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THE_ALFEEとは?

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THE ALFEE

【別名】
BE∀T BOYS
マラカス・ブラザーズ(M∀R∀C∀S BROS.)
The KanLeKeeZ
【出身地】
日本 東京都港区
【ジャンル】
ロック
オルタナティヴ・ロック
ポップ・ロック
フォークロック
ハード・ロック
プログレッシブ・ロック
【活動期間】
1973年 -
【レーベル】
ビクター音楽産業
(1974年 - 1975年)
ポニーキャニオン/F-LABEL
(1979年 - 1994年)
ポニーキャニオン/Zeit
(1994年 - 1997年)
東芝EMI/EXPRESS
(1997年 - 2003年)
東芝EMIEMIミュージック・ジャパン
/EXPRESS,Virgin Music
(2レーベル同時在籍)
(2003年 - 2013年)
ユニバーサルミュージック/EMI Records Japan
(2013年)
ユニバーサルミュージック/Virgin Music
(2014年 - )
【事務所】
Project III
【公式サイト】
ALFEE.COM
【】

【メンバー】
桜井賢 (ボーカルベース)
坂崎幸之助 (ボーカル・アコースティックギターパーカッション)
高見沢俊彦 (ボーカル・エレクトリックギター)
ビートルズ
サイモンとガーファンクル
イーグルス
クイーン
ガロ (フォークグループ)

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1973年に結成、1974年8月25日にデビューした、日本ロックバンドユニバーサルミュージック内の社内レーベルであるVirgin Music所属。事務所はProject III(田辺エージェンシーのグループ会社。1985年3月30日設立)。 「チケットの高額転売に反対」に署名しているアーティストである。

目次

  • 1 メンバー
  • 2 概要
  • 3 特色
  • 4 歴史
    • 4.1 結成
    • 4.2 デビュー
    • 4.3 ライブハウス時代・バックバンド時代
    • 4.4 再デビュー・リーダー交替・ロックへの進出
    • 4.5 ヒット
    • 4.6 1990年代
    • 4.7 21世紀以降
  • 5 ライブ活動
    • 5.1 全国ツアー
    • 5.2 ツアーサポートミュージシャン
    • 5.3 元サポートミュージシャン
    • 5.4 ツアータイトルと略歴
    • 5.5 サマーイベント
    • 5.6 海外公演
    • 5.7 カウントダウンイベント
    • 5.8 その他ライブイベント
    • 5.9 フェス等ジョイントイベント
  • 6 NHK紅白歌合戦出場歴
  • 7 レギュラー出演
  • 8 逸話
  • 9 THE ALFEE以外の活動
    • 9.1 BE∀T BOYS
    • 9.2 その他
    • 9.3 音楽以外の活動
  • 10 ディスコグラフィ
  • 11 タイアップ一覧
  • 12 CM出演及び使用楽曲
  • 13 脚注
  • 14 参考文献
  • 15 外部リンク

メンバー

概要

元は三宅康夫、桜井賢、坂崎幸二(坂崎幸之助)、高橋志郎による「コンフィデンス」というグループだったが、メンバーの入れ替わりを経て、桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、明治学院高校のまた別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫(G)の4人でデビュー。1975年、三宅が脱退し3人になり、現在に至る。

アイドルフォークバンド「ALFIE」としてデビュー。レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲で「Alfee」として再デビュー。元来はフォークグループだったが、アルバム『doubt,』以降、ロックの要素を取り入れ、シングル「別れの律動」からバンド名を「ALFEE」と表記変更し、ロックバンドとして活動を始める。その後、ヘヴィメタルプログレッシヴ・ロックパンク・ロックあるいはダンスミュージックなどの要素も取り入れて活動を展開。アルバム『夢幻の果てに』のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。

1983年の「メリーアン」のヒット以降、30年以上にわたりTHE ALFEE名義において全てのシングルをチャートインさせるなど、コンスタントなセールスを維持している(詳しくは後述)。

1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEからTHE ALFEEに変更。「コンフィデンス」→「Alfie」「ALFEE」→定冠詞THEの追加、というバンド名変遷の理由は特になかった。

2014年3月18日付でこれまでの功績が称えられ、明治学院大学で初の名誉学士称号が授与された。高見沢は、「やっとプロフィールから『中退』を外せる。これからはTHE ALFEE(大卒)と名前を変えて頑張ります」と、喜びを語った。

特色

ルーツとされるのは1960〜70年代の洋・邦楽ロック&フォークソングであるが、時にはシンセサイザーの多用やギター奏法など、その時々の音楽、ハード・ロックヘヴィメタルプログレッシヴ・ロックニューミュージック等も取り入れている。

メンバー3人が均等にリードヴォーカルをとり、曲毎(曲によってはパート毎)にリードヴォーカルを変えるスイッチボーカルもできる。高見沢は全員がスイッチボーカルできるのはキャンディーズとTHE ALFEEくらいと語っている。

桜井にベースを、高見沢にスリーフィンガーの奏法を教えたのは、坂崎である。

THE ALFEE自体及び、メンバー各々に異業種とのコラボレーションもこなす。ジャン・ポール・ゴルチエとの共同企画によるコンサートやエルメスによるアルバム「orb」のジャケットのアートワーク製作等、アパレル業種とのコラボレーションや、レーシングドライバーの野田英樹や、1997、1998年のル・マン24時間レース日産自動車から参戦した星野一義へのパーソナルスポンサー等を務めている。野田英樹には応援歌「Wild Bahn!」を書き下ろしている。

歴史

結成

明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモン&ガーファンクル等のコピーをしていた。バンド名の由来は、S&Gの「ブックエンド」の歌詞に「confidence」とあることから。同時期に高見沢は別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリンディープ・パープル等をコピー演奏していた。

コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストにて、坂崎と出会う。坂崎は別のグループを結成して活動するが、その後坂崎のグループが解散したのを機に坂崎はコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場。小室等に注目されデビューのきっかけをつかむ。

桜井、坂崎、高見沢、三宅の4人は明治学院大学に進学した。ロックバンドを解散していた高見沢を坂崎が引き入れ4人体制となった。大学は坂崎は1年で学費未納により除籍処分、桜井と高見沢は中退のため卒業はしていなかったが、前述の通り2014年3月、明治学院大学よりミュージシャンとしての功績を評価され、同大学初となる名誉学士の学位が授与された。3人は名誉卒業生として明治学院大学学位授与・卒業式へ出席し40年越しの卒業を達成した。

当初は全員が作詞・作曲していたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢が作っている。

デビュー

コンフィデンスの名はデビューに際して、株式会社オリジナルコンフィデンス(現オリコン株式会社)、及び同社発行の音楽業界誌と混同の恐れがあるとして、赤坂にあるTBS会館(彼らの原盤権を持つ日音が入居していた)の下にある店の名前と、ドレミファソラシドのシドの両方の意味で「シド」という名前で動き出した。それがいつの間にか「Alfie(アルフィー)」に変わっていたという。いずれも所属事務所の田辺エージェンシーによる決定であり、坂崎は「着せ替え人形のようなものだった」と語っている。デビュー当初は喋りが達者な坂崎をリーダーとしていた。

ビクター音楽産業から「浪漫派アルフィー」のキャッチフレーズのもとにアイドルフォークバンドとして、シングル「夏しぐれ」でデビューする。デビューは1974年8月25日で、銀座山野楽器でイベントを行っている。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く「青春の記憶」も同様であった。

1975年に三宅康夫が脱退し3人体制となった直後の3枚目のシングル「府中捕物控」(作詞・作曲:山本正之)が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となったのを機にビクターとの契約を解除する。

ライブハウス時代・バックバンド時代

その後、レコード会社の所属のない時代が続き、事務所の先輩である研ナオコ由紀さおりかまやつひろし堀内護(MARK)・大野真澄(VOCAL)等のバックバンドを務めながらライブハウスで活動を続けた。ステージでは何とか観客をつかもうとコミカルな演出やMCを行う等、自身を印象付けようと努力を重ねるが、その一方で「このままでいいのだろうか」というジレンマに悩みながらの試行錯誤が続く。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始める。中でも大野真澄(元ガロ)からアドバイスを仰いだ高見沢が、楽曲の質、量ともに一番優っていた。2019年の春ツアーのパンフレットの付録のトークCDでは、バックバントとして多くの先輩アーティストにお世話になり、中でもかまやつと研のツアーでは、アルフィーのコーナーを設けて頂いたことを明かしている。

ライブハウス時代の楽曲で、再デビュー後にレコード化された曲、タイトルが変更された曲もある(シングル曲やアルバムのページを参照)。また現在でもCD化されていない曲もある。「ラブレター」や「星空のディスタンス」は当時は、ギターインストゥルメンタルとして演奏されていた。

2015年春ツアーのパンフレットの特典のトークCDでは、ライブハウス時代に「東京」という楽曲があったことを明かしている。

再デビュー・リーダー交替・ロックへの進出

1979年にAlfee(アルフィー)と改称してキャニオンレコードから「ラブレター」(作詞・作曲:高見沢俊彦)で再デビューする。

アルフィーのリーダーは1974年のデビューから坂崎が務めていた。フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたが、1980年に出された3rdアルバム『讃集詩』のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビューで「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢が反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになる。また1982年リリースの5枚目のアルバム『doubt,』からロック系のアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。

なお、ブレイク前には、久光製薬のCMソングの「ニューサロンパスの歌」やポンキッキの「もじさがしのうた」「ごあいさつのうた」等を担当したこともあった。

NHK-FMの各地方ごとに制作されていたローカル番組FMリクエストアワーに各地方局ごと積極的にキャンペーンで訪れゲストで出演。当番組のリクエストランキングにだけトップに位置する現象が多々あった。中でもNHK前橋放送局TPリクエストアワーで専用のジングルを制作。番組内で何度も使用される。

1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、ドラムス・キーボードを含むいわゆるロックバンド編成で演奏を行った。

この年の暮れに発売されたシングル「別れの律動」以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ALFEE」とした。

この年よりサポートメンバーを加えて演奏されるのが通常のスタイルとなった(サポートメンバーの歴史は#全国ツアーの項を参照のこと)。

ロック編成初期の頃からドラムスがツーバスでアレンジされている曲もあった。

ロック・バンドとしてのイメージ作りとして、高見沢がマーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セットとしてマーシャルのスピーカーを積み上げたり(マーシャル・ウォール)、変形ギターを多用してテレビ出演するなどの演出がされた。

ヒット

1983年、コンサート動員力はあったもののヒット曲がない状況で8月24日に初の日本武道館公演を行う。それに続く形でアルバム収録曲の予定であったがシングルで6月にリリースしていた「メリーアン」がヒットし、同年の『第34回NHK紅白歌合戦』にも出演することとなった。

これに続いて翌年には「星空のディスタンス」、「STARSHIP -光を求めて-」などのヒット曲が続き、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの音楽番組の常連ともなった。またこの頃より、歌番組以外のいわゆるバラエティ番組への出演も増加した。「メリーアン」以降のシングルCD(レコード)が52作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けている(2017年現在)。

毎年1月下旬頃に行われる「大阪国際女子マラソン」のイメージソングを、1987年の第6回大会における「夢よ急げ」以来、2018年の「勇気凛々」まで担当した。

1990年代

1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」を立ち上げる。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数か月間シングルまたはアルバムを定期的にリリースした。

1996年のアルバム『LOVE』や1998年のアルバム『Nouvelle Vague』ではストリングスアレンジが多用され、シンフォニック・ロックネオクラシカルメタルのジャンルにも分類される。

1997年東芝EMIに移籍した。

21世紀以降

2001年のシングル「Juliet」、アルバム『GLINT BEAT』ではブリティッシュ・ロックパンク・ロックのサウンドを取り入れた。

春・秋のライヴツアー・夏のイベントライヴを中心に活動中。2000年以降は、シングルは年に1枚(2009年はデビュー35周年を記念して3枚のシングルが発売された)。オリジナルアルバムは3 - 5年に1枚、その他新録音のベスト・アルバムやアニバーサリーイヤー企画のリリースをしている。ライヴDVDは毎年発売され、2008年8月からはEMIミュージック・ジャパンからではなく、プライベートレーベルのアルフレッドからになっている。

2015年2月21日より、ドキュメンタリー映画『THE ALFEE 40th Anniversary Film THE LAST GENESIS 〜40年の軌跡と奇跡〜』が全国ロードショーにて上映された(前日の2月20日には、東京・シネマメディアージュにて、メンバーの舞台挨拶と先行上映が行われた)。

2016年12月21日、メンバー3人が還暦を迎えて以降にコンサートのアンコールで、ミリタリージャケットを身に付けて披露していた「The KanLeKeeZ」としてデビューし、アルバム「G.S. meets The KanLeKeeZ」をリリースした。グループサウンズを敬愛し、最年長新人バンドとされている。同アルバムは翌2017年のレコード大賞企画賞を受賞した。

2018年12月24日の日本武道館公演で、大阪国際女子マラソンのイメージソングを、1987年から31年間担当してきた記録に関して、「同一国際スポーツ大会のテレビ放送における同一アーティストによる最多テーマソング数」がギネスワールドレコーズに認められ、認定証を授与された。

ライブ活動

全国ツアー

THE ALFEEは1982年夏ごろより、コンサートツアーにタイトルをつけ、毎年全国を回ってコンサートツアーを行っている。

基本的に春(3月下旬〜7月上旬)と秋(9月中旬〜12月下旬)の2回ツアー(以下、「春ツアー」、「秋ツアー」と記述)が行われ、春ツアーと秋ツアーでステージセットやツアーの基本となるセットリストが変わる。また、2011年より秋ツアー終盤の日本武道館大阪城ホールでのアリーナ公演を「ファイナルシリーズ」と銘打ち構成を一新、大ホール向けの照明演出を用いた演出、特別グッズの販売等が行われる。その為アリーナツアーは、冬のイベント(冬イベ)的な要素がある。2016年は春ツアーを「春フェス」、夏のイベントを「夏フェス」、秋ツアーを「秋フェス」、年末のアリーナ公演を「冬フェス」と題して行い、2017年以降も春夏秋冬に則したツアー名が付けられている。セットリストのチェンジも多く、2日間公演などでは大幅に変える場合もある。最も多い年では年間113公演をこなし、2019年現在でも年間で約60公演を行うなど、ライブを中心に活動を続けている。

ツアーサポートミュージシャン

※演奏のほかコーラスパートも担当し、ステージでは最大5声のコーラスを聴くことができる。

元サポートミュージシャン

※サポート体制が、ツインドラム、ツインキーボードの体制の時期あり。

※相沢と山石は、共にSCRAMBLEというバンドで活動していた。

ツアーだけではなく、レコーディングでも多くの楽曲に関わっている。1990年代の一時期にはライブ活動時に限りTHE ALFEEの名を「バンド」扱いとし、コンサートのビデオソフト等ではTHE ALFEEの正メンバー3人とほぼ同格にサポートミュージシャン名も列挙するなどしていたが短期間で終わり、それ以降は明確に区別されている。

ツアータイトルと略歴

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この節の加筆が望まれています。

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