米国のロサンゼルス・ドジャース傘下のA級マイナーリーグに属するグレートレーク・ルーンス、2012年は日本・読売ジャイアンツでコーチ研修を受けた。2013年からスポーツ専門ケーブルテレビ局の解説者になった。
徐容彬(ソ・ヨンビン、在籍年度1994 - 2006)
詳しくは本人の項を参照。2014年より中日ドラゴンズ打撃コーチ補佐。
趙寅成(チョ・インソン、在籍年度1998 - 2011)
2000年ごろから約10年にわたって強肩強打の捕手として活躍した。2006年WBC(ワールドベースボールクラシック)韓国代表。2009年には試合中に観客の前で沈秀昶とマウンド付近で口論し、シーズンの残り試合をすべて2軍で送ったこともあった。2011年オフ、FA(フリーエージェント)を行使しSKワイバーンズに移籍。
朴明桓(パク・ミョンファン、在籍年度2007 - 2012)
2006年オフ、FA(フリーエージェント)で斗山ベアーズから移籍。2007年に10勝をあげた以外は故障で苦しみ1軍での登板数も少なく、大きく期待を裏切り2012年限りで退団。
李大炯(イ・デヒョン、在籍年度2003 - 2013)
2007年から2010年まで4年連続盗塁王の快足の選手。2013年オフにFAを行使してKIAタイガースに移籍。
李晋暎(イ・ジンヨン、在籍年度2009 - 2015)
国民的右翼手というあだ名を持つ選手。KTウィズから特別指名を受けて退団。
李炳圭(イ・ビョンギュ、在籍年度1997 - 2006、2010 - 2016)
中日ドラゴンズ
徐東旭(ソ・ドンウク、在籍年度2008 - 2013)
両打ちの内野ユーティリティ。現在はKIAタイガースに所属。
鄭成勲(チョン・ソンフン、在籍年度2009 - 2017)
ソウル・ヒーローズからFAで加入し、史上7人目の通算2000本安打を達成した。
奉重根(ポン・ジュングン、在籍年度2007 - 2018)
元メジャーリーガー。
金光三(キム・ガンサム、在籍年度1998 - 2016)
投手と外野手の両方できる二刀流だった。

外国人選手およびコーチングスタッフ

金時哲(キム・シチョル、在籍年度1982)
読売ジャイアンツ。肩の故障の影響で2試合のみの登板に終わり、1年限りで退団した。
柳高雄(ユ・ゴウン、在籍年度1985-1988)
中日ドラゴンズ。1983年の張明夫(チャン・ミョンブ、日本名:福士明夫)、1984年の金日融(キム・イリュン、日本名:新浦寿夫)などの活躍に触発された、在日韓国人選手スカウトブームに乗って入団した内野手。しかし、4年の在籍期間中は主に二塁手を務めて、守備はある程度こなしたものの、打撃は期待を下回った。
金信夫(キム・シンブ、在籍年度1990)
南海ホークス太平洋より移籍したが、出場機会に恵まれず、1年限りで退団した。
ジム・テータム(在籍年度2000)
ヤクルトスワローズ。負傷の為1年限りで退団し、そのまま現役引退。
李一義(イ・イルィ、在籍年度2002-2003)
日本名は吉本一義。1994年から2000年に福岡ダイエーホークスに在籍した在日韓国人選手。ダイエー退団後テストでLGへ入団。2002年は主に代打として72試合に出場したが、翌年はわずか2試合の出場にとどまり、その年限りで退団。
金真裕(キム・ジニュ、在籍年度2003-2005)
日本名は山田真裕。日本の社会人チームを経て入団したが、3年間の在籍でわずか6試合のみの登板に終わり退団。
ウィン(在籍年度2004)
韓国での登録名は苗字の方を取って「フタド(후타도)」だった。LGでは開幕4連敗と1勝もあげられないまま、期待に応えられず5月に解雇となった。
アル・マーティン(在籍年度2004)
レス・ウォーランド(在籍年度2005)
2008年12月17日に横浜ベイスターズがウォーランドの獲得を正式発表した。成績は19試合に登板、4勝10敗1S、防御率5.04。2010年斗山ベアーズと契約し、5年ぶりに韓国プロ野球へ復帰。
バディ・カーライル(在籍年度2006)
シーズン途中の5月に入団。当初は抑えとして期待されていたが、中継ぎに定着し好投。終盤には先発でも起用されたが結果は残せなかった。
成績は32試合に登板、2勝6敗2S、防御率3.25。リリーフでの好投を買われてLG側から契約延長を打診されたが、個人事情で固辞して退団。2007年はアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。2010年北海道日本ハムファイターズに入団。
ティム・ハリッカラ(在籍年度2007)
サムスンから移籍したが、16試合登板で6勝8敗、防御率5.21と期待に応えられずシーズン途中に退団した。
ペドロ・バルデス(在籍年度2007)
福岡ダイエーホークス。長打力不足の解消のため主砲として期待され入団し、最初は4番を任されたが、ヒットは安定して打つものの一発に欠けるため次第に3番での起用が増えた。選球眼に優れ四球は多く出塁率は高かったが、年間13本塁打では外国人打者としては迫力不足で、外野の守備範囲も狭かったため1年限りでの退団となった。
ジェイミー・ブラウン(在籍年度2008)
阪神タイガース。韓国では2006年から2007年まで三星ライオンズに在籍し、2年連続2ケタ勝利を記録。三星を自由契約となったあと、その実績を買われ2008年はLGと契約したが、期待を大きく裏切り1勝5敗、7点台の防御率の成績に終わり、5月で解雇となった。
クリス・オクスプリング(在籍年度2007-2009)
阪神タイガース。2007年シーズン途中に入団し、右の先発として活躍し2008年には10勝をあげた。しかし2009年はひじ痛で1試合も登板できずにシーズン途中退団となった。
ロベルト・ペタジーニ(在籍年度2008-2009)
読売ジャイアンツ。2008年から2009年まで4番打者として活躍。2010年福岡ソフトバンクホークスに入団。
エドガー・ゴンザレス(在籍年度2010)
開幕から6連敗と期待に応えられず、5月に解雇された。
岡本真或(在籍年度2010)
2009年埼玉西武ライオンズを自由契約となった後、高橋三千丈コーチの勧めでLGのテストを受け、2010年に選手契約を結び、球団史上初の日本人選手(外国人登録されない在日韓国人を除く)となった。2010年シーズン当初は抑えとして起用され16セーブを記録したが、次第に信頼を失ってしまいこの年限りで退団した。2011年から東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーしたが、この年限りで現役を引退した。
高橋三千丈(在籍年度2009-2011)
元中日ドラゴンズ。コーチとして在籍。
ラダメス・リズ(在籍年度2011-2013)
東北楽天ゴールデンイーグルス
ベン・ジュキッチ(在籍年度2011-2013)
ジョシュ・ベル(在籍年度2014)
エベレット・ティーフォード(在籍年度2014)
ブラッド・スナイダー(在籍年度2014)
コリー・リオーダン(在籍年度2014)
ジャック・ハナハン(在籍年度2015)
ルーカス・ハレル(在籍年度2015)
デビッド・ハフ(在籍年度2016-2017)
東京ヤクルトスワローズ
ルイス・ヒメネス(在籍年度2015-2017)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/07/13 05:18

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「LGツインズ」の意味を投稿しよう
「LGツインズ」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

LGツインズスレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「LGツインズ」のスレッドを作成する
LGツインズの」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail